34 / 61
34 あしあとを探しても
しおりを挟む風呂から上がった夕美は、千影がいる居間に戻った。
「千影さん、お風呂どうぞ。あー、お父さんつぶれてる。ごめんね、話が長かったでしょう」
母が掛けたらしい毛布にくるまり、父はすやすやと眠っている。
「全然、そんなことないよ。奥寺さん……お義父さんと話すのは、以前から楽しくて大好きだから」
「ありがとう、千影さん」
お義父さんと言い直した千影に、夕美は嬉しくなる。
彼を風呂場に案内し、使い方を教えて、その場を後にした。
さすがにひとけのないロッジは寒いだろうからと、ドライヤーで髪を乾かしてから、向かうことにする。
父はまだ眠っていて、母はその隣でテレビを見ているようだ。
大ごとにはしたくなかったので、夕美はこっそりと廊下を進んでいき、静かに二重になっているドアを開けた。
ひとけもなく、暗いロッジのロビーに入る。
「ううっ、こっちはめちゃくちゃ寒い~。足元のヒーターだけつけちゃお」
冷気に襲われた夕美は急いでロッジの受付に行き、そこの明かりとヒーターをつけた。普段は薪ストーブを炊いているので建物全体が温かいのだ。
「ダウン着てきて良かった。ええと……、名簿はこれかな?」
受付の後ろにある棚を開け、三十冊ほどある名簿の中から、七年前のものを取り出す。
(八月、八月……、あった)
電話予約とネット予約に別れた客の名前が羅列している。
ひとりで宿泊する男性客をチェックしてみると、そのような客は数え切れないほどいた。
それもそうだと、今さらな気づきに夕美はため息を吐く。
登山やハイキングにソロで来ている男性というのは、現在でもたくさんいるのだから。
(やっぱり名前がわからないんだから、こんなことしても意味ないか……)
それに、命を絶ちに来る人間が本名や住所を正直に書くだろうか。
いや、最初からそのつもりなら、宿泊を予約などしないだろう。
(……わからない。でも当時の彼の姿は印象的だった。ジャケットの下は、山に来るような格好に見えなかったもの。混乱した気持ちを落ち着かせるためにロッジへ宿泊する予定が、急に気が変わったとか……?)
本人に確かめるしかないことを、やみくもに考えるのは、それこそ意味がないだろう。
(一応、七年前の八月の名簿だけ撮らせてもらおう)
夕美はスマホを取り出し、数ページに渡る名簿を写真に収めた。個人情報なので絶対に漏らさないように気を付けると誓いながら。
「待って、もしかしたら次の年も、同じ時期に来てるかも……」
なんとなく思いついた夕美は名簿を棚に戻し、翌年の名簿を手にした。そして八月のページをめくって写真を撮ろうとしたところで、見覚えのある名前に心臓がドキリとする。
(千影さん!? こんなに前から来ていたの!?)
彼の名前を見つけて胸が震えた。
神原千影と書かれた場所の日付は、今から六年前の八月。男性の出来事からちょうど一年後である。
そのまま名簿をめくっていくと、結構な頻度で千影の名前を見つけることができた。次の年の名簿も同様だ。
(え、ええ~! こんなに来てくれているのに、どうして会えなかったんだろう? って、千影さんが言っていた通り、オフシーズンに来てるからなのね。混雑しているのは、六年前の八月だけ……)
押しの名前を見つけて興奮している夕美には、物音が聞こえていなかった。
「夕美、何してるの?」
「ひっ!」
声を掛けられて、思わず名簿を落としてしまう。
顔を上げると、薄暗がりの中からこちらを見ていた千影と目が合った。
「あっ、びっ、びっくりした……! お風呂上がったのね」
「ここ、すごく寒いじゃないか。湯冷めしちゃうよ、夕美」
言いながら、千影がこちらへ向かってくる。彼はパジャマに上着を羽織り、首にタオルをかけていた。風呂上がりにそのままこちらへ来たようだ。
「うっ、うん、あの……、千影さんが最初に来たのはいつなのかなぁ、なんて気になっちゃって」
夕美はそそくさと名簿を閉じながら、答える。
「なんだ、そんなことか。僕に直接聞けばいいのに」
クスッと笑った千影が、夕美のすぐそばに来て立ち止まった。
「僕が初めてここへ来たのは、七年前の夏だよ」
「え……?」
微笑んだ彼の言葉に、夕美は絶句した。
21
あなたにおすすめの小説
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
エリート役員は空飛ぶ天使を溺愛したくてたまらない
如月 そら
恋愛
「二度目は偶然だが、三度目は必然だ。三度目がないことを願っているよ」
(三度目はないからっ!)
──そう心で叫んだはずなのに目の前のエリート役員から逃げられない!
「俺と君が出会ったのはつまり必然だ」
倉木莉桜(くらきりお)は大手エアラインで日々奮闘する客室乗務員だ。
ある日、自社の機体を製造している五十里重工の重役がトラブルから莉桜を救ってくれる。
それで彼との関係は終わったと思っていたのに!?
エリート役員からの溺れそうな溺愛に戸惑うばかり。
客室乗務員(CA)倉木莉桜
×
五十里重工(取締役部長)五十里武尊
『空が好き』という共通点を持つ二人の恋の行方は……
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。
私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜
みかん桜
恋愛
身長172センチ。
高身長であること以外ごく普通のアラサーOL、佐伯花音。
婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。
「名前からしてもっと可愛らしい人かと……」ってどういうこと?
そんな男、こっちから願い下げ!
——でもだからって、イケメンで仕事もできる副社長……こんなハイスペ男子も求めてないっ!
って思ってたんだけどな。気が付いた時には既に副社長の手の内にいた。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる