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課金令嬢はしかし傍観者でいたい

思惑1【episodeロイ】

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 勢いよく閉まったドアの中では、しばしの静寂が続いた。

「……あいつ、今とんでもないこと言ってなかったか?」

 沈黙を破ったのはミカエラだ。誰に話しかけるでもなく、ポツリと声を漏らす。彼が言っている【とんでもないこと】が、言い間違いのことなのか、養子縁組のことなのかは分からない。分からないが、この件を進めない手はないと思索する。

「ミカエラ。マナリエルは突拍子もない行動をするけれど、大切な者を傷付けるようなことはしないよ」

 やり方は周囲を蹴散らす竜巻のごとく豪快だけどね、と付け加えれば、強張った表情が柔らかくなるのが見えた。やはり、彼は拒んでいるわけではないのだろう。眉の高さ、瞳の揺れ、顔の血色──それらから困惑が見えるものの、拒絶や嫌悪といった類いの感情はないようだ。

 そんな彼に反して──クイラックスの様子は、明らかに普段とは異なる雰囲気が感じ取れた。行方不明であった弟と再会を果たしたのだから当然なのかもしれない。しかし、その表情からは喜びや安堵が見えない。困惑があるのはミカエラと同様だが、焦燥や悔悟かいごが見えるのはなぜだろうか。やはり、そうなのだろう。
 マナリエルは私のように行動心理や微表情学などについて詳しいわけではない。しかし、彼女は幼い頃から直感に優れている。極めて野性的──いや、さすがに愛する女性に贈る言葉ではないな、避けておこう。つまり、彼女も瞬時に理解したのだろう。ミカエラの環境が十分ではないということを。

「ルルティコ辺境伯家の者が、メルモルト公爵家に養子縁組?そんなことが可能なのか?いや、有り得ない。国が違うだけでなく、二つの大きな勢力が……国際問題になりかねない……」

 クイラックスは放心状態のようで、頭の中の情報を整理することで手一杯のようだ。
 そもそも、クイラックスから直接弟の話を聞いたことがない。アルストラ辺境伯にもう一人息子がいたという事実も知らなかった。シルベニア国王の第一王位継承権を持つ私が、だ。幼少期から王位を継ぐ者として、政治に関しては王の近くで学んできている。シルベニアの貴族の状況も、その一環として知識を得た。それにも関わらず、現在までその存在に気付かなかったということは、隠されていたのだろう。
 アルストラは、ミカエラの存在を隠していた。言葉にすれば短いものだが、彼がこれまでどのような環境で育ち、どのような視線、言葉を浴びせられてきたのかを想像すると、到底この二人を笑顔で退室させることなどできない。

「クイラックス、お前には聞かなければならないことがある。しばらくそこで待て」

「……っ!畏まりました、殿下」

 生徒会長ではなく王太子としての発言。それに気付いたクイラックスは、すぐに膝を折った。副会長として日々支えてくれていることには感謝しているが、今は彼に笑みを向ける気分にはなれなかった。

「ミカエラ。私はシルベニアの把握が拙かったようだ。今まで気付けずにいたこと、申し訳なく思う」

「いえ、とんでもございません!」

 ミカエラも慌てて膝を折ろうとするが、手で制止する。そうさせるために王太子として発言したわけではない。

「私はね、マナリエルの暴走は悪くない提案だと思っているよ」

「殿下!」

 慌てて口を開くクイラックスも、同様に制止する。

「君は庇護しなければならないほど幼くはない。卒業後は親元を離れ、自らの力で人生を歩むことができるだろう」

 ミカエラは、大人しく耳を傾け頷く。

「しかし君にそのような環境を与えた者が、君の幸せを願うとは思えないし、メルモルト公爵と養子縁組をしてしまった方が、誰にも邪魔されることなく望む道を歩めるだろう。養子として迎え入れたからといって、学園にいる君にできることといえば経済的な支援くらいだ。その程度は全く負担にはならない。何より、あの家の人達は皆本当に温かい。君には一番必要な場所だろう」

