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05.王子の帰還
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***
ヒーローが不在のまま、三年が過ぎた。
ルシアン殿下が退場してからこっち、ロザリンデはせっせと「よい行い」に励んだ。
孤児院への慰問、災害地への救援物資集め、病が流行った地への薬代の寄付。
高慢な振る舞いもせず、弱者に寄り添い続けた。
白聖女に描かれていたロザリンデ像から遠ざかりたかったのだ。そうすれば闇落ちも悪役化もしないような気がして。
ルシアンが何を考えているのかロザリンデにはさっぱり見当もつかなかったが、ルシアンと交わした取引がストップしてしまった以上、これは契約不履行ということでロザリンデは当初の予定通り、留学に行こうとした。
だが、ルシアンに続いてロザリンデまで外国にやることはできない、ロザリンデは国内でしっかり花嫁修業をしろと父親に言われてしまってはどうすることもできない。
しかたなくロザリンデは、白聖女に描かれていたロザリンデ像から遠ざかることだけを考えて行動した結果、ロザリンデの評判はうなぎのぼりになり、国王から「そなたこそ天の女神が遣わした聖女!」とまで言われてしまった。
違います。本物は別にいます。
そして迎えた十八歳の春。
運命の日はもうすぐそこだ。
相変わらずヒーローは不在のままだ。
追い落とす政敵がいなければテオドールも聖女召喚なんてしないだろう。あれはあれでリスクのある術である。
ヒーロー不在のうえにヒロイン不在なら物語が始まらないので、ロザリンデは闇落ちしなくて済む。
――や、やったあ……!
これは運命に勝ったと言えるのでは?
いやいや、そんなにうまくいくはずがない。ルシアンは留守中だが、いなくなったわけではない。いつかは帰国する。それを見越していれば、テオドールはやはり聖女を召喚する気がする。
聖女アデルは孤児で、苦労人である。遠い国の辺境の地で、恵まれているとはいいがたいものの平和な暮らしを送っていた。自分に創世の女神の力が宿っていることも知らない。それがいきなり遠い異国に呼び出され、おまえは聖女だ、その心臓をよこせ、なんて言われるのである。
――……私、彼女を見殺しにできる?
ロザリンデはアデルが明るくて素直でけなげな女の子だと知っている。
アデルになんの罪もない。
見殺しにはできない……。
けれど、どうすれば?
――私がルシアン殿下の代わりに聖女をさらいに行く?
どうやって?
ルシアンは心強い仲間が何人もいるから聖女を連れ出すことができたのだ。
ルシアン自身の身体能力も高い。
ロザリンデには心強い仲間もいなければ、強靭な肉体もない。
***
なんの解決策も見いだせないまま時間が過ぎていく。
そして運命の日の数日前、突如ルシアンが帰国。
ルシアンの帰国の知らせと彼からの呼び出しは同時だった。
ロザリンデは爆発しそうなほどの混乱と不安を抱えたまま王宮へと向かった。
「久しぶりだね」
帰国したルシアンは、三年前とは別人のように大人の色気をまとった美青年に成長していた。
もともとはBLを描いていたリュンヌ先生が描く男性キャラクターは、大人になると色気がすごいことになるのだ。知っていたが、実物の破壊力はすさまじい。
懐かしい幼なじみに三年ぶりに再会できた喜びと、大人の色気を振りまくその姿に、ロザリンデの情緒は崩壊寸前だ。
「ところで、ロザリーの予知能力は健在か?」
「ルシアン殿下がいらっしゃらなかったので、よくわかりません」
「では試してみようか。都合よく二人きりだし」
ルシアンが両腕を広げる。
抱きつけ、ということだろうか。
婚約者同士ということで気をきかされたらしく、部屋には二人きり。助けてくれる人はいない。
動揺を隠しながら近づいていくと、ぎゅっと腕をひっぱられて抱きしめられた。
記憶の中にあるルシアンとは違う。大きな手、広い胸板、けれど変わらないルシアンがまとう香水のにおい。少し甘く、清涼感のあるにおいは懐かしくて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「背が伸びたな、ロザリー。それに……」
「少しは大人っぽくなったでしょう?」
おどけて言うと、ロザリンデを抱きしめたままルシアンが頷いた。
「どうして急にいなくなったんですか。帰国も急だし……」
