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新居への入居

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「9時12分、アリスがカギを鍵穴に刺した」

 いつものトーンのハースに、アリスは苦笑する。

「9時13分、アリスがカギを開けて、ドアを開けた」
「9時13分、アリスが振り返って困った顔をする」

 アリスはハースの言葉通り、振り返ってハースを困った顔で見ていた。

「ハース」
「何だい、アリス?」

 メモをする手を止めたハースに、アリスが首を横に振った。

「9時14分、アリスが……」

 あ、とハースの声が漏れた。
 ハースの手にあった手帳は、アリスに奪われたからだ。

「もういらないと思うんだけど?」
「どうして!?」

 ハースが唖然とした表情のまま、アリスの手にある手帳を見つめる。

「だって、これからのこと、いちいちメモ取る必要って、ある?」
「ある!」

 ハースは即座に、勢い良く頷いた。
 アリスがパチパチと瞬きをする。

「だって……これから、二人の生活が始まるのに?」

 アリスがカギを刺したのは、学院を卒業した二人の、新居のドアだ。

「だからだよ!」
「だから?」
「二人の愛の巣での生活を、一つも漏らさず記録したい!」

 ハースの言葉に、アリスはため息をつく。

「ねえ、ハース。学院でのことは、メルルさん対策だった、ってことで……納得したわ。でも、これから、メルルさんは関係ないでしょ?」

 アリスの言葉に、ハースがうつむく。

「ハースが私のために、メモを取り続けてくれたのはありがたいと思うし、それで助かったんだと思うんだけど……、もう必要ないと思うの」
「いや、ある!」

 顔を上げたハースは、力強く告げた。

「ないわ」

 アリスは一歩も引かなかった。

「ある! アリスのことを、記録し続けたいんだ! 今までも、これからも! アリスとの貴重な時間を、記録して残していきたいんだ! だって……それは、幸せの記録だから!」

 アリスの手を握ってアリスの目を見ながら熱心に告げるハースに、アリスの顔が赤らむ。

「確かに、幸せな時間の積み重ねになるんだと思うんだけど……」

 ハースのアリスの手を握る力が強まる。

「だからこそ、残しておきたいんだ! アリス、いいよね?」
「だからこそ、ハースにメモじゃなくて、きちんと私をまっすぐ見てほしいんだけど……」
「……え?」

 ハースが目を見開くと、逆にアリスは目を伏せる。

「ハースの視線は、いつもいつも、私とメモを行ったり来たりしてて……ずっと私を見てるわけじゃないわ」

  ハースの手から、ポトリ、とペンが地面に落ちた。

「え……いや……そんなはずは……」
「ハースがメモを取ってるとき、私が一瞬だけ浮かべた表情を、見逃さなかったって、言えるかしら?」
「見逃してはないよ! アリスの気配はいつも100%で感じてるから!」
「嘘よ」
「嘘じゃない!」

 ハースの表情は必死だ。
 だが、アリスは哀しそうな瞳でハースを見つめる。

「ハースが万能なのは知ってるわ。だけど、神様じゃないのよ? すべてのことをできるわけじゃないでしょう?」
「それは……アリスのためなら、神様にだってなってみせるさ!」

 力強く言い切るハースに、アリスが首を横に振る。

「そんなの無理よ。……それに、神様になったら、私と結婚なんてできないんじゃないかしら?」
「いや、する! 神様の名において、アリスと絶対結婚する! 邪魔するやつは、皆、神様の名において排除するし、アリスがいつも笑っていられるように、アリスを悲しませるやつも、皆、神様の名において排除する!」

 言い切ったハースに、アリスは首を横に振る。

「だったら、今、私を哀しませてるハースも、排除されちゃうのかしら?」
「そんなことしない!」
「だって……、私はもうメモなんていらないって思ってるのに、ハースは、私をずっと見るより、メモを見つめていたいんでしょう?」
「そんなことない! アリスをずっと見つめていたいさ!」

 ハースがアリスをギュッと抱きしめる。
 
「じゃあ、もうメモはいらないわよね?」

 アリスの質問に、ハースがグッと息をのむ。
 
「私を哀しませてるハースは、神様じゃないと思うわ」

 アリスの言葉に、ハースが小さく息を吐く。
 
「わかったよ。もう、メモは取らない」

 アリスが抱きしめられたまま、ハースを見上げる。

「本当?」
「ああ……本当だよ」
「私のことを、見ててくれるの?」
「ああ」

 ハースが頷いて、愛おしそうにアリスの頬を撫でると、アリスがそっと目を閉じた。
 ハースはアリスのかわいらしい唇に、自分の唇を寄せる。

 *

 そこまでハースは考えて、ニヤリと笑う。
 これはいい、シナリオだ。
 もうメモはやめていいとは思っているけれど、ハースはメモをやめるタイミングを、すでに失ってしまっている。
 何年も続けてきた癖だから、ということはある。
 だが、辞める大義名分がないせいだ、と思いいたる。だから、辞める大義名分が必要だと思った。

 それで、ハースは、辞めるためのシチュエーションを考えてみた。
 それが、今のシーンだ。
 控えめに言っても、最高だ。
 だって、アリスが、自分のことをもっと見てほしいとねだるのだ。
 それ以上の殺し文句はないだろう。

 ハースはいそいそとシナリオを書き起こす。
 これをアリスに渡して、新居に入るときにやってもらわないと。

 ハースは力強く頷いた。
 アリスが嫌がっても、絶対一言一句欠けずに言ってもらおうと。
 そうでなければ、ハースはメモを辞められる気がしない、と言ってしまおうと決める。
 
 願わくば、ハースのシナリオ以上のセリフをアリスの口から聞きたいものだ。
 だが、それが高望みだと、ハースだって理解している。
 だからこそ、アリスのセリフを厳選せねば! とハースはますますシナリオ作りに没頭した。

 分厚い台本を渡されたアリスが呆れるのは、あと少し。
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