君の容れもの

晴珂とく

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Ⅶ 君の容れもの 第7話

訣別

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 真夜中でも湿気と熱気を含んだ外気は重くて、体をだるくした。深夜のコンビニは意外と人が出入りする。トラックの運転手や、学生らしき男性。この時間でも、眠らない人はいる。当たり前のように世界はまわる。
 残酷なほどに深い闇夜に、タバコの煙を吐き出した。久しぶりのヤニは、脳みそに直撃して目が眩んだ。吸い殻をコンビニの灰皿に捨てて帰路につく。
 玄関を静かに開けると、家の中の電気は消えていた。リビングの照明を点けると、ソファから足がはみ出ているのが目に入る。低い声で「ううん」と小さく唸る声が聞こえ、真琴が起き上がった。
「ごめん。起こした。つか、寝るならちゃんとベッド行けよな」
「ベッドは誠司が使っていいよ。俺は今、仕事休みだし、余裕あるから」
 真琴の気遣いに、喉の奥が鈍く痛むと同時に、胸が苛々する。息を細く吐いて、真琴にぶつけそうな怒りを逃す。
「……ちょっと、今話せる?」
 真琴の返事を待つ前にダイニングテーブルの椅子を引いて腰掛けた。真琴も黙って向かいに腰を下ろす。
「男のままでいるって、仕事はどうするの」
「職場に相談するのは今からだけど、性転換症支援団体の弁護士さんが立ち会ってくれるらしい。性別の違い以外は、今までと同じような待遇で働けるように……」
「そんなことまでやってくれんの」
「うん。その代わり、体とか、メンタルの変化を定期的に報告したりして……」
「なにそれ。それってやらないといけないことなの」
「いや、任意だけど。でもその分、サポートとか手厚くなってメリットはあるし、俺も、同じような人のために、研究に協力したいっていうのもあるけど」
 ああそう、と小さく相槌を打って、首の後ろをさすった。ふう、と深く息を吐く。
「マコが……、トランスジェンダーなんじゃないかって、薄々思ってた」
「え……」
「なんで教えてくれなかったって責めるなよ。そうじゃない可能性だって同じくらいあったし、全然別の、たとえばアセクシャルとかの可能性も考えたし、俺だっていろいろ調べたりしたことあんだよ」
 真琴は、そうなんだと息だけで呟いて俯いた。
「セクシャルマイノリティでさ、もしかしてそうなんじゃないの、なんてなかなか言えねぇよ。ましてやトランスジェンダーなんて、本人の自覚もないところに言ったら、ますます悩みが深くなることもあるかもしれないだろ」
「……ごめん」
「マコが謝ることじゃないけど……。や、てか俺も、何かできることが他にあったかもしれないって思う……。だから、ごめん。俺こそ」
 真琴は首を横に振った。
「確認したいんだけど、マコの恋愛対象は男なの? それとも両方?」
「……わかんないよ。誠司しか好きになったことないし。でも芸能人とか、男の人が好きなことが多かったから、ゲイなのかな」
「いや、そんなん、俺だって芸能人で言ったら、男の俳優とかアーティストとかも好きだけど」
「そっか。じゃあわかんない」
 会話の途切れた静寂は、重い沈黙として肌にまとわりつく。本題が喉につかえて重苦しい。頭を雑に掻きむしってから、再び深くため息を吐く。
「俺らの今後のことだけど……」
 真琴の体がぴくりと小さく反応するのが目の端に映った。二人の空気が緊張感に浸食されていく。
「俺は……、今までも女の子としかしたことなくて、根本的に、女性っていうのが……、恋愛対象の前提なの。せ、性的なことも含めて……」
 真琴が片手で顔を覆い、手のひらで目元を擦っていた。その姿に、胸が針を刺すように痛む。
「でも、マコのことはそれだけじゃなくて、人としてというか、家族として大事だし、性別が変わったからって離れるとかはしたくない……」
 真琴の反応を窺うが、何のリアクションもなく、片手で顔を覆ったまま全く動かない。
「だからさ、今まで通り、生活を共にするパートナーとして一緒に暮らして、性的なことはお互い外で発散するとか……。特定の相手とかは不倫っぽくて不健全だから、風俗とか使ってさ……」
 この提案はまずい。口に出してから気づいたが、止められなかった。
「そういうサービスって女相手でも男相手でもあるし、いろいろ使ってみたら、マコも自分の指向がわかるんじゃない。今までは性自認がわかってなかったから恋愛対象がわからなかったかもしれないけど……」
「ちょっと考えさせて」
 誠司の言葉を遮るように真琴が声を張った。低い男の声は、少し張るだけで圧があって、心臓が小さく跳ねた。
 寝室に大股で向かう真琴の背中を追う。真琴はクローゼットからスーツケースを出して乱暴に床に倒した。それからスーツケースの中に、次々と衣類を入れていく。
「なにしてんの」
「しばらくホテルか漫喫泊まるから」
 なんで、と問う前に「少し離れて考えたい」と真琴は続けた。荷物を詰めて玄関に向かう背中に「今から?」と尋ねたが、真琴は何も答えず靴を履く。
「なあ……、マコ、ごめん……」
「謝るな」
 真琴は立ち上がってスーツケースを片手に扉に手をかけた。背中を向けたままの真琴から、ため息が聞こえた。
「俺がそういうことしたいと思うのは、誠司だけだよ」
 扉は勢いよく閉められ、スーツケースの車輪を転がす音が遠ざかっていく。全身の力が奪われるように抜けて、膝から崩れ落ち、床に手をついた。