「いろいろあったんだよ」
「テオドール殿下絡みですか?」
「まあ、そんなところだ」
ルシアンはやはりテオドールを強く意識して行動しているらしい。
ロザリンデはルシアンのにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。
ああ、なんて安心できるのだろう。
そこで自分は心細かったのだと気付いた。
思えば、前世の話はルシアンにしか打ち明けていない。不安を相談できるのはルシアンだけなのだ。
その途端、脳裏にルシアンと聖女アデルの邂逅シーンのイラストが閃く。
何度も眺めた、ピンナップのカラーイラストだ。
――そうよね。
ヒーローの帰還はつまり、そういうことだ。
「……聖女が、現れます。運命は変更できていないようです」
ルシアンがそっと体を離して、ロザリンデを覗き込む。
「未来が見えた。つまり、俺にときめいたということか」
「そうですね。三年ぶりですもの。でも、少しだけです」
「少しだけか」
ロザリンデは数歩下がって頭を下げた。
「ルシアン殿下、私は退場を望みます。運命が変更できていないのなら、私はあなたとあなたの大切な人を傷つけます。私はあなたに悲しい思いをさせたくない。聖女を傷つけたいとも思っていないし、テオドール殿下に利用されたくもない」
運命は変えられないのだ。
「ロザリー。君の話だと、君が闇落ちする理由は俺と聖女が恋仲になるのを許せなかったからだよな? それはつまり君は俺のことを好きでないと起こり得ないと思うんだが」
ルシアンが確認する。
「私は、ルシアン殿下のことが好きですよ。幼なじみとして、友人として」
そういう認識だったが、言い切った途端、胸の奥がズキンと痛んだ。
その痛みにロザリンデ自身、驚く。
どういうこと?
「……友人、か……」
ルシアンが心なしかがっかりした声音で呟く。
「だが、それなら闇落ちの心配などしなくてもいいのではないか? 俺が誰と結ばれようと君は嫉妬しないのだから」
「そうかもしれません。でもやはりなんらかのきっかけで闇落ちするかもしれません。闇落ちしなくても、ここにいるだけでテオドール殿下に利用される危険性はあります。とにかく、私がここにいてはいけないのです。もしものことがあったら、自分が許せないから」
「俺が阻止する」
「どうやって! 聖女の召喚までもう時間がない! もう止められないのよ、運命は動き出す」
きっぱり言い切ったルシアンに、ロザリンデは言い返した。
この人はどれだけ自分が不安に苛まれているのか知らないから、こんなことが言えるのだ。
「聖女の召喚は止めようと思えば止められた。ロザリーのおかげで聖女召喚に関しては早くから探りを入れていたからね。止めなかったのは、奴らは何があったって召喚の儀式を行うつもりだと確信を得たからだ。それなら君が予知した通りに行動したほうがいいと思った。必ず聖女奪還に成功するから。それは、俺が聖女に会いたいからではない」
ルシアンがそう言って一歩でロザリンデとの距離を詰め、手を伸ばして彼女のおとがいを持ち上げ、藍色の瞳をまっすぐ向けてきた。
「テオドールに聖女を利用されないためだ」
「小説の中でもルシアン殿下はそうおっしゃっていました」
「だが、小説とは明らかに違う点がひとつある。君は、ルシアンは高慢なロザリンデを押し付けられた花嫁として疎ましく思っていた、と言った。しかし、今の君はどうだ? 君は高慢か? 父上から聖女と称えられた噂は聞き及んでいる」
ルシアンのまっすぐな視線と真摯な口調に、ロザリンデはまばたきひとつできなかった。
「俺は君を嫌う理由がない。運命は変えられる。というより、おそらくもう変わり始めている。あとは俺の望む通りに持っていくだけだ」
「ルシアン殿下の望む未来とは、どんな未来ですか」
「君が俺の隣にいる未来だよ」
ルシアンの言葉に、息が止まるかと思った。
ロザリンデはこれ以上ないほど目を見開いてルシアンを見つめた。
藍色の瞳はまっすぐで、嘘をついているようには見えない。
「俺は聖女になんてこれっぽっちも興味がない」
そのままルシアンが顔を近づけ、唇が重なる。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは白聖女で使われたいくつもの挿絵だった。タナカ・リナがドキドキしながら追いかけていた、ルシアンとアデルの恋の行方だ。ロザリンデはめったに挿絵には登場しなかった。したとしても悪役らしいおそろしい表情のものばかりで、ルシアンに憎まれたあげく、婚約を破棄される。
