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第六章 揺れ動く世界線

長いイベントの最後は……

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 あの世界線から、どれだけの時間が過ぎていたでしょう。

 私は再び愛する人を殺めようとしています。心が晴れるはずもありませんが、全ては彼を王太子候補とするため。

 ルーク・ルミナス・セントローゼスを王とするためでした。

(やるしかない……)

 イセリナの暗殺を防いだ私たちは、とりあえず控え室へと戻っています。

 返り血を浄化魔法にて落とし、更には着替えを終えなくてはなりません。しかし、不安要素も残っており、私の心をざわつかせています。

(打ち合わせはできなかったけれど、コンラッドなら計画通りに遂行してくれるはずだわ)

 今は彼を信じるしかない。

 コンラッドは遅効性の毒を使用する計画。私はその毒を無効化する浄化魔法を構築していますし、リッチモンド公爵邸に証拠を捏造していると信じたい。

 でも、万が一にも毒の種類が異なっていたり、証拠を残せなかったとすれば……。

(ここまで来たら戻れないわ。全てルークのためなんだもの……)

 心許ない免罪符を口にし、私はそのときを待ちます。

 控え室にまで叫声が轟くそのときを。

『キャアァアアアア!!』

 私は頷いています。やはりコンラッドは会場にいた。

 でもなければ、今さら会場から叫声が聞こえるはずもないのです。狙われる人間はイセリナしかおらず、その彼女は控え室にいるのですから。

「イセリナ、行きましょう」

「ルイ、何が起きたというの!?」

「ルイ様、控え室の方が安全なのでは!?」

 流石にオリビアも取り乱しているね。

 まあでも、ここが山場なの。この崖を登り切らない限り、ルークの未来は閉ざされたままなのよ。

「隠れていたのでは疑いの目が向けられる可能性までありますわ。速やかに会場へと戻りましょう。安全はお約束いたしますので」

 私が部屋を出るや、二人もついて来ます。

 まあ、取り残されるのは怖いからね。私の側が安全であると二人も分かってくれたのでしょう。

 人混みを掻き分け、私たちは騒動の中心へとやって来ました。

「レグス近衛騎士団長様、どうされたのでしょう?」

「ルイ枢機卿、殿下が何者かに毒を盛られたのです!」

 私の正体を知る唯一の人物。予想し得ない状況であっても、彼は約束を守ってくれている。

 ならば、私は彼の期待に応えるだけ。毒だけでなく、ルークに向けられた悪評の全てを取り除いてあげるわ。

「浄化魔法は得意としております。お任せください」

 言って私はルークの隣にしゃがみ込む。

 過度に脈動する心音が周囲に聞こえていないかと不安を覚えます。

 だけど、正気を失ってはならない。私は冷静に対処し、ルークの毒を浄化するだけよ。

「清浄なる輝き。気高き女神の慈愛。穢れなる事象の排除を……」

 何年ぶりかの祝詞を唱える。

 思えば長かった。同じキャスティングにて、この場面に戻ってくるつもりは少しもなかったというのに、どうしてか私は振り出しに戻されている。

 愛の呪縛からは逃れられない運命なのか、或いは間違いを犯した私への罰なのか。

「災いとなるもの。聖なる輝きにより浄化せよ……」

 罪深き祝詞が唱えられていく。

 謀略で彩られた悪しき計画はここに完結するの。

「愛の女神よ、我が願いを聞き遂げたまえ!!」

 燻る感情を洗いざらい吐くように、私は詠唱を終えていました。

 刹那に、溢れる光の粒。煌めくそれは粉雪のように舞い、いつしか横たわるルークへと降り注いでいく。

 見守る者たちからは感嘆の声を上がっています。

 私が見せた浄化魔法はオリジナルの術式。少しばかり派手なのは全てが嘘で固められていたからです。

 せめて見栄えだけは良くしようとした結果なのですから。

「ぅ……うぅ……」

「殿下!?」

 真っ先にレグス団長がルークを抱きかかえてくれました。これにより私は目覚めのキスをする必要性を失っています。

 あの世界線から完全に切り離された瞬間でした。

(あれ……?)

