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第五章

【第三話】全ての始まり

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 三十畳程の広さを持つ半透明なプレートが、果ての見えぬ図書館の様な空間にぷかりと浮かび、その上に今柊也達が立っている。淡く光った五芒星魔法陣の様な柄が足場となっているプレートには描かれていて、よく見ると楔形文字やエジプトの象形文字っぽい柄もあって何と書かれているのか不明なお陰で芸術品の様だ。淡い光はとても綺麗だが、半透明である時点でちょっと怖い。だが、『ココがもし割れても落ちるのは高確率で本棚の上だから平気だ!』と、柊也は自分へ言い聞かせた。
「早くそこにでも座れや、ぶっ殺されたいのか?あ?」
 苛立ちが滲み出る声が何処かから聞こえるが、相変わらず姿は見えない。巨人族のアグリオスに紹介するとセフィルは言っていた気がしたが、聞き間違いだったんだろうか?と、声の主の姿を探しながら柊也は思った。
 たんっとプレートの上に足を置く音が聞こえ、柊也はアンティークな机の方へ視線をやった。
 山積みの本や書類の奥から出て来たのはとても小さな少年で、着ている大人用の白衣をずるずると引きづりながら歩いている。丸くて大きなレンズをしたメガネをくいっと指で上げ、顔はちょっと眠たそうだ。
「お前が“純なる子”か、やっと会えたな。研究対象に直接会えるのは何万年ぶりだろうなぁ…… 嬉し過ぎてぶっ殺しそうだ。あ、コレは冗談な?」
 物騒な事を言いながら、薄緑色をした髪の少年が柊也の方へ近づいてくる。小人族と言った方がマッチした身長をしたアグリオスを前に柊也が呆気にとられていると、ルナールが「彼は呪われていますね」と指摘した。
「あぁ、ルナール様には印が見えますもんね。その通りです。アグリオスは巨人族ですが、見ての通り二十六年前にバカな理由でこの姿になりました。『小さいと何かとココでは不便だから』と言ってこれらの空間を私に作り変えさせた、仕事ばかり増やす厄介者なのですよ」
 ふぅと息を吐き出し、やれやれとセフィルが頭を軽く振る。
「うるせぇなぁ…… どうぜ本さえ関わればお前なんか無尽蔵に色々出来んだし、暇潰しさせてやっただけだろ?好きな女の魂がまだ何処にも生まれてこねぇってそわそわそわそわして気持ち悪かったから、オレがお前を使ってやったんだ。むしろ感謝しねぇとマジでぶっ殺すぞ」
(『ぶっ殺す』は口癖…… かな?)
 そうは思っても口を開く事も出来ず、どこまで本気なのかもわからないので柊也が黙っている。
「ちょっと研究に没頭してたら千年目がいつの間にかきてたってだけだろうがよ。丁度作物が不作の年だったから『体が小さかったら少しで腹一杯じゃね?』って思ったらコレだ。ふざけんなって感じだよな」
「じゃあ解呪しますか?」
 柊也がそっと銀のブレスレットに触れると、アグリオスがキッと柊也を睨んだ。
「やめろ。テメェらの前で元の姿に戻って、全裸見せる趣味はねぇよ。どうせ近日中に幽閉塔へ行くんだろ?ならもう少しこの姿を楽しんでおくわ」
 そう言って、アグリオスが応接用にと用意してあったソファーの一つへ体を投げ出した。
「お前らも座れって。オレから研究成果を色々聞きたいだろう?」
「そうですね。じゃあ失礼して」
 ソファーに座り、柊也が「お願いしまっす」とアグリオスに対して頭を下げる。でもルナールは座ろうとせず、セフィルに声をかけた。
「すみません、私はセフィルにちょっと訊きたい事が別にありまして。お話はお二人でして頂いてもいいですか?」
「でも、ルナール…… 」
「呪いに関しての知識でしたら殆ど知っている事ばかりですし、知っている話ばかり改めて聞くよりは、後で要点だけトウヤ様からお聞きした方が効率的でしょう?」
「まぁ、確かに」
 柊也がそれもそうだなと納得していると、ルナールとセフィルが頷きあい、ぷかりと浮いているプレートから降りて行く。
「では、話が終わりましたらすぐに戻りますので」
 階段っぽい板の途中でルナールが止まり、振り返りながらそう言うと、またセフィルと共に歩き出した。
「…… よ、よろしくお願いします」
 口の悪い“巨人族の小さな少年”という矛盾した存在といきなり二人きりにされ、柊也は戸惑いを隠せなかった。


「——はい!まずお前の持っている知識はデタラメな解釈が随分と多いから忘れちまって下さい!じゃねぇと、お前だろうがぶっ殺すからそのつもりでしっかり聞けや!」