「……魔力が解放された後、少しの期間あちらで過ごさせていただきました。誰も俺の素性を探ることなく、温かく迎え入れてくれて……その、とても感謝しているのですが……正直に申し上げると、心配になるほどでした」

「あははは!そうだよね、あの家はよく公爵の地位を保っていられるなと言うほど危なっかしいんだよ」

 公爵家であろうと、王族の前であろうと、こうして何でも正直に話してしまうミカエラだからこそ、彼らは受け入れたのであろう。きっとマナリエルが提案すれば、すぐにでもそれは叶うはずだ。

「ユーキラスはね、ああいう人柄だからメルモルト公爵でいられるんだよ。ティスニー国の皆が彼らを愛している。ユーキラスを陥れようとすれば、ティスニーの全てが黙ってはいないだろう」

「愛……」

「君がこれから学ぶべきものだよ」

 そう言えば、ミカエラは自身の胸を押さえた。我ながらくさいセリフだなとは思うが、質朴な彼には飾らない言葉を届けたい。

「あいつ──マナリエルは、変な女です」

「そうだね」

 そこは否定できない。

「俺が今まで見てきた中で誰よりもキレイなのに、誰よりも豪快で、誰よりも男勝りなのに、誰よりも洗練されている。そして、誰よりも優しい」

「うん」

 それが彼女の素晴らしさだ。マナリエルは学園に入学するまで、全く領地から出たことはない。いや、屋敷の敷地からすら出たことがないかもしれない。元々ティスニーの貴族の令嬢は、無闇に人目のつく場所へ現れない。必要なものがあれば商人を屋敷に招くなり、従者に買いに行かせている。
 そのため学園に入学することは、マナリエルを世に周知させたこととなる。あの美しさだ。彼女の存在は入学して早々に広まっていった。私の婚約者であることを広めておいたのは正解だったようで、表立って近付いてくる者は今のところいない。
 しかし、裏でマナリエルを崇拝するグループがいくつか存在し、中には心酔しすぎて危険な思考を持つグループもあるようだ。アサシンがいる以上、彼女に危害が及ぶことは万に一つもないが、愛する女性に望まない視線を送る者を排除したい気持ちに駈られることもある。

「いっそアクシデントを装って……」

「え?今何か?」

「いや、何でもないよ」

 笑みを向ければ、ミカエラはそれ以上追求しない。

「いずれにしても、最終的に決めるのはミカエラ、君の意思だ。マナリエルもそこは分かっているだろうから、ゆっくり考えるといいよ」

「─はい」

「まぁマナリエルなら、こう言うだろうね。【お前の人生だ、邪魔な壁は躊躇なくぶち壊せ!】てね」

「はは、目に浮かびます」

 それから軽く雑談も交わし、ミカエラは退室した。きっと彼は、承諾するだろう。それは確信に近いものだ。

「で、殿下……」

 頃合いを見計らったかのように、クイラックスが声をかける。

「クイラックス、もう普段通りで構わないよ」

「はい、ありがとうございます、会長。早速ですが、なぜミカエラに養子縁組の話を?」

 そう問われ、少しの間思案する。いや、思案するフリをした。

「さっき彼に話した通りだよ。彼には愛情を与えられる場所が必要だ」

 半分は本音、半分は隠した。
 私は決して善の塊だけを持っているわけではない。ミカエラを保護するためだけなら、何も養子縁組までする必要はない。メルモルト公爵家の従者として仕事を与えるという方法だってある。しかし、マナリエルの突拍子もない養子縁組という方法を後押しした。
 例え養子といえども、戸籍上家族となれば婚姻できない。そういった法律は、ほとんどの国に適用されている。ティスニーも例外ではない。

「そんなことより、クイラックス。早速だけど、アルストラの状況を説明してくれるかな?」

「もちろんでございます!」

 堰を切ったように話し始めるクイラックスだが、今さらになって先ほどの言葉が思い出されることとなる。


 彼女の去り際の言葉が頭から離れない。


「初めてあなたと婚約しといてよかったって思ったわ!」


 ……初めて?

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