牧草地の白馬

蓬屋 月餅

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幕間「花の女神と愛の女神」

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 それは牧草地の神が犬として白馬の元へ会いに行くようになってから、7年ほどが経ったある日のことだった。
 つい最近白馬に会いに行ってきたばかりの牧草地の神は また1ヶ月後の1日に向けて実直に見回りをしながら神力を配る日々を過ごしているのだが、その日は務めを終えて屋敷へと帰り着く途中で思いがけない出来事に遭遇した。
 【天界】の美しい風景の中、向かい合って立つ2柱の神。
 遠目でも分かる、それは花の女神と愛の女神だった。

(あ、花の神に愛の神)

 この2柱の神は常にあちこちを忙しく行き来しているため、示し合わせたのでもない限りは牧草地の神がこうして直接顔を合わせる機会はそう多くない。
 そんな2柱の神を見かけたからには挨拶でも、と思った牧草地の神が声をかけるべく足を踏み出すと、突然「な、なんなのよ!」という花の女神の大きな声が響いてきた。

「私…私は、私はただ…っ!」

 つっかえながらもなんとか話そうとする愛の女神に対し、ため息をつきながら眉をひそめて腕を組む花の女神。
 和やかな様子ではないことは一目瞭然だ。
 しかし愛の女神はともかくとしても、花の女神はいつも柔らかな笑みを浮かべた温和な神であるはずなのに、一体何があったのだろう。

「あれは……?」
《牧草地の神様》
「わぁっ!」

 突如肩の辺りから花の女神の側仕えである蝶が声をかけてきた。
 驚いた牧草地の神が思わず胸を押さえると、蝶は《も、申し訳ございません、牧草地の神様》と詫びながらヒラヒラと辺りを舞う。
 やはりどこかいつもとは違う様子の蝶。
 牧草地の神は「いいんだよ、うん」と言いながら手を差し出し、そこに蝶を留まらせた。

「どうしたのかな、あのお二方は。なんだか随分と良くない雰囲気だね」
《えぇ、そうなんです…その…実は……はぁ……》

 蝶までため息をつくとは。
 「何があったのか教えてくれる?」と聞き出そうとする後ろでは「そんな風に言わなくったっていいじゃない!」という愛の女神の声と花の女神の言い争う声がしている。
 翅をびくりと震わせた蝶は言いづらそうにしながらも《あの…牧草地の神様はあの子を覚えていらっしゃいますか?》と話しだした。

《【地界】の女の子…あの可愛らしくて純粋で、素敵な子です。私と牧草地の神様とで会った…》

 牧草地の神は「あぁ、もちろん!」と答える。
 蝶の言う『あの子』とは、まさしく白馬を引き取って育てた家の娘だ。

「時々見かけるよ、あれから月日が経って美しく成長したね。あの子がどうかしたの?」
《はい、それが…あの子、とても純粋で素敵だったでしょう?花の神様もとてもお喜びになって、時々あの子のことを気にかけるようにしていたんです。あの子は花の手入れもよくしてくれる上に、花の神様が1番お好きな花を同じように好きでいてくれるので…花の神様も『あの子とはとても気が合うようだ』と仰って》

 蝶は時折翅を動かしながら話す。

 どうやら花の神は少女のことをとても気に入っていたらしい。
 成長してもなお 純粋さと優しさ、そして花や花の神への感謝を忘れることなく、神力の元である『想い』を届け続けていたというのだからそれも当然のことだろう。
 だが、すっかり年頃の娘らしくなった少女はある時から花の世話をしつつ物憂げにすることが増えたのだという。

《ずっと気にかけてきたんですもん、あの子が恋をしているのにも気が付かないわけがないじゃないですか。それで、恋をしていると知ったら、もう、当然応援するでしょう?だけどあの子は花に向かって言うんです、『好きだけど…お付き合いなんて、できるはずもないよね…』と!想いを寄せる相手は工芸地域の男の子だったんですが、あの子はどうも控えめでなにも言い出せず、いつまで経っても進展がなくて…》
「…もしかして、それで愛の神に?」