その未来が怖くてたまらないのは、ルシアンのことが大切だからだ。
大切なのだ。
とても大切な人なのだ。
小さい頃、ロザリンデは体が弱くてよく熱を出していた。そのたびにルシアンは見舞いに訪れてはロザリンデを心配してくれた。
落ち込んでいる時は外に連れ出して、気分転換を計ってくれた。
勉強がわからない時はわかるまで根気よく教えてくれた。
乗馬の練習も、ダンスの練習も。
彼は多忙な王子様。婚約者とはいえ小娘に悠長に付き合っている時間などない。
それが後ろ盾となっている父への気遣いだと気付いたのはいつの頃だったか。
無理に自分に付き合わせたくなくて、ルシアンが困るような……怒り出すような、もう相手にしたくないと思うような……わがままぶりを発揮してみせたことがある。
ルシアンが怒って自分と距離をとってくれたらいい。父だって、王子様にわがまま娘の相手をしろとは言わないはずだ。
ロザリンデに関わる時間を自分のために使って、立派な大人になってほしかった。父の後ろ盾などなくてもやっていけるような。
ロザリンデの大事な大事な王子様。
彼への気持ちがどんな種類のものかなんて、実はとっくに気が付いている。でも気が付かないふりをしていた。タナカ・リナの記憶が戻ってからはさらに臆病になった。彼には運命の人がいる。
まだ踏みとどまれる。
ルシアンへの思いは、まだ幼なじみに対する友愛の範囲。
だから、心をかき乱さないでほしい。
唇はすぐに離れていった。
涙が一筋、こぼれ落ちる。
「なぜ泣く。俺のことがそんなに嫌いか」
「違っ……これは……!」
「もしかして、ほかにも何か見えたのか?」
その一言がロザリンデの心を一瞬で凍らせた。
そうか。
これはロザリンデに予知をさせるための演技。
試されたのだ、自分は。
ルシアンはまだロザリンデの予知を求めている。
「聖女が現れる以外のものは見えていません! 私は静かに退場します! これは決定事項です! もう私の邪魔をしないで!」
ロザリンデはルシアンを突き飛ばし、部屋を飛び出した。
室内に残されたルシアンがやるせない表情で立ち尽くしていたことなど、当然知る由もなく。
ヒーローが不在のまま、三年が過ぎた。
ルシアン殿下が退場してからこっち、ロザリンデはせっせと「よい行い」に励んだ。
孤児院への慰問、災害地への救援物資集め、病が流行った地への薬代の寄付。
高慢な振る舞いもせず、弱者に寄り添い続けた。
白聖女に描かれていたロザリンデ像から遠ざかりたかったのだ。そうすれば闇落ちも悪役化もしないような気がして。
ルシアンが何を考えているのかロザリンデにはさっぱり見当もつかなかったが、ルシアンと交わした取引がストップしてしまった以上、これは契約不履行ということでロザリンデは当初の予定通り、留学に行こうとした。
だが、ルシアンに続いてロザリンデまで外国にやることはできない、ロザリンデは国内でしっかり花嫁修業をしろと父親に言われてしまってはどうすることもできない。
しかたなくロザリンデは、白聖女に描かれていたロザリンデ像から遠ざかることだけを考えて行動した結果、ロザリンデの評判はうなぎのぼりになり、国王から「そなたこそ天の女神が遣わした聖女!」とまで言われてしまった。
違います。本物は別にいます。
そして迎えた十八歳の春。
運命の日はもうすぐそこだ。
相変わらずヒーローは不在のままだ。
追い落とす政敵がいなければテオドールも聖女召喚なんてしないだろう。あれはあれでリスクのある術である。
ヒーロー不在のうえにヒロイン不在なら物語が始まらないので、ロザリンデは闇落ちしなくて済む。
――や、やったあ……!
これは運命に勝ったと言えるのでは?
いやいや、そんなにうまくいくはずがない。ルシアンは留守中だが、いなくなったわけではない。いつかは帰国する。それを見越していれば、テオドールはやはり聖女を召喚する気がする。
聖女アデルは孤児で、苦労人である。遠い国の辺境の地で、恵まれているとはいいがたいものの平和な暮らしを送っていた。自分に創世の女神の力が宿っていることも知らない。それがいきなり遠い異国に呼び出され、おまえは聖女だ、その心臓をよこせ、なんて言われるのである。
――……私、彼女を見殺しにできる?
ロザリンデはアデルが明るくて素直でけなげな女の子だと知っている。
アデルになんの罪もない。
見殺しにはできない……。
けれど、どうすれば?
