君の容れもの

晴珂とく

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Ⅹ 君の容れもの 第10話

失ったもの

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 それは、ホテルの一室のようでもあった。だけど扉が病院にあるようなスライド式で、開け放たれたバスルームは部屋のサイズの割に広い。未だかつてなく逃げだしたい衝動を抑えるために、狭い部屋の中を歩き回った。「逃げる」選択肢を無くすため、店舗型ヘルスにわざわざやってきた。
 ――性的なことはお互い外で発散するとか……。
 ――風俗とかさ……。
 かつて真琴にした提案に、今になって胃が締め付けられる。なぜあんなことを言ってしまったのか。自分だって性風俗を利用したことなどなかった。
「つか、シャワー浴びとくんだったっけ?」
 受付でされた説明をほとんど覚えていない。
 扉がノックされる音が聞こえ「は、はい」と辛うじて返事をした。スライドされたドアから現れたその顔を見て、眩暈がした。
「よろしくお願いします。アキラです」
 ついこの間、デリヘルでキャンセルした男だった。堀の深い顔に、鍛え上げられた逆三角形の体が威圧的で、よく覚えている。ものの数秒しか顔を合わせていないし、彼が覚えていないことを願ったが「この前、デリでも会ったよね」と笑顔を向けられた。
「あの……、チェンジとかアリ?」
「はは。ナシだね。受付で説明されなかった? そもそも今、俺しか入れるヤツいないんだ。残念だったね」
 受付で見せられたパネルをほとんど見ていなかった。焦燥を纏ったむかつきが、胸の内を駆け抜ける。腕をさすった。
「それにしても偶然だなあ。ここ、デリと系列で、たまたま今日ヘルプに入ってたの。お兄さん、タイプだからまた会えて嬉しいよ」
 胃が沈んでいくように重くて、立ち尽くした。アキラが近づいてくる。
「ねえ、そんなに俺じゃ不満? この前、仮病使ったでしょ」
 咄嗟に吐いた嘘は透けていたらしい。彼から顔を逸らした。
「俺、男初めてだから、もっと中性的なほうがやりやすいかなって……。あんた、男性的すぎる……」
「……え? お兄さんこれ、アナル開発コースだけど合ってる? 俺タチ専だし、お兄さんが抱かれるほうなんだけど」
 顔がカッと熱くなり「わかってる!」と語気が強くなった。
「俺は、そっち側ができるように来たんだから……っ」
「ああそう。わかってるならいいんだ。じゃあまず、洗浄からね。おいで」
 バスローブを脱いだアキラの体は、真琴よりも分厚い筋肉を拵えていた。体毛も濃い。逆三角の背中が振り返る。
「脱がしてあげようか」
「い、いや、いい、じぶ、自分で……」
 シャツのボタンを外す指が震える。それを見られていることに気づいて背中を向けた。
「お兄さん、ノンケなんだよね」
 アキラは全裸で洗面台に腰を乗せた。
「へ……、え?」
「あーだから、ヘテロセクシャルってこと。男初めてって言ったでしょ。なんで来ようと思ったの」
「……なんだっていいだろ」
 シャツの袖を腕から抜いて、ベルトに手をかけた。
「さっき、抱かれる側ができるようになりたいって言ってたね」
 小さく舌打ちをして彼を睨みつけた。
「詮索すんなよ」
「だって、そんなに手が震えちゃうほど怯えてんのにさぁ、頑張らないといけない理由って何だろうって、気になるでしょ、普通に。何をそんなに切羽詰まってるの」
「どうだっていいだろ……」
 なんとなく泣きそうになって、声が小さくなる。
「いや、だってさ、そんな今から殺されにいくみたいな悲壮感いっぱいで、こっちはどういうスタンスですればいいんだろって思うじゃん。抱いて欲しい男がいるとか?」
 下着を脚から抜きながら「うるせぇな」と呟く。
「あー図星。健気だね。え、なに、処女だと怪我するかもしれないから、先にプロの手で貫通させにきたってこと?」
「まじでうるせぇんだけど」
「あはは、可愛くて」
 縮み上がっている誠司の脚の間のそれを揉むように触られ「うわ」と声が出た。
「やめろよ」
「いやいや、今からこういうことするんだよ」
 アキラは蛇口を捻って、管から出ている湯の温度を確認した。
「はい、お尻出して」
 いよいよ動悸が激しくなり、こめかみまで熱くなる。アキラに腕を引っ張られた。
「ほら、好きな人のために頑張るんでしょ。おいでよ」
「い、い、痛く、痛くしないで……っ」
 声が震える。
「はは、可愛い。痛くしないのがプロなんですけど」
「い、いかなくてもいいから、ゆっくり……っ」
「はー……、さすがにそれは……。舐めてんの? 天国見せてやるよ」
 彼に背中から抱きかかえられ、脚を開かされた。下から湯が入ってくる感覚は言いようのない異物感で、恐怖で鳩尾みぞおちが痙攣した。あとは泣き叫びながら足掻いていたことしか覚えてない。