 牧草地の神が訊くと、蝶は頷くように翅を動かす。

《花の神様はついに堪えかねて、愛の神様に『あの子の後押しをしてあげてほしい』と頼んだんです。目印として花の神様のお好きな花もお伝えして、『この花の世話を良くしている子だ』と……そうしたら……そうしたら……》
「そうしたら?」
《愛の神様は花の神様に頼み事をされたことが、さぞ嬉しかったのでしょう。あの子の後押しをしてくださったのは良かったんですが、その後に…その後に、愛の神様は……》

 なんということだろう。
 蝶が悲しげに話したのは、愛の女神の無茶ともいえる行動だった。
 愛の女神は少女の恋の『きっかけ作り』をした後、気分の良さもあってか他の人間達の『きっかけ作り』も次々としていったそうだ。
 それ自体は愛の女神の務めでもあるためになんら問題はない。
 問題なのはそれに該当する人々の選び方だった。
 愛の女神はこともあろうに、その日 花の女神が最も好む花を持っていた適齢の男女全員の『きっかけ作り』をしてしまったのだ。
 想いが実り、縁が結ばれた人々がその共通点に気づくまでにはそう長く時間はかからなかった。

《想いを実らせたい人間達は、皆 例の花を手折って身に着けたりするようになったんです…花を好んでくれるのは嬉しいことですが、でも……本来この季節は沢山咲いて綺麗だったのに………株が弱っているのも多く、元から育ちにくい花ということもあって……花の神様の神力をもってしても、もう【地界】に群生するあの光景は見られないかもしれない、と…》

 牧草地の神はその昔、花の女神から蝶を側仕えに迎えた理由を聞いていたことを思い出す。
 たしか『同じ花を好んでいた』からだったはずだ。
 とすると、この蝶もこの季節に咲き誇るはずだったその花を花々を楽しみにしていたはずで…。

「それは…辛いね」
《…はい…花の神様は愛の神様のなさったことがあまりにも無責任だと仰って、それを聞いた愛の神様もそれに反論をしてあのように……》

 そう思って聞いてみると、花の女神はかなり冷静さを保って愛の女神と対峙しているようだ。
 しかし、それでも内から滲み出す怒りや呆れは隠しきれておらず、やや冷ややかな口調からそれらがうかがえる。

「本当に…なんてことをしてくれたのよ、信じられない」
「な、なによ!あなたが頼んできたことじゃない!それを叶えてあげたのに、どうして私が悪く言われなきゃならないの!」
「はぁ…いいわ、そうよね。私が悪いのよ。私が悪かったわ」
「な、なんなの、いきなり……」
「あなたに頼み事をしようだなんて、何を考えてたのかしら、まったく。どうかしてたわ、私。呆れるわね、呆れてどうしようもないわ、本当に」

 吐き捨てるように言う花の女神に愛の女神はムキになって反論し、言い争いはさらに熱くなっていく。
 こうした場合、止めに入るのは側仕え達であることがほとんどなのだが…蝶もひどく悲しんでおり、仲裁をしろというのは酷なことだろう。
 となると愛の女神の方の側仕えや夫である貞操の神が適任であるはずなのだが、今はそのどちらの姿も見当たらない。
 蝶に訊ねてみると《はい…お忙しいんです、皆様》という答えが返ってきた。

《その…愛の神様が『きっかけ作り』をしたことであちこちに新たな夫婦や恋人達が……貞操の神様はそちらへの対応に追われているんです。側仕えの兎さん達もその手伝いを…もうずっとそうして何日も充分にお休みをとれないままなんだそうで…》
「なるほど…それは大変だ」

 貞操の神や兎達の性格からして愛の女神に小言を言うことはないだろうが、おそらく自らのしたことで方々から呆れたと言わんばかりの雰囲気が漂っているのを感じていたであろう愛の女神。
 良かれと思ってやったに違いないことだったのにもかかわらず、こうして直接目の前で花の女神からあれこれと言われ、どうやらついに悲しい気持ちでいっぱいになってしまったらしい。

(うん…どちらも心中を察するにあまりある、愛の神も奔放なだけで悪い気があったわけでは無いのだから。私が間に入ってなんとかおさまるように……)

 仲裁に向かおうとした牧草地の神。
 だがその瞬間、あることに気づいて足を止めた。
 2柱の神が言い争っている場のすぐそばにある1本の大木。
 その木の枝葉に隠れるようにして、樹上に寝そべる影がある。
 神力を抑え、気配も完全に消しているようだが、1度気がつけばはっきりとその姿が見て取れた。

(あ、争いの神が見ていたのか……!)

