オレンジヒーロー

ユーリ(佐伯瑠璃)

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そして始まる二人の物語ー本編ー

私だって海のプロ

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 海音を乗せた車は漁船などは一隻も停泊していない、静かな港だった。車から降りた海音は荒木に連れられてあるビルに入った。裏口から入って通されたのは会議室。荒木は躊躇うことなくダンと勢いよく扉を開けた。

「部長、もう一人の海のスペシャリストを連れて参りました」

 ドアを開けてすぐ荒木がそう叫んだ。ザワっと多くの視線が一斉に向けられて、海音は思わず「ひっ」と声を漏らした。そこにはどこかで見た制服と作業服を着た男たちが一堂に会していたからだ。

「荒木くん、そちらは」

 黒の制服を着た一番上座に座っていたおじ様が海音の顔を見てそう言った。荒木は失礼しますと一歩前に出て海音の事を紹介し始めた。

「部長、彼女は理学研究員で海洋生物学を学ばれ、現在、日本の海における海洋生物と生態、環境に関する研究をされております、間宮海音さんです。特にこの近辺の海域に精通しております。捜索の助けになるのではと。勝手に申し訳ございません!」

 海音は荒木が言い終わるとさっと頭を下げ「船酔いはしませんし、泳ぎも自信があります。何かお役に立てれば」と通る声でそう言った。一般市民である海音が捜索の手伝いができるとは思っていない。でも、もしかしたら……その可能性にかけた。決して私情を見せないように。

「なぜ、一個人いちこじんの方が我々職員の捜索の手伝いをしようと思ったのですか」

 その言葉に合わせて多くの無言の視線が海音を突き刺し追い込んだ。こんな小娘がなんの役に立つというのか、甘ったるい空気を持ち込むんじゃないよと言われているように思えた。

(どうしよう。なんて言えばいいの)

「彼女、本庁によく来てますよね。海洋調査届の手続きに。酒井教授には大変お世話になっております」

 その時、一人の職員が海音を知っていると言わんばかりに声を上げた。

「あっ、その節は。いつも迅速なご対応ありがとうございます」

 すると部長は少し考えて「一刻の猶予を争うので参加を許可しましょう」と、海音を捜索に加えてしまった。思わず「ありがとうございます!」と言ってしまった海音に「いえ、礼を言うのはこちらですから」と保安部長は僅かに頬を上げた。

(しまった……)

「では、もう一度説明してください。捜索方法とこの海域の特徴を。間宮さんでしたか。違うと思うところからありましたらご指摘ください。1時間後、出航します」
「「はいっ」」

 思わぬところから援護射撃を得た海音はなんとか捜索に参加する事になった。この本部で大人しく待たせてもらえればいいと思っていた海音にとって思ってもない出来事となった。



     ◇ ◇ ◇



 海音は主計長の荒木から服を渡された。紺色の海上保安庁の作業服と白いヘルメット、そしてオレンジ色の救命胴衣だ。船の上では職員と同じ格好をするようにと。上空には海上保安庁とは別に報道ヘリが飛ぶ。今回は緊急で特別なので一般人を乗せている事を隠すためだ。

「救命胴衣は自分でつけられるね」
「はい」
「私は乗れないが、甲板員の斎藤くんが君についてくれる。彼女に従ってくれ」

 荒木の後ろに瞳の大きな栗毛ショートカットの可愛らしい女性が立っていた。彼女は一瞬だけニコと笑うと海音の側に来た。

「斎藤睦海むつみといいます。ヘリコプターの誘導や整備、甲板全般の仕事をしています。よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 女性の甲板員を初めてみた海音は感動していた。この男だらけの厳しい海の世界でしっかりと地位を守っていること、責任ある仕事を任されていることに彼女の強さを感じた。

「では、行ってまいります」

 海音は勝利捜索の為、巡視船やしまに乗船した。


 まさか自分がこの紺色の作業服に袖を通すとは思っていなかった。巡視船は一年前の祭りで乗船体験で乗って以来。あの日、船長として凛々しい姿の勝利に声をかけられた。無人島で助けられてから1ヶ月後のことで、その日の内に海音は勝利のものになった。あれから1年、色んなことがあったなと海音は思い返していた。夜の海は果てのない闇のようで、浮かぶ船は全てその黒いベールに包まれている。この広い海の何処かに勝利がいるはず。必ず見つけて見せると心に誓うと、巡視船やしまは博多湾を静かに出発した。

