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62 命拾いしたな、黒猫耳め。

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     ◆命拾いしたな、黒猫耳め。

 いろいろ聞きたいことがあったのに、紫輝はとっとと帰ってしまって、青桐はご立腹だった。
 しかし、他にもやることがいっぱいあって。それどころじゃない、という感じでもあるけれど。

 元々、赤穂が本拠地でやっていた仕事は、机仕事だ。
 これは本当に手が出せないので、当面は幹部が…主に幸直と巴が代行することになる。
 その間、堺は青桐のそばで、青桐が准将として振舞えるよう指導していく係。
 紫輝もそこに加わる予定、というところだ。

 軍服を手配したあとは、本拠地中心部にある施設の把握だ。
 指令本部や議事堂などを見て回り。組織図の暗記は基本で。
 昼食後は、遠乗りついでに、右軍兵士がどのような生活をしているのか、ざっくり視察。
 とにかく、本拠地での生活に、青桐を慣らすというのが。堺の思惑のようだった。

 背筋を伸ばして、白馬に乗る堺は。凛々しくて、大きくて、高潔で。すごく格好いいと青桐は思う。
 昨夜、腕の中で震えた、可愛らしい堺は。夜にしか、現れないのだ。
 青桐を見やる視線も、どこか厳しく感じる。

「そろそろ剣も調達しなければなりませんね。以前と同じものならば、すぐにも手配できますが」
「どんな剣? 兵士が持つものとは違うのか?」

 今、青桐が腰に刺している剣は、一般の兵が使う、いわゆる既製品だ。
 これでも普通に使えるが。かなり軽めだ。

「私の剣よりは、軽く。長さも短い…そうだ。高槻の剣が近いと思うのですが」
 赤穂の剣の説明をするのが、難しかったようで。堺はしばらく頭を悩ませてから、そう言った。

「高槻というと、龍鬼で、紫輝の上司?」
「はい。第五大隊長です。屋敷の方へ向かってみましょうか?」
 鷹揚に青桐はうなずき。堺の先導で第五大隊長の屋敷へと向かった。
 紫輝はそこに住んでいる。
 みつけたら首根っこ掴んで、黒猫耳を引っ張ってやるっ。

 高槻の屋敷につくと、門番が気さくに挨拶してきた。
「赤穂様、時雨将軍、いらっしゃいませ。馬をお預かりします」

 もっさりした、白い翼の熊男だ。
 でっけぇ。身長は、堺よりちょっと低いが。横幅と厚みが堺より大きいから。すんなりした堺よりも、大きく見える。

「赤穂様ではなく、青桐様に改名されたのだ。以後、気をつけろ」
「あっそうでした。現役を引退したら、そういうのに疎くなってしまい。失礼しました。中へどうぞ、今、隊長を呼んできます」
 馬を馬丁に渡した門番は、すぐに高槻を呼びに行ってくれた。

「高槻が龍鬼だから、その屋敷に勤める者も、龍鬼に物怖じしないのでしょうか? 他家の門番に、あんなに気さくに声をかけられたのは初めてです」
 なにやら、堺は感動しているようだ。
 あの、赤穂の屋敷にいた家令(自分の家令とは認めたくない)のような応対が、日常的にされているのなら。龍鬼の受難というものは根が深そうだなと、青桐は感じた。

 間もなく、玄関から出てきたのは。紫輝と同じくらいの背丈の、緑の髪が鮮やかな、龍鬼。
 こんなにも緑の鳥って、なんだろう。血脈がわからない。
 希少種か?
 そういえば、堺の血脈も聞いたことがないな。あとで聞いてみよう。

「青桐様。突然の来訪、驚きました」
 言葉と合わず、全くびっくりした表情ではない。
 龍鬼は、表情筋が死んでいるのだろうか?
 いや、紫輝はほがらかだ。龍鬼くくりは失礼だったかな?

「高槻、青桐様は剣を新調なさるのだが、確か、高槻が使っていた剣が、以前のものと近いと思い。参考にさせてもらいたいんだが」
 堺が言うと。高槻が手でうながす。

「なら、庭がいいだろう。こちらだ」
 堺が氷の精霊なら、高槻は森の精霊といった感じ。
 心がいでいるような印象だった。
 なかなか可愛い顔つきの少年に見えるが。とにかく表情がないので、なにを考えているのかわからなくて怖い。
 でも、こんなに若くて、隊長なのだから。すっごく剣の腕は立つのだろうな。

