仮面幼女とモフモフ道中記

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98話 その頃、宿の方では

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 雁字搦めに氷の鎖で締め上げられ床に倒れ込んだ大狐は、様子を窺うように距離を詰めてくるフィルに威嚇する声を浴びせるが、その瞳は禍々しい赤と鮮烈な金が激しく明滅している。
 フィル以外はその様子を少し遠巻きに眺めているが、何かあればすぐ飛び掛かれるようになのか、誰もが警戒態勢を解いていない。
 歯を剥き出しに唸りながらも、時折戸惑うような仕草を見せる大狐の額にフィルが手を伸ばした。

「全く手の焼ける事ですね。ふむ……」

 何やら考えていたらしいフィルが、エリィの方へと顔を向ける。

「エリィ様、魔力にまだ余裕はございますでしょうか?」

 自分に振られると思っていなかったエリィだったが『私?』と自分を指さして無言で問えば、フィルからは首肯が返ってきた。

「ぁ~、まぁここ、何故か魔素が少し濃いみたいだし、まだ大丈夫……かしらね」
「であれば、コレにほんの少しで良うございますので、魔力を流してやって頂けましたら幸いにございます」

 大狐から手を放し、執事プレイよろしく、恭しく一礼をエリィに捧げた。
 それには引き攣った笑みしか出てこないが、魔力を流してどうするのだろう?と、首を捻りながら大狐に近づく。
 フィルと入れ替わるように大狐の顔付近で立ち止まると、右手をそぅっと伸ばし額に触れ、言われた通りゆっくりとではあるが、少しだけ魔力を流した途端、大狐がビクリと大きく震えて、見開かれた眼が明滅をやめて金色に落ち着いたかと思うと、そのままドサリと床に身を横たえた。

「ぇ…ぇぇええ……これ大丈夫なの!?」

 思わず身を引いて狼狽えるエリィに、フィルがにっこりと良い笑顔で頷く。

「はい。ありがとうございました。主人の手を煩わせるなどあるまじき事ではありますが、これで落ち着くかと思います」

 金色の大狐の傍でどことなくほっこりしているエリィとフィルに、アレクから呆れ声が届く。

「なぁ、そないに落ち着いとってええの? 誰か来てるとか言うてへんだ?」
「戦う直前の事だった故、それなりに時間が経ってしまっているがな」
「そう言えばそうだったわね……だけど、もう手遅れなんじゃ?」

 呆れるアレク、うんうんと頷いているセラ、のほほんと答えるエリィ、3者の様子を見ながらフィルは顔を引き攣らせた。






「エリィ! 無事!?」

 焦燥に駆られた声はオリアーナのものだ。彼女は今エリィの部屋の前でギュッと眉根を寄せながら、ドンドンと扉を叩いている。


 少し時を戻しエリィ達が部屋を抜け出して少しした頃、用事が終わって戻ってきたオリアーナだったが、宿に入ると椅子に難しい顔をして腰掛けるゲナイドに出迎えられた。
 表情の険しさに、オリアーナの顔も怪訝に歪む。

「お嬢、ちぃーっとばっかしマズい事になった」

 オリアーナに気づいたゲナイドが、軽く手を上げて挨拶しながらも表情は変えず、低く呟いた。

「……マズい?」

 困惑気味にのそりとゲナイドの座る椅子に使づくと、まぁ座れと椅子を勧められる。
 一瞬微かに目を眇めるが、オリアーナは大人しく勧められた椅子に腰を下ろした。

「馬鹿ウルの行方がわからなくなっちまった……」
「…………はぁぁぁ!!??」

 ゲナイドの言葉を理解するのに時間がかかったのが、しばらくの沈黙の後オリアーナの声が響き渡った。

「お、落ち着いてくれ」
「いや、だが監視してるんじゃなかったのか!?」

 オリアーナの剣幕にゲナイドは申し訳ないとばかりに頭を下げる。

「してやられた。本当にすまねぇ」
「そのことは後で聞く! エリィは無事なのか!?」

 言うが早いか、オリアーナは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がり、エリィの部屋めがけてすっ飛んでいった。

 ―――そしてエリィの部屋の扉を、声をかけながら叩いていたという訳なのだが、エリィは部屋から出てこない。
 オリアーナが戻ってからと言うもの、ずっと心配気に見ていた女将が立ち尽くす彼女に近づくと、そっと肩を叩きゲナイドの方へと促した。