「ねぇ大丈夫?」
 体力も精神力も使い切り、ベッドに横たえた重い体に肉厚な手のひらが乗せられた。涙と鼻水が乾いて膜を張った顔を少しあげて、腹の上のアキラの手を退かした。
「言っとくけど、俺もかなり消耗したからね。やめてって言ったり、続けてって言ったり、困ったお客さんですよ、お兄さん」
 結果的に指しか入れていない。そこに安堵している自分に頭を抱え、髪を掻きむしった。「おいちょっと、お兄さん」と手首を掴まれる。
「今日、俺でよかったと思うよ。プライド高いタチ専多いから、他のヤツだったら強引にちんこ突っ込まれてたか、途中で切り上げられて、出禁になってたかもね」
 頭にアキラの手が触れて髪を撫でつけられた。
「まだ最後まで出来てないし、続きするなら次からデリのほうで指名して」
 彼が顔を寄せて囁いた。天井の間接照明をぼんやり眺めながら、ベッドに沈む体はまだ動きそうにない。

 駅徒歩五分以内の場所にあるスポーツジムの周辺は、飲食店やスーパーマーケットで栄えていて、夜でも明るい。スーツ姿の男性や、子連れの女性が賑やかに行き交う。
 カムフィットネスの従業員口前のガードパイプに軽く腰を下ろした。会員アプリで真琴の夕方以降のレッスンが入っていないことは確認してある。おそらく早番だろう。だが確実ではない。
 一分ごとにスマホで時間を確認する。待ち時間が途方もなく永い。気が遠くなるほどの緊張が、ここ二週間ほどの悍ましい記憶と胸の鈍痛を連れてくる。
 あれから二回、アキラを指名し、ホテルへ呼んだ。デリバリーのほうでは赤石という源氏名だったか。
 最後のときのことは、思い返すたびに胃が締め付けられる。
「ね、もう指三本スムーズだから、挿れていい?」
 顔を覆っていた腕を少しずらし、誠司を組み敷く大男を見上げる。一瞬、何のことか考えて、胸の底が急激に冷えた。
「嫌だ。挿れるな」
 アキラ、もとい赤石の胸板を押し返すが全く動かない。
「いやいや、このコースは本番までセットだからね」
「いやいい。ここまでで」
「挿れといたほうがいいと思うなあ。指と全然ちがうよ」
 赤石は、いつの間に準備したのかわからない性器用のコンドームを枕の下から取り出し、歯を使って封を切った。胸が内側から叩かれるように鳴っている。やめろと言いかけた瞬間に唇を塞がれた。
「好きな人に抱いてもらうんでしょ。頑張って」
 体格の違いすぎる男にどうすることもできず、圧力の高いものが押し入ってくる。内臓が破裂するかと思うくらいに、内側から圧迫される。
「苦しい……、抜いて、怖い……っ」
「ね、指と全然ちがうでしょ。そんな反応してたら相手萎えちゃうよ。動くね」
「嫌だ……っ。やめろ! あっ、あ……」
 あとで店に苦情を入れてやると思ったが、その気概すら奪われるほど、何度も強引に射精させられた。後味が悪すぎて、思い返す度、後悔する。
 ――自分でやればよかった……。
 思えば最初の一回だけでじゅうぶんだった。盛大なため息をこぼし、項垂れた頭を乱暴に掻く。
「誠司」
 弾かれるように顔を上げた。真琴の顔を見た途端、胸が詰まる。
「あ……、マコ……」
「なんでいるの」
「ご、ごめん、待ち伏せとか……」
 だけど連絡が返ってこないのだから他に手段がない。
「話したい」
「こっちは話すことない」
「頼むよ!」
「うるさい!」
 真琴は眉を吊り上げて声を張った。
「ここ他のスタッフとか、お客さんも通るから、来て」
 顎でしゃくる真琴の背中についていく。人通りの多い駅の構内を通り抜け、歩道橋が迷路のように入り組んだ広場へ来た。まばらに人が集まる中央の路上ライブを遠目に、真琴は生垣のそばのベンチに腰掛けた。膝丈のコートから現れる、ジョガーパンツの長い脚を組む。ポケットに手を入れる真琴は、知らない人に見える。
「それで何。手短にお願い」
 素っ気無い態度に喉が詰まり、胸に痛みが滲む。
「そんなに、冷たくすんなよ……。待ち伏せして、悪かったけど……っ」