 木の上で悠々と寝そべり、まるで尾を揺らすかのように足を伸ばして風に触れさせるその神。
 眼下で言い争いを続ける花の女神と愛の女神を、まるで『可愛らしくてたまらない』というような表情で見つめるその神。

 その神は『争いの』だ。

 争いのはこうした言い争い、喧嘩などをこぞって見に来るような神で、どうやら今もかなり楽しみながら一連の様子を眺めているらしい。
 牧草地の神は仲裁に向かうのに躊躇してしまう。
 争いの女神があんなにも良い表情なのは、滅多に争う姿勢などを見せない花の女神が淡々と怒りをあらわにしている様を目にしているからに違いない。
 もし今ここで間に入っていってそのお楽しみを止めてしまうことになれば、おそらく争いの女神の次の標的は牧草地の神になるだろう。
 争いの女神はこうした喧嘩以外にも賭け事などを好んでいて、1度目をつけられると暇つぶしだとばかりにしょっちゅうまとわりついては賭け事を仕掛けてくる。
 それだけは避けなくてはならない。
 日々の務めの後に屋敷で神力を回復するのだけでも手一杯なのだ、賭け事に興じる暇はなく、ただその時間が惜しい。
 争いの女神はすっかり言い争いの様子に夢中になっているらしく、幸いまだ牧草地の神には気がついていないようだ。

(この場から動かずに、どうにかして仲裁できないものか…)

 考え込む牧草地の神は、自らの指に留まったままの蝶に視線を向けた。
 今、あの場へ自然に近寄れるのは花の女神の側仕えであるこの蝶だけと言えるだろう。
 牧草地の神は蝶に「1つ聞いても?」と声をかける。

「さっき、『あの子のことを気にかけていた』と『見守っていた』と言っていたけど、それは『【地界】に降りて』ということ?」
《いえいえ、そうではなく『鏡を使って』です》
?」
《えっと…まぁ、花の神様とそう呼ぶことにしているだけなんですが…とにかく実際にお見せしましょう》

 首を傾げる牧草地の神の指から離れた蝶は、その場で空中に楕円を描くようにヒラヒラと舞った。
 するとその楕円の中がゆらめき、【地界】と思われるある一区画が映り込む。
 美しい花々が咲き乱れる中を楽しげに歩いていく人間達。
 通常であれば【天界】から【地界】の様子を見る時というのは薄い布で隔てられているかのようになっていて、人間の表情などを窺い知ることはできないはずなのだが、この『鏡』が映し出している光景ではまるですぐそばで見ているかのようにはっきりとしている。
 あまりにも鮮明なその光景に牧草地の神は驚いた。

「驚いた、こんな事ができるんだね」
《はい、つい最近出来るようになったことなんです。でもこうして見ることができるのは花が多く豊かに咲くようなところだけで…あちこち好きな所を見れるというわけではなくて。花の神様が仰るには、こうして見れる所というのは『長年神力を分け続けてきた地』なんだそうです。あの子が昔住んでいた酪農地域の実家はこの鏡で見れるところにあったので、それでたまに様子を…》
「そうか、そうだったんだね」

 牧草地の神は一瞬(この『鏡』があれば好きに【地界】の様子を見ることができるのでは?)と思ったが、やはり何事にも制約があり、そう単純なものでもないようだ。
 少し残念に思わないこともないが、とにかく今はなんとかしてあの言い争いを止めなければならない。
 牧草地の神は蝶に「この『鏡』を使って、今のあの子のことを見れるかな?」と持ちかけた。

