53 / 61
53 千影視点 僕の女神へ(4)
しおりを挟む
ロッジへ戻らざるを得なくなった千影は、彼女のあとをついていった。
到着したばかりの数人の客に彼女が大きな声を掛けたため、千影が不審な行動を起こした場合、彼らに伝わってしまうだろう。
だいぶ暗くなった森の中を、しゃきしゃきと歩いて行く彼女の後ろ姿に目をやった。
セミロングの髪を後ろでひとつに縛り、動きやすそうなTシャツとパンツを履いている。
高校生か大学生か……。夏休みのアルバイトで来ているのだろうか? 今は七月の終わり。ということは、アルバイトが始まって間もないだろうに、彼女が千影に声を掛けた感じは、長年働いていたような錯覚を覚えたくらい、自然なものだった。
「あの!」
突然立ち止まった彼女が、くるりと振り向いた。
「はっ、はい……?」
彼女の勢いに驚いた千影も立ち止まり、一歩後ずさる。
「夕飯、食べますよね? オーナーが作る料理、とっても美味しいので食べないと後悔すると思うんですが……」
「……食べます」
千影はうなずきながら、小さな声で答えた。
「良かった! ちなみにですけど、私、さっき予約の方のリストを確認していたんですが、夕飯をいらないという人はゼロでした」
「そうでしたか……、すみません」
手元にスマホがないので確認出来ないが、夕飯込みで予約を入れていたのか……。それならば、今さら食事を拒否するのは迷惑でしかないだろう。
「私が配膳係なので、あなたがいないとすぐにバレますから」
「……なるほど、わかりました」
「じゃあ、行きましょ!」
満面の笑みを見せた彼女は、千影の後ろに回り込んだ。そしてすぐ後ろを歩きながら、ロッジに向かわせたのである。
ロッジの玄関に入ると、なんともいえない木の良い香りに混じって、食事の匂いも届く。
彼女は千影が玄関に上がってスリッパを履く姿を見て安心し、「六時に夕食ですから」と言って厨房へ行ってしまった。
千影は、横にあった全身鏡に目を向ける。髪はボサボサで、その伸びた前髪とメガネのせいで表情がわからない男が立っていた。ワイシャツにネクタイを締め、スーツのスラックスを穿き、山用のジャケットを羽織っている。玄関の三和土には脱いだばかりの革靴があった。
「なんだよ、この格好……」
この場所にそぐわない自分の間抜けな格好を見て、思わず苦笑した。その瞬間、数ヶ月ぶりに笑った自分に気づく。
ズボンのポケットを探ると部屋のキーが入っていた。206と書いてある。荷物を置きに入ったのだろうに、やはり記憶がない。
のろのろと階段を上がっていき、206号室のドアノブにキーを入れた。回して入ると、電気はつけっぱなしで、床にリュックが置いてある。千影の物だ。
ふと、先ほどの彼女の顔が脳裏に浮かび、とんでもない迷惑をかけてしまうところだったと、我に返る。
窓の外は夜の闇に包まれていた。エアコンも付けず、窓は閉め切ったままだというのに、寒いくらいの気温だ。
千影はベッドに腰掛け、息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。仰向けに倒れて大の字になる。床も天井も木製の設えで、壁は真っ白だ。天井の電灯は小さな間接照明がいくつかあり、あとはベッドの壁に照明器具が付けられているだけの清潔でシンプルな部屋だった。
腕時計を見ると、もうすぐ六時になろうとしている。夕食の時間だ。ここで行かないと、彼女に部屋まで呼びに来られそうだ。
重い腰を上げ、部屋を出た。階下のダイニングルームに入ると、千影に気づいた彼女が「こちらにどうぞ~」と座席を促す。千影はおどおどしながらテーブルに着いた。彼女の他にもうひとりアルバイトと思われる女性がいる。
