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色欲の章

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「スピカ! シアン! 心配かけてごめんなさい!」

 宿屋に戻ってきたリーナは、二人に向けて大きく頭を下げて謝罪した。
 
「まったくよ! どれだけ心配したと思ってるの!」
「戻ってきてくれてよかったよぉ~」
「うん……ごめんね。ありがとう」

 三人は涙目になりながら抱きしめ合う。
 血のつながりはない。
 だが、確かな絆が彼女たちの間には芽生えている。
 共に過ごした時間が彼女たちの心を繋ぎ、まるで三姉妹のように見える。
 俺と隣で見ていたロール姫は、同じ感想を抱く。

「素敵な後継だね」
「ああ」
「あなたも混ざってみたら?」
「それは無粋だろ」

 彼女たち三人が抱きしめ合っているからこそ、美しい光景に見える。
 あの中に俺が混ざったら台なしだ。
 こうして見ているだけで十分に満たされる。
 三人の意識が互いに向いているうちに、俺はロール姫に呟く。

「助かったよ」
「何が?」
「アルダート公爵のこと。俺一人じゃここまで上手く回らなかった」
「そうかな? ボクがいなくても、結局君なら解決していたと思うけど」

 彼女はクスリと笑いながらそう言った。
 解決は、できたかもしれない。
 でも、ここまで順調でスマートな結果にはならなかったはずだ。
 相手は権力のある貴族で、俺は田舎の賢者もどき。
 物理的な力による解決ならできるけど、立場が絡むと非常に面倒だ。

「お前がいてくれてよかったよ」
「あなたが素直にそういうなんて珍しい」
「俺はいつも素直だぞ」
「そう? だったら今夜が楽しみね」

 王子のフリをしながら、時折見せる女性らしさにドキッとさせられる。
 これは……今夜も眠れない気がするな。

「勘弁してくれ。これでも歩き回って疲れているんだ」
「ボクだって同じだよ? 誰かさんが必死だから、ボクも頑張ってあげたのに、ご褒美もないの?」
「ご褒美って……何が望みだ?」
「そうだなー……じゃあ、耳貸して?」

 ひょいひょいと右手で手招きされる。
 あまりいい予感はしないが、彼女のおかげでリーナを助けられたことは事実だ。
 呪具の回収とは関係ないことで働いてもらったし、その分の対価を支払うことに躊躇はない。
 もちろん、内容によりけりだが……。
 俺は小さくため息をこぼし、彼女に耳を向ける。

「なんだ?」
「ボクからのお願いは――」
  
 彼女は俺の耳元に口を近づける。
 耳元で囁かれるのは初めてで、少しだけドキッとしてしまうが表情には出さない。
 これも煩悩の一つだ。
 冷静に、彼女の言葉に耳を傾けて。

「――は?」

 思わず驚いてしまった。
 彼女は俺の耳から顔を遠ざけ、悪戯な笑みを見せる。

「いいアイデアでしょ?」
「……いや、アイデアというか。それでいいのか?」
「うん。今後のためにも必要だと思うから」
「……」

 彼女からのお願いが予想外過ぎて、俺は耳を疑った。 
 てっきりまた、俺をからかうような要求をしてくると思って、身構えていたのに。

「わかった。でも彼女次第だぞ?」
「大丈夫だよ。たぶん、言った通りになると思うから」
「……どうだか」
「ふふっ、もっと別の要求のほうがよかったかな?」
「そんなわけないだろ」
「素直じゃないな」

 そんなやり取りをして、今夜はこの街で一泊し、明日の朝に出発することにした。
 みんなアルダート公爵の不祥事について調べるため、街中を走り回って疲れている。
 俺も、疲れはあるが眠れない。
 いつもとは違う理由で。

 トントン、と。
 扉をノックする音が聞こえる。

「――あの、先生、起きてますか?」
「ああ、入っておいで」
「お、お邪魔します」

 部屋の扉を開けて姿を見せたのは、寝間着姿のリーナだった。
 彼女はもじもじして申し訳なさそうに入室する。

「すみません……こんな夜遅くに」
「いや、気にしなくていい。眠れないんだろ?」
「はい」

 リーナは部屋の中を見回す。
 そして尋ねる。

「ロール殿下は、今夜は別室なんです、よね?」
「ああ。偶には別々で、広い部屋を一人で使いたいそうだ」
「そうですよね。殿下は王城で、もっと広い部屋で暮らされていたはずですし、こういう場所は慣れないでしょうね」
「……そうだな」

 実際は全然違う理由だけどな。
 俺は小さくため息をこぼす。
 急遽もう一つ部屋を取って、別室に移動するときのロール姫を思い出して。
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