君の容れもの

晴珂とく

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Ⅱ 君の容れもの 第2話

心と体の違和感

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 サッカー、野球、ドッジボール、体を動かすことが好きだった。
 同級生の女の子たちが交換し合っていた、可愛い文具は集めなかったけれど、男性アイドルグループは好きだった。Hail Guyのサトくんを推していた。
 戦隊ヒーローよりも、歌って踊る、魔法少女が好きだった。
 メイクは好きじゃないけど、基礎化粧品には詳しくて、肌の手入れはちゃんと出来る。
 自分は着ないけど、フリルやレースのあしらわれた、可愛い服を見るのは好き。
 ――他の女の子と何かが違う――。
 その「何か」を言語化することはできなくて、何かを探し続けていた。

 駅前の線路沿いに建ち並ぶ、マンション群には、若いファミリー層から、年配の夫婦まで、幅広い世代が住む。マンション群の中央にある広場は、コンクリートで舗装され、花壇が入り組んでいる。その一角には、幼児用の遊具が設置された砂地の小さな公園。
 広場の外側は、塔と塔を結ぶようにマンションに沿って駐輪場が並ぶ。
 キックボードを乗り回す小学生、小型犬の散歩をする大人。
 広場の花壇の植え込みのそばで並んで座る、二つの小さな体。ランドセルを、背中からおろして、日に焼けたコンクリートの上に置く。
「花かんむり、作れる?」
 誠司が尋ねた。
「……作れない」
「シロツメクサで作るんだよ」
 彼はそう言って、シロツメクサを摘み始めた。
「作ってどうすんの」
「どうもしない。マコ元気ないから作ってあげる」
「元気なくないよ」
「でも最近、男子とも女子とも遊ばないじゃん」
「誠司といるほうが楽だから」
「……揶揄われても平気?」
 彼の質問に「え?」と顔をあげると、目が合った。
「誠司は嫌だったの?」
「違うよ。俺はだって……、友達いないのは前からだけど、マコは仲よかったじゃん。滝元たちと」
「仲いいっていうか、サッカーしてただけ」
「うん。出来た、見て」
 彼は、シロツメクサで編んだ輪っかを、目の前に差し出し「かわいい?」と尋ねてきた。
「ふふ……、雑草じゃん」
「え、ひど」
「嘘。かわいいよ」
「マコの頭につけていい?」
「えぇ……、まあ、いいけど」
 渋々了承すると、彼は花かんむりを頭に乗せてくる。
「うん。似合う、似合う」
「どうも」
「元気出た?」
「だから元気なくないってば」
「これさ、大きさ変えると、ブレスレットにもなるんだよ」
 彼は再び、シロツメクサを集め始める。その横顔を見ると、額と鼻の頭に汗が滲んでいた。
「てかさ、なんで男女二人でいると『カップル』なんだろうね」
 頭の上の、花かんむりを手に取って、眺めた。
「ああ、滝元たち?」
「保健体育でさ、LGBTとか習うじゃん。なのに、男二人でいても、女二人でいても、カップルぅ、とか言ったりしないよね」
「ああそうだね」
「あれは、なんで?」
「うーん……、男女のカップルが、マジョリティだからかな」
「え? 魔女?」
「マジョリティ。ほら、ブレスレット出来た」
 誠司は、シロツメクサの腕輪を、手首につけて、腕を前に出した。
「何その難しい言葉……」
「だから、LGBTがマイノリティでしょ。そうじゃない人はマジョリティ。多数派」
「なんでそんな言葉知ってんの」
「なんでと言われても」
「これの作り方は、なんで知ってんの」
 花かんむりを頭に乗せて、指を差す。
「これは、姉ちゃんに教わった。……俺とカップルって揶揄われるの、イヤ? 別々で帰る?」
「イヤとかじゃない。気にしてるとかじゃなくて、意味がわからないって話」
 風が柔らかく吹いて、頭に乗せた花かんむりは、地面に落ちた。
 歩きの辿々しい用事が、若い母親に手を引かれ、ゆっくり通り過ぎていく。
 世間一般のマジョリティと、マイノリティを分つものは何だろう。当たり前のように、マジョリティの物差しが適用される。LGBTのことはよくわからないけれど、世間の「当たり前」の中で、どんな気持ちで生きていくのか。
 耳をつんざくような、幼児の泣き声が響き渡る。振り返ると、転んだ男の子を、母親が抱き上げた。
「帰ろっか」
 誠司の言葉を皮切りに、ランドセルを背負って帰路についた。