「間宮さん、冷えますよ」
「あ、斎藤さん。大丈夫です。わりと慣れているんですよ。それに船内なかにいても落ち着かないので」
「睦海でいいです。斎藤は他にもいるので」
「では、睦海さん。私のことは海音カノンと呼んでください」

 目的地周辺につくまで二人はこの海域の話やお互いの仕事の話をした。睦海は子供の頃から飛行機や船が好きで、どちらも堪能できる仕事を探していたと。船にも乗れて、飛行機も触れて、人の為になる仕事。それが海上保安庁の巡視船甲板員になる決め手だったという。

「でも、海上自衛隊もそういった仕事できますよね? どうして海上保安庁だったのですか」
「私が高校生の頃、友人がサーフボードごと波にのまれちゃって。台風が過ぎた直後だっんですよ。その時助けてくれたのが特殊救難隊トッキューで、彼らの手でヘリコプターに吊り上げられ、私の友人は助かりました。友人は大事なボードを無くすし、危険行為だと叱られるしで落ち込んでいました。たくさんの人に迷惑をかけたし、もうサーフィンはやらないって」
「やめたんですか?」
「その時助けてくれたトッキュー隊員さんが、海の怖さを知ったんだから後輩に君が教えてあげるんだぞって。その経験を活かして頑張れよって言ってくれたんです。彼女、今はアメリカでプロのサーファーです」
「すごい」
「私もそんな人になりたいなって。そんな彼らを支える仕事がしたくて海上保安庁を選んだんです。その時のトッキューさんが……今、行方不明なんですけどね」

「勝利さんが!?」と思わず海音は叫んだ。それに驚いた睦海はハッとした。この人が五十嵐隊長の婚約者かと。だから五十嵐が乗っていた船艇の主計長がいきなり出てきたのかと。もし私情を挟んで一般人を捜索に巻き込んだと知られれば、彼は懲戒免職ものだ。それが分からない人ではないのに、それでも彼女を乗せた。そこまでする価値がある人なのかと睦海は驚いた。

「五十嵐隊長の婚約者は海音さんでしたか。知らずに申し訳ございません」
「あっ……」

 海音は自分がやってしまった事に血の気が引いた。荒木がしてくれた事が海の泡となる。バレてしまったら彼はどうなるのか。

「大丈夫です。知らなかった事にしますから。海音さんは海洋生物の研究員、職員の捜索にご協力いただきありがとうございます」
「いえ、そんな。私こそ申し訳ございません! まさか睦海さんのご友人を助けたのが彼だったなんて、驚いて」
「ですよね。世界は狭いです。間もなく目的の海域に入りますよ」
「はい!」

 雨はなく、雷鳴も去り、いつもの玄界灘が広がっている。やしまから照らされた灯りは、周辺の海をよく照らした。勝利が海に残ってから間もなく12時間が経つ。泳いで向かったという対馬に上陸したという情報はない。救難に優れた隊員が方向を失うほどの天候の荒れ、波は勝利をどこまで攫ってしまったのか。海音はじっと海面を見ていた。ここから対馬まで10キロもない。確かに対馬に向って泳いだなら……あの時の海面はどうなっていたか。三角波が鋭く立ち上がり、四方から躰を突き刺していただろう。

(普通なら泳ぐのをやめてしまう。でも、ショウさんなら……)

「潜る?」
「え?」
「睦海さん。潜水士って酸素ボンベ無しでどこまで潜れますか?」
「酸素無しで……8メートルくらいだと聞いたことがありますね」

(8メートルだと流れはどうってるかな)

 海音は睦海にお願いして、当時の天候状況と救護している時のデータがないか聞いてもらった。船内に気象情報と救助現場の画像があると聞き、ぜひ見せて欲しいと頼んだ。極秘資料かもしれないそれを一般人の海音に見せてくれるだろうか。海上保安庁も測量船で日本全国の海のデータを持っている。水温、海流、断層など海音が知り得る以上のものを。海音は見たら何か分かるかもしれないと、絶対に何かを掴んでみせると頼み込んだ。

「間宮さん」
「はい」
「私の責任でお見せしましょう。ただし、この事は私とあなたと二人だけの秘密です。必ず五十嵐を見つけてください。七管の宝、なので」
「はい。分かりました」

 第七管区を取り仕切る部長がこのやしまに乗っていたのだ。船長室にその部長と海音二人きり。小さなモニターに当時の救助風景が映し出された。それは救難艇とびうおから撮影されたものだ。男性が救難士と共にヘリコプターに吊り上げられていく。風が煽るように二人を揺らし、ヘリコプターもグラグラ機体を振りながらホバリングしていた。その下でワイヤーを引っ張る男。それが勝利だった。