夏休みに入って間もなくのせいか席は埋まっておらず、千影のそばのテーブルも空いている。その状況にホッとしながら、並べられた料理に目を落とした。
山菜の煮付け、こんにゃくの田楽、サラダ、天ぷら、一人用の鍋の横に豪華な肉が盛られている。漬物と白米も添えられていた。山の中とは思えないご馳走だ。
「いただきます」
手を合わせた千影は、箸で山菜をつまみ、口に運んだ。出汁と山菜の香りが口に広がる。
「……美味い」
思わず口に出した時だった。
「ね、美味しいでしょ?」
「っ!?」
すぐそばに立った人に声を掛けられて、むせそうになる。顔を上げると、先ほどの彼女がこちらを見下ろしていた。
「その山菜、オーナーが採ってきたんです。ちょっと苦みがあって美味しいですよね」
「……あ、ええ、美味しいです」
「たくさん食べてくださいね。お味噌汁もどうぞ。あと、こちら失礼します」
彼女は湯気が立った椀を千影の前に置き、一人用の鍋のアルコールランプに火を付けた。
「煮立ってきたらお肉を入れて召し上がってくださいね。では、ごゆっくり」
ニコッと笑ってその場を去った彼女は、別の席にも同じように声をかけている。
千影は味噌汁の椀を口に持っていき、ひとくち飲んだ。冷えた体だけではなく、心までも温めてくれる気がした。
その後は何も考えずに、ひたすら食事を続け、気づけばすべて平らげていたのである。
到着したばかりの数人の客に彼女が大きな声を掛けたため、千影が不審な行動を起こした場合、彼らに伝わってしまうだろう。
だいぶ暗くなった森の中を、しゃきしゃきと歩いて行く彼女の後ろ姿に目をやった。
セミロングの髪を後ろでひとつに縛り、動きやすそうなTシャツとパンツを履いている。
高校生か大学生か……。夏休みのアルバイトで来ているのだろうか? 今は七月の終わり。ということは、アルバイトが始まって間もないだろうに、彼女が千影に声を掛けた感じは、長年働いていたような錯覚を覚えたくらい、自然なものだった。
「あの!」
突然立ち止まった彼女が、くるりと振り向いた。
「はっ、はい……?」
彼女の勢いに驚いた千影も立ち止まり、一歩後ずさる。
「夕飯、食べますよね? オーナーが作る料理、とっても美味しいので食べないと後悔すると思うんですが……」
「……食べます」
千影はうなずきながら、小さな声で答えた。
「良かった! ちなみにですけど、私、さっき予約の方のリストを確認していたんですが、夕飯をいらないという人はゼロでした」
「そうでしたか……、すみません」
手元にスマホがないので確認出来ないが、夕飯込みで予約を入れていたのか……。それならば、今さら食事を拒否するのは迷惑でしかないだろう。
「私が配膳係なので、あなたがいないとすぐにバレますから」
「……なるほど、わかりました」
「じゃあ、行きましょ!」
満面の笑みを見せた彼女は、千影の後ろに回り込んだ。そしてすぐ後ろを歩きながら、ロッジに向かわせたのである。
ロッジの玄関に入ると、なんともいえない木の良い香りに混じって、食事の匂いも届く。
彼女は千影が玄関に上がってスリッパを履く姿を見て安心し、「六時に夕食ですから」と言って厨房へ行ってしまった。
千影は、横にあった全身鏡に目を向ける。髪はボサボサで、その伸びた前髪とメガネのせいで表情がわからない男が立っていた。ワイシャツにネクタイを締め、スーツのスラックスを穿き、山用のジャケットを羽織っている。玄関の三和土には脱いだばかりの革靴があった。
「なんだよ、この格好……」
この場所にそぐわない自分の間抜けな格好を見て、思わず苦笑した。その瞬間、数ヶ月ぶりに笑った自分に気づく。
ズボンのポケットを探ると部屋のキーが入っていた。206と書いてある。荷物を置きに入ったのだろうに、やはり記憶がない。