「あの子ねぇ、あんた達が出かけた後も色々と作ってたみたいなんだよ。それでかねぇ、夕食には早い時間だったんだけど、眠いって言いながら厨房まで食事を取りに来てねぇ…」
「エリィが食事の時間には俺は戻ってたし、それ以降は人の出入りもねぇ。
 こんな時間だ、エリィは部屋で寝てるだけだろう。だから起こさず寝かしといてやらねーか? もっとも起こすどうこうじゃなく、起きれねぇだけの可能性の方が高いがな。随分頑張って作ってたみたいだし、あれってかなり疲れると聞くからな」
「……そう…だな。一日に10本も作ればへたり込むとは聞いたことはある」

 心配そうにエリィの部屋の方に視線を向けるが、更に女将に促されて元の椅子に腰を下ろした。

「俺の知ってる薬師なんぞ、火事が起きても起きられる自信がねぇっていうくらいだしな」
「……とりあえず状況を共有してくれるか?」

 大きく頷くゲナイドに、オリアーナも頷く。その様子に女将は厨房の方へと戻って行くと、用意していた物なのか、トレーに湯気の立つカップを3つ乗せて持ってきた。
 空いた椅子を寄せて女将も腰を下ろすと、テーブルに置いたトレーからカップをそれぞれの前へ置いた。
 ホットミルクだろうか、だけどそれだけじゃないようだ。ミルク特有の甘さを含んだ香りの中に、酒気を帯びた樹の香りが鼻を擽る。

「発覚したのは今から1鐘ほど前だ。ずっとギルド前で馬鹿ウルの部屋を見上げていたらしいん「ちょっと待て」だが…」

 ゲナイドが言い終えないうちにオリアーナが言葉を被せる。

「ギルド前からって、あんな場所じゃ丸見えなんじゃないのか?」
「いや……その通りだ」

 小さくなるゲナイドに、オリアーナと女将が頭を抱えた。

「すまねぇ、途中ナイハルトが気づいて、昼飯の交代にかこつけて、2階の空き部屋に誘導したらしいんだが、どうもまた外に出ちまったみたいでな」
「……途中って…それ以前だろう。最初から隠れる気なんかなかったって事じゃないか」

 呆れた声を隠しもしないオリアーナに、ゲナイドがますます小さくなる。

「あそこまで向いてねぇとは思わなかった……いや、反論の余地はねぇんだが」
「ウチのお客なんだし、無関係じゃないから口を挟ませてもらうよ。あんたらそれで5階級でございって大きな顔してるっていうのかい? 呆れちまうよ」
「女将の言う事はもっともだ……本当に面目ねぇ……俺の配置ミスだ」
「まぁ過ぎた事を言っても仕方ない、それで?」

 ゲナイドは軽く息を吸ってからゆっくりと吐き、一度座り直す。

「あいつがいないと気付いたのは通いのメイドのおかげなんだが…。
 ほら、馬鹿ウル専用の警備隊舎は、無理やり通路を塞ぐようにして建ててあるだろ?
 そのせいもあって裏口はなく、正面玄関だけなんだよ。だからラドグースは正面玄関と2階を見てたらしいんだが、人の出入りはなかったはずなのに、1階の掃除をしをしているメイドに気づいて、ナイハルトを慌てて呼んで踏み込んだら、いたのはメイドだけだったって事らしい」
「そのメイドから話は聞けたのか?」
「それがかなり怯えちまってるようでな。自分は知らない、何も聞いてないの一点張りなんだそうだ」

 オリアーナが腕を組みながら、片頬を指先で軽く叩き視線を下方へ流す。

「怯えてるっていうのがな……何か弱みを握られてるのか」
「弱みと言えばそうなんだが、脅されてると言った方が良いのか?」
「脅されてる? ふぅむ……あぁ、親兄弟を盾にされてるとかか」

 頷くゲナイドに、先を促すようにオリアーナは視線を向けた。

「まだ聞き込みの途中らしいんだが、メイドの妹がモーゲッツ男爵家で働いているらしい」

 途端にオリアーナも女将も、眉根を寄せて渋い顔になる。

「情報を聞けるだけ聞いたら、そのメイドには手助けが必要そうだな。あぁ、妹の方もか」
「まったく頭が痛い話だよ」

 オリアーナもゲナイドも、苦く呟く女将の言葉に頷くしかなかった。
 


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