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第17話

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《RDside》

 適当に入ったカフェで、他国の王女であり皇太子殿下の婚約者候補でもあるアリアーナ嬢に頭からお茶をぶっかけられて、体感として数秒。静まり返る空間に、誰かが生唾を飲んだ音が響く。

「も、申し訳ございません!リダ殿下!お、御手が滑ってしまい…。どうか、どうか命だけはお許しください!」

 おれが前世を思い出した瞬間に目の前で頭を下げていた使用人の如く、アリアーナ嬢は床に座り込みジャパニーズ土下座をしている。前世でも見たことのない光景だ。
 アリアーナ嬢は、プルプルと小動物のように震えながら涙を流している。世間知らずのか弱き女性を演じているつもりなんだろう。
 アリアーナ嬢に同情の雰囲気ができあがりつつある中、そんな空気を一刀両断するように部屋の温度が三度ほど下がった。
  
「貴様。手が滑ったというのは嘘だろう」

 ドス黒い雰囲気を身に纏い、いつもよりも低い声で恐ろしいことを口にしたのは、何とハーベルダ大公だった。あまりの突然の口出しに、おれは驚いてしまい、言葉が見つからない。

「シルヴェストル大帝国の皇族に対してのその行為、侮辱と見なす。皇族がいながら大公である俺に先に茶を出す行い、更には皇族にに茶を零した行い…。貴様がいくら他国の王族だろうとも死刑で許される行為ではないぞ」

 頭に猫耳をつけたままのハーベルダ大公。とんちんかんな状態だが、ここには誰もそれを指摘できる者はいない。冗談抜きで、ハーベルダ大公はブチギレている…。

「貴様の首をここで跳ねてやる」

 冷えきった声と同時に、ハーベルダ大公は腰の剣を抜き取ろうと柄に手をかける。と、そこでおれは叫ぶ。

「ちょ、ちょいとお待ちぃ!!!」
「…………………」

 再びシーンと静まり返る空間。咄嗟に出た言葉とは言え、どこぞのラーメン屋の店主が乗り移ってしまった。恥ずかしさに頬を赤らめるが、今はそんなこと気にしている場合ではない。一つコホンと咳払いをする。

「彼女は、手が滑っただけだと言っていますよ。ね?どうか怒りを収めてください、ハーベルダ大公」
「殿下。俺は決して怒りに身を任せてなどいません。皇族に、殿下に仕える誇り高き騎士として、この不届き者を始末しようとしているだけです」

 ホワイトオパールの瞳は、怒りの色に染まり切っている。自分の発言に問題があるとも分かっていない様子のハーベルダ大公。
 アリアーナ嬢は腐っても皇太子殿下の婚約者候補だ。おれやハーベルダ大公の独断で処刑したともなれば、皇太子殿下や皇帝陛下が何を申されるか分かったもんじゃない。いつもは煙草をふかしている兄貴肌で通った皇太子殿下だって、今のハーベルダ大公のようにキレ散らかすかもしれないし…。
 アリアーナ嬢もまさかおれではなく、ハーベルダ大公が怒るとは思っていなかったようで先程の嘘泣きは何処へやら。青ざめた顔で尋常じゃないほどに震えている。きっと彼女の今の心情は、「リダ殿下はハーベルダ大公に嫌われてるんじゃなかったの!?」だ。
 溜息をついて、ハーベルダ大公の前にそっと手を出す。魔法を使い服や頭を乾かす。一瞬の行為に、周りの人たちは驚きの声を上げた。

「殿下…」
、今すぐ剣を収めてください」

 名を呼ばれたハーベルダ大公は、小さく息を呑んでその場で跪いた。

「出過ぎた真似を致しました」

 一言そう告げたハーベルダ大公を、おれは立ち上がらせる。そして、未だに土下座をしているアリアーナ嬢に近寄った。震えながら顔を上げるアリアーナ嬢。
 あなたには、名誉を挽回するための糧となってもらおうかな。わざとやったということも分かっているし…。
 氷のように冷たくなっているアリアーナ嬢を優しく立たせる。

「お怪我はないですか?アリアーナ嬢」

 気遣いの言葉をかけたおれに、アリアーナ嬢を始め多くの人たちが心底驚いたという顔をしている。

「は、はい…」
「麗しき姫君に、お怪我がなくてよかったです。貴方様はヘドゥーシャ王国の第一王女であられる御方です。シルヴェストル大帝国の領土、ましてや皇都内に身を置く貴方様に何かあったらと思うと…。ヘドゥーシャ王国の王族の方々や民たちに顔向けできませんもの」

 そう言って優雅に微笑む。周りの人たちは何が何だか理解できていない様子だが、アリアーナ嬢は再び震え出し、ハーベルダ大公はスっと瞳を閉じた。
 アリアーナ嬢が紅茶をわざとおれに零したという話が公になってしまえば、事実上ヘドゥーシャ王国とシルヴェストル大帝国の交友関係は閉ざされることとなる。小国の王女と大国の皇族とでは身分が違いすぎるから。
 おれの言葉は、忠告だ。シルヴェストル大帝国の領土にいるヘドゥーシャ王国の王女に何かあったらと思うと困る。という言葉の裏側には、小国の王族如きのおまえが、大国の皇族に向かって軽率な言動をして、自国を滅ぼすなよ?という意味が込められている。
 アリアーナ嬢のロードクロサイトの瞳からはポロポロと雫が溢れ出ている。

「それに、我がシルヴェストル大帝国の皇太子殿下の奥方となられる御方かもしれませんしね」

 トドメとして、雷のような衝撃をアリアーナ嬢に落とす。
 次何かあったら、皇太子妃並びに次期皇后への道は閉ざされることになるかもしれない。これで行動を慎んでくれるとお互いに助かるんだけど…。
 そう思いながらひたすら笑みを浮かべ続けたのだった。





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