 水色の水玉模様のベッドシーツの上で、少女漫画を読んでいた。中間テストの勉強をしなければと思いつつ、漫画に手を伸ばしてしまう悪癖。遠くでインターホンが鳴る音が聞こえ、次いで、母の話し声が聞こえ、それがやむと階段を登ってくる足音が近づいてくる。部屋の白いドアがノックされた。
「何」
「俺だけど」
「どうぞ」
 入室の許可を出すと、誠司が顔を出した。
「今日の分のノートと、今日あった教科のテスト範囲」
 彼は、ノートのコピーが入っているクリアファイルを差し出した。起き上がって「ありがと」と受け取る。
「毎日こんなにするの、大変じゃない? 学校行かないのは私の都合なんだから、できる範囲で勉強するしさ……」
「別にそんなに手間じゃないから」
「そうですか」
 あぐらをかいた脚の上に、クリアファイルの中身を出した。誠司のノートは、わかりやすくて、ときどき挿絵が描かれていてかわいい。
「なんで学校来ないの」
 彼は、学習机の椅子に腰掛け、こちらに体を向けた。
「何、どうした? 今まで訊かなかったのに」
「言いたくなかったらいいよ。あ、そのノートのコピー、一枚ちょうだい」
 彼の片手が伸びてきた。広げたコピー用紙の中の一枚を渡す。
「なんで」
「いいもの作ってあげる」
 彼は学習机の上で、紙を丁寧に折り始めた。背中を丸め、真剣な眼差しで、細い指を使い、細やかに折っていく。
「はい、出来た」
「何これ、服?」
 戻されたものを受け取った。
「そう、シャツ。可愛くねぇ?」
「かわいいけど……」
 紙で作られた、手のひらサイズの、襟付きの半袖シャツを眺めた。
「なあ色鉛筆ある? それか、カラーペン」
「そんなものは、この家にはない。三色ボールペンならあるけど」
「えー、三色ボールペンかぁ……。じゃあそれでいいや」
「そこに挿してある」
 机の上の、ペン立てを指すと、彼はボールペンを手に取った。
「それ貸して」
 紙のシャツを再び彼に差し出すと、彼はそこに線を幾つも描き始めた。
「ストライプのシャツ」
 彼は、青い線がびっしりと描かれたそれを手に持って、得意げに言った。
「ふふ。おしゃれになったね」
 その作品を、親指と人差し指に挟み、腕を伸ばして遠目に見ると、世辞じゃなく可愛く見えた。
「制服のさぁ、シャツが白くて透けるじゃん。あれ、嫌なんだよね」
 先ほどの誠司の問いに対するアンサーのつもりだった。
「ああ。下に何か着れば」
「あとスカートも嫌だ。下半身がもたつくというか、裾のとこが足に当たって痒いし」
「スカートねぇ……。じゃあ高校は、女子もスラックス選べるとこにすれば」
「そういうとこがあるなら、ぜひそうしたい」
「え……、まさかそれが学校来ない理由?」
「それだけじゃないけど……」
 ベッド脇のクッションを拾い上げ、膝ごと抱えた。
「あのさ……、私、病気かもしれないんだよね……」
「えっ、何の……?」
 彼が身を乗り出して、目を見開いた。
「や、ごめん。そういう系の病気じゃなくて、痛いヤツのほう」