 やや照明を落とした居酒屋の、障子で仕切った個室に十人以上が鮨詰め状態で座っていた。大学時代の学科の面子は、今でも数ヶ月に一度はこうして集まっているらしいが、誠司が参加したのは今日が初めてだった。中には知らない顔も二、三人いて、彼氏や彼女を連れてくることもよくあるという。
「珍しいじゃん。誠司が来てくれるの」
 大学時代に明るい染髪だった友人は、黒髪の短髪になっていた。
「誠司って仕事何してんの」
「在宅ワーク」
「それ仕事じゃなくて勤務形態」
 誰かのツッコミと共に、周りの連中が大声で笑った。久しぶりの学生ノリに、懐かしさが込み上げ、二週間ほど沈んでいた気持ちも僅かに浮上した。今日はちゃんと酒の味も食事の味も感じる。周りに乗せられ、酒はどんどん進み、いい気分で酔いが回っていた。
「なあ、誰か二次会行かないで帰る人いない? 誠司のこと送って行って欲しいんだけどぉ。俺、方向逆だし、てか二次会行くしぃ」
 遠くで誰かが叫ぶ声が聞こえる。誰かに全力で体重をかけている気がするが、瞼が重くて上げられない。
「あー、私行くよぉ」
 頼むわという声と同時に「タクシー来たよ」と叫ぶ声が聞こえた。担がれていた体が、雑に放られ、シーツのような感触を頬に感じる。複数の声が何やら頭上で喋る声が聞こえた後、車の扉が閉められ、静寂が訪れた。そのまま意識は深く沈んでいく。
「誠司くん、起きて。着いたよ」
 肩を叩かれ薄目を開ける。腕を引っ張られるようにタクシーを降りた。
「あー……、タクシー、お金……」
「立て替えといたから、ちゃんと歩ける? 鍵は?」
 ポケットの財布から、家のカードキーを出すと、即座に奪われ、エントランスの扉が開けられた。誠司の腕を肩に担ぐ小柄な人物。その輪郭が、徐々にはっきり見えてくる。
「え……、亜美あみ?」
 高校と大学で一緒だった同級生の名を呼んだ。ばちばちにメイクを施してある彼女の顔がこちらを見上げる。
「今気づいたの」
「なんで亜美がここにいるの」
「はあ? 送ってきてあげたんじゃん。誠司くんが完全に潰れてたからぁ」
「ああそうなんだ……。ありがと。もうここでいいよ」
 亜美の肩に担がれた腕を回収し、体を離すと、足元がふらついて壁に手をついた。
「ほらぁ、まだ全然酔ってるし、部屋まで送るから」
 再び腕を担がれ「いいって」と抵抗するが、「だめ、心配でしょ」と強引に体を引っ張られていく。
 奪われたカードキーで玄関の鍵が開けられ、中に入ると自動で照明が点く。亜美は当たり前のようにパンプスを脱ぎ、腕を引っ張って奥まで入っていく。
「広いね。寝室どこ」
「や、もういいから……、帰ってくんない」
「ここかな」
「そこトイレ……」
「じゃあこっち。お、当たり」
 腕を引っ張られ、ベッドに座らされる。隣に亜美が座った。
「一人暮らしにしては広くない?」
「一人暮らしじゃないから」
「え、実家じゃないよね? え、もしかして彼女とか? 同棲?」
 答えるのが心底面倒になり、無視をして亜美の座る位置と反対側に上半身を倒した。
 辺りを見渡すようにぐるりと首を回した亜美は「わかったかも」と呟いた。
「喧嘩したんじゃない? 彼女と。そんで出てっちゃったとか。あー、だから今日、潰れるまで飲んでたのかぁ」
「もうお前、まじでうるさい。帰れよ」
