水曜日のパン屋さん

水瀬さら

文字の大きさ
44 / 44
第6章 桜の花の咲く頃に

4月10日(水) 晴れ

しおりを挟む
 校舎を出てから正門まで、桜並木が続いている。満開を過ぎた桜の木からは、花びらが風に乗って舞い落ちてくる。
「さくらさんの入院する日、決まった?」
 私はその桜の下を歩いていた。音羽くんと並んで、同じ制服を着て。
「うん。一週間後の水曜日だってさ」
 隣を歩く音羽くんが、そう答える。
 この前の検査で、さくらさんの病気が再発していることがわかった。さくらさんは今日でお店を閉めて、治療のためしばらく入院するのだという。
「……大丈夫?」
 ちらりと音羽くんの横顔を見る。
「大丈夫だよ。全然元気でさ、あいかわらず口うるさいし……」
「違うよ。さくらさんじゃなくて、音羽くんが」
 音羽くんが立ち止まり、私の顔を見る。私も同じように立ち止まる。
 同じ制服を着た生徒たちが、あかるい笑い声を立てながら、私たちを追い越していく。

「大丈夫だよ」
 音羽くんがそう言って笑った。
「もういちいち落ち込んでられないよ。さくらさんとさ、この病気とは一生つきあっていくしかないんだねって、覚悟を決めたんだ」
「そっか……」
「強く……ならなきゃな」
 ひとり言のように、音羽くんがつぶやく。
 あの台風の夜、この頼りない手で音羽くんを抱きしめた。音羽くんは私の腕の中で震えていた。
「でも、無理しないでね」
 私は音羽くんに言った。
「私も……いるから」
 音羽くんはふっと笑うと、私の頭をくしゃっとなでた。
「頼りにしてる」
 私たちの上から、桜の花びらが落ちてくる。はらはらと、雪のように。
 恥ずかしくなって肩をすくめた。音羽くんはすぐに手を離して、私に言う。

「俺さ、バイトもはじめたんだ」
「バイト?」
「うん。父さんの知り合いのパン屋で、バイトさせてくれるっていうから」
「あっ、音羽くんが修行させてもらいたいって言ってたとこ?」
「さくらさんはあいかわらず反対してるんだけど」
 音羽くんは小さく笑ったあと、私を見て言った。
「でも俺はあきらめないよ」
 私は音羽くんの声を聞く。
「卒業するまでに、絶対さくらさんを説得してやる」
「うん」
「そんでさくらさんが泣いて喜ぶくらいの、うまいパンを作ってやる」
 パンの話をするときの音羽くんの目、すごく真剣で、私は好きだ。
 またひとつ増えた、音羽くんの目標。
 でもたぶん、さくらさんの気持ちは決まってる。音羽くんのことを心配しながらも、きっと音羽くんの進みたい道を見守ってくれるはず。

「めーい!」
 そのとき、後ろから声がかかった。振り返ると、友達が私たちに駆け寄ってきた。
「こんにちは! 音羽先輩ですよね!」
「先輩のことは、芽衣から聞いてます!」
 ふたりが、にやにやしながら音羽くんの顔を見上げている。
「ああ……どうも」
 音羽くんは苦笑いをして頭をかいた。
「これからも芽衣のこと、よろしくお願いします!」
 ふたりはそう言うと、私に「じゃあ、またね!」と言い、きゃーきゃー騒ぎながら行ってしまった。

「……なんだ、あれ」
「中学からの友達なの」
 ふたりに、音羽くんのことは話してあった。
「へぇ、お前、友達いたんだ」
 音羽くんが小さく笑って私を見る。
 そういえば前に音羽くん、私の友達になってくれるって言ったっけ。
「音羽くんは? 友達いないんだっけ? 私が友達になってあげようか?」
「うるせぇな。ほっとけ」
 ははっと笑った音羽くんがまた歩き出す。私はそんな音羽くんの隣を歩く。
 高校生になって、わかったこと。
 友達なんかいなくていいって言っていた音羽くんだけど、他の先輩たちと楽しそうに話している姿を何度も見た。さっきだって、女の先輩から声をかけられていたし。
 私はまだ、音羽くんのことを、全然知らない。だけどこれからもっと、音羽くんのことを知っていけばいいんだ。

「今日、うち来るだろ?」
「うん」
「さくらさん、クリームパン作って待ってるって」
 私は音羽くんの前で笑顔を見せる。
 学校の門を出て、ふたりで歩く。入学してまだ数日だけど、私たちは毎日こうやって歩いている。音羽くんが卒業するまでの一年間、こうやって歩ければいい。そしてそのあとも、やっぱりふたりで……。

