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「弟と会いたいというのは、生きている弟に会いたいということか」
「ええ」

 どうしてそんなことを尋ねるのかはよくわからなかったけど、嘘をつく必要は感じない。

「どうして、弟に対して罪悪感を持っている」

 どうしてそれを? 自分でも動揺してしまったのがわかる。

「……きっと、兄弟げんかした時のことを夢に見ているんだと思います」
「なぜ、自分の母親に対して許しを請う?」
「……きっと、みんなに怒られた夢でも見てるんでしょうね。」

 次に父のことでも言われるかと思って伏線を張っておく。

「どうして毎回、いなくなった家族の名前を呼んでうなされているんだ」

 どうして。毎回。
 ……そうか。何度かうなされているのを見られているから。

「どうしてなんでしょうね」

 その答えは、既に持っている。だけど、もう彼らが存在しない以上、その答え合わせをすることも、忘れてしまうことも、どちらもできずにいる。
 だから、私は毎晩、後悔の気持ちと、母にかけられた呪いに、うなされる。
 もう10年経った。まだ10年、なのか。私はいつまで消化できずにいるのか……いや、その実は、消化したくないのかもしれない。
 弟がいたという事実を、否定することになりそうな気がして。

 マシュー様の手が、私の頬に延びてくる。私は、それをよけなかった。……いや、今はよけたくなかったのかもしれない。誰かにすがってしまいたい気持ちは、いつもある。

「そんな顔をするな」
「……どんな顔ですか」

 ゆっくりとマシュー様の手をはがすと、ニコリと笑って見せる。
 心の奥底にあるものを見せてはいけない。
 そんなことしたら、もう抜け出せなくなりそうだから。
 マシュー様の手を最初からよけなかったのは、気の迷いだ。

「傷ついた顔で笑うな」

 ああ、この人は、どこまで私を好きにならせたら気が済むんだろうか。
 ……こんなに優しい人が、この世界の“平和と幸福”を壊すために生まれてきただなんて、ありえるわけがない。

「家族がいなくなったのを思い出すのはつらいので、もうこの話はやめましょう」

 私が傷ついているように見えるのは、“家族がなくなってしまっているから”だと思ってほしかった。

「……そうか。そうだな。すまん。お前の傷をえぐるつもりはなかったんだが」

 私の希望通りの反応をしてくれて、ほっとする。きっともう、この話題は出ることはないだろう。

「もう夜も遅いのでしょう? マシュー様も眠ってください。寝不足になると仕事に差しさわりがありますから」
「……そうだな。また、明日」
「……はい。おやすみなさい」

 その明日、が朝からの襲撃を指すのか、マシュー様のお母様とのリハビリの時間を指すのかはわからなかったけれど、できるだけ早く部屋から出て行ってほしかったから、素直に返事をした。

「いい夢を見られるといいんだが」

 マシュー様が私の頭を撫でて、部屋を後にする。
 ドアが閉まったのを確認して、脱力する。

「いい夢を、か」

 もう10年もうなされていると、いい夢がどんな夢だったのか、想像もつかない。
 それが、マシュー様と二人、穏やかに過ごす夢だったら、確かにいい夢かもしれないと思って、ありえないことに自分で苦笑してしまう。
 夢でまで自分の気持ちを募らせてどうするのだ。
 私は、元の世界に帰ってしまうつもりでいるのに。この世界に混乱を残して。その混乱した世界にマシュー様を残して。
 もしこの世界に残ることになってしまっても、私だけが幸せに暮らすことはできない。それが、高野さんの犠牲の上に成り立ってしまっているから。
 ……ああ、やっぱり私は“災い”なのかもしれない。
 元の世界に戻るとしても、この世界に残ることになっても、どちらもがハッピーエンドになる方法はありえない。

 ……ねぇ、お母さん。私はやっぱり、あなたの言う通り、“災い”を呼ぶ人間なんですね。
 私がいるだけで災いが起こるって言われたこと、信じたくはなかったけど、あなたたちがいなくなってしまった後、私は誰かを災いに巻き込むのが怖くて、あの家を売って知らない土地に移って、友達たちとも疎遠になりました。年賀状のやり取りだけはまだ残っているけど、友達たちは皆幸せに暮らしているみたいです。

 知らない土地で仕事をして、誰とも深い仲にならないように気を付けながら過ごしていたから、きっとずっと誰も災いに巻き込まれてなかったんだと思います。でも、初めてできた後輩がかわいくて手をかけてたから、高野さんは意にそわぬこの世界へ召喚されてしまったんでしょうね。私の存在がなければ、案外幸せにこの世界で暮らしていたかもしれませんしね。
 私が好きになってしまったから、私がこの世界に来てしまったことでマシュー様を更に苦しめることにもなってしまったんでしょうね。
 あなたの予言は、10年経った今でも有効ですね。

 だとすると、もう一つの予言も現実になるのでしょうか。
 ……いえ、現実にならないように、また気をつけますから。
 私が好きになる人は不幸になる、でしたね?
 大丈夫です。 あなたの予言……いえ、呪いの言葉は、一つだけで十分です。
 私が誰とも深い仲にならないようにしますから、それだけで満足してください。
 死んで10年経っても、その呪いを発動し続けないでください。お願いします、お母さん。
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