「あの子、今酪農地域に戻ってきているはずなんだ。神力がまだ使えそうならちょっと試してみて」
《はい、大丈夫ですよ!あの子の所ですね…》

 蝶は再び同じようにして『鏡』を創り出す。
 しばらくしてゆらめきがおさまり、酪農地域の立派な家がそこに映った瞬間。
 それを見た蝶は《わぁっ!》と歓声をあげた。
 自らが見た光景をたしかめるように何度も『鏡』の前を行き来し、興奮しながら《これって!わぁぁ!》と声をあげ続ける蝶。
 牧草地の神はそんな蝶に向かって「これを花の神と愛の神に見せてごらん」と微笑んだ。

「きっとあの言い争いも止まるに違いないから」
《は、はい…!ありがとうございます、牧草地の神様!これ、見せてきます!》
「うん」

 蝶は揚々と牧草地の神の元を離れ、対立する2柱の神の間に割って入っていった。
 すっかり泣き出しそうになっている愛の女神に「どきなさいよ!」と言われても、蝶は引かずに《これを、これをご覧になってください!!》とそこで『鏡』を創り出す。
 牧草地の神には自信があった。
 『あの光景』を見さえすれば、きっとどんな神でも頬が綻び、言い争いなど止めるに違いないと。
 その予想通り、初めはツンと視線を逸らしていた花の女神と愛の女神はいつの間にか『鏡』の中の光景に目が釘付けになっていた。

(やっぱり、上手くいったみたいだ)

 遠目でその様子を見守っていた牧草地の神は胸を撫で下ろした。

「わ…か、可愛い…可愛いわね…」
「これは本当に…そうなの?この子はあの子の…」

 2柱の神が目にしているのは、産まれたばかりの小さな赤子を抱く少女だ。
 牧草地の神は先日 白馬に会いに行った際、少女が母親となって実家のある酪農地域に里帰りをしていることを知っていた。
 愛の女神の後押しによって想いを伝えあった少女とその相手の青年は、その後婚約からなにから すべてがトントン拍子に進み、つい先日第一子が誕生していたのだ。

 長年見守ってきた子が家庭を築いて母親になったこと、そして自らが後押しをして新たな生命を誕生させたこと。

 それぞれの神が喜ばないはずがなかった。

「あぁ、あんなに小さい子……もうっ!人の子って本当に可愛らしい!どうしてあんなに可愛いの?」
「あらあら、赤ちゃん泣き出しちゃったわね。まだお世話に慣れていなくて大変そうだわ、疲れているみたい…」
「見て!あの男の子ね、いつもちょっと強気だったのよ!なのに自分の赤ちゃんのお世話はあんなに慎重になってて……ふふっ、可愛い、皆可愛い!可愛い家族ですこと!」

 ひとしきり眺めながら思うままに「可愛い」と言い続けた2柱の神は、やがて細々と互いに詫びの言葉を口にし始める。

「…ごめんなさい、花の神。あなたに頼まれ事をされたのが嬉しくて…ついやりすぎてしまったの。本当に…悪いことをしたわ」
「いいえ、いいのよ、もう。たしかに花のことは残念だけど、でもそのおかげで皆幸せそうにしているもの。愛のあるところには花もあり。お互いにこれで良しとしましょう」
「…そうね、花の神。花を持って愛を囁やこうとするときの人間達の可愛さったらないのよ、それも花の神が素敵な花を咲かせてくれているからよね」

 ふふふ、と口元を押さえる愛の女神に、花の女神は「あなたって、人間達のそういう場面を視るのが本当に好きよね」とやや皮肉まじりに言ったが、そこには刺々しさや冷たさはなく、柔らかな感情だけがこもっていた。

 樹上の争いの女神もすっかり興味を失ったらしく、ふと息を吐いて昼寝でもするかのように目を閉じる。
 関心事を失った今、争いの女神が牧草地の神に気づくのも時間の問題だろう。

(解決したようで良かった…うん。帰ろう、屋敷に。よし…)

 あまりその場に留まらない方が懸命だとばかりに、牧草地の神は自らの屋敷へと足を向けて早々にその場を立ち去った。
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