辺境の魔術師、悟りを開き大賢者となる←【理想】/【現実】→煩悩を捨てなきゃダメなのに、毎日弟子たちが無自覚に誘惑するからそろそろ限界です……

日之影ソラ

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強欲の章

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 俺は叫んだ。
 おそらく人生最大の雄叫びをあげた。
 仕方ないじゃないか。
 ずっと我慢していたんだぞ?
 目の前にたわわに実った果実があって、いつだって食べ頃なのに。
 よだれも流さず耐えていたのに、知らない男が勝手に収穫しちゃったんだ!
 許せるわけがない。
 煩悩とか欲とか、そんなもん知ったことか!

「ア、アンセル様?」
「な、なんだお前……賢者だろ? 悟りを開いてんじゃないのかよ」
「悟り? そんなもんとっくの昔に開いて閉じたわ! あんなもん開きっぱなしでいられるか!」
「……は?」

 キョトンとする男に、俺は怒りのままに叫ぶ。
 もうどうでもいいや、と思いながら。

「確か俺は賢者の力を手に入れた! 師匠がたどり着けなかった術式の完成にも至った! それでも俺は人間の男なんだよ! 目の前に無防備に慕ってくる女の子がいて、我慢できるわけないだろ! お前ならわかるんじゃないか!」
「お、おう……」
「でも我慢してたんだよ! 俺は賢者だから! みんなの師匠だからな! お手本にならなきゃいけない。不甲斐ない姿は決して見せられない。そうして耐えていたのに……お前は超えちゃいけないラインを越えた!」
「――よくわかんねーが、欲まみれな賢者ってことかよ! 大賢者の名が聞いてあきれるなぁ!」
「お前と一緒にするな! 確かに俺は欲があるし、煩悩だってある。だけどな? 真に必要なことは欲や煩悩を支配することだ!」

 俺は指を二本立て、視界に線を描くように空を切る。
 その直後、操られていた三人が倒れる。

「――! な、馬鹿な! 俺の支配が……」
「何が支配だ。からくりがわかれば対処はたやすい。鞭で打った対象に見えない魔力の糸をつけ、操っていただけだ。無機物も同様にな」
「そういうことだったのですね? 王国も把握していない能力を、たった一度見ただけで看破するなんて……」
「こいつ……」
「侮るなよ? これでも俺は、賢者の一族だ」
「――! だったらもう一度操るだけだ! お前も含めてな!」

 叫んで男は鞭を振るう。
 しかし意味はない。
 鞭を打ち付けたところで、その瞬間に糸は斬り裂かれる。

「くそ、なんで見えるんだ?」
「魔力だからだ。お前たちは感覚が鈍いんだよ。魔力を捉える感覚が」
「だからって! なんで糸が切れる? その指の動きで斬ってるのか? 魔術も使ってないのに!」
「使ってるぞ。さっきから何度も」
「……は? 嘘だ! 一度も術式を見せていないじゃねーか! 魔導具でもないのに、詠唱も術式の展開すらなしに、魔術が使えるわけ!」
「それができるから、今俺はここに立っているんだよ」

 男は驚愕する。
 通常、魔術の発動にはいくつかの工程がある。
 より洗練された魔術は、その工程を省略することで、発動までの時間を短縮する。
 同じことをしているだけだ。
 俺はあらゆる工程を、体内で完結することができる。
 故に、俺の術式はすでに発動している。

「大賢者が開発した術式は、人間の欲の数だけ存在する。それらを統合したものが現代に伝わり、俺たちが受け継いだ」

 煩悩、負の感情は魔力を増幅したり高ぶらせる要因。
 魔力も感情も、魂からあふれ出るもの。
 魂から煩悩を切り離し支配することで、煩悩を武器、すなわち術式に昇華し行使する。
 それが賢者の術式。

「【天芯倶舎テンジンクシャ】」

 俺は指で線を引く。
 今度は鞭を持っている右手が斬り裂かれ、出血と共に握ったまま地面に落ちる。

「ぐ、あああああああああああああああ! 腕が! 俺の腕がぁ!」
「これは……」

 【天芯倶舎テンジンクシャ】は一〇八の術式によって構成されているが、そのうち九十八はいわば部品。
 一つ一つでは効果がなく、組み合わせることで力を発揮する。
 九十八の術式は煩悩を克服することで獲得し、それを全て手に入れることでようやくスタートライン。
 そして――
 九十八の煩悩の先に、更なる大きな十の煩悩が存在する。
 それらを克服し、術式として完成させることで、【天芯倶舎テンジンクシャ】は完成する。
 
 その奥義の名は――

「【十纏ジッテン】――無慚むざん
「が……あ……」

 十の奥義の一、無慚。
 自身の視界内に指で線を描き、対象を斬り裂く見えない斬撃。
 対象は細かく指定でき、やろうと思えば服だけ斬り裂ける。
 そう、相手に気付かれず、女の子の服を脱がせる!

「あ、あれ……私は何を?」
「いきなり部屋が爆発して……それで……師匠は!?」
「せんせーだぁ」

 ぞろぞろと操られ気を失っていた三人が目を覚ます。
 どうやら操られていた間の記憶はないようだ。
 おかげで俺の大失態を見られるに済んだわけで、心からホッとしている。
 三人は周囲の状況と倒れている男を見て、すぐに察した。

「お怪我はありませんか? 先生!」
「襲撃者きたのね? 他には? これで最後?」
「勝ったんだ! さっすがせんせー! 格好いい!」

 心配したり、尊敬のまなざしを向けられたり。
 無邪気で無防備に身体を寄せてくる。
 これに何年も耐えている俺を誰か褒めてほしい。

「アンセル様」
「……姫様」

 あられもない姿になり、女の子であるとハッキリわかる姫様が、涙目で頬を赤く染めている。

「やはりあなたしかいません。どうかそのお力で、世界を救ってください」
「……ふっ」

 俺は空を見上げる。
 
 師匠、俺……旅に出ようと思います。
 困っている人がいたら放っておけませんし、国家の敵になるのは嫌なので。

 それから、この度が無事に終わったら……その時は――

 
 賢者をやめよう。
 そう、心に誓いました。
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