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イリア陥落 改

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翌朝、イリア達はトロンテルを出発することになった。

長雨が続いているとのことで確かに夜に雨が降っていたようだ。ツユクサの長い葉に水滴がついており、風が吹くとぽたりと落ちた。

雨によって浄化された空気が、胸の中にすうっと入って爽やかな気持ちになるのだが…今日のイリアにはそれすらも気づかない。

「イリア…お前、昨日より顔やばいぜ」

朝顔を合わせたカインがぎょっとしながらそう言った。

イリア自身分かっている。寝ようとしても寝れず、顔色が悪くなっていることも、目が充血してしまっていることも認識している。

「うん…昨日寝れなかったのよね」
「やっぱりカモミールティー淹れてやれば良かったな。馬車の中で少し寝てるといいぜ」
「ごめん、そうさせてもらう」

そうして旅支度を終えると、ブランシェが馬車と共に庭で待っていてくれた。

「このような馬車しかご用意できず…申し訳ありません。たくさんご迷惑をおかけして、たくさん助けていただいたのに…こんな形でしかお返しできず…」

ブランシェは何度も謝罪と礼を繰り返す。

イリアとしてはタダで屋敷に世話になっているのでお互い様である。
恐縮しっぱなしのブランシェに逆に申し訳ない。

今回も王都へ乗っていく馬車が大破したため、ブランシェが馬車を用立ててくれたのだ。

確かに今まで乗っていた馬車に比べるとこじんまりとしているが、イリアとしては幌馬車にでも乗るつもりだったので予想よりもぐっといい。

「ブランシェ様、一応は事業計画書に記載していますけど不明点等ありましたらアイ・アンド・ティー商会に尋ねてくれれば力になってくれると思いますので」

「分かりました。どうぞ、イリア様、皆様、道中お気をつけて。この御恩は忘れません」

ブランシェとハグをしてイリアはトロンテルを出た。

馬車に揺られている間は、うとうと出来たが、途中休憩を挟んだりするたびにリオとは顔を合わせることになってしまう。

その度にリオを避けるようにイリアはミレーヌやカインの元に行き、声を掛けさせる暇を与えなかった。
道中でも何度か声を掛けられたが、寝たふりをしてスルーしてしまった。

(明らかに…私、不自然よね)

とは思うものの、どう接していいのかが分からないのは事実だ。

とりあえず何とかその日の宿に着き、夕食を食べるまでは皆でワイワイできたのでリオとがっつり話すこともなく済んだ。

が、とうとう不審に思ったのか、部屋に戻ろうしたときにリオに声を掛けられてしまった。
逃げようにもカイン達は皆先に部屋へと戻ってしまっている。

「イリア、明後日には王都に着くと思うんだけど…」
「リオ、ごめんなさい!お…お風呂に早く入ってきたいから」
「宿について疲れたからってすぐに入ってなかったかな?」

「そ、そうだったかしら。えっと、ちょっと外に行く用事があるから…詳細はミレーヌに伝えておいてくれるかしら?」

「イリア、僕、何かしたかい?」
「え?」
「僕のこと、避けているだろう?」
「そんなことは…ない…んだけど」

図星なので語尾が小さくなってしまう。
リオは一瞬寂しそうな顔をして、小さくため息をついた。

「この間…トロンテルで言ったのは本心だったけど、ちょっと強引すぎたよね。ごめん」
「リオが謝ることじゃないわ!…ただ、ちょっと心の整理がつけられなくて」
「そっか…。無理しないでいいから。旅のこととかはミレーヌに話しておくよ。外に出るの?」
「えぇ、少しだけ外の空気を吸いたくて」
「一人で平気?」
「そんなに遠くには行かないから大丈夫よ」
「わかった。気を付けて。お休み」

リオが頭を撫でようとしたのか一瞬手を挙げたが、そのまま手を下ろし、クルリと踵を返した。

その後姿を見つつイリアは自己嫌悪に陥った。

(リオが悪いわけじゃないのに…あんな顔させてしまったわ)