――私がルシアン殿下の代わりに聖女をさらいに行く?
どうやって?
ルシアンは心強い仲間が何人もいるから聖女を連れ出すことができたのだ。
ルシアン自身の身体能力も高い。
ロザリンデには心強い仲間もいなければ、強靭な肉体もない。
***
なんの解決策も見いだせないまま時間が過ぎていく。
そして運命の日の数日前、突如ルシアンが帰国。
ルシアンの帰国の知らせと彼からの呼び出しは同時だった。
ロザリンデは爆発しそうなほどの混乱と不安を抱えたまま王宮へと向かった。
「久しぶりだね」
帰国したルシアンは、三年前とは別人のように大人の色気をまとった美青年に成長していた。
もともとはBLを描いていたリュンヌ先生が描く男性キャラクターは、大人になると色気がすごいことになるのだ。知っていたが、実物の破壊力はすさまじい。
懐かしい幼なじみに三年ぶりに再会できた喜びと、大人の色気を振りまくその姿に、ロザリンデの情緒は崩壊寸前だ。
「ところで、ロザリーの予知能力は健在か?」
「ルシアン殿下がいらっしゃらなかったので、よくわかりません」
「では試してみようか。都合よく二人きりだし」
ルシアンが両腕を広げる。
抱きつけ、ということだろうか。
婚約者同士ということで気をきかされたらしく、部屋には二人きり。助けてくれる人はいない。
動揺を隠しながら近づいていくと、ぎゅっと腕をひっぱられて抱きしめられた。
記憶の中にあるルシアンとは違う。大きな手、広い胸板、けれど変わらないルシアンがまとう香水のにおい。少し甘く、清涼感のあるにおいは懐かしくて、胸がぎゅっと締め付けられた。
「背が伸びたな、ロザリー。それに……」
「少しは大人っぽくなったでしょう?」
おどけて言うと、ロザリンデを抱きしめたままルシアンが頷いた。
「どうして急にいなくなったんですか。帰国も急だし……」
「いろいろあったんだよ」
「テオドール殿下絡みですか?」
「まあ、そんなところだ」
ルシアンはやはりテオドールを強く意識して行動しているらしい。
ロザリンデはルシアンのにおいを胸いっぱいに吸い込んだ。
ああ、なんて安心できるのだろう。
そこで自分は心細かったのだと気付いた。
思えば、前世の話はルシアンにしか打ち明けていない。不安を相談できるのはルシアンだけなのだ。
その途端、脳裏にルシアンと聖女アデルの邂逅シーンのイラストが閃く。
何度も眺めた、ピンナップのカラーイラストだ。
――そうよね。
ヒーローの帰還はつまり、そういうことだ。
「……聖女が、現れます。運命は変更できていないようです」
ルシアンがそっと体を離して、ロザリンデを覗き込む。
「未来が見えた。つまり、俺にときめいたということか」
「そうですね。三年ぶりですもの。でも、少しだけです」
「少しだけか」
ロザリンデは数歩下がって頭を下げた。
「ルシアン殿下、私は退場を望みます。運命が変更できていないのなら、私はあなたとあなたの大切な人を傷つけます。私はあなたに悲しい思いをさせたくない。聖女を傷つけたいとも思っていないし、テオドール殿下に利用されたくもない」
運命は変えられないのだ。
「ロザリー。君の話だと、君が闇落ちする理由は俺と聖女が恋仲になるのを許せなかったからだよな? それはつまり君は俺のことを好きでないと起こり得ないと思うんだが」
ルシアンが確認する。
「私は、ルシアン殿下のことが好きですよ。幼なじみとして、友人として」
そういう認識だったが、言い切った途端、胸の奥がズキンと痛んだ。
その痛みにロザリンデ自身、驚く。
どういうこと?
