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第20話 親指

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 平良さんは、本当に執事さんだったらしい。
 お粥が物凄く美味しくて、思わずホワイトボードに『コックさんみたい!』って書いたら、イギリスの執事学校で、簡単な調理も学んだと話してくれた。
 三食、美味しくて滋養のあるものを作ってくれて、合間にお医者さんも呼んでくれて、薬を飲んでうとうととする。

 次の朝も慶二は電話をかけてきてくれ、最後に「愛してる」って言ってくれた。
 ちょっと咳き込んだけど、この日は「僕も」って伝える事が出来た。

 そして今日の夜、慶二が帰ってくる。
 僕は満面の笑顔で、平良さんにある提案をした。

    *    *    *

「ただいま、あゆ……」

「おかえり!」

 僕は待ち構えていて、慶二の逞しい胸に、飛び込むように思いっきり抱き付いた。
 風邪で喉はまだ痛かったけど、喘息の発作は引いていた。

「歩……歩」

 驚きから、喜びに語調が変わる。
 肉厚の掌で頬を包み込まれ、チュッと唇が触れ合った。

「んんっ!」

 深くなりそうな口付けに、僕は慌ててカウンターキッチンを指差して、真っ赤になる。
 
「お帰りなさいませ、慶二様。ご安心ください、歩様。見ておりません、ご存分に」

 平良さんは涼しい声で言って、深々と頭を下げ続ける。
 ご存分に、って……!
 慶二が僕をハグし返し、一つ咳払いして、カウンターキッチンの中に立つ平良さんに声をかけた。

「いい。頭を上げろ、平良」

「は。お邪魔致します」

「これは……平良が作ったのか?」

 ダイニングテーブルに並ぶお皿を見て、慶二が不思議そうな声を出す。

「私が少々お手伝いして、歩様がお作りになられました。歩様は、お独り暮らしをなさっていたので、料理がお得意だそうです」

「歩が作ったのか?」

「うん」

 手を握って、慶二をダイニングテーブルに導く。
 倚子を引いてエスコートしようとしたけど、慶二は目元で微笑んで、僕の頭をポンポンと撫でた。
 逆にお姫様にするみたいに掌を下から握られ、向かいの席にエスコートされて、倚子が引かれる。

「さあ、歩」

「あ、ありがと、慶二」

 僕はそんなの慣れてないから、ちょっと照れながら座る。
 平良さんと何回練習しても、僕はあんまり上手くタイミングを合わせられなかったけど、慶二はスマートにエスコートしてくれた。

 慶二に心配かけた分、労ってあげたかったんだけど……敵わないな。
 慶二の倚子は、平良さんが引いて座る。

 ダイニングテーブルの上には、チャーハンとフカヒレスープと、餃子が小山になっていた。
 フカヒレスープなんて食べた事なかったから、平良さんに作り方を訊いたけど、チャーハンと餃子は殆ど家で作ってたものだ。材料は高級だけど。

「凄いな、歩……」

「平良さんに訊いたら、慶二は餃子が好きだって言うから……本場の味じゃなくて、僕なりの作り方だけどね。こういうリサーチは良いでしょ?」

「ああ。歩の手料理が食べられるなんて、思ってもいなかった。食べても良いか?」

「うん。どうぞ」

 平良さんに訊いたら、慶二は殆ど外食かデリバリー、面倒な時は高級冷凍食品をチンして食べてると言っていた。
 だからか、平凡なチャーハンに餃子だけど、慶二は目を輝かせて口に運ぶ。
 平良さんが餃子の為に用意してくれたのは、お醤油とお酢とラー油じゃなくて、香醋(こうず)という、中国のお酢だった。本場では、お酢だけで食べるんだって。

「美味い!」

「ふふ、良かった」

 食事の時もお上品な慶二が、子供みたいに餃子をパクつくのを見て、僕は嬉しくなる。
 口が肥えてるだろうから、合わなかったらどうしようと思ったけど、平良さんが「愛情という隠し味が、何よりも美味しい筈でございます」なんて言うから、心だけは込めて作った。

 僕もいただきます、と呟いて餃子を食べる。
 うん、我ながら美味しいな。
 ニンニクは抜きにした。何故って……。そこまで考えて、僕は頬が火照るのを感じる。

「小鳥遊では、専属のシェフを雇ってる奴も多いんだ。だけど俺はもっぱら外食だから、手作りなんて、子供の時以来、初めて食べるな」

「そうなんだ」

 平良さんが見守る中、僕らは色んなことを話しながら食事した。

 何も考えずに「コアラ居た?」って訊く僕に、「それはオーストラリアだ、俺が行ったのはオーストリア」って、慶二が噴き出す。
 オーストリアの実業家と商談をしたんだけど、その人の髪型が七三ならぬ九一で、笑いを堪えるのが大変だったとか、小鳥遊は代々禿げないから安心しろだとか、禿げても大丈夫だよとか、他愛もないことを話す。

