君の容れもの

晴珂とく

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Ⅲ 君の容れもの 第3話

新しい体と性

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 病院を出ると、茹るような空気が体を覆う。肌にまとわりつくような、重たい夏の暑さと、夕方になっても沈まない、西陽の眩しさは変わらない。ただ、目線が変わり、視界が変わった。病院の駐車場を見渡すと、車のルーフが目に入る。少しだけ、世界を俯瞰できたような気持ちになる。
「性転換症って、背丈とか体格も変わるんだな。マコでかい」
 前は見上げていた誠司の顔が、今は目線が変わらなくなった。むしろ僅かに低い。車のドアを開け、荷物ごと乗り込むと、車体が揺れる。
「からだ……、体の大きさが違うから、まだちゃんとコントロールできない感じ。声も低くて変な感じ」
 喋るたびに喉に手を当てると、喉仏に触れて、体の変化を実感する。
「俺もまだ、ここにいるのがマコだって、実感ないもん」
 彼はこちらを一瞥し、車を発進させた。
「マコの職場には電話しといた」
「あ……、ありがと」
「体の大きさもだし、筋肉量も違うから、インストラクターとかの体を使う仕事は、危ないんだって。一ヶ月、休職するって伝えたけど」
「そうなの。でも急に抜けて大丈夫かな。あとで電話して、引き継ぎとか確認してみる」
「うん。でも、マコにも職場にも、両方補助金出るみたいだよ。人員補助サポートもするらしいし」
「詳しいね」
「さっき病院で聞いた」
 淡々と話す彼の顔を見た。そこには何の感情も見えない。雨が降り始め、フロントガラスに水滴が落とされる。
「私、夜中に具合悪くなってからの記憶がないんだけど、どんな感じだった?」
「……家に帰ったら、男がトイレのドアのところで倒れてるから、心臓止まりそうになった。でもマコの服着てるし、顔がマコに似てるし、髪色と髪の長さも同じだったから……」
「そっか。びっくりしたよね。驚かせてごめん」
「いやいや……、俺がどうとか、本当どうでもよくて、脱水症状で危なかったんだからな。そっちのほうが怖かったわ。もう体調大丈夫なの」
「もう全然。体調いいよ」
「それならとりあえず、ユミクロ寄ってく? 一ヶ月だけど、俺より背ぇ高いし、俺の服だけじゃ厳しいだろ」
「じゃあ、そうする」
「ん。……急に男の体になって、不安なこと多いと思うけど、俺が支えるから、何でも言えよな」
 誠司はこちらを向いて、少し眉を下げて言った。雨は激しくなり、フロントガラスのワイパーが、弧を描いて水を弾く。確かな温度差を感じていた。体はこれまでにないくらい元気で、脳みそは冴え渡り、はっきりと世界を捉えている。訳もなく、走り出したいくらいの衝動が突き上げてくる。雨の中を飛び出して、全身にその雫を浴びたいくらいの欲求を、ただひたすら抑えていた。

 ドアを隔てたリビングのほうから、ご飯の準備をする音が聞こえてくる。冷房を強めに効かせた寝室のベッドには、昨日買ったファストファッションブランドの服を広げていた。誠司に「買いすぎ」と言われた大量の服を、一着ずつ着ては、組み合わせを変えてみる。小さめのウォークインクローゼットの中から、姿見を出してきて、体を横に傾けたり、背中を向けて振り返り、全身を確認した。鏡に近づいては離れ、近くから見た姿と、全身を交互にチェックする。
 半袖のTシャツから伸びた腕は、女性のときの腕とは比べられないくらいに、筋肉質で、青い血管が浮いている。
 左腕を前に出し、それを眺めた。手の甲から、二の腕まで右手で摩ってみる。産毛が僅かに、濃くなっている気がした。
 寝室のドアがノックされ、「はい」と返事をするのと同時に開けられた。
「……まだそれ、やってたの」
 ドアから顔を出した誠司は、ベッドに広げられた服と、鏡の前の真琴を順に見た。
「なんか新鮮で」
「そうですか……。冷やし中華できましたけど」
「え、ありがと。リクエスト採用されたんだ。食べる」
「ここ、このままかよ」
 彼がベッドの上の散乱した服を指差した。
「あとで片付ける」
 ダイニングテーブルに並べられた、二つのお皿。冷やし中華が綺麗に盛り付けられた、ガラス皿は、青森へ旅行に行ったときのものだ。カラフルな模様が目に楽しい。
 ダイニングチェアに座ったときの座高の高さにはまだ慣れない。ウォールナットで合わせたダイニングテーブルと、ローテーブルに、テレビボード。窓際のシェフレラとパキラの緑色。テーブルの上で模様を描く、ハムやキュウリ、薄焼き卵の冷やし中華。ひとつひとつの輪郭が冴やかに見える。
「めっちゃ美味しそう……」
「いつもと同じレシピだけど」
 呆れ混じりに言い放つ彼に「いただきます」と告げ、口に運ぶと、初めて食べるかのような、衝撃的な美味しさが広がった。
「すっごい、美味しい! いつも美味しいと思ってたけど、こんなに美味しかったっけ」
 大袈裟に聞こえそうだとも思ったが、本心だった。彼は小さく「どうも」と呟いた。
「てか、今さらだけど、トイレとか大丈夫? ちゃんと出来てる?」
「食事中なんだけど……」
「ああごめん」
「まあ、出来てるよ。問題なく」
「ならよかった」
「今日、午後から出かけてくる」
「え、どこに」
 彼は箸を止めて、顔を上げた。
「買い物とか……、あと、髪切ろうと思ってたから、美容院も」
「俺もついていくよ」
「大丈夫だよ。誠司、買い物苦手でしょ」
「何買うの? ネットで買うんじゃダメなの」
「んー、何が欲しいとかじゃないけど、どうせ髪切りに行くし、ついでに」
「心配だなあ……」
「大丈夫だって。何か買ってくるものあれば言って」
「うん……」
 窓の外は太陽が照り付け、きっと茹るように暑い。そんな夏の空気さえ、何かが始まる予感のように、落ち着いていられない。目の前に座る彼とのギャップに、気づかないふりをした。

