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第一章「和」国大乱

第二十一節「尋問」

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 三輪さんが牽引する人力車は、勾配が厳しい山中の坂を、地図に乗ってさえいないであろう獣道を、いっそ無遠慮とも言える力強さで登っている。

 しかしその操縦は、先ほどまでの暴走とは比べるべくもない、穏やかなものだったが――俺はそんな運転に揺られながら、つい一昨日いっさくじつ、守治と刑務所で交わしたあの会話を思い出していた。

 坂。

 土に反(か)えるという意味に取れることから、廃藩置県時、不吉だと決めつけられた文字。

 その話を初めて聞いたときは、馬鹿馬鹿しいと唾棄したものだが、日本に古来より伝わる、あの逸話――坂にまつわる神話を連想すれば、成程縁起が悪いというのも頷けるのではないか。

 坂。

 即ち、黄泉平坂よもつひらさか。この世とあの世、現世うつしよ幽世かくりよ豊蘆原とよあしはら黄泉よみを繋ぐ神話の坂。伊弉冉尊いざなみのみことに追いかけられた伊弉諾尊いざなぎのみことが、大岩を置きその入り口を塞いだという話は、有名すぎるほどに有名だ。

(いやカッコつけてるけど、全部遊子橋さんの受け売りでしょ、はじめちゃん)
(ひとが気持ちよくモノローグを語ってるのに、茶々を入れるな)

 おほん、ともかく。

 その神話を時の人が連想したならば、坂を不吉だと言うのも仕方がない。なんせ伊弉諾いざなぎは、愛すべき――そして憎むべき彼の妻から逃げおおせるとき、雷神の軍隊やら、老婆の怪物やらに追いかけられたというのだから。

『老婆の怪物』、に。

「まったく、奇縁も奇縁だな」
「ミラクルだよねー、こりゃ」

 俺たち夫婦は、後部座席の太逸君の隣、身柄を確保しておいた妖怪を――初対面時の脅威を微塵も感じない矮躯に成り下がったその妖怪を見つめ、心情を吐露する。

 急な坂に、その身を現した老婆の怪物。

 一介の童女となった、山姥やまんばを見つめて。

「それにしても出来過ぎな気がするけどな。偶然この世界に転生した俺たちが、偶然山姥と遭遇して、偶然検非違使に入って、偶然この事件を追っていて――偶然、その道のりにこいつがいた、なんて」
「どれか一つでも欠けてたら、ここに居ないわけだしね。縁は異なもの味なものとは、よく言ったものだよ」
「そ、それ、恋愛に関する諺だったと思うんですけど……」
「あれ? そだっけ?」
「無理に難しい言葉を使うもんじゃないぜ。マイハニー」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。マイダーリン」

 お縄に掛けられ、身を縮こませている山姥を尻目に、俺たちはいつも通りの掛け合いをする。

 こんな異常時にと自分でも思うが、すぐに心の整理がつかないのだ。衝撃的なことが起こって、どうも現実味がないと言うか……、こんな気持ちになったのは、解土さんにこの世界の説明を受けたとき以来だ。

「まあ、いつまでもこんな話しててもしょうがないよね」
「……ああ、そりゃそうだ。それじゃ、そろそろ――」

 と、

 結の言葉を受け、ひとまず棚上げしていた山姥の処遇について、俺が切り替えようとするが早いか。目を伏せて震えていた山姥の身体が、ビクッ!と大きく跳ね上がった。

 いよいよ処断が下されるので、恐ろしくてたまらないのだろう。数ヶ月前に俺たちを震え上がらせたこいつを、今や俺たちが恐怖のどん底に叩き落としているというのも、これまた奇妙な関係だが。

「……あ」

 山姥が、か細い声に続けて。

「あ、あのあのあのお。あのな? 儂は確かに、山姥じゃ。確かにお主らと相まみえた、あの山姥じゃ。しかしな? 今となっては儂ゃ、ただの年端も行かぬ童女じゃ。幼女じゃ。少女なのじゃ。そんな無力な、か弱き存在である儂を、ただでさえ縄で縛られ、無力化されている儂を、これ以上無力化する必要はないのではないかの? だから、ここはどうか穏便に済ましてはくれぬか? 儂はまだ、死ぬわけにはいかぬのじゃ。な? 後生だからさあ、頼むよお」
「「…………」」