 情けなく声が震えた。荒い口呼吸で胸の痛みを逃がす。真琴の表情が少し緩んだ。
「誠司……、泣かないでよ」
「泣いてねぇよ!」
「とりあえず座りなよ」
 手を取られて真琴の隣に腰掛けた。
「それで、どうしたの」
 少し優しくなった言い方に、体の強張りが僅かに解けた。
「この前は……、悪かった。その……、初めてだったから正直怖かったのはある。だから今日は全部、準備してきたから、リベンジさせてほしい」
 何もリアクションをくれない真琴に「何か言えよ」と催促すると、「準備って何」と低い声で返ってきた。
「だから……っ、挿れられるようにしてきたから」
 必然的に声が小さくなる。周りを軽く見渡して、聞かれていないか確認した。
「どういうこと。自分でやったの」
「や……、自分では出来なくて……、プロの手は、借りたけど」
「へぇ。女の人にやってもらったんだ」
「男だよ! この期に及んで女にやってもらうわけねぇだろ!」
 思わず立ち上がって叫んだ。通りすがる人の視線が痛い。肩を窄めて座り直した。真琴が「ゲイ風俗ってこと?」と尋ねる。
「だからそうだって……。もう勘弁して」
 片手で顔を覆って目元を擦った。いたたまれなさで顔が熱い。
「誠司……、誠司は何もわかってない」
「は、何が」
 思っていた答えと違う。真琴の顔を見ると、ただ足元に視線を落としていた。
「ゲイ風俗に行って準備オッケーって、それで本当に、俺が喜ぶとか思ったわけ?」
「そんなの……、だってこの前、してくれなかったのは、俺が初めてだったからだろ」
「違う。誠司の覚悟ができてなかったからだよ」
「同じだろ! 最初はそりゃ……、怖いとかあるだろ。仕方ないじゃん。だから慣れるためにしてきたんだろ!」
「慣れるために、他の男の人とエッチしてきたんだ。最後までしたの?」
「だからプロにしただろ! 貫通してないと面倒くさいのはそっちじゃん!」
「……悪かったね、面倒くさい処女で」
「は……、は、いや、違……、お前の話じゃねぇよ! 今…俺の話をしてるんだろ」
「もうわかった、もういい」
 真琴は深いため息をついた。
「もうやめようって言ったよ。終わりにしようって」
「いや、だから、もう一度チャンスをくれって言ってんだろ。そのために俺、どれだけ大変な思いをしてさ……」
「頼んでないし、もう嫌なんだよ。もう関わりたくない、誠司とは」
 明々白々と言い渡された別れに、目の前が真っ暗になった。
「なんで……、なんでそんなこと……、言うんだよ」
「……誠司といると苦しい」
 顔を逸らす真琴のコートの襟を引っ張り「目を見て言えよ」と睨みつける。頼りなく揺れる瞳と、歪んだ眉は、いつもの泰然自若とした真琴ではなかった。
「俺が……っ、させなかったことを、誠司に無理してさせるのはできないよ……」
「無理なんかしてない」
「してる」
「してねぇって!」
「じゃあ、風俗行ってどうだったの。楽しかった? 男の人とエッチなことして、嫌悪感とかなく、いい気持ちになれた?」
「それは……」
 言葉に詰まると、真琴は「そうでしょ」と言った。
「いや、違くて。その担当したヤツとの相性とかもあるし、そもそもマコじゃない男は無理っていうか……」
「それが無理してるじゃん」
「違うって! なんでわかんねぇんだよ」
「わかんない。わかりたくないよ……」
 真琴は大きな瞳を真っ赤にして、収まりきらなくなった涙をぽろぽろと流した。
が譲れなかったこと……、誠司が尊重してくれたことを、誠司には曲げさせるとか、踏み躙るようなことをさせないで……っ」
 真琴の襟元から手を離し、腕から全ての力が抜けていく。背骨を伸ばすこともできず項垂れた。最後に「違う……」と振り絞ったが、路上ライブのギターにかき消され、ざわめきに溶けていった。
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