 無駄に素敵な声をして、アグリオスがホワイトボードに見える物を勢いよく伸縮タイプの指示棒でバンッと叩いた。
 少し前に、何も無かった空間からズルズルと引っ張り出されたホワイトボードと、ポケットから出てきた指示棒はどちらも柊也のよく知るデザインをしており、驚きを隠せなかった。でも『セフィルが作った物だ』と聞き、『あの人は僕の世界の事も知ってそうだったもんな』と、そちらはすぐに納得出来た。でも、言葉の方はそう簡単にはいかなかった。
「…… でも、えっと、デタラメって?」
「そもそも、国中に広がっているコレは、“呪い”じゃねぇって話だ」
 待ってくれ。物語を根底から覆す様な発言に、柊也が完全にフリーズした。
「呪いくらい厄介なものではあるから、事実をロクに知らねぇ獣人達が呪いだって勘違いしただけだ」
 そう言いながら、アグリオスが真っ黒い姿をしたひょろ長い物体の絵をホワイトボードに描き、下には『ニャルラトホテプ』と柊也もよく知るカタカナで書いた。
「カタカナだ!何で?」
 ここは並行世界だと言われた割には、たまに見かける英語以外はさっぱり読めない文字ばかりが溢れていただけに、柊也が歓喜の声をあげた。
「お前を呼んだ時点で勉強したんだ。上手いもんだろ?もてなし上手って奴だろ?あ?」
 鼻高々に胸を張っている姿がなんだか可愛らしいのだが、言い方は半分脅している感じが漂っていて、戦闘職並みに目付きも怖い。
「って話が逸れたな。えっと、まずコイツ。『ニャルラトホテプ』が失恋した事から、全てが始まります」
 バンッとホワイトボードを叩き、アグリオスが先生みたいな顔をする。口調もちょっと変えていて、ごっこ遊びでも始まったみたいだ。
「…… 失恋?」
「あぁそうだ。元々コイツは絵に描いたようにクソ真面目な邪神で、そりゃもうひたむきに周囲に迷惑をかけまくり、姿も会う度に全然違って精神は不安定だし、性格も壊滅的に悪いし、誰もがぶっ殺したくなるくらい皆から見向きもされない存在だった。それがある日突然、フラフラと『次は何をしてやろうか』なんて彷徨っている時に一瞬目が合っただけのここでは無い世界に居る人間に一目惚れをしたんだ」
「一目惚れ…… 」
 また恋愛絡みか!と柊也が思っていると、「三大欲求に絡んだもんだからな。恋愛絡みのトラブルで歴史が作られていくことなんか、ちょっと探しただけでわんさか出てくるぞ」と、考えを見透かした様にアグリオスが言った。
「初めての一目惚れ。しかも人間相手に『まさか自分が⁈』と、受け止めきれぬまま二度目の出逢いに淡い期待をしていたニャルラトホテプだったが、相手は所詮はただの人間。時間の流れも全く違っていたせいもあって、感情を自覚した時にはもうとっくに相手が死んでいてな。魂へのマーキングもしてなかったから、セフィルの様に生まれ変わりを追う事も出来ず、パニックになったアイツは自分の力を全く制御出来なくなり突然暴走を始め大暴れ。三日三晩大地を焼き払い、天を裂き、海を枯らし、それを止めようとした神々の大半を惨殺した挙句、結局は存在を保てなくなって突然消えて亡くなりやがったんだわ」
「…… うわ」
 壮大な話に柊也は想像が追いつかず、ぽかんとした顔をした。本にしたのならそこそこの長さになりそうな流れを数分程度にサラッと短く説明されてしまった事も残念だった。
 そんな柊也を放置したまま、アグリオスが相関図的にニャルラトホテプの横に可愛らしい人間の絵を描き、間を一方通行の矢印とハートとで繋いだ。
「ニャルラトホテプが暴走した理由が理由だったからな、大量の神々が死んだけど、実は誰もアイツを恨んでやしねぇんだわ。ほら、普段いけすかねぇクソ野郎が、ちょっと可愛い一面見せたらコロッと許せちゃうアレだ」
「ここの神さま寛容性ありすぎっすよ!」
「んだな。オレもそう思うわ。何回ぶっ殺しても許せねぇくらいの事やってっからな」
 うんうんと、柊也とアグリオスが同時に頷いた。
「その時点で主軸となるお前の世界から大幅に逸れたこの世界は、剪定されて消える筈だったんだ。けどな、この世界の根底部分と消えたはずだったニャルラトホテプの魔力とが同化しちまって、お前らの認識する所の“異世界”として生き残ったってワケだ」
「なるほど!」と言って、柊也がぽんっと手を叩く。ココは並行世界だけど、異世界とも言えるって事の意味がやっと腑に落ちた。
「生き残った神々は結局そのままここを放置する気にはなれず、『またいっちょ一から世界を創造するか』ってんで各地へと散り散りになり、それぞれの姿に似た者とかを生み出して獣人や魔物達がこの世界を再度動かし始めた——ってのが、この世界の始まりだ。わかったか?ん?」