「……友人、か……」
ルシアンが心なしかがっかりした声音で呟く。
「だが、それなら闇落ちの心配などしなくてもいいのではないか? 俺が誰と結ばれようと君は嫉妬しないのだから」
「そうかもしれません。でもやはりなんらかのきっかけで闇落ちするかもしれません。闇落ちしなくても、ここにいるだけでテオドール殿下に利用される危険性はあります。とにかく、私がここにいてはいけないのです。もしものことがあったら、自分が許せないから」
「俺が阻止する」
「どうやって! 聖女の召喚までもう時間がない! もう止められないのよ、運命は動き出す」
きっぱり言い切ったルシアンに、ロザリンデは言い返した。
この人はどれだけ自分が不安に苛まれているのか知らないから、こんなことが言えるのだ。
「聖女の召喚は止めようと思えば止められた。ロザリーのおかげで聖女召喚に関しては早くから探りを入れていたからね。止めなかったのは、奴らは何があったって召喚の儀式を行うつもりだと確信を得たからだ。それなら君が予知した通りに行動したほうがいいと思った。必ず聖女奪還に成功するから。それは、俺が聖女に会いたいからではない」
ルシアンがそう言って一歩でロザリンデとの距離を詰め、手を伸ばして彼女のおとがいを持ち上げ、藍色の瞳をまっすぐ向けてきた。
「テオドールに聖女を利用されないためだ」
「小説の中でもルシアン殿下はそうおっしゃっていました」
「だが、小説とは明らかに違う点がひとつある。君は、ルシアンは高慢なロザリンデを押し付けられた花嫁として疎ましく思っていた、と言った。しかし、今の君はどうだ? 君は高慢か? 父上から聖女と称えられた噂は聞き及んでいる」
ルシアンのまっすぐな視線と真摯な口調に、ロザリンデはまばたきひとつできなかった。
「俺は君を嫌う理由がない。運命は変えられる。というより、おそらくもう変わり始めている。あとは俺の望む通りに持っていくだけだ」
「ルシアン殿下の望む未来とは、どんな未来ですか」
「君が俺の隣にいる未来だよ」
ルシアンの言葉に、息が止まるかと思った。
ロザリンデはこれ以上ないほど目を見開いてルシアンを見つめた。
藍色の瞳はまっすぐで、嘘をついているようには見えない。
「俺は聖女になんてこれっぽっちも興味がない」
そのままルシアンが顔を近づけ、唇が重なる。
その瞬間、脳裏に浮かんだのは白聖女で使われたいくつもの挿絵だった。タナカ・リナがドキドキしながら追いかけていた、ルシアンとアデルの恋の行方だ。ロザリンデはめったに挿絵には登場しなかった。したとしても悪役らしいおそろしい表情のものばかりで、ルシアンに憎まれたあげく、婚約を破棄される。
その未来が怖くてたまらないのは、ルシアンのことが大切だからだ。
大切なのだ。
とても大切な人なのだ。
小さい頃、ロザリンデは体が弱くてよく熱を出していた。そのたびにルシアンは見舞いに訪れてはロザリンデを心配してくれた。
落ち込んでいる時は外に連れ出して、気分転換を計ってくれた。
勉強がわからない時はわかるまで根気よく教えてくれた。
乗馬の練習も、ダンスの練習も。
彼は多忙な王子様。婚約者とはいえ小娘に悠長に付き合っている時間などない。
それが後ろ盾となっている父への気遣いだと気付いたのはいつの頃だったか。
無理に自分に付き合わせたくなくて、ルシアンが困るような……怒り出すような、もう相手にしたくないと思うような……わがままぶりを発揮してみせたことがある。
ルシアンが怒って自分と距離をとってくれたらいい。父だって、王子様にわがまま娘の相手をしろとは言わないはずだ。
ロザリンデに関わる時間を自分のために使って、立派な大人になってほしかった。父の後ろ盾などなくてもやっていけるような。
ロザリンデの大事な大事な王子様。
彼への気持ちがどんな種類のものかなんて、実はとっくに気が付いている。でも気が付かないふりをしていた。タナカ・リナの記憶が戻ってからはさらに臆病になった。彼には運命の人がいる。
まだ踏みとどまれる。
ルシアンへの思いは、まだ幼なじみに対する友愛の範囲。
だから、心をかき乱さないでほしい。
唇はすぐに離れていった。
涙が一筋、こぼれ落ちる。
「なぜ泣く。俺のことがそんなに嫌いか」
「違っ……これは……!」
「もしかして、ほかにも何か見えたのか?」
その一言がロザリンデの心を一瞬で凍らせた。
そうか。
これはロザリンデに予知をさせるための演技。
試されたのだ、自分は。
ルシアンはまだロザリンデの予知を求めている。
「聖女が現れる以外のものは見えていません! 私は静かに退場します! これは決定事項です! もう私の邪魔をしないで!」
ロザリンデはルシアンを突き飛ばし、部屋を飛び出した。
室内に残されたルシアンがやるせない表情で立ち尽くしていたことなど、当然知る由もなく。
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