自分が悪いのにリオを避ける真似をして傷つけてしまった。
情けなくて涙が出る。
まぁ、泣かないが。

「寝付けそうにないし、お茶を片手に天体観測しようかしら」

イリアはカインが先ほど用意してくれたカモミールティーに牛乳と、はちみつを一匙入れたものをマグカップに作るとそれを持って宿近くの草原へと足を向けた。

先日満月だっただけあって、月が煌々と光っているので天体観測としてはあまりいい条件ではない。

しかし、星空を見ると少しだけ冷静に考えられることができた。

星の光がこの地に辿り着くまで何億年もかかる。

何億年か前に発生した光がようやく目にするというのは、途方もない減少に感じられ人間の―――自分の存在の小ささを思い知らされる。

その度に自分の悩みなどちっぽけだなぁと思えるのだ。

「わんわん!」
「え?マシュ!?どうしたのこんなところで」
「くぅーん」
「まさか追いかけてきてくれたの?」
「わん!」
「マシュは悩んでいるときにいつも来てくれるのね。どこから来てるのかしら?…ふふふ、ヒーロー見たい」

さすがにこの年になって、マシュがただの犬ではないことは分かる。

動物に詳しくないが、精霊に近い存在なのかもしれない。ふっと現れてふっと消える。

そしてイリアが悩んだり辛いときにさりげなく現れて寄り添ってくれる。

(守護霊…みたいなものかしら?いや、この場合霊じゃないから守護精霊かしらね)

