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騎士の声が聞こえてこないことを考えれば、騎士にはまだ気づかれていない。だから、気づかれる前に元の道に戻れればセーフだと思うのだ。
「何を見た」
高野さんの部屋にいるときにしか向けられることのない殺気を、背中から感じる。いや、むしろ高野さんの部屋で向けられる殺気などかわいいと思えるぐらいの殺気だ。
ギギギ、と音がしそうな気分で首を後ろに向ける。
ああこの人ならこれくらいの殺気は放てそうだと思えるような身長の高い筋肉で引き締まった男性が立っていた。先ほどの騎士よりもよほど騎士らしいだろう。
殺気が怖すぎて顔は見れない。
「何を見たと聞いている」
何が正解か、緊張した頭で考える。下手な答えを出せば、きっと私の命はない、と思えるぐらいの殺気だ。
「……何も」
人間嘘つくときは目を見れないと言うから、逆に目を見る。
初めてしっかりと見たこの世界の人間の目は、夜のような暗い青だった。きっと、タイミングが違うときにこの人と会っていたとしたら、目の保養にちょうどいいと思っただろう整った顔だ。
殺気がなければ。
「……そうだ、何も見てないな」
殺気を放ったまま、その男性が頷く。……どうやら見てないことにして正解だったようだ。
「はい」
ほっとして視線を落とす。もちろん、ほっとしたことは気取られないようにする。
「お前は誰だ」
「……名乗るようなものではございません」
なぜ一介の使用人の格好をした女の名前を聞こうとするのか。私がこの世界に来たときに来ていた服は害をなす恐れがあるとこの城の使用人のお仕着せを与えられている。
……それはまだ疑いが晴れていないから、かな。だって、まだ殺気は放たれたままだから。
嫌だ嫌だ。目をつけられたら困る。だってこの人、絶対人殺せちゃう!
「リッカ! リッカ! リッカ! リッカ! リッカ!」
私が向かおうとしていた道の先で、怒鳴り散らす声が聞こえる。
まずい。あっちの騎士の方にもいないのばれた。
全くもって何もいいことが起こらなさそうな状況に、どっちかが解決できないか考えてみるけど、もう今の状況じゃなるようにしかならないとしか思えない。
脱力して肩を落とすと、肩に手が置かれた。ただでさえ丸まった肩にその男性の力がみしりと食い込む。……痛いよ。許してよ。ぼーっとしてただけなのに。
「リッカ、というのがお前か」
「……はい」
あの騎士が私を探し回っているんだから、もう逃げようがない。
「そうか。お前が王妃のおまけか」
……王妃のおまけ。どうやら私の呼び名はこの城ではそうなっているらしい。初めて聞いた。でも、そう言った後、その男性の殺気は和らいだから、王妃のおまけで良かったのかも。
「はい」
「どうしてこの道に入ってきた」
「ぼーっとしていて間違って入ってしまったようです。申し訳ありません。何も害をなすつもりはありませんが、これは私の至らなさによるものです」
「あの騎士が探しているが?」
「本当にわざと道を間違えたわけではないのです。いつも通っている道だったので気が抜けてしまっていてぼーっとしている間にこの道に来てしまったようです」
「騎士は一人だけか」
「はい。八重様の部屋から私の部屋に向かうまでの先導をしてくださる騎士様が一人だけついてくださいます」
「……嘘はないか」
「ありません」
これは嘘は何もない。だからまっすぐに男性を見た。
「……わかった。行こう」
私は肩をつかまれて回れ右させられると、まだ狂ったように私の名前を叫ぶ騎士のもとへ向かう。……その男性と一緒に。
「リッカ! リッカ! リッカ」
「あの……」
半狂乱になっているようにも見えるその騎士の背中をたたく。
「お前!」
振り向いた騎士の目は本当に怒り狂っていて、視線だけで人を殺せるのなら、私はきっと殺されただろう。ひゅっと上がった腕に、何が怒るのか予想できて、身を守るために首をすくめる。
でも、その手が振り下ろされることはなかった。
恐る恐る目を開けると、私の目の前で驚愕した様子の騎士が、先ほどの男性に腕をつかまれて固まっていた。
「王弟殿下、私は、そのう、このものの不手際を叱っただけです」
絞り出すようにその騎士から出された声は、私をも驚かす内容だった。
王弟殿下。
現王の弟。……にしては、若い。王弟殿下の年はわからないけど、年の離れた兄弟なんだな、とだけは思う。この世界に転移してきた初日に会った王は50を超えていた。大体王になるのは25の誕生日で、その子供が25になるときに王位を継承するのだというのだから、計算上間違ってはいない。でも、この王弟殿下は、50くらいにはまったく見えない。私よりも上だろうけど、何だろう、肌の感じが若いというか。ピチピチ、という感じはないけど、40超えてるか、と言われるとちょっと違う気がする、みたいな。まあ、世の中には50を超えても若い人はいるから、その類なのかもしれないけど。
「だからと言って、この者を処罰する権利がそなたにあるとは思えぬが。この者がこの道に入ってきてしばらくたっているが、どうして今頃気づいたのだ」
騎士が真っ青になってぶるぶると震えている。
「そのものが、私めをだまして……」
うわ。言うことに事欠いて濡れ衣とか、勘弁して。しかも、誰も私の言うことなんて信じる必要もないんだから、これ詰んだ?
