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《282》頬の傷
しおりを挟む周りのざわめきのせいで気が散る。瞼を閉じ、治癒に専念する。
強ばっていたアンナの身体から、力が抜けてゆく。
やがて、ノワはそっと唇を離した。
「傷口は治りました。彼女をベットに運んであげてください」
「なんと·····」
その場は歓声につつまれた。
アンナの同僚が、顔を濡らしながら何度も頭を下げる。
救えてよかった。
ノワは心から安堵した。
しかし、少し力を使いすぎたようだ。
気を抜いたら気絶してしまいそうだ。
使用人達を心配させない為にも、平気なフリをしてここを去りたい。
「ジョセフ、行こう」
ジョセフを振り返ると、彼はじっとこちらを見つめていた。
ブラウンの瞳が、ハッとしたように焦点を合わせる。
「行きましょう、ノワ様」
ノワはジョセフに連れられ、使用人達の波から抜け出した。
「──それで、もう、ヤバかったのよ!視界いっぱいに美しいお顔!天国に行ったかと思ったわ。儚い瞳が私を見つめて、優しい声で言ったの。"口付けを許してくれますか"、"君にキスしてもいい?"って!!····あ~ん、思い出しただけで心臓止まりそう」
「キャー!!!」
「素敵」
「私もハシゴから落ちたらキスしていただけるかしら」
ハシゴ事件を境に、ノワに対する使用人たちの様子はガラリと変わった。
前々から密かなファンはいたものの、大っぴらに言うことが出来なかったのだ。今では、大公爵邸の使用人全員がノワに心を許したと言っても過言ではなかった。
そして、イアードの治癒をし始めてから、早一週間。
雀の涙程しか進歩はないものの、まあ、順調だ。
しかし、治癒に必要な時間は滞在期間の1ヶ月ではとても足りない。
ノワはフィアンへ滞在期間延長を希望する手紙を出そうかと考えていた。
そのためには、まずイアードに話をしなくてはならないが。
「いやぁ、一躍人気者ですね」
レイゲルが呟く。
少しひねくれた言い方だ。事件が起きた時近くにいられなかったことが、未だ不満らしかった。
レイゲルを見上げたノワは、彼の頬に傷ができていることに気が付いた。
「それ、どうしたの?」
「朝練で少し」
「少しじゃないです。まだ血が止まってない」
「ノワ様のことを考えすぎて練習に身が入らず、ロイドにやられました」
「·····」
随分皮肉っぽい言い方だ。
レイゲルは案の定ロイドの三白眼に睨みつけられる。
ノワは立ち止まった。
「レイゲル、かがんでください」
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