空を見上げてイリアは星を眺めた。

「当たり前だけど…日本の星座ではないわね。あぁ、でもあれはアンタレスに似てるわね。赤くて綺麗…」

ヒーローか。
リオもイリアのヒーローだ。危ない目に合った時にはいつも現れて助けてくれる。

「ねぇ、マシュ、聞いてくれる?」
「くぅん?」

「正直ね、もう訳が分からないの…。リオを見るとドキドキするし…ミレーヌに言われて思ったんだけど…やっぱりこの好きっていう気持ちは恋愛の好きなのかしら?」

「わう?」

「ミレーヌにはとりあえず付き合ってみればって言われているのよね。ただ訳が分からないまま付き合うのも違うような気もするし。でもこのままリオを避けるのも悪いわよね」

先ほどリオが言っていたように、順調にいけば明後日には王都に着く。
ということは護衛で会ったリオとはもうお別れになるのだ。

このまま王都でさよならというのはとてつもなく寂しい。

傍にいてくれていたのにその存在が無くなると思うと、喪失感ともいえる想いがイリアの胸に去来した。

星空を見て、イリアは前世のことを思い出した。

前世のイリア―つまり薊の信条は「悩むよりまず行動!失敗してもその経験が財産!」というものだ。

だから一人で研究が行き詰った時に、参考文献として読んだ論文の著者に直接会いにいったり、海外の教授にはぶしつけながらもメールを送ったものである。

「なんだこいつ」と思われることもあるし、スルーされることもある。だが、行動しなければ何も変わらないのだ。

「このまま逃げるっていうのも、やっぱり違うわよね。よし!今の気持ちをリオにきちんと伝えることにする!とりあえず好きかもしれないってことは伝えることにするわ!」

「わんわん!」

後はもう成るように成れだ。
そのあとリオとどういう関係になるのかなんて気にしない。
そう腹を括ればイリアはすっきりした気持ちになった。

「うん、そうしましょ!マシュ、聞いてくれてありがとう!」
「わん!」

イリアが立ち上がるとマシュも宿屋まで付いてきてくれた。
そしてイリアはマシュと共にベッドに潜り、マシュのそのモフモフを堪能しながら眠りについた。

それは久しぶりに熟睡できた夜であった。

翌日、鳥のさえずりで目が覚める。
まだ早朝だったようで、窓を開けるとうっすらと朝霧が立ち込めていた。

「あら?マシュは…またいなくなっちゃったのね」

朝起きたらマシュのもふもふを堪能しようと思っていただけにイリアは少し寂しく思った。

陽だまりのいい香りのする毛に顔をうずめると幸せな気持ちになるのだ。

リオに考えを告げる前に、マシュの毛を堪能してから気合を入れようと思っていただけに、残念だ。

「まずは顔を洗ってこようかしら…って!?」

イリアが部屋のドアを開けると何かにぶつかってイリアの視界が一瞬黒くなる。
誰かにぶつかったのだと直ぐに分かり、イリアはぺこりと頭を下げて謝罪をした。

「えっと。ごめんなさい」
「イリア、おはよう!」
「リオ!?」

気持ちを伝えようと思ったものの、いざ目の前に本人がいると動揺のあまり言葉が出ない。

「イリアを待ってたんだ!」

このタイミングでドアの前にいるということは、スタンバっていたのだろう。

というか、イリアが起きるタイミングなど分からないのだからどれだけ前に待っていたのだろう。
なんとなく聞くのが怖いのであえてそこは聞かないことにしたのだが。

ただ、リオの顔は昨日の悲壮さは微塵も見えなくて、むしろ肌ツヤが良いような気もする。

「私を?どうしたの?出発の準備のことかしら?」
「あのね、イリア、僕のこと好き?」

突然そう尋ねられてイリアは状況が理解できなかった。
でも考えはきちんと伝えておいた方がよいだろう。
まずは一歩踏み出してみないことにはどうなるか分からないのだ。
イリアはそう思って、リオと会話することにした。

「え?そ、そうね…。好きだとは思うわ」
「異性として好き?」
「う、うん、そうみたい…」
「一緒に居たいと思ってくれる?」

「そうね…リオと一緒に居たから…やっぱり離れるのは寂しい…かしら」
「じゃあ、結婚して!」
「いや、それは無理!」

前もだったが、どうしてリオは急に結婚の話に飛躍するのだろう?

「まずは…その、お付き合いはしてみたいと思うの」
「本当!!嘘じゃない?僕と付き合ってくれる?」
「うん」
「出来たら結婚前提とかだと嬉しいんだけど」

それに関しては素直に受け入れがたい。
だが年齢的には結婚を視野に入れてもおかしくはないのだ。

「そうね。分かったわ。直ぐには結婚とかは無理だけど、前向きに考えてみる」
「ありがとう!」

リオは花が綻ぶというのはこういうことかという位の笑みを浮かべる。
その背後に花が咲いているようだ。
そして気づけば、抱きしめられていた。
リオが耳元で囁く。

(そういえば…リオの声って私の推し声優の野宮健次郎に似ているわ)

その色気のあるテノールの声を聴いてぼんやりとそんなことを思っている時だった。

「じゃあ、行こうか!」
「?行こうか?」

理解ができずリオの腕の中でイリアは首を傾げた。

同時にタイミングが良いのか悪いのかアイザックが部屋から出てきてイリアとリオが抱き合っているのをばっちりと目撃されてしまった。

アイザックの目が真ん丸に開かれる。
それに気づき、羞恥で顔を赤くしているイリアの耳に、とんでもない言葉が飛び込んできた。

「転移・開始!(リビデント)」

(え?)

アイザックが別の意味で目を見張りこちらへと足を進めるのと、イリアが光に包まれるのは同時だったと思う。

眩しくて目を瞑ってしまう。浮遊感を覚えていたが、それも一瞬のことでゆっくりと地面へと着地した。

気づくとイリアは見たことのない程きらびやかで豪華な部屋へと転移していたのだ。

「え…な、なにこれ!?」

状況が掴めないイリアにリオが抱きしめたまま囁いた。

「ようやく捕まえた」

この時イリアはなんとなく不吉なものを感じた。
リオの気持ちを受け入れることを早まったのではと思うほどの不穏な予感に…。

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