 めっちゃ早口で命乞いをして来た。

 俺たちに捕まってから、一言も発さなかったのに。

 こびへつらうような表情で、手をすりごまをすり――ううん。威厳がないな。仮にも俺たちの宿敵なら、もっとこう、頑と構えていて欲しいのだが。気性が変わりすぎていて、やりにくいったらありゃしない。

「落ち着けよ。今は殺す気はない。だからこんなに、ゆっくり運転してもらってるんだろうが」

 俺たち夫婦、そして太逸君は、発現者特有の身体強化によってあの運転に耐えられたが、力を失ったこいつに同じことをすれば、ほぼ間違いなく、木乃伊になって朽ちるだろう。このお気楽なドライブには、そういう配慮の背景がある。

「ただ、お前の生殺与奪が、俺たちに委ねられていることは忘れるなよ。妙な気を起こせばどうなるか、分かってるだろうな」
「へ、へへえ。そりゃあもう、理解しておるでございますです」
「……じゃあ、そうだな。まずは、俺たちの質問に――尋問に、答えてもらうぞ」
 
 そう、こいつを殺さず同行させている一番の理由が、そこにある。

 仲違いが原因で数十年前から住処を分け、妖怪の現状についてよく知らない人間(こちら)側としては、できる限りの情報を引き出しておきたい。

 敵である俺たちに余計な情報を与える山姥のことだ。色々と聞き出せることもあるだろうということで、相乗りを許している。

 ……姿だけでも童女になっている山姥を殺すのが忍びないというのも、ないではないが。

「じ、尋問じゃと?」
「何だ、嫌か? それなら仕方ない。尋問が嫌なら、拷問をするしかないが……」
「いえ、嫌じゃありません! なんでも答えさせて頂きます! あなた様の問いに答えることこそが、儂の何よりの慶びでございます!!」
「そうか、それは重畳ちょうじょう
「はじめちゃん……」

 俺が山姥を脅す姿を見て、隣の妻が目を細めて引いているのは置いておいて。

「質問その一。お前、何でそんな姿になってるんだ?」

 まずはこれだろう。あの時対峙した、退治したときのこいつは、もっと皺くちゃで、性別の見分けがつかないほどの老体だったはずだ。それが何故、こんな童女へと変化したのか。

「……それは、お前らのせいじゃろうが。お前らが、魔力でパンパンに膨れ上がった儂の体を貫いたせいで、蓄積した魔力が一気に放出されてしまった。何とか生命を維持させるために、形だけでも整える必要があったが――圧倒的な魔力不足によって、こんな可愛らしい体に逆戻りしてしまったのじゃ」

 なるほど。あの起死回生の包丁投げが致命傷となって、姿も退化したというわけか。それにしても、こんな幼女になる必要があったのか――退化というなら、より皺くちゃになってもよさそうなものを。

「じゃあ、質問その二。あなた、何でこんなところにいるの?」

 次いで、指をピースの形にしながら結が問いかける。この山姥、俺たちに敗けた時点ではあの伊勢の都にいたはずだ。どういう経緯で、こんな辺鄙な山道にいるのか。

「何で、って……お前らと戦った後、とにかく都から遠ざかることを考えておったからな。じゃから、気が付いたらここにおったのじゃ。運悪く、あの山賊どもにつかまったがの」

 ふうむ、つまり、特に理由があってここにいるわけではないということか――?

「し、しかし……、逃げるというのならば、何故西ではなく東に……? よ、妖怪の領地は、西であるというのに……」

 と、山姥の答えを聞き、書記役として言質を取っていた太逸君が、首をかしげて問う。

 ああ、確かに。先述の通り、この日本は現在、東西に分裂して人間と妖怪が住処を分けているのだった。

 あの場で西に逃げれば、少なくとも人間の山賊に捕まることも――検非違使の俺たちと出くわすことも、なかったのではないか。

「ふん、あの協定のことか? あれはあの魔王……『山本五郎左衛門さんもとごろうざえもん』が、勝手に決めたものじゃ。何故儂があいつに従わねばならんのじゃ! 儂は奴が嫌いじゃ、ぽっと出のくせに、でかい面をしよって!」

 一気にしかめっ面になって、さっきまでの怯え様が嘘のように毒づく山姥。

「何だ、お前、やっぱり一匹狼なのか?」
「当たり前じゃ。儂は魔王なんかよりもずっと長生きで、あいつが来る前から名を轟かせておったのじゃ。そんな儂が、何故あいつの軍門に下らねばならん」
「ふうん、妖怪って言っても一枚岩じゃないんだね」