 空がオレンジ色のグラデーションに染まる頃、幾つかのショッパーを肩から下げて、家路についた。男の体は、体力があって、歩き回っても女のときより疲れない。いつまででも歩いていける気がした。
「ただいまぁ。遅くなってごめん」
 家の中に向かって叫ぶと、誠司が玄関に顔を出した。
「おかえり。……え、髪どうしたの。てか、服変わってるし」
「短くしてみた。似合う?」
「そりゃまあ、今のマコには似合うけど……。てか服、派手だね。可愛いけどさ……」
「派手かな? 誠司が着ても可愛いと思うよ」
「いや俺、そんな派手な柄物、着ねぇし……。てかさ、髪、一ヶ月で伸びんの? 女の子に戻ったとき短くね? 大丈夫?」
「まあ……、でも、女の子でもベリーショートとかあるじゃん」
「ベリーベリーショートすぎない? てか、買い物も多いな。何買ったの」
 彼が、玄関に置いたショッパーに手をかけ、中を覗く。
「いや、服多くない?」
「ごめん。誠司も着ていいよ」
「いやいや、こんな明るい色、着たことないし……。マコ、こういうの、好きだっけ。靴もそれ、買ったやつ?」
 誠司はスニーカーを指差している。正直これが一番高かったから、ツッコまれるとやばい。
「うん。昨日ユミクロで買ったやつ、足痛くなったし」
「そっかぁ……。ご飯できてるよ」
 彼はそう言って、背中を向けた。その後ろをついていくと、頭のつむじが少し見える。カレーの香辛料の匂いが、食欲をそそった。

 目が覚めると、見慣れた天井と、レトロなペンダントライトに、暗闇の中でゆっくりと焦点を合わせる。顔を右に傾け、薄いカーテンの外が夜の色をしていることを確認する。起き上がると、全身に汗をかいているのがわかる。隣の誠司を見ると、タオルケットを肩までかけていた。部屋の温度を下げるのはやめて、着ていたTシャツを脱いだ。再びベッドに体を沈めると、シーツが肌に擦れて気持ちいい。
 隣に眠る誠司が、寝返りを打ち、こちらを向いた。薄闇の中で無防備な顔を眺めていると、微かに寝息が聞こえてくる。唇は少し開いていた。
 男の姿になってから、性的な接触はおろか、キスすらしていない。
 彼はこの姿でも、キスをしてくれるだろうか。それ以上のことは?
 横になったまま、シーツの上で左頬を引き摺り、彼に顔を近づけてみる。鼻が触れそうな距離まで近づくと、彼の息が、微かに顔にかかる。
「は……」
 下半身から突き上げるように、体の中心に血流が巡る。顔が熱くなり、体の奥に熱がこもっていくのがわかった。腹の奥から、もどかしいような、焦ったいような感覚が急激に湧き上がる。
 半ズボンと下着を下げた。自分のものが勃起した状態を見るのは初めてだった。右手の指を、先端に触れてみると、すでに濡れていた。液体を塗るように、亀頭を指先で撫でると、もどかしさが増していく。手のひらで茎を握って上下に擦った。
「は……、はぁ……」
 男の性器が、こんなに感じるものだとは、知らなかった。いつも、手や口で、誠司のものを愛していたが、こんなふうに感じていたかと思うと興奮した。
 ――彼と……、体を繋げてみたい。
 はっきりとした欲望が、輪郭を現していく。この腕の中に、彼を抱き込んで愛したい。女のときよりも、大きな手のひらと、太くなった指、分厚くなった舌で、彼の全身を愛撫したら――。
 目の前で、気を許して眠る彼の顔が、たまらなくかわいく見える。その顔を乱したら、どうなるのだろう……。
「んっ……」
 頭が真っ白になる快感に包まれ、手のひらに生温かい液体を出した。今まで感じたことのない感覚に、息が整うまでしばらく動けなかった。
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