「っ……」

 ザブザブと波を被りながらもワイヤーを引く勝利の姿。二人が収容され勝利も吊り上げられていく、途中で下から舞い上がった風に激しく揺さぶられる。勝利は動きを止めてじっと上を見ていた。ヘリコプターの状況が心配になったのだろう。次の瞬間、勝利はワイヤーを外し落下した。海音は手で口を押さえながらも、その映像を見ていた。ドクドクと激しく心臓が運動をして、目の前が次第に滲んでいく。

(泣くな! ちゃんと見て)

 その後、勝利は手で何かの合図を出して確かに対馬に向って泳ぎ始めた。そこで映像は途絶えた。

「このあと雷鳴が激しくなりまして、通信が一時的に途絶えました。僅か2分です。その2分で五十嵐を見失いました」
「2分ですか。海流と水温のデータも拝見します」

 対馬に向って泳いだはずの勝利はどこに行ったのか。海面では進むことが困難になり、もしかしたら潜水が出来る勝利なら待避するために潜ったかもしれない。その海底ではどうなっていたのか……。「対馬暖流」と、海音は小声で呟いた。九州北部から日本海を北に向かう海流がある。荒れた海で体力を奪わた勝利がそれに乗ったとしたら。海音は周辺の海図を見直した。勝利らが男性を救出した場所、対馬までの距離、反対に海流にそって指で海図を辿っていく。

「ご存知と思いますが、この辺りは流れが複雑で一定ではありません。ぶつかり合って渦ができやすいので、それに巻き込まれると脱出するのは困難です」
「対馬にはやはり行ってない。そういう事だね」
「恐らく。幸い周辺には小さな島がいくつかあります。その島の何処かに」
「なるほど。空からも範囲を広げて捜索させよう。君は少し休んだほうがいい」

 海音は静かに礼をし船長室を出た。通路を進み甲板に続く階段から海を見た。この海の何処かに勝利がいる。すぐ近くにいるかもしれないのに、自然には勝てず、愛する人をも見つけることができない。

(どこにいるの、勝利さん!!)

 睦海が海音を仮眠室へ案内した。女性専用だから安心して休むようにと告げて出ていった。海上保安庁の職員ではない自分が夜通し起きているのも迷惑がかかる。でも、眠れるはずはなかった。勝利は今もどこかで闘っているのだから。


 結局眠れずに時間は過ぎ、窓からの光が少し明るくなった。海音は起き上がり仮眠室を出ると、外に出た。東の空が白み始め海面が闇色から少しづつ色を取り戻し始めた。胸が張り裂けるほどその光景は美しく、そして悲しかった。

「おはようございます。海音さん」
「睦海さん」
「上に行きますか? 救難艇と救難ヘリの出動準備に入ります。部屋にいてと言っても無理でしょうから」
「ありがとうございます」

 睦海に誘われて、船の甲板に上がるとヘリコプターがエンジンをかけたところだった。そのヘリコプターから一人の女性が降りてきた……「え!」と、思わず海音は声を出す。何故ならば、あまりにも隣にいる睦海と似ていたからだ。

「睦海! こっちはいつでもオッケー。あ! あなたが海音さん!? 隊長を連れて帰ることが出来なくてっ、すみません!」
「えっ。あの」
「私は五十嵐隊長と組んでいます斎藤愛海まなみと言います。救難ヘリコプターを操縦しています」
「愛海、今度はちゃんと連れて帰りなさいよ!」
「わかってるわよ!」
「あのお二人は」
「「ごめんなさい。私たち姉妹なの、双子の」」

 斎藤睦海と愛海は双子との姉妹。睦海は甲板員で愛海が救難ヘリコプターのパイロットだ。海音は驚きを隠せずにぽかんと口を開けていた。

「驚かせてごめんなさい。五十嵐隊長は絶対に大丈夫ですから!」

 愛海の力強い言葉に励まされ、海音は少しだけ笑った。どこにいても勝利は大丈夫だと、あいつは死なないと信じられている。
 その時、地平線から太陽が顔を出し三人が目を瞑るほど眩い光が広がった。白とオレンジ色の光が海音の胸をさす。目を細め逆らうようにその先を見つめた。その見つめた先に浮かぶ、なだらかな山の形をした影。

(知ってる! あの島で私はショウさんにっ)
「あれ、あの島っ」
「「海音、さん?」」
「あの島に、五十嵐勝利はいます!!」
「「!!」」

 突然、湧いてきた確信だった。
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