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40.知っているから、知らなければならない
しおりを挟むカリカリと紙にペンを滑らせる音が響く。
今日も机に大量の書類を積んだジャッジ様は、とてつもない集中力で仕事を片付けているようだ。
ここはジャッジ様の私室。時刻は夜。
いつものようにジャッジ様の隣で手伝う僕は、次々難しそうな書類を処理していくジャッジ様に感心した。
ここ最近のジャッジ様は、なんだろうか、気迫が違うと言うのか。
とにかく僕以上に気合が入っているように見えるのだ。
「……ジャッジ様。そろそろお茶でも入れましょうか?」
「ではいつものように」
「はい」
ジャッジ様がひと息ついたのを見計らい、僕は席を立つ。
そして言われた通りに動いて温かなお茶をジャッジ様にお出しした。
今日は高級菓子のチョコレート付きだ。
「ルット・ミセラトルはチョコレートは嫌いなのですか?」
「いえ、そういうわけではありませんが……」
「ではアナタが食べなさい。私は一つでけっこうです」
「はい、ありがとうございます」
いつもは常に補充されている菓子を僕も食べているのだが、さすがに高級と分かるチョコレートまでいただくのははばかられた。
けれどずずいとチョコレートを乗せた小皿を僕の机に押しやられたので、ならばと遠慮なくいただく。
甘くとろける高級菓子が疲れた体に染み渡る。
やはりジャッジ様にこそ必要な気がしたが、さほど好きではないのだろうか。美味しいのに。
「ルット・ミセラトル」
「んぐっ……! っ、は、はい!」
美味しいチョコレートを堪能していた時に名を呼ばれたものだから、慌てて飲み込みジャッジ様に向き合う。
するとジャッジ様もしっかりこちらを向いていて、綺麗な所作でお茶を飲んでいた。
チョコレートでだらけた顔をしっかり見られていたようだ。
「リリー・ミセラトルの件ですが」
「えっ!? はっ、はい!」
ちょっとした世間話でも始まるのかと思えば、まさかの話題に姿勢を正す。
ジャッジ様からリリーの話題が出るのは初めてではないだろうか。
「あと二月ほどでアナタがたの刑期は終えますね」
「はい、おかげさまで」
「とはいえ幼い子供にとっての二月は短い物ではありません」
「はい」
「もし、アナタがた二人が望むのであれば、教会の近くに狭いですが空き家があります。ルット・ミセラトルがそちらに移れば夜はリリー・ミセラトルと過ごす事が可能です」
「はい、……はい?」
体ごと向き合って、真剣に聞いていた。
真剣に聞いていたのだが、なんだか急に話が飛躍していないか?
いや、確かにリリーの話はしていたが、空き家とは何だ。僕がそこに移るとは、何の話だ。
「日中はこれまで通り教会に預かっていただき、夜は共に家に帰る生活となります。朝はご兄妹を教会に預ける必要がありますので早朝の仕事は免除となります。食堂の朝食の準備からの仕事になるでしょう。費用などはそちらが気にする必要はありません。必要経費として落とせます」
「あ、え?」
「ルット・ミセラトルの夜の仕事は本来必要ないものです。妹のためにアナタが自主的に行っていたにすぎません。しかし無理して賃金を稼ぎ妹にプレゼントを買うより、その時間を共に過ごしたほうが彼女は喜ぶのではありませんか?」
「え……っ、と……?」
怒涛の情報に頭がパンクしそうだが、つまり、リリーにおはようとおやすみの言える生活になる?
いってきますも、ただいまも、言えるように──
「いかがですか?」
「……」
尋ねられ、リリーの泣き顔が浮かぶ。
寂しさを押し殺し、懸命に孤独に耐えていた幼い妹。
そんなリリーと、夜だけとはいえまた共に住めるのだ。
二人で家に帰り「ただいま」を言って、一緒にベッドに入って「おやすみ」と言う。
夜に泣いていれば、抱きしめてあげられる。
朝は笑顔で「おはよう」言える。
僕にとってもリリーにとっても、これ以上にない提案だ。
断る理由なんて何一つ無い。一も二もなく頷くべきだ案件だ。
けれど、どうしても引っかかる物があった。
「一つ、お聞きしたいのですが」
「何でしょう」
それをそのままにして、僕は呑気に喜ぶ事は出来なかった。
「リリーが家族と離されたのは罰のためでした。それがなぜ急に許されたのでしょうか」
「……」
合わさっていた真直ぐな視線がわずかに揺れた。
カチリとカップを触る音が響き、ジャッジ様は一口お茶を飲んで小さく息を吐いた。
「それはもちろん、ルット・ミセラトルの働きが認められたからでしょう」
そして再び視線を合わせたジャッジ様は、いつものように揺るぎない強さで僕を見る。
けれど、僕だって譲れない。
「それだけでしょうか?」
「……それだけとは?」
「ジャッジ様」
今までなら流されていただろう。逆らうなんてもってのほかなんだから。
でも今は、異を唱えてでも知りたい。いや、知らなければならないと思う。
「ジャッジ様が、また助けてくれたのではないですか?」
「……」
「お願いします。本当の事を教えてください」
知ってしまったから、だからこれからも正しく知らなければならないと思うのだ。
今まで、感謝してもしきれないほどの恩がジャッジ様にある。
けれどジャッジ様は一つも僕に言わなかった。
あれほどまでに僕を助けてくれていたのに、一つも言わなかったじゃないか。
どれほど僕に手を差し伸べてくれたのか。なのに、その過程を綺麗に隠して、ただ結果だけを伝える人だ。
それを僕はもう、知っているのだから。
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