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第3章 摩天楼の天使

地下三層の住人

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「プラチナ。ラドが何分遅刻したか、計算して頂戴」

「十八分二十三秒です」

「アタシは、十分前から待ってたのヨ! 十分前行動! 徹底して頂戴」

「まあまあ。悪かったよ。そのネイル、綺麗だな」

 頭から湯気が出るかと思うほど怒っていたマリリンだが、ラドラムが、華やかな南国に似合うとりどりの原色のネイルを誉めると、途端に相好を崩した。

「アラ。分かる? 今ヒューリで流行ってる、最新ネイルなのヨ」

 ラドラムは分かりやすいおべっかだったが、ロディは女心をくすぐる台詞を並べてみせた。

「新しいワンピースの柄とも合わせてるよな? それに、髪も少し染めただろ。よく似合ってるぜ、マリリン」

「アラ、ありがと、ロディ。アンタ、意外と気が付くのネ」

 ロディも五分ほど遅刻したが、これでいっぺんにマリリンの機嫌はよくなった。
 女と見れば雌猫でも口説くロディの、特技の一つがこれだった。
 ラドラムとロディは瞳を見交わして、共犯者の色で口角を上げる。

「あ~、怒ったら余計お腹が空いちゃったワ。早く行きマショ!」

 一行は、朱色に塗られた門をくぐり、惑星ヒューリの観光名所にもなっている、広大なチャイナタウンに入っていった。
 店は、マリリンが決めた。大昔のチャイナスタイルで、回るテーブルの上に、大皿が幾品も並ぶ。
 プラチナとキトゥンは食べない、あるいは食べられないが、共にテーブルを囲んで、賑やかなランチとなった。

「で? ナンパは出来たのか、ロディ」

「それがよ、守備よくいってると思ってしっぽり飲んでたら、旦那が現れやがってよ」

「何だそりゃ。美人局つつもたせか?」

「そのつもりだったらしいな。反重力グローブでグラスを握り潰してみせたら、慌てて逃げていったけど」

「はは、ロディが失敗するなんて、珍しいな」

「それが、とびきり良い女でよ……」

「ア……ア……」

「キトゥン、アンタはまだ駄目よ。お腹壊しちゃうワ。欲しいなら、ミルクをあげる」

 マリリンの膝の上から、蒸し餃子に手を伸ばそうとするキトゥンを制し、彼女はプラチナから預かったマザーズバッグを開ける。

「……いえ」

 すると、黙ってテーブルを囲んでいたプラチナが、ふと声を上げた。

「なぁに? プラチナ」

「キトゥンは、すでに食べ物を消化する能力を備えているそうです。それが食べたいと言っています」

「え? だってまだ、一ヶ月ヨ? 離乳食も作ってないし、いきなり固形物なんて……」

「大丈夫だと、キトゥン本人が言っています」

 ラドラムが身を乗り出した。

「そう言えば、プラチナ。前もキトゥンの心を読んだな。俺たちが聞こえないのに、何でお前に聞こえるんだ?」

「すみませんラドラム、データ不足で不明です」

「キトゥン。俺には、駄目なのか?」

 接触テレパスの可能性を考えて、小さな手を握ってみる。

「ダ……ウア……」

 しかしラドラムには何も感じられず、代わりにプラチナが答えた。

「地球発祥の人類とは、『相性』が悪いようです。テレパシーの聞こえない私に聞こえるという事は、何らかの電子的周波数を発している可能性があります」

「ふぅん……凄いな、キトゥン」

 ラドラムの差し出した人差し指を握って、哺乳瓶をしゃぶるように口に入れると、チリリと痛みが走った。

「いてっ。……歯が生えてるぞ」

「えっ!? 人間だと、早くても三ヶ月目ヨ? キトゥン、イーして」

 言われた通り、キトゥンはニカッと笑った。小さな歯がびっしりと揃って生え、糸切り歯は鋭く尖っていた。

「大変! 今日から歯磨き始めなきゃ」

「ほら。やっぱり服が小さくなったのって、育ってるからなんじゃねぇのか。人間くれぇだろ、一人前になるまで何年もかかるの」

「よく分からないけど、とにかく凄いな。キトゥン」

 キトゥンは蒸し餃子を手づかみで皿から取り、零しもせずに上手にもぐもぐと頬張っていた。

「美味いか? キトゥン」

「美味しいと言っています」

「メニューの端末見ろ。一ページずつ進めるから、欲しいものがあったら、止めろ」

 ラドラムがメニューリストを操作すると、キトゥンとマリリンが、同じページで声を上げた。

「ダ!」

「ストップ! アタシ、杏仁豆腐」

「ア……」

「キトゥンも杏仁豆腐と言っています」

 奇妙な通訳を介して、ラドラムとキトゥンの会話は成立していた。

「女の子はスイーツに目がないのヨ。キトゥン、きっと美人に育つワァ」

 マリリンが、キトゥンを抱き上げてふさふさの頬と頬を擦り合わせた。

    *    *    *

「……来た」

 地下三層の光が瞬く一室で、仮眠用の粗悪で硬いベッドに腰掛けて閉じられていた瞼が、きっぱりと開く。
 プラチナと同じ、人工眼球だった。癖のある髪は明るいブラウンだったが、よく観察すれば、それは染めたものだと分かっただろう。根元が五ミリほど伸びて、本来の黒髪が覗いていた。

 組み合わせた指の上に顎を乗せ肘を太ももに付き、感情の読めない無表情で呟いたのは、肌のあちこちにメタリックなぎが覗く、アンドロイドともサイボーグともつかぬ青年だった。
 だがその青年の容貌よりも、部屋の中の光景の方が異様だった。

 小型のモニターが天井まで不規則に積み上げられ、そのどれもが違う街角の風景を映し出している。
 その中の一つに、青年は注目した。金糸銀糸のローブを着た少女が、ブロンドの男に何かを手渡す瞬間が見てとれた。

「八十一番、停止ストップ

 そのモニターの風景だけが、静止する。

拡大ズーム

 ラドラムの横顔が、画面一杯に拡大された。
 それは、この惑星にある防犯カメラの映像だった。無論、ハッキングしたものだ。
 一台一台、数秒おきに画像が切り替わって、膨大な量のカメラ映像を全て網羅している。
 青年が、

追跡トラッキング

 と言うと、その中の、ラドラムが辿った軌跡が映像で再現された。
 地下一層におりた映像も、プラチナと『手』を見ている映像も映し出された。

「……S-511。何をしようとしている……」

 青年はボロボロのショートローブを羽織って、部屋を出る。
 狭かった仮眠室とは打って変わって、そこは白一色のだだっ広い大部屋で、ベッドが幾つも並んでいた。
 いや。ベッドというには、シーツも枕もない、ただの台だった。
 壁際にずらっと並ぶ円筒形の水槽に、人間になりそこなった胎児の欠片が幾つも入っているのを見れば、人はそれを『実験台』と呼んだだろう。
 青年はそこを抜け、地下一層を目指して研究所ラボから出ていった。
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