「騎士道精神のかけらもない言い訳だな。もういい、この者は私が送っていく。追って処罰は通達する」
「王弟殿下!」
「何だ、まだ言い訳があるのか。この者から目を離したという事実は事実であろう」
確かにそれについては言い逃れができないために、その騎士はがっくりとうなだれると、ようやく王家に対する礼をとる。……うーん、ご愁傷様?
「ほら、行くぞ」
果たして私の問題行動がこの王弟殿下にどう取られたかはわからないけど、殺気は感じないから些末なことと処理されたのかもしれない。
「ええっと、ありがとうございました」
「礼を言われる必要はない。それに、お前の罪についてはまだ保留中だ」
……そうか、そうだったのか。まだ水には流してもらえないのか。
あの左麻痺の人を見たことが、どうやら私の罪らしいと気付いて、心の中でため息をつく。
ぼんやりするんじゃなかった。
窓の外なんて見るんじゃなかった。
「何を見た」
高野さんの部屋にいるときにしか向けられることのない殺気を、背中から感じる。いや、むしろ高野さんの部屋で向けられる殺気などかわいいと思えるぐらいの殺気だ。
ギギギ、と音がしそうな気分で首を後ろに向ける。
ああこの人ならこれくらいの殺気は放てそうだと思えるような身長の高い筋肉で引き締まった男性が立っていた。先ほどの騎士よりもよほど騎士らしいだろう。
殺気が怖すぎて顔は見れない。
「何を見たと聞いている」
何が正解か、緊張した頭で考える。下手な答えを出せば、きっと私の命はない、と思えるぐらいの殺気だ。
「……何も」
人間嘘つくときは目を見れないと言うから、逆に目を見る。
初めてしっかりと見たこの世界の人間の目は、夜のような暗い青だった。きっと、タイミングが違うときにこの人と会っていたとしたら、目の保養にちょうどいいと思っただろう整った顔だ。
殺気がなければ。
「……そうだ、何も見てないな」
殺気を放ったまま、その男性が頷く。……どうやら見てないことにして正解だったようだ。
「はい」
ほっとして視線を落とす。もちろん、ほっとしたことは気取られないようにする。
「お前は誰だ」
「……名乗るようなものではございません」
なぜ一介の使用人の格好をした女の名前を聞こうとするのか。私がこの世界に来たときに来ていた服は害をなす恐れがあるとこの城の使用人のお仕着せを与えられている。
……それはまだ疑いが晴れていないから、かな。だって、まだ殺気は放たれたままだから。
嫌だ嫌だ。目をつけられたら困る。だってこの人、絶対人殺せちゃう!