「は、何、痛いやつって」
「笑わない?」
「笑うわけないだろ。何の病気なの」
「だから、そういう……、正規の心配をしてもらうような病気じゃなくて……」
「痛くてもなんでもいいから、教えて、早く」
「私……、ちゅ、厨二病かもしれない……」
「……ちゅうにびょう……」
 彼は真琴の言葉を繰り返した。頭の中で漢字に変換するのに数秒の時間を要したらしい。一拍の沈黙の後、「なるほど」と言い、前髪を触り、俯いた。
「やっぱ笑うじゃん!」
 誠司にクッションを投げつけた。
「や……、笑ってはいない……」
 と言いつつ、彼は顔をあげない。
「もういい」
「笑ってないって。なんで厨二病だと思ったの」
 彼は椅子に片足を上げ、抱えるように腕を前で組んだ。
「絶対笑う……」
「笑わない。話すだけでもラクになるかもしれないだろ。昔、マコが俺の味方してくれたみたいに、俺だって力になりたいと思ってるよ」
 閉め切った窓の向こうから、小さく選挙カーの音が聞こえる。自分のためにしていたことに、恩を感じられるのは、胃が沈むように重くなる。
「別に、誠司のためじゃなかった。私がそうしたかっただけ」
「だとしてもだよ。俺は嬉しかった」
「私は……、なんか、なんか、ずっと、自分じゃないみたいな感じなの。私の本体は、別のところにあって、今の私は、別の人の人生を歩んでるみたいな感覚……。このままじゃダメだ、みたいな……、漠然とした不安が、ずっとあってしんどい……」
 言い切ってから顔が熱くなった。自分は一体何を言っているのか。形の無かった気持ちを、言語化してみると、まともじゃないことが浮き彫りになった。
「本体はどこにあるかわからないの」
 誠司が話に乗ってきてくれたが、いたたまれずに「わからない」と小さく言う。
「そっか…。その感じだと、手がかりとかも、無いってことだよな」
 彼の問いに、何も答えなかった。
「じゃあさ、とりあえず今のところ、なす術がないわけだから、今のマコの人生を、代わりに楽しんであげるみたいな方向性でどうよ」
「……どうよって言われても……」
「いや、だってさ、他の人の人生を歩めるなんて、漫画の中の世界じゃん。そういう設定よくあるけど、リアルに体験するってすごすぎるだろ。なかなかねぇよ。なかなかというか、ほぼない。楽しまなきゃ損だろ」
 彼の顔を見ると、先ほどのコピー用紙を折っていたのと同じくらいには、真剣な眼を向けてきていた。
「……不謹慎だった?」
 彼の眉毛が少し下がる。
「いや、その発想は無かったから、参考になります」
「ああよかった……。そしたら、手始めにシャツの折り方、教えようか」
「それは遠慮しておくわ」
 折り紙のレクチャーを辞退すると、彼は口を尖らせた。選挙カーの音は気付けば消え、小学生らしき子供たちの、遊ぶ声が聞こえる。
 此処が何処なのか。自分は、本当は誰なのか。わからないなら代わりに今は、この人生を生きてあげる。
 その提案は、驚くほど気持ちを軽くした。