 苛立ちをぶつけるように声を張ったら、気持ち悪さが込み上げ、うっ、と口に手をあてた。
「ちょっと大丈夫? さっき水買っといたけど飲む?」
 床に置かれたブランドもののバッグから、ペットボトルが取り出された。その水は、よく冷えていそうな結露を纏っている。無言で受け取り、寝転んだ状態で口に運ぶが、口に入る量よりこぼれる量が多かった。冷たい水が首元を伝っていく。「ああもう、ちょっと」と、亜美にペットボトルを奪われる。
「しょうがないなあ」
 と、亜美は水を口に含んだ。彼女の顔が近づいてきて、唇に柔らかい感触を得る。口内に生ぬるくなった水が流し込まれ、口の端から少しこぼれた。
「ぬるいし……。なに。誘ってんの」
「ふふ……。もっと飲む?」
 亜美の華奢な体を抱きかかえて、ベッドに沈めた。彼女の胸元に顔をうずめて、両手で乳房を揉んだ。
「あー……、おっぱいだわ、これ……」
「あはは。おっぱいですけど何か? 直接触っていいよ」
 亜美は服を胸の上まで捲り上げて、ブラジャーのフロントホックを外した。手を引っ張られ、剥き出しになった乳房に持っていかれる。
「やわい。女のおっぱいって感じ」
「なに童貞みたいなこと言ってんの。取っ替え引っ替えしてたくせにぃ」
「してねぇ」
「してた。あ、わかった。彼女さんムネないんでしょ」
「お前黙れよ」
 胸の先端を指先で抓ると、亜美はアンとわざとらしい声で啼いた。忽然と現実に戻される。
「……」
「なぁに。もっと触っていいよ」
 胸の内が寒々と温度を下げていく。下半身はぴくりとも反応しない。
 ――だめだ。こういうことじゃない。
 上体を起こし、亜美の胸にかけていた手を外した。
「悪いけど勃たねぇわ」
「えー何それ、飲み過ぎたぁ? じゃあ口でしてあげるよ」
「いやいい。やめて。ほんと無理」
「はー? ノリ悪ぅ」
 いいから貸しなよと、ジーンズに手をかけられ、やめろと抵抗しながら片手を後ろについた。攻防を繰り広げ、もつれ合っていると、寝室の扉が勢いよく開けられた。大きな音に、痛いくらいに心臓が跳ねる。
「あ……」
 立ち尽くす真琴と目が合うと、彼は踵を返して立ち去った。胸の底が一気に冷え、その背中を弾かれたように追いかける。
「待って! 待って違う! マコ……! 違う! 聞いて!」
 自分でもみっともないくらいの必死な声で、真琴の服の裾を掴んだ。
「ごめ……、マコ、違う……、ちがくて……」
「違うって何が」
 背中を向けたままの真琴が低い声で問う。
「あ……、これは……」
「デリヘル?」
「はー、失礼しちゃう」
服を整えた亜美が、二人を横切っていく。
「イケメンじゃなかったら張っ倒してるからね。友達来るなら言ってよ」
亜美はパンプスを履くと振り返り、二人を交互に見てから、玄関の扉を開けた。
「またエッチしようね、誠司くん」
これ以上ない悪意を置き去って、扉は閉められた。遠ざかるヒールの音。脈は早まり、呼吸が浅くなる。
「ま……、ちが……、違う……」
真琴の腕を力強く引っ張った。彼は目元を赤くして涙を溜めていた。その顔を手で覆い、声を殺して泣いている。取り返しのつかないことをした焦燥の闇に、足元から飲み込まれた。
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