「リッカ! リッカ! リッカ! リッカ! リッカ!」
私が向かおうとしていた道の先で、怒鳴り散らす声が聞こえる。
まずい。あっちの騎士の方にもいないのばれた。
全くもって何もいいことが起こらなさそうな状況に、どっちかが解決できないか考えてみるけど、もう今の状況じゃなるようにしかならないとしか思えない。
脱力して肩を落とすと、肩に手が置かれた。ただでさえ丸まった肩にその男性の力がみしりと食い込む。……痛いよ。許してよ。ぼーっとしてただけなのに。
「リッカ、というのがお前か」
「……はい」
あの騎士が私を探し回っているんだから、もう逃げようがない。
「そうか。お前が王妃のおまけか」
……王妃のおまけ。どうやら私の呼び名はこの城ではそうなっているらしい。初めて聞いた。でも、そう言った後、その男性の殺気は和らいだから、王妃のおまけで良かったのかも。
「はい」
「どうしてこの道に入ってきた」
「ぼーっとしていて間違って入ってしまったようです。申し訳ありません。何も害をなすつもりはありませんが、これは私の至らなさによるものです」
「あの騎士が探しているが?」
「本当にわざと道を間違えたわけではないのです。いつも通っている道だったので気が抜けてしまっていてぼーっとしている間にこの道に来てしまったようです」
「騎士は一人だけか」
「はい。八重様の部屋から私の部屋に向かうまでの先導をしてくださる騎士様が一人だけついてくださいます」
「……嘘はないか」
「ありません」
これは嘘は何もない。だからまっすぐに男性を見た。
「……わかった。行こう」
私は肩をつかまれて回れ右させられると、まだ狂ったように私の名前を叫ぶ騎士のもとへ向かう。……その男性と一緒に。
「リッカ! リッカ! リッカ」
「あの……」
半狂乱になっているようにも見えるその騎士の背中をたたく。
「お前!」
振り向いた騎士の目は本当に怒り狂っていて、視線だけで人を殺せるのなら、私はきっと殺されただろう。ひゅっと上がった腕に、何が怒るのか予想できて、身を守るために首をすくめる。
でも、その手が振り下ろされることはなかった。
恐る恐る目を開けると、私の目の前で驚愕した様子の騎士が、先ほどの男性に腕をつかまれて固まっていた。
「王弟殿下、私は、そのう、このものの不手際を叱っただけです」
絞り出すようにその騎士から出された声は、私をも驚かす内容だった。
王弟殿下。
現王の弟。……にしては、若い。王弟殿下の年はわからないけど、年の離れた兄弟なんだな、とだけは思う。この世界に転移してきた初日に会った王は50を超えていた。大体王になるのは25の誕生日で、その子供が25になるときに王位を継承するのだというのだから、計算上間違ってはいない。でも、この王弟殿下は、50くらいにはまったく見えない。私よりも上だろうけど、何だろう、肌の感じが若いというか。ピチピチ、という感じはないけど、40超えてるか、と言われるとちょっと違う気がする、みたいな。まあ、世の中には50を超えても若い人はいるから、その類なのかもしれないけど。
「だからと言って、この者を処罰する権利がそなたにあるとは思えぬが。この者がこの道に入ってきてしばらくたっているが、どうして今頃気づいたのだ」
騎士が真っ青になってぶるぶると震えている。
「そのものが、私めをだまして……」
うわ。言うことに事欠いて濡れ衣とか、勘弁して。しかも、誰も私の言うことなんて信じる必要もないんだから、これ詰んだ?
「騎士道精神のかけらもない言い訳だな。もういい、この者は私が送っていく。追って処罰は通達する」
「王弟殿下!」
「何だ、まだ言い訳があるのか。この者から目を離したという事実は事実であろう」
確かにそれについては言い逃れができないために、その騎士はがっくりとうなだれると、ようやく王家に対する礼をとる。……うーん、ご愁傷様?
「ほら、行くぞ」
果たして私の問題行動がこの王弟殿下にどう取られたかはわからないけど、殺気は感じないから些末なことと処理されたのかもしれない。
「ええっと、ありがとうございました」
「礼を言われる必要はない。それに、お前の罪についてはまだ保留中だ」
……そうか、そうだったのか。まだ水には流してもらえないのか。
あの左麻痺の人を見たことが、どうやら私の罪らしいと気付いて、心の中でため息をつく。
ぼんやりするんじゃなかった。
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