 角を曲がると、長い坂道が見えた。そこで音羽くんは立ち止まる。
「んっ」
 差し出された手のひらに、私の手をそっとのせる。そしてそのまま手をつなぎ、私たちは坂道をのぼる。坂の上にある、小さなお店を目指して。
 一本の大きな木には桜の花が咲いていた。一年前と同じ桜だ。そしてその木の下で、私たちに手を振っているひとの姿。
「おかえりー!」
 大きな声でそう言って、さくらさんが手を振る。
「な? とても病人には見えないだろ?」
 音羽くんが耳元で、いたずらっぽくささやく。私は小さく微笑んで、つないだ手をぎゅっとにぎる。そしてもう片方の手を高く上げて、大きく振った。
「ただいま! さくらさん!」

 春の風が吹く。桜の花びらがふわっと舞う。
 季節は変わる。私たちも変わる。一日一日、私たちは生きている。
 ただ消化するだけだった毎日は、とても大切な日々に変わっていた。
しおりを挟む
感想 3

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(3件)

佐久間 悟
2019.09.19 佐久間 悟

『あいつらはもう忘れているんだろうな。傷つけられた方は一生忘れられないっていうのに』

この音羽くんの言葉に凄く共感しました。

僕は学校で集団無視をされた経験がありそんな時、さくらさんや音羽くんみたいな人がいたら違った道を歩めたのかなと思いました。


心がひかれる話でした!!

2019.09.19 水瀬さら

Rさま
ご感想をいただき、ありがとうございます。
この音羽くんの言葉は、私自身もそう思ったことがあり、書かせていただきました。
共感していただけてよかったです。
このお話を読んでくださったRさんの心に、何かちょっとでも響いたものがあれば嬉しく思います。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

解除
木風 麦
2019.07.26 木風 麦

芽衣ちゃんとは違う境遇ですが、私も今学校に行けていません。お母さんの台詞が、うちの母と同じようなことを言っていて、泣けてしまいました。私の場合いじめでも何でもなくて、原因が分からない精神的なものと言われてしまいました。背負っている重みは彼らとは全然違うのですが、本当に全く同じ症状が出てきます。読んで、私の前にも現れてくれたら少しは今が変わるかな、なんて考えたりもしてしまいます笑
 長々と愚痴を書いてしまった気もしますが、端的に言わせてもらいますと、これからも応援していきたい、と思っております。

2019.07.26 水瀬さら

二乃宮リズさま
ご感想をいただき、ありがとうございます。
私はいつも、誰かの心に何か少しでも残るものがあればいいなぁと思いながら書いています。
このお話が二乃宮さんの心に、何かちょっとでも足跡を残せれば嬉しいです。
応援ありがとうございます。私もこの世界の片隅から、二乃宮さんのこと応援させていただきます。

解除
くろちゃん
2019.07.24 くろちゃん

読んでいると、主人公のメイを「がんばれ!」と応援したくなります。
自分自身も元気になれます^^

2019.07.24 水瀬さら

くろちゃんさま
お読みいただき、芽衣を応援してくださって、ありがとうございます。
ゆっくりとゆっくりと前を向いて進んで行きますので、これからも応援していただければ嬉しいです。
ご感想、ありがとうございました^ ^

解除

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

お兄ちゃんはお兄ちゃんだけど、お兄ちゃんなのにお兄ちゃんじゃない!?

すずなり。
恋愛
幼いころ、母に施設に預けられた鈴(すず)。 お母さん「病気を治して迎えにくるから待ってて?」 その母は・・迎えにくることは無かった。 代わりに迎えに来た『父』と『兄』。 私の引き取り先は『本当の家』だった。 お父さん「鈴の家だよ?」 鈴「私・・一緒に暮らしていいんでしょうか・・。」 新しい家で始まる生活。 でも私は・・・お母さんの病気の遺伝子を受け継いでる・・・。 鈴「うぁ・・・・。」 兄「鈴!?」 倒れることが多くなっていく日々・・・。 そんな中でも『恋』は私の都合なんて考えてくれない。 『もう・・妹にみれない・・・。』 『お兄ちゃん・・・。』 「お前のこと、施設にいたころから好きだった・・・!」 「ーーーーっ!」 ※本編には病名や治療法、薬などいろいろ出てきますが、全て想像の世界のお話です。現実世界とは一切関係ありません。 ※コメントや感想などは受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 ※孤児、脱字などチェックはしてますが漏れもあります。ご容赦ください。 ※表現不足なども重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけたら幸いです。(それはもう『へぇー・・』ぐらいに。)

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。