 あの、癖ツヨツヨの紫輝の上官というだけで、青桐は高槻を、なんとなく尊敬してしまった。

 門を入って、すぐ横手に、手入れされた庭があり。剣を振るなら、そこがいいということらしい。
 堺の屋敷のように、道場はなさそう。
 敷地は広いが、その中に居住部分がいくつも建っている感じ。
 大きな敷地に屋敷がデーンと建っている、幹部の屋敷とは、様相が違った。

「紫輝は、不在か?」
 青桐が問うと、高槻は『おつかいに出しています』と言った。
 紫輝が、あのせわしない感じで、あちこち回っているのを想像し、少し留飲りゅういんが下がった。

「紫輝がご入用なら、すぐにもそちらに向かわせますが? 忘れがちだが、そういえば、あれはもう、幹部なのだった。私がこき使ったら、まずかっただろうか?」
「いえ、午前中に顔を出しましたし。急ぎの用はありません。そちらもあの事件で、隊の立て直しに奔走しているのだろう? 紫輝には手の空いたときに、顔を見せるよう、伝えてください」
「すまない。猫の手も借りたいんだ」

 淡々とした高槻と堺の話を聞き。
 それで、黒猫耳の手を借りてんだ、ウケる。と、青桐は心の中で爆笑した。

「青桐様、失礼して、抜剣ばっけんします」
 高槻がスラリと剣を抜く。その剣は、一般のものより長め、幅も二倍ほどか?

「借りてもいいか?」
 聞くと、すぐにつかをこちらに向けてくる。
 持った感触は、少し重いか。しかし、振れなくはない。幅や長さは、いい感じだけど。

「堺」
 彼を呼ぶと、堺はすぐに剣を抜いた。
 堺の剣は、長さが高槻のものより半分分長く。幅は二倍。長大な剣で。愛鷹の屋敷の道場で、持たせてもらったとき、取り落しそうになるくらい、重かった。
 剣先が下がって、道場の床を引っかいてしまったのだ。幸直、すまない。

 それはともかく、青桐は、堺と打ち合いをした。
 ガンガンと、音が鳴り、火花が散る。二分ほど振り回して、青桐は剣を下ろした。

「なるほど。これでいいと、見栄を張りたいところだが。俺には少し、重いな。あと、手のひら分くらい長くしてくれ。そのように手配できるか?」
「はい。それなら、以前の仕様と変わりないかと」
 堺がうなずくのを見て、青桐は剣を高槻に返す。

 己と、顔も体格もそっくりさんの赤穂は、剣の仕様も変わらないようだ。

 つか、己より背も体格も小さいこの男が、この重い剣を振り回すとか。考えられない。
 堺の激重げきおも剣もだが。龍鬼は小さな体の中に熊が詰まっているのか?
 あ、そういえば紫輝も、馬鹿でっかい剣を背負っていたな。
 よし。龍鬼は熊説は、龍鬼くくりでもいいんじゃね? と青桐は思った。

「青桐様と堺のやり取りは、阿吽あうんの呼吸で、長年の仲間のように親しげですね。とても記憶を失ったようには見えませんよ」
 ニコリともしないが、高槻にそう言われ、青桐は少しホッとした。
 記憶喪失という情報が伝達されていて、遠巻きながら、うかがうような視線を送ってくる兵士が絶えないのだが。やはり、別人だから。赤穂とは違うんじゃないかと疑われているような気になって、少し落ち着かなかったのだ。
 長年の仲間のように見えるなら、おかしいところはない…のだろう。たぶん。

「以前のようには、まだ振舞えないかもしれないが。高槻にも力になってほしい。よろしく頼む」
 普通に返答したつもりだったのだが。高槻は膝をついて頭を垂れた。

「誠心誠意、お仕えいたします。なんなりと、お申しつけください、青桐様」
 隊長級に会ったのは、初めてだが。これほどにかしずかれたのは、使用人以外では初めてで。ビビった。

「頭をあげてくれ。そういう堅苦しいのは、性に合わない」
 言うと、高槻はスックと立ち上がり。ささやかに口角をあげた。
 笑った? なに笑い?

「紫輝から、聞いているとおりのお方だ。私が龍鬼だと、気づいていないのかと思うほどに、自然な応対をされ。気強い心持ちになりました。剣筋も素直で、人柄が表れているようですね」
 なに? あいつ、高槻になんか言ったのか?
 己の内実を知ってるのか、知らないのか。見当がつかない。
 素直だと、いいのか? 悪いのか?
 つい深読みしてしまって、頭がパンパンだ。

 屋敷の中でお茶でもどうかと誘われたが。なんか、ボロを出しそうな気がして。
 堺も、まだ忙しいと言うから。
 早々に屋敷を後にした。

 青桐が高槻の屋敷に滞在中、紫輝は帰ってこなかった。命拾いしたな、黒猫耳め。

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