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28.加速していくこころ
しおりを挟む「クラウス様」
私は静かに彼の名前を呼ぶ。
決して誰にも打ち明けることはできないが、学園に行ってからはずっと、出会った人たちの名前は脳内でキャラクターネームとしか認識していなかった。
上手く言語化できないけれど、青年期の間はゲームだという前提が無意識の中から中々抜けなかったせいだ。命に対する扱いが前世より軽かったように思う。
この時期に出会った相手が好きなものも、欲しがる言葉も。
それらはあくまでキャラクターの情報の一部。
彼らがそれを受け取り喜んでいるのも、シナリオもしくはプログラムの一部であるからという感覚だ。
だから頭の中では令嬢達を除いてみんな呼び捨てだった。
といっても、令嬢達だって単に推しだから様付けで呼んでいるような、そんな心境。
世界を救う旅だと言うものの、初めはすごく軽い使命感で参加していた。
同行した騎士や兵士たちには肝が据わっていると褒められたが、それはただ深刻さをきちんと認識していなかっただけに過ぎない。
どこか現実感もないまま。世界の危機も、「そういう流れ」だからしょうがない。そんな感じで。
もちろんずっと同じ程度で軽んじたままではなかったけれど。旅先で負傷し痛みを感じたり、自らの命の危機を感じたりしたことや、モブキャラクターと捉えていた村の人々の痛ましい姿を見たことでその認識は薄まったと思う。
それでも、苦楽を共にしたはずの王子たちに強く一線を引いていたのは、どうしても彼らが生身の人間に思えなかったからだ。
元々の倫理観も働いたが、そもシステムと恋に落ちることなんて出来ない、と思っていた。
ゲームの内容が終わり、ゲームの登場人物達から離れて、ゲームでは登場しない人たちと出会い、ストーリーの余波を受けた街の復興に携わってようやく、私は今世の私を生き始めたように思う。
愛を捧げられて、そのキャラクターのプログラムだと猜疑心を抱かなくて済むのは、すごく安心できた。
疑うこと自体に良心が痛む事もない。
なにより、彼の態度や口からでる言葉は、彼の本物の感情なのだと。そう認識出来るようになってしまえばもう。
例え頭の中だけだとしても、もうただの記号としては呼べなかった。
彼も、おそらく何かが変わったのだろう。
私に返事をするその声の温度が、明らかに上がった。大人の男性らしく、いつも落ち着いた声しか耳にしていなかったから、何かを堪えるような声色には、新鮮ささえ感じる。
名残惜しそうにゆっくりと体を離し、瞳には感情を熱く残したまま、クラウス様がこちらに顔を寄せてくる。
もの言いたげな眼差しが私の時間を止めてしまったようだ。
包帯のハーブと消毒液の香り。顔と顔の近さに居た堪れなくなって、視線を下に逃がした。そうして、そのまま瞼を閉じる。
左頬には彼の手のひら。
簡単に頭巾まで覆ってしまえそうな大きさだなあ。なんて。逃げ場のない思考は、そんなことを考えていた。
ふわりと触れる唇。
外の雪解け水が滴る音も、子供達の遠い騒めきも。
全ての音が意識から消える。
ただの皮膚の接触なのに、この触れあいは情愛でしか得られないと知っているからだろうか。
速まる鼓動を抑えられない。
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