 こくこくと何度も首肯する柊也の前で、アグリオスがまたホワイトボードを伸縮棒で叩いた。
「アイツの魔力と根底とが同化したこの世界は結局、魔法文明が発達する世界として神々と共に歴史を刻む事になる。んでもってな、厄介な事にニャルラトホテプの後悔の念が世界の記憶の一つとしてずっと残ってやがって、根っこから滲み出てきたそれが子供の魂に千年ごとに取り憑いちまう。体ん中にアイツの後悔の念がたっぷり入った子供は“孕み子”と言われて、永年不遇の立場に置かれてきたって訳だ」
 産まれたと同時に殺されてしまった子供もいたという話を思い出し、話を聞いている柊也の表情が固くなった。
「んだけど、ニャルラトホテプの後悔の念を、アイツが好きになった人間の代理となる“純なる子”をぶつける事で満足させると、腹ん中に溜まったアイツの魔力を最大限に利用して繁栄や幸運をもたらせる存在に変化するんだ。ここまではいいか?」
「はい。あ、でも一つ疑問が。“純なる子”はあくまでも好きになった御本人じゃないのに、ニャルラトホテプさんの後悔の念ってヤツは、それでも満足なんですか?」
 教室で質問をする生徒の様に、柊也が手を挙げて訊いた。
「それはほら、お前だって好きなものに似てるってだけで、違う物見てもテンションあがったりする事があるだろ?髪型がどうのとか、目元が似てるとか言ってさ。あぁ、今さっきのセフィルがいい例だな。お前が嫁の双子の兄だってだけでキモイくらいに甲斐甲斐しく、機嫌良くなってたじゃねぇか。アレみたいなもんだ」
 なんとわかりやすい!と柊也は思い、「あぁ」とこぼしながら頷いた。
「“孕み子”が撒き散らすのはあくまで、アイツの『こうしたかった』とか『あぁだったら違ったかも』『己も人間だったならば』『こうだったら愛してもらえたろうか?』って後悔の念であって、何かを恨んでのもんじゃねぇ。だから、“インバーション・カース”なんちゅうご大層な名前をつけられてるけど、呪いなんかじゃねぇんだ」
 眉間に皺が入り、苛立ち気にアグリオスが言う。ボードに『反転の呪い』と書いたと思ったら、それに思いっきりバツ印を上書きした。
「そもそも、『反転してる』ってだけじゃ説明のつかない事例だって大量にあんだよ!なのに、逆になってるものが大半だってだけで『反転の呪いだ』『インバーション・カースだ』とか言いやがって…… 」
「そう言えばこの間、性別が反転したまでは納得できても、年齢まで若返っていて、どう反転したのかさっぱり分からなかった事例がありました!」
「だろう⁈そうなんだよ!アイツは誰も恨んでない。恨むとしたら…… 何もしなかった己自身を恨んでたろうけどな」
 しんみりとした遠い目を、アグリオスがする。その瞳には、もう会う事の無い存在が見えているみたいだった。
「そこまで史実を知っていて、何でアグリオスさんはみんなの間違いを訂正しないんですか?」
 不思議に思った柊也が、首を傾げながら訊いた。
「んあ?んなの簡単だろ、今更面倒臭いからだ!頭の固そうな奴らに資料や実例を大量に提示し、世界中の常識と化した勘違いを今から改めろってか?名前も変えろとか!どんだけのエネルギーが必要だと思ってんだ。あ?『なんでもっと早く言わなかった』と延々責められるくらいなら、オレにはこのままでも実害が無いから放っておくわ!」
 半ギレ状態で言われ、柊也が咄嗟に身を引いた。悪くも無いのについ「ごめんなさい…… 」と、反射で謝ってしまう。
「それにな、歴史の出来方ってそんなもんだろだろ。少しの勘違いと思い込みが事実と入り混じり作られていく。立ってる立場が違えば、同じ事実を見ていても全然違う捉え方にもなるしなぁ。産まれたばかりの“孕み子”が殺された時は流石に『異世界から純真な子を連れて来い』とアドバイスはしたが、それ以外はもう、オレ達は観察者でしか無いから立ち入る気はねぇぞ」
「…… と言うことは、もしかして完全なる解呪の方法も…… 教えてはもらえないとか?」
 柊也が困った顔をしながら、肝心の疑問を投げかける。これを訊く為に来たのだ、せめてヒントだけでも欲しい所なのだが、それも無理だったら——と、不安でならない。
「教えるも何も、知らねぇぞ?んなもんは」
 サラッとそう言われ、柊也は全身が白くなりそうな程、意識が遠のいたのだった。
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