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課金令嬢はしかし傍観者でいたい
思惑2【episodeロイ】
しおりを挟むミカエラが退室したところで一息吐く。それは思った以上に大きなため息となり、クイラックスの肩がビクリと揺れたのが見えた。いつもの傲然な──いや、堂々とした態度はどこへ行ったのだろうか。これではまるで、狙われた子兎だ。
「さて、聞かせてくれるかな?」
もちろん何が、とは言わせるつもりはない。このまま彼の口から説明を受けるまでは、視線を逸らすつもりもない。
「あ……え、と……はい。何から申し上げればよいのか……」
何とか絞り出そうとするが喉は萎縮したままのようで、上手く言葉にできずにいる。そんなクイラックスを目の当たりにしても逃がしてあげようだなんて気持ちが微塵も出ないことに、らしくない、と我ながら驚いた。
ポリシーと呼べるほどのものではないが、このような状況で人と対面する時は、基本的に退路を用意するようにしている。八方塞がりな状態に陥った時に出口が見えれば、人はそちらに向かい走る。そして、よく喋るものだ。追い詰められた者は予想外の行動を起こすこともあり、それは時に脅威となる。全ての道を断つことは、あまり得策ではないと考えている。
──と、あれこれ御託を並べてみても、実際はこの通りであるのだから説得力など皆無。マナリエルのこととなると、どうにも加減ができなくなってしまう。
「貴族名簿は王室が保管し、そして全ての貴族は王室に正しく報告する義務がある。分かるかい?権利ではない、義務だ」
そんなことはどうでもいいとすら感じてしまうのは、この地位に立つ者としては失格だろうか。
「はい……重々承知しております」
項垂れるクイラックスを見ても、同情の余地はない。実際にこれは犯罪だ。貴族の不正を防ぐためにも、処罰はそれなりに重くなる。
それでもなお、隠さず弟だと証言をしたあたりは、クイラックスの意思ではないのだろう。親子とはいえ、辺境伯に意見など述べられるはずもない。ルルティコ辺境伯は、そういう男だ。
「私の弟は、貴族名簿に登録されていません。辺境伯にとって、そして辺境伯夫人にとって──いえ、ルルティコにとって、彼は…………忌み子とされてきました」
忌み子──その言葉に血液が沸騰するかのような熱を感じた。存在する必要のない言葉。この世で使われることがあってはならない言葉。自分の中で汚い感情が渦巻くのが分かった。
ルルティコの歴史は知っている。赤髪を恐れ、憎む気持ちも分かる。さらに、赤髪はサウリオの民特有のものである。王族に近いほど鮮やかなものであり、ミカエラのそれは、まさに王族の証にもなり得るほどだ。
なぜルルティコ伯爵の血筋から赤髪が生まれたのか──人々が【サウリオの呪い】【サウリオ王の生まれ変わり】と囁く声が聞こえてくるようで、無意識に眉間に皺が寄る。
彼らへの怒りとはまた違う。これは、自身の不甲斐なさへの憤りだ。貴族名簿の偽装など、もっと早い段階で気付けたはず。まだ自分はこの程度の人間なのか。王の補佐もまともにできず、何が次期国王だ。嫌気がさす。
「ミカエラの出生報告を怠ったことを知りながらも、それを私も告発しませんでした。これは当然同罪です。しかし、これだけは信じていただきたい。私はミカエラを忌み子だと思ったことは一度もありません!」
「そうだろうね」
「えっ?」
呆気にとられるクイラックスに適当に笑みを向ける。程度は不明だが、彼がミカエラを案じる気持ちは見える。
そもそも、ルルティコ辺境伯は狷介な人物だ。他の貴族や王族にも耳を傾けることはなく、なかなかの独裁者だといえる。あの辺境伯が息子の言葉を素直に聞くことはないであろうことは簡単に推察できる。きっとクイラックスは、何度も説得を試みたのだろう。そう思うと、やっと幾分か冷静になれる。
「そもそも、なぜ赤髪が生まれたのだろう」
「それに関しては、私も全く分からないのです」
ルルティコの民に赤髪はいない。辺境伯も、辺境伯夫人も──もちろん、その先を辿っても赤髪がいたという歴史は聞いたことがない。
「私も幼かったため、全てを鮮明に記憶しているかと問われれば自信はありません。しかし、母の大きなお腹に耳を寄せ、胎動というものを感じたことは覚えております。出産前後は母の体調が芳しくなく数ヶ月会えない時期はありましたが、無事にミカエラが生まれ、しばらくして対面して抱くことができました」
ミカエラを抱いた頃を懐かしむように、クイラックスは自身の掌に視線を落とす。
「その頃の辺境伯と夫人は?」
「父の反応は覚えていません。記憶にある限りでは、父がミカエラを抱いている場面を見たことがありません。そもそも私も父とはほとんど関わりがありませんでしたから……。母は体調のせいか、出産後はしばらく安静状態でした。私も会いに行きましたが、ベッドの上にいることが多く、あの頃は母の笑顔を見るために様々な話を聞かせに行ったものです」
「笑顔?」
「ええ。あの頃の母は、まるで人形のように感情を失ってしまっていました。しばらくは目も合わず、とても不安だったのを覚えています。少しずつ回復し、今は元に戻っておりますが」
人形のよう……産後の女性はそのような状態になりやすいのだろうか。子供が無事に生まれ育っていく姿を見ると、自然と笑みが溢れるものではないのだろうか──その考えは、未経験故の浅はかな思い込みなのかもしれない。それとも、それほどまでに赤髪はルルティコにとって憎まれるものなのか。
「クイラックス」
「っはい!」
「もしミカエラを大切に思っている気持ちが少しでもあるのなら、この件は一旦忘れてくれないか」
「…………畏まりました」
聞き返すことはせず、素直に応じるクイラックス。拒否権がないことは理解しているようだ。そして、これは私が用意できる唯一の道。
今すぐに辺境伯を告発し、断罪することは容易い。しかし、この件はどこか違和感を感じる。このまま貴族名簿の詐称だけで終わらせてはいけない気がするのだ。ただの勘と言われればそこまでだが、罪が軽くないだけに、違和感を残したまま進めたくはない。何より、ルルティコでのアルストラ家の力は絶大だ。失うには惜しいという正直な思惑もある。
「貴族名簿にない以上、メルモルト公爵家との養子縁組に関しては辺境伯は何も言えないだろう。詳細な事実が分かるまでは、マナリエル達がミカエラを守ってくれる」
「ありがとうございます。ロイ殿下はもちろん、婚約者であられるマナリエル様には心より感謝いたします」
あぁ、やはり。緩みそうになる口元を然り気無く隠す。追い詰められた人間に一本の道を与えると、なぜこうも素直に走るのか。自分の思い通りに動かす──そう聞くと独裁的に聞こえてしまうかもしれないが、これも立派な帝王学の一つだ。
クイラックスのマナリエルに対する振る舞いは、そろそろどうにかしたいと思っていたところ。未来のシルベニア王妃であると認識させ、親しくなりすぎて友情以上の感情が芽生えぬよう、平行な関係ではないことを知らしめる。
マナリエルは、そんなことは望んでいないだろう。学園内は皆平等に生徒である。私自身もそれを望んでいる。しかし、芽を見つけると摘まずにはいられない。今回のこともちょうど良いとすら感じてしまったことに、多少の罪悪感が残る。
「嫌われてしまうかな」
思わず漏れた声は、クイラックスには届かなかったようだ。
いや、そんなことは絶対にさせない。絶対に、だ。
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