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第Ⅳ章 天国へ至る迷宮

朝霜

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 ドワーフの洞窟の出入り口付近まで、酒の臭気が充満していた。三日三晩続いた宴会によって、ドワーフたちだけでなく、ハイエルフたちまで雑魚寝をしている。酒臭いいびきをかくドワーフたちは、まるで淀んだ酒の臭いの製造機と化していた。

 ほんの一歩外に出ただけなのに、頬を撫でる朝風がとても心地よく感じた。洞窟からわずかに出ただけで、爽やかな朝の気配を感じられるのは、風のせいだろう。
 風が、臭いも淀みも何もかも綺麗に洗い流していってくれるようだ。

「さて、行こうか。イヌガミ」

「はっ」

 皆が寝静まっている中、静かに宴会をしていた場所を後にした俺とイヌガミは、揃って歩き始めた。サクサクとした足音に、俺は一瞬驚いて足元を見た。

「霜か」

 靴底を上げて、踏みしめた足元を見つめる。
 小さな丸い葉をした草が、まるで産毛のように白いものをつけていた。水滴が凍ったものだ。赤ん坊の産毛のような白いものが輝いている。

 イヌガミは、二三歩気取ったような足取りで歩き、サクサクと音をリズミカルに立てた。

「この辺りは標高が高いせいと、魔族領の気候のせいで、寒いみたいだな」

 俺の吐く息も白い。
 はあぁ……と吐いた息で、白く霞む視界の中、俺は地面に目を凝らす。俺たちより少し前に洞窟を出た者の小さな足跡がぽつんぽつんとついていた。
 上へ、上へと。

「てっきり動くなら村に戻ってしばらくしてからかと思ったが……案外行動が早かったな」

「…………」

「……ああ、そっか……村から出るには、あの魔の山を下りなくちゃならないもんな。だったら、ここで別れた方がどこへでも行きやすいか」

「…………」

 イヌガミは、俺が思考を巡らせている間、ただ黙っていた。
 俺は改めてイヌガミに声をかけた。

「――さて、行こうか」

「はっ」

 また、サクサクと音がする。
 耳元を吹く風と、霜を踏む音だけ。
 ずっと騒がしい宴会場にいたため、なんだかまるで別世界に来たかのようだ。

 上に行くほど、霜が多くなり、吐く息もどんどんと白くなっていく。

 俺とイヌガミは、足跡を見失うこともなく、ただゆっくりと追っていった。

 なぜ走ってすぐに追いつかないのかとイヌガミは質問しない。

 俺は自分の吐く息を、どこか遠くを見つめるような心地で見つめていた。
 そんな考え込む俺の横顔を、ときおりイヌガミは見上げてくるが、無言だった。ふざけて霜を踏んで遊びだしそうだが、そういうことをしなかった。ただ、イヌガミは俺の思考の邪魔をしないように、寄り添うように歩いているだけだった。
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