 あと、慶二も、小さい頃お母さんを病気で亡くしているんだって。
 だから、手作りが初めてなんだ。僕がいっぱい作ってあげよう。
 
 五十個余り作った餃子を、二人でペロリと平らげてしまった。
 大部分を食べた慶二が、ちょっと心配になる。

「慶二、胃薬飲む? 無理してない?」

「してない。美味かった、歩。ありがとう、フライト疲れが吹き飛んだ」

 慶二が箸を置くと、すかさず平良さんが片付けてくれる。
 バリスタみたいな濃い茶色のエプロンをして、手早く二人分の皿を洗ってくれた。

「オーストリアって、何時間ぐらいかかるんだっけ?」

「フライトだけで、約十二時間だ」

「うわ。大変」

 海外に行った事のない僕は、驚きの声を上げる。

「なに、慣れてるし、機内ではたっぷり睡眠をとったからな。体調は万全、だ」

 万全、に力が込められる。
 そう言えば僕、えっちは慶二の体調が万全な時だけ、とか言った気がする……。
 僕はまた俯いて赤くなった。

「それでは慶二様、歩様、失礼致します。おやすみなさいませ」

「ああ。ご苦労、平良」

 平良さんが自動ドアの向こうに消えると、ソファで僕の肩を抱いて寛いでた慶二は、途端にキスしてきた。
 良かった。ニンニク抜いておいて。

「歩……今すぐ抱きたい」

 唇を触れさせながら、熱っぽく囁かれて、僕はクラクラしちゃう。
 慶二の声、ホントにセクシー。
 でも僕は口付けが深くなる前に、逞しい胸に腕を突っ張って、身を離した。

「駄目……慶二。僕、風邪引いてるんだよ。うつっちゃう。風邪を引く暇もないんでしょ?」

「そうか。無理させる訳にはいかないな。じゃあ……イチャイチャするだけなら良いか?」

「イ、イチャイチャって?」

「ベッドでイチャイチャ、だ」

「わっ」

 急に軽く抱き上げられて、僕はビックリして慶二の首根っこにしがみつく。そのまま僕の部屋に入って、セミダブルのベッドに下ろされた。
 慶二が僕を腕の中に閉じ込め、顔中にキスをする。
 風邪をうつしちゃいけないと思って、唇を引き結んでいたら、唇以外のあらゆるところにキスされた。
 額、こめかみ、鼻筋、鼻の頭、頬、顎、喉仏……。

「ん……んん……」

 気持ち良過ぎて、強請(ねだ)るような声が上がっちゃう。
 靴と靴下を丁寧に脱がされると、ふと慶二の動きが止まった。

「足……どうした。歩」

「あ」

 親指には、包帯が巻いてある。

「僕、そそっかしいから……牛乳瓶、割っちゃって。踏んじゃったんだ」

「酷いのか?」

「ううん。ちょっとした傷だけど、平良さんが、慶二の留守中に僕に傷をつけたとあっては……って、お医者さんに包帯巻いて貰ったんだ。もう、殆ど治ってる」

「そうか。心配させるな。傷を看るぞ」

「看るほどでもないよ。ホントにもう、治りかけ」

 でも慶二はテープを外して、包帯を解いていく。ガーゼにはもう血はついてなくて、そこはもうかさぶたになってるのが窺い知れた。

「ね? 大丈夫でしょ?」

 踵を持って、注意深く親指の裏を見ていた慶二は、思いも寄らなかった行動に出た。
 
「ふぇっ!?」

 足の親指を、スッポリと口内に収めて舌を使う。勿論初めての経験だったけど……何これ、気持ち、いい……。

「んっ・ヤ・駄目……汚いよ、慶二」

 窘めている筈なのに、声が裏返っちゃう。
 舌が傷口をチロチロ舐めると、そこは酷く敏感で身体が跳ねた。

「駄目、だったらぁっ」

 指の股にも舌が這う。

「ひゃんっ・ん・んっ」

 爪先から快感がじわじわと這い上がってきて、無意識に腰が揺れてしまう。

「やぁん、馬鹿ぁ……っ」

 そんなアブノーマルな接触に感じていることが恥ずかしくて、慶二を責める言葉が口を突く。

「あっ!?」

 その快感に翻弄されている内に、気付いたらセーターはたくし上げられ、ジーンズは膝辺りまで下着ごと下ろされていた。
 慶二の手が、芯を持って赤く熟れた分身にかかって、ゆるゆると扱く。

「アッ・んや・やぁっ」

 初めて与えられる愛しい人からの悦(えつ)に、僕はあっという間に暴発した。勢いよく、薄い腹筋に白濁が散る。

「んぁ・あぁぁあん――っ……!!」

 自分でもビックリするくらい、激しく高い声が上がっちゃう。思わず片手で自分の口を塞ぐと、慶二がその手の上に口付けた。

「大丈夫だ、歩。ワンフロア全部、俺の部屋だ。誰にも聞かれることはない」

「ン……はぁ……はぁ……」

 僕は額に汗を滲ませて、息と鼓動が収まるのを待つ。

「愛してる。歩。風呂……一緒に入るか?」

 ヘッドボードのティッシュを引き出して、僕が出したものを拭きながら、何でもないことのように慶二が言った。
 え、そんなの、恥ずかしい……。
 僕は長めの丈のセーターを下に引っ張って、何とか分身を隠し、ふるふると長い前髪の奥で首を横に振る。

「そうか。恥ずかしいか? 歩は綺麗だから、ちっとも恥ずかしくないぞ? その内慣れて、一緒に入ろうな」

 慶二はそう言ったけど、すぐに自分の部屋には戻らずに、しばらく僕を抱き締めて頬にキスをしたりしていた。
 恥ずかしかったけど、心は炭酸みたいにシュワシュワと弾けるようにして、何とも言えない幸せな心地なのだった。
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