 ホームルームが終わった後の、教室のざわめきは、かすかに耳障りだ。拘束された毎日の中で、与えられた自由は、身の置きどころがない。スラックスを履く女子生徒は、クラスの中で真琴だけだった。
 肩を軽く叩かれ、廊下側の開いた窓のほうを見る。春山はるやまが笑顔で立っていた。
「……先輩、迎えに来なくても、委員会サボったりしません」
「どうかなあ。実際、何回かサボってるからなぁ」
「だから、そうやって来られると、サボれなくなるじゃないですか」
「うわ、そっちが本音じゃん」
「だって二人もいらないじゃないですか」
 教室を出て、仕方なく図書室へ向かう。背中から「マコ」と声をかけられ、振り返ると、誠司が立っていた。
「今日、委員会サボれなくなっちゃったから、先帰って」
「おいおい。サボる前提でいるんじゃないよ」
 春山が拳を作り、真琴の頭を叩くフリをする。
「俺も調べ物あるから、図書室行く。終わったら一緒に帰ろう」
 誠司は並んで歩き出した。

 返却された本を、本棚に返すと、早速手持ち無沙汰になった。カウンターに座ると、誠司が視界の端に入る。彼は、三、四冊の本を積み、背中を丸め、夢中で本の世界へ入っているようだった。
「彼氏?」
 隣に座る春山が、顔を覗き込むようにして尋ねた。
「違います。先輩、仕事終わったんですか?」
「まだ……。手伝ってくれる?」
「一人でやったほうが早いと思います」
 彼の手元のファイルに視線を落とした。バーコード整理は、あと少しで終わりそうだと判断できる。
「きびし。付き合わないの?」
「何がですか」
「あそこの彼と」
 春山の問いに、大きなため息がこぼれた。
「男女二人でいると、すぐに恋愛絡めたがる風潮、なんなんですか」
「え、ごめん。気に障った?」
「あそこにいるのが女の子だったら、先輩は、彼女? 付き合わないの? とか訊かないですよね。なんで異性だと、そうなるんですか」
「いや、訊く、訊く。女の子だったら、彼女? って、訊くよ」
「え、それすごく、デリカシーがないと思います。同性で付き合っているのを隠したい人だったら、どうするんですか」
「えぇ……、ちょっと、ちょっと。何が正解なんすか。難しすぎるよ……」
 彼は、広げたファイルに突っ伏して、嘆くように言った。誠司がこちらに振り向き、目が合った。少し眉を上げ、目で尋ねると、彼は首を横に振り、再び本に視線を落とした。

「あの人、絶対マコに気があるよ」
 誠司が唐突に言い放った。並んで歩く誠司は、気付けばマコの身長を抜かし、やや見上げる位置に顔がある。西陽が眩しく、眼を細めた。
「春山先輩のこと? 無いと思うよ」
「なんで言い切れるんだよ」
「先輩、誰にでもあんな感じだから」
「そうかなあ。マコが鈍いだけじゃないの」
「なんだってぇ? そんな失礼なこと言うのはこの口か?」
 彼の頬をつねると、彼は「いてぇよ」と振り払った。
「もし告白されたらどうすんの?」
「はあ?」
「あの人にさ……」
「……そういう話、さっき先輩にも訊かれたよ」
「えっ、何を?」
「誠司のこと、彼氏なの? って。なんでみんな、そういう思考なの。男女でいたら恋愛に結びつけたがるの」
 ずっと前にも、こんな会話をした気がした。そのとき誠司は、何と言っていただろうか。
「……一番、興味あるところだからだろ」
「恋愛が、ってこと? 誠司もそうなの?」
「まあ、なくはないよ」
「その割には、告白ぜんぶ断ってるよね」
「えっ」
 彼は弾かれたようにこちらへ向いた。眉を歪め、目を見開いている。
「な……、なんで……、し、し、ってん……」
「女子は噂好きだから、聞かなくても耳に入るというか」
 彼の言葉が形になる前に、汲み取って回答する。
「だから誠司も、興味ないのかと思ってた。……ん、あれ」
 誠司の姿が見えず、振り返ると、彼は立ち止まって俯き、片手で顔を隠していた。
「どうしたの」
「俺だって……、マコが告白断ってるの、知ってるし……」
「なに張り合ってるの」
「マコは、興味ないから断ってるの」
「まあ、相手のこともよく知らないし」
「好きな人がいるわけじゃなく?」
 彼は、顔をあげ、目を細めた。こちらの様子を観察でもするかのように。
「いないけど」
「恋愛そのものが興味ないの」
「ていうか、あんまり深く考えたことないけど…、想像はつかないね。友達の話聞くけどさ、デート行ったとか、キスしたとか。そういう型に嵌ったルートを、自分が辿れるかと言ったら、できない気がする。彼氏彼女とか名前のつく関係に違和感しかない。もしかしたら一生、誰とも付き合えないのかも、とは思うよ」
 言葉が、押し出されるように次々と出てくる。自分の中の感覚を、それでいい、と言い聞かせながら、誠司には理解されたいと思っている。
 梅雨の天気は変わりやすい。西陽が暑かった空が、鉛色に染まり、雨が降り出しそうな雲を連れてきた。
「例えばだけどさ」
 彼は、視線を地面に落とし、顎に手を当てている。
「女の子と付き合うとかなら、イメージできる? できそうとか思う? それか……、例えばだけど俺とか。例え話だけど俺はさ、昔から知ってるし、別に気を遣わなくてもいいわけだろ。ステレオタイプのデートもしなくていいし、彼氏彼女とかの型に嵌めて考えなくていいじゃん。まあ……、例えばの話だけど……」
「んー……」
 誠司の言うようなことを、想像をしてみる。自分が誰かと恋愛をするなら、そういう選択肢もあるのかと。
 電線の椋鳥が、一斉に飛び立ち、くすんだ空に黒い斑点を散りばめる。
「……どっちも無いかな……」
「……そっか……」
 腕に水滴が当たった気がした。
「雨降りそうだから、帰ろうよ」
 誠司は「うん」と小さく答えて歩き出した。それ以降は、家の前で別れるまで何も話さなかった。