 結が相槌たように、どうやらこいつは『反体制側』の妖怪だったらしい。魔王とはいえ、全ての妖が従っているわけではないということか。

 あわよくばこの尋問で、他の妖怪の情報も引き出せないかと思っていたが――孤老のこいつに、それを聞くのは難しそうだ。

「なら、質問その三。俺たちと初めてあった日、何故神社の敷地に居た? あそこには普段、魔除けの結界が張ってあるはずだぞ。それも、飛びきり強力な」
 
 ひとまず山姥の現状の情報を手に入れた俺は、あの日のことを聞くことにした。

 伊勢の都には、禮斎神宮の宮司であり、俺たちの大家でもある遊子橋さんお手製の強固な結界が施されている。それ故に、あの都では滅多に妖怪騒ぎは起きないのだが――

 あの日に限っては、こいつの侵入を許してしまった。なぜか。

「あの日のことか。ううん、詳しくは覚えておらんが――確か、穴が開いておったような」
「穴?」
「うむ。その結界に、ぽっかりと穴が開いておったのじゃ。じゃから、そこをくぐって侵入できた……ような気がする」
「ぽっかり、って――」

 つまり、結界が機能不全だったということか? 管理が不行き届きだったとか……。

「……いや、あの遊子橋さんに限って、結界の管理を失敗することなんてあるか? 仕事に命を懸けている、完璧超人のあの人が?」
「まあ、ミスの一つや二つくらい、あるかもだけど……、でも、ピンポイントに山姥が来たタイミングで、ってのが引っかかるよね」
「ま、まさか、何者かに結界を破られた、とか……?」

 俺たちが思案していると、太逸君が不穏なことを言い出した。

 そんな馬鹿な――という言葉が喉元まで出かけたが、しかしあり得ない話ではない。いくらあの人の魔術が凄いからと言って、元は人が作ったもの。人に――もしくは妖に――破れない道理はないのだから。

 問題は、わざわざ山姥が来るタイミングを見計らい、結界を破ったヤツがいるのならば、理由が何であれ放っておけないということだ。

 それは都の安全を守る検非違使としても、神社の部屋を間借りしている住人としても。

「……確認だが、山姥。お前が結界を破ったわけじゃないんだな?」
「ああ、儂はそういう、小難しい魔術に関してはからっきしじゃからな」
「そうか……、もっと詳しく、その時のことを思い出してくれ。何かを感じ取ったりしてないか?」
「そう言われても――いや」

 俺の問いに頭を捻る山姥だったが、ふと何かを思い出したかのような表情になり、

「いや……、そうじゃ。あの日儂は、何かに吸い寄せられるような、おびき寄せられるような感じがして――気が付いたら、あの場所におったのじゃ」
「おびき寄せられた……!?」

 またも不穏当な言葉が、しかし今度は山姥本人の口から飛び出す。

 おびき寄せられた。

 つまりこいつはあの日、誰かに誘導されて、あの神社の広場まで来たというのか? だとすれば本当に、神社の、ひいては都の安寧を脅かす不届き者がいる、ということになってしまうが……。

「重ねて言うが、はっきりとは覚えとらんぞ。ただ、何となく導かれるような感覚がした、というだけで」
「……それでも十分、まずい気がするが」

 今でこそこいつは一般幼女レベルだが、当時は立派な弐等級妖怪だったはずだ。そんな一応の大妖怪を、正体の悟られぬように誘導するというのは、相当な手練れである可能性が高い。

「クソ、よりによって都から離れた任務の時に、そんな重大なことを知るなんて――できるだけ早く、遊子橋さんたちに伝えたいけど……」
「先に、この任務を終わらせなきゃだからね。あんまりのんびりしてる暇はないかも」

 そう。そもそも俺たちは、伊豆のとある村で起こっている奇病についての調査、及び解決のために派遣されたのだ。一刻も早く伝えたいのは山々だが、ここでとんぼ返りするのは職務放棄に他ならない。

「じゃあ、もうちょっと速く運転しなきゃだね~、山姥ちゃん、我慢できる~?」

 と、座席の三人(+α)が深刻な面持ちになっているのとは裏腹に、運転席から、間延びした優しげな声が飛んできた。山姥を捕まえてから一言も発さなかった運転手の三輪さんが、ここにきて口を開いたのだ。

