上 下
8 / 81
第一章 婚約破棄された王太子を慰めました

8話 やっと手に入れた希望①

しおりを挟む

 処分が下されるまでは、治癒士のままだからと気持ちを入れ替える。
 それにしても、これだけの美形で素晴らしい人柄、王太子としての能力といい、これ程の逸材を手放した皇女は間違いなく見る目がない。

「ところで、なんだか毒を盛られる前より調子がいいのだけど、ラティシアの治癒魔法のおかげ?」
「そうですね。カールセン伯爵家特有の『癒しの光ルナヒール』という特殊な治癒魔法を使用しました。これは一般的な治癒魔法より効果が高いようです」

 きっとフィルレス殿下も知っているだろうけど、私からも我が一族の能力について説明する。

「やはりそうか。でもカールセン伯爵の御息女なら、どうしてここで働いているのかな? その血を絶やさないためにも、カールセン家の女性は早々に結婚すると聞いているけれど」

 この国の結婚した貴族の女性は、余程の事情がない限り屋敷で女主人として采配を振るう。特に伯爵家以上の家格であれば、未亡人でもない限り働くことはない。
 だからフィルレス殿下の疑問ももっともだ。

「それは……義妹夫婦がカールセン家の当主となっていますので、私はこうして治癒室で能力を活かしているのです」

 フィルレス殿下は「そう」と言って、青い宝石のような双眸そうぼうを細めた。その瞳には底知れぬ冷たさが宿っているような気がしたけど、すぐに穏やかな微笑みを浮かべてさらりと話題を変える。

「それにしてもラティシアの治癒魔法はすごいな。最近ゴタついていてかなり疲労も溜まっていたんだけど、すっかり回復しているよ」
「それはなによりです。私の治癒魔法で元気になっていただけたなら、本当に嬉しいです」
「ああ、最近は睡眠時間も削っていたからね」

 私も同じ経験をした。あの時の心の傷の深さは痛いほどわかる。もしかしたらフィルレス殿下は眠れていなかったのかもしれない。私のような者にも優しく声をかけてくれて、対応も丁寧だ。私の癒しの光ルナヒールがそんな方の役に立って喜ばしい。

「……カールセン伯爵には幼少の頃より世話になっていた」
「父は優秀な専属治癒士でしたから。ああ、ゲンコツされませんでしたか?」
「あー、そうだね。自分を粗末に扱うと決まってゲンコツされたよ」
「ふふ、父が患者は皆平等だと言っていましたから。フィルレス殿下にもそうしていたのですね」
「うん、でも温かい人だった」
「ええ、自慢の父でした」

 過去形になる家族の話は悲しみと懐かしさと、幸せだった頃の思い出を鮮明に蘇らせる。感傷的になるのを振り払うように私は次の言葉を口にした。

「フィルレス殿下は、いつもよく努力されています。どんなに辛いことも、どんなに悔しいことも、その胸のうちに抱えて弱さを見せません。ですが……つらい時は弱音を吐いたっていいのですよ」
「弱音など、僕には……」
「私、実は義妹に婚約者と実家を奪われて追い出されたんです。なかなかの経験をしてきたので、きっとフィルレス殿下の愚痴くらい聞けると思います。これでもフィルレス殿下より年上なので、姉に話すつもりでなんでも言ってみてください」

 毒症状からみて、きっと腹部の痛みは相当なものだったろう。それをうめき声ひとつ上げずに耐えていた。
 殺されかけたというのに、そんなことは微塵も感じさせない振る舞いをしている。
 婚約破棄の時だってそうだ。あんな大勢の貴族たちの前でなにもかも踏み潰すように切り捨てられて、なにも感じないわけがない。

 私はただ、心優しい孤高の王子に心から笑ってほしかった。

「それに治癒士には守秘義務があって魔法契約で宣誓しているので、もし破ったら治癒魔法が使えなくなるんです。だから安心して吐き出してください」
「……実は僕、あの皇女にまったく好意を抱けなかったんだ」
「え!? そうだったんですか!? よく隠していましたね。全然わかりませんでした」
「うん、婚約破棄してくれてむしろホッとしている」

 フィルレス殿下の死んだ魚のような目がおかしくて、思わず笑いがこぼれる。婚約破棄についてはフィルレス殿下にダメージはないようだ。

「あははっ、わかります! 私も今は元婚約者に対してそんな気持ちです。あんな浮気男なんていりません!」
「僕も傲慢でわがままなだけの姫はもういいかな」
「ふふふっ、そうですね。フィルレス殿下にはもっと心優しくて、真面目で、こんな風に愚痴を聞いてくれるお妃様がお似合いです」
「そうだね、本当にそう思うよ」

 そう言って、フィルレス殿下はジッと私の顔を見たまま動かない。

「フィルレス殿下? どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」

 ぱっと穏やかな笑みを浮かべたフィルレス殿下は、その後もいろいろな愚痴を聞かせてくれた。
 フィルレス殿下の気の済むまで話を聞いて、もうすっかり元気になったようだ。会話しながら観察していたけど、毒の影響もないようだし、もう大丈夫だろう。

「それではこれで問題ないとは思いますが、念のためもう少しお休みになってから動いてください。どなたかに知らせを出しますか?」
「いや、変化の魔法をかけてひとりで勝手に出ていくよ。ラティシア、本当に今日は助かった」
「いいえ、それでは、私はこれで失礼いたします」

 フィルレス殿下に一礼してから特別個室を後にした。
 国外追放のお願いをし忘れたと気が付いたのは、宿舎に戻ってからだった。




しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

王妃となったアンゼリカ

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:169,110pt お気に入り:7,829

幼馴染がそんなに良いなら、婚約解消いたしましょうか?

恋愛 / 完結 24h.ポイント:18,406pt お気に入り:3,526

アリアナ・ロッソは王女の嘘に巻き込まれた

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:353

【完結】皇女は当て馬令息に恋をする

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:2,207

処理中です...