 オレンジ色に染まっていく空の麓には、家が立ち並ぶ。上空が少しずつ群青色に染まる時間。暑い日中が嘘のように、夕方には涼しくなる季節。隣を歩く誠司は、口数が少なく、何かを言おうとしているのがわかる。ただ彼のタイミングを待っていた。
「マコ」
「はい、何」
「あのさ、俺……、彼女できた」
「あ……、そうなの」
 誠司の口から出てきた報告は、あまりにも予想外で、鼓動が早くなった。
「全然、知らなかった。そういう……、いい人がいたこと……」
「や、というか、告白されて、断る理由もないし、付き合ってみるのもいいかなって」
「へぇ。同じ学校?」
「C組の伊藤さん」
「あ、知ってる。可愛いよね」
 肩甲骨の下まである長い髪を、緩くたなびかせ、垢抜けた化粧をしている女の子。ショートヘアの、化粧っ気のない真琴とは正反対だ。
「それでさ、明日から一緒に帰れない。朝も別々で」
 彼の申し出に、思わず「えっ」と大きな声が出た。
「なんで」
「彼女が嫌がるから」
「あー……、そうなんだ。高校生になっても、異性といるのは、気になるものなんだね」
「高校生だからだろ」
「そうなの?」
 誠司の顔を見ると、彼はこちらを一瞥し、前方に視線を戻した。
「普通は、そうなんじゃない?」
「普通そうって、何が」
「だから……、年齢が上がるにつれて、異性の友達って、制限が多くなってくるって話」
「そうなの? なんで」
「なんで、って……」
 彼は俯きがちに、顔を逸らした。そのまましばらく言葉が返ってこず、沈黙が続く。鴉の鳴き声が、遠くで聞こえる。
「わかった」
 彼の横顔に伝えた。わかったから、こっちを向いて欲しかった。
「うん、ごめん」
 だけど彼は、顔を背けたままだった。
「いいよ。私、寄るとこあるから、ここで」
「ああ、じゃあな」
「バイバイ」
 丁字路で別れるときも、目を合わせてくれなかった。行くあてもなく、真っ直ぐに歩き続ける。目の前に伸びた影は、長く、長く、頭の先が離れている。
 大声で、男子が揶揄ってきたのは、小学生のときまでだ。同じように伸びる手足の、筋肉のつき方が変わったのは、中学生のころ。少し膨らんだ胸と、くびれたウエスト、細い首。女子でもスラックスを選択できる高校で、友達は皆、彼氏や恋バナに夢中だった。それが「せい」を謳歌することだと言うように。
 上空を覆う群青色が少しずつ、少しずつ濃くなっていく。「自分」が今、どこにいるのかもわからないまま、死んでいくのかもしれない。歩く速度が速くなり、呼吸が乱れる。
 漫画の世界だと励ましてくれた、いつかの誠司の言葉を思い出す。もしも漫画の主人公だったら、答えは必ずわかるはず。それだけが、一縷の望みだった。
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