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 小さい頃、お姫様のようになりたいと願ったことはなかっただろうか。

 きれいなドレス。
 天蓋つきの大きなベッド。
 隅々まで手入れされ指先まで輝く体。
 守ってくれる騎士。
 そして王子様からの求婚。
 それが、小さい頃に夢見たお姫様の姿だ。

 それを全て叶えたというのに、目の前に座る瞳は、不安そうに揺れている。
 私がその立場だったとしても、同じように不安だと思うし、手放しで喜べはしないだろう。
 その全てが、元にいた世界の何もかもを失った上に成り立っているから。
 そして、今の状況があまりに突飛で、夢の国の話のようだから。
 ……まあ、彼女が不安そうなのは、それだけでもないんだけれど。

「先輩……」

 その小さな呟きに、周りに立つ騎士の鋭い視線が私に向かい、そばに控える侍女も無言の圧力を与えてくる。

八重やえ様。立夏リッカ、と、お呼びください」

 私がそう答えれば、そうそれが正解だ、と言わんばかりに騎士は居住まいを正し、侍女の無言の圧力は少し和らぐ。
 私がいくら元の世界で高野八重さんの仕事上の先輩だったからって、今現在の立場の違いから、そんな呼び方は許されはしない。高野さんは王妃(予定者)、私はその王妃(予定者)を召喚したときにたまたまくっついてきた誰とも知れない不審者、で、高野さんの口添えがなければ、私は早々に城から着の身着のままでほっぽり出されていただろう。……いやもしかしたら命すらなかったかもしれない。

「……立夏、帰りたい……」

 ぼそりと呟く声に、その場にいた騎士と侍女が息をのむ。高野さんに王妃教育で鍛え直された言葉遣いが全く生かされていない。それが逆に本音だということをあらわにする。

「八重様。お気持ちはよくわかりますが、あなた様はこの世界で王妃として望まれた方。お気持ちを強く持ってくださいませ」

 私がそう励ませば、高野さんは瞳を潤ませる。
 この言葉の前半については、本心ではそんなことは思ってはいない。だけど、そうでも言わなければ、私はきっと今すぐ城の外に放り出されてしまうか、存在をなかったことにされてしまうか。今そんなことになってしまったら、高野さんを助ける手段もゼロになってしまう。だから、私は言葉を慎重に選ばないといけないのだ。ただ、後半の部分は間違いなく高野さんを励ます言葉だ。“その日が来るまで気持ちを強く持っていて欲しい”という私の希望が含まれている。そして瞳を潤ませる高野さんは、その言葉を正しく受け取っていると思っている。
 異世界から召喚された王妃がいないと、この世界は約束された平和も幸福もなくなってしまうらしい。……らしい、というのはこの500年近く、異世界から召喚された王妃を持つ王が代々途切れることなく続いていて、その平和も幸福もゆるぎないものだから、実際に異世界から召喚された王妃がいなかったらどうなるのか、誰も知らないから、らしい。
 ……これは、この世界に住む人ならだれでも知っている話で、私もこの世界に来てしまったその日に私の部屋を用意してくれた侍女が教えてくれた話だ。……この世界で不審者認定された私に渋々ではあるがその話をしてくれた侍女は、割にいい人だったと思う。この世界に来て1か月ほど経つけど、私があれ以上に会話を交わしたこの世界の人は一人もいないから。

「好きな人と結婚したいわ。……誰だってそうでしょう?」

 高野さんが力なく首を振る。

「八重様。八重様は皇太子さまに望まれているではありませんか」

 このやり取りは既に何度も繰り返している。そして、これを繰り返す高野さんが何を言いたいのか、ようやく昨日思い至った。察しの悪い先輩ですまないと心の中で謝って、今日こそは高野さんが出すヒントを見落とさないようにしようと決めたのだ。

「……そうかしら」

 高野さんは外に顔を向ける。その途中で、一瞬だけ一人の侍女に視線を止めた。
 私も一緒に視線を外に向けるふりをして、その侍女の顔を流し見る。
 ……あれは、高野さんの世話係で一番関りがある侍女のような気がするけど……。驚きの気持ちは、10年を超えた仕事のスキルでこの場にいる騎士や侍女には気取らすことはなかったと思う。私の仕事はポーカーフェイスも大事だったから。

「そうですよ」
「本当に?」

 高野さんと目が合う。いつもなら私は曖昧に笑って済ませるのだ。なぜなら、この世界に来てから皇太子に会ったのは最初の日の一度きりだから。皇太子が何を考えているかなんて、私が知るはずもないから。

「八重様を見ていればわかります」

 私の返事に、高野さんがほっと息をつく。
 私だってほっとした。高野さんに私が意図を汲んだということがきちんと伝わったということがわかって。

 でも、高野さんが私に伝えたかった内容は、とても安心していい内容ではない。

 王妃として召喚され元の世界の何もかもを捨てざるを得なかった高野さん。その高野さんを妻に迎える皇太子。そして、その皇太子が愛をささやく侍女。
 昨日気づいたのは、皇太子がどうやら誰かを愛しているらしい、ということだった。“好きな人と結婚したいわ。……誰だってそうでしょう?”という高野さんに毎日のように繰り返されるフレーズは、飲み会でも“好きな相手がいなくって”と嘆いていた高野さんの口から出てくるその言葉は、普通に23歳の女の子として、という意味なのだと思っていた。だけど、さすがに同じやり取りが1週間も繰り返されると、意味を考えたくもなる。……暇だから考える時間も膨大にあるわけだし。高野さんと会える時間は1日1時間だけ。残りの時間は、与えられた部屋で軟禁されている。考える時間はいくらでもあるわけだ。
 そうしてようやくそこに思い至ったのが昨日だった、というわけだ。

 ……もしかして、この国の王妃って、お飾り王妃なの? でも確か、王妃の血を継いだものしか王にはなれないと、初日に声高になんとか大臣みたいな人が言っていた。だから、致すことは致すのだろう。……でも、側室は持っていいってこと?
 そう思い至ったときの嫌悪感と言ったらなかった。

 この世界の都合で王妃(予定者)を呼び出してその王妃(予定者)の人生を狂わせておいて、この世界のために王妃になれと言い、王妃として慈しむべき相手が、実は本命が他にいてその本命に愛を囁くのだとしたら……心底最低だ。
 だから私は、高野さんを連れて元の世界に絶対戻ってやると決めたのだ。

 ただ、この世界に来た時から、この王城の中とか外の景色にデジャブを感じているのが、少々気になってはいる。でも、どう考えても皇太子より10才上で皇太子の結婚相手になりそうにないモブには、この異世界は無関係だと思うので、気にしないことにしている。
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