「……おい、あまりなれなれしくするな。なんじゃ山姥ちゃんて。言うとろう、儂は千年以上生きとるのじゃぞ。いや、それ以前に、儂は人に仇なす大妖怪なのじゃぞ」
「だって、見た目が可愛らしいんだもん~。それに、噂に聞くほど狂暴でもなさそうだしね~。報告書と全然雰囲気が違うよ~?」
「……」

 三輪さんの言葉に、険しい顔をしながらも黙る山姥。

「……言われてみれば、山姥。あんた、見た目が変わったのはともかく、内面もかなり違わない?」
「そりゃ、力を失っとるのじゃから、当然……」
「そういうことじゃなくて。もっとこう、根本的なことだよ。あの時のあんたは、もっと目がギラギラしてたっていうか……、気性が、野蛮そのものだった。まるで野獣みたいに」
「…………」

 結の言葉に、またも黙りこくる山姥。

 野獣。

 思い返せばあの時のこいつは、酷く飢えていて、甚だ乾いていて、目の前のものを襲わずにはいられない肉食獣のような有様だった。それが今や、人畜無害な童女と化し、沈着さを取り戻している。何かを嘲り、嬲り、詰り、弄ばずとも、ここに存在している。

「……『妖怪は、姿は容易に変えるが、在り方は簡単には変わらない』」
「は、肇君……?」
「遊子橋さんの受け売りだよ、太逸君。変幻自在の妖も、その本質や核ってのは、容易く変わるもんじゃないらしい。なあ、山姥。そうなんだろ?」
「……」
「質問その四。お前、どうしてそんなに大人しく……『人らしく』なったんだ?」

 四つ目の質問に、山姥は目を伏せて、沈黙を貫いていたが。

「――チ、ほんに不愉快だねえ。裡を見透かすなんてのは、人じゃあなく妖の業だろうに」

 三人の視線に耐えかねたように言って、諦めた目で天を仰ぐ。日よけが付いているので、正確には天ではなく、布張りの天蓋だが。

「あん時はなあ、言いたくはないが、儂、暴走しとったのじゃよ」
「暴走?」
「分かり易く、狂っていたと言っても良い。じゃから、記憶も曖昧なんじゃ」
「狂ってたって、じゃあどうして今は……」
「じゃから、言うとろうが。お前らの一撃が儂の中の妖力をほぼすべて抜き出したと。そのせいじゃ――そのおかげじゃ」
「あっ……」

 そうか。魔力、すなわち妖力は、妖の動力源。暴走状態にあったそれらを抜き出すことで、いわばデトックスのように悪い気が抜け、結果元の正常な状態に戻った、ということか。

「思い返せばここ八十年は、儂にとって最も恥ずべき期間じゃったな。日本一の大妖怪が、みっともなく暴れ回って――見境なく荒れ狂っておった。本来儂はもっと、理知に富んだ存在であるというのに」
「いや、最後のは絶対に嘘だろ」

 あの時はともかく今だって、賢いとは思えないし。

「し、しかし、ではなぜ、暴走を……? そのきっかけとは……?」
「――いや、それは言えんな」
「おい、山姥……」
「それは言えん。例え拷問をされようとも、命を取られようとも、な」

 俺の牽制にも構わず、今日一番の真剣な表情で言う山姥。

 こいつ、こんな顔もするのか。怯えたり、こびへつらったり、しかめっ面になったり、にやけたり。さっきまでのそんな表情とは、一線を画す顔つきだ。

「……分かったよ。じゃあ聞かん」
「ふん、そうしておけ」

 俺はそこで、質問を切り上げることにした。聞きたいことは大方聞き出したし、そもそも暴走のきっかけが、そんなに重大なファクターだとも思わない。

 尋問タイムは、ここで終了だ。俺は後部座席の方から前へ向き直り、背もたれに深く座りなおす。

(はあ、うちの旦那はおひとよしだねえ)
(うるさい。そんなんじゃない)
(本当にいいの? このまま同行させてさ。聞きたいことを聞けたなら、もう――)
(……言いたいことは分かる。でも、まだ何か引き出せるかもしれないだろ。それに、裁判をするってのなら、それこそ評定役でだ。俺たちの職掌じゃない)
(甘いね、ホントに)

 ま、そういうとこも好きだけど、と。
 
 そこまでテレパシーで言って、結は口をつぐんだ。

 そこから先、村に到着するまでは、誰も何も話さなかった。三輪さんがスピードを上げた車の、車輪の駆動だけが体に響いていた。

 日が、傾き始めていた。
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