 どうしてか涙がこぼれ落ちた。全てが上手く運んだ結果であるというのに。

 どうしてか目覚めのキスを望んでいたかのように、私の瞳からは大粒の涙が流れ落ちています。

(望んじゃ駄目だ。あの世界線に戻ってはならない……)

 この場所で私の心が満たされたとしても、未来の私は必ず傷つく。

 どうしようもいられなくなって、再びこの場所へ戻ってくることになるでしょう。

 だとすれば、今は耐えるしかありません。愛する人が目を開く瞬間を騎士団員の背中越しに眺めるだけ。

 私は唇を噛み、心を無理矢理に落ち着かせる。まだ私には仕事が残っているのよ。

 この馬鹿らしい芝居に用意されたエピローグを演じなければならない。

(今しかない……)

 徐にベールを外した。今となっては誰にも分からないことでしょう。

 けれど、その名を聞けば理解できるはず。私が誰であり、何者かであるのかを。

「皆様、私はかつてアナスタシア・スカーレットと名乗っておりました……」

 全員が声を失っている。

 王子殿下の危機を救った枢機卿の正体を知って。

「ルーク王子殿下に辱めを受けて自害したなど、捏造された虚言でございます! 私は今まで隣国サルバディール皇国に匿われておったのです。なぜなら、命を狙われていたから。ルーク殿下と親しくしていた私はリッチモンド公爵に脅迫を受けていたのです!」

 きっと、この嘘は世界を救う。

 だから良い嘘だ。

 愛する人を守り、母国に繁栄をもたらす唯一の嘘。

 だから、どうか許してください。利己的な嘘を口にする私を。

 罰として私は修道女として表舞台から去って行きますので……。

「ルイ枢機卿、もういいぞ!」

 ここでカルロが現れていました。

 リックを引き連れて戻った彼は朧気な私の嘘に輪郭を与えてくれることでしょう。

「皆の者、私はサルバディール皇国の皇太子カルロ・サルバディール。本来なら隣国の政治に首を突っ込むつもりもないのだが、生憎とウチの従者はお人好しでな。巨悪の存在を知りながら、見て見ぬ振りができないらしい」

 小さく笑ったカルロは書面を掲げて見せた。

「この書面は我がサルバディール皇国から秘密裏に毒を輸入していた者の契約書だ。記されるサインはベルモンド・クレイ・デンバー。貴方だ、デンバー侯爵!!」

 流石は私の皇子様。どこまで信用されているのか分からないけれど、彼は私の嘘を肉付けする証拠を叩き付けてくれました。

 真相を知れば、幻滅されることでしょうね。デンバー侯爵はリッチモンド公爵に嵌められただけの傀儡ですもの。

 デンバー侯爵にとって、その契約書は身に覚えのないものであったことでしょう。

 まあしかし、仇は討ってあげます。デンバー侯爵が懇意にしていたリッチモンド公爵もまた無実の罪で裁かれるのです。

 地獄への道連れは必ず用意してあげるわ。

「デンバー侯爵を捕縛しろ! 殿下を馬車までお連れするぞ!」

 賢明な判断、助かりますわ。私の愛しき人を早くこの場から連れ去ってくださいまし。

 喉元まで込み上げている台詞を私が押し殺せているうちに。

「はぁ……」

 私は長い息を吐いていました。

 この壮大な嘘は二度目であったというのに、罪悪感に打ちひしがれています。

(私は本当に聖女なのかもね……)

 そんな気持ちにすらなってしまう。巨悪以上の悪になったつもりが、心を痛めているなんて。

 穢れきった聖女。何だか笑ってしまうわ。

 もしも聖女に明確な定義があるのなら、私は選ばれないでしょう。

 しかし、世界を救うという漠然とした枠であるのなら、私は聖女なのかもしれない。

 手段を選ばずとも、世界を導いているのですから。


 ようやくキャサリン・デンバーの誕生パーティーイベントが終わりました。

 完クリしたとして後味が悪いのは価値のないイベントだからです。勝っても負けてもバッドエンドだなんて、プロデューサーが解雇されるレベルよ。

 もう二度とプレイさせないで欲しいわ。

 私の心を壊すつもりがないのであれば……。
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