のろのろと階段を上がっていき、206号室のドアノブにキーを入れた。回して入ると、電気はつけっぱなしで、床にリュックが置いてある。千影の物だ。
ふと、先ほどの彼女の顔が脳裏に浮かび、とんでもない迷惑をかけてしまうところだったと、我に返る。
窓の外は夜の闇に包まれていた。エアコンも付けず、窓は閉め切ったままだというのに、寒いくらいの気温だ。
千影はベッドに腰掛け、息を吸い込み、ゆっくり吐き出した。仰向けに倒れて大の字になる。床も天井も木製の設えで、壁は真っ白だ。天井の電灯は小さな間接照明がいくつかあり、あとはベッドの壁に照明器具が付けられているだけの清潔でシンプルな部屋だった。
腕時計を見ると、もうすぐ六時になろうとしている。夕食の時間だ。ここで行かないと、彼女に部屋まで呼びに来られそうだ。
重い腰を上げ、部屋を出た。階下のダイニングルームに入ると、千影に気づいた彼女が「こちらにどうぞ~」と座席を促す。千影はおどおどしながらテーブルに着いた。彼女の他にもうひとりアルバイトと思われる女性がいる。
夏休みに入って間もなくのせいか席は埋まっておらず、千影のそばのテーブルも空いている。その状況にホッとしながら、並べられた料理に目を落とした。
山菜の煮付け、こんにゃくの田楽、サラダ、天ぷら、一人用の鍋の横に豪華な肉が盛られている。漬物と白米も添えられていた。山の中とは思えないご馳走だ。
「いただきます」
手を合わせた千影は、箸で山菜をつまみ、口に運んだ。出汁と山菜の香りが口に広がる。
「……美味い」
思わず口に出した時だった。
「ね、美味しいでしょ?」
「っ!?」
すぐそばに立った人に声を掛けられて、むせそうになる。顔を上げると、先ほどの彼女がこちらを見下ろしていた。
「その山菜、オーナーが採ってきたんです。ちょっと苦みがあって美味しいですよね」
「……あ、ええ、美味しいです」
「たくさん食べてくださいね。お味噌汁もどうぞ。あと、こちら失礼します」
彼女は湯気が立った椀を千影の前に置き、一人用の鍋のアルコールランプに火を付けた。
「煮立ってきたらお肉を入れて召し上がってくださいね。では、ごゆっくり」
ニコッと笑ってその場を去った彼女は、別の席にも同じように声をかけている。
千影は味噌汁の椀を口に持っていき、ひとくち飲んだ。冷えた体だけではなく、心までも温めてくれる気がした。
その後は何も考えずに、ひたすら食事を続け、気づけばすべて平らげていたのである。
23
あなたにおすすめの小説
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
エリート役員は空飛ぶ天使を溺愛したくてたまらない
如月 そら
恋愛
「二度目は偶然だが、三度目は必然だ。三度目がないことを願っているよ」
(三度目はないからっ!)
──そう心で叫んだはずなのに目の前のエリート役員から逃げられない!
「俺と君が出会ったのはつまり必然だ」
倉木莉桜(くらきりお)は大手エアラインで日々奮闘する客室乗務員だ。
ある日、自社の機体を製造している五十里重工の重役がトラブルから莉桜を救ってくれる。
それで彼との関係は終わったと思っていたのに!?
エリート役員からの溺れそうな溺愛に戸惑うばかり。
客室乗務員(CA)倉木莉桜
×
五十里重工(取締役部長)五十里武尊
『空が好き』という共通点を持つ二人の恋の行方は……
恋に異例はつきもので ~会社一の鬼部長は初心でキュートな部下を溺愛したい~
泉南佳那
恋愛
「よっしゃー」が口癖の
元気いっぱい営業部員、辻本花梨27歳
×
敏腕だけど冷徹と噂されている
俺様部長 木沢彰吾34歳
ある朝、花梨が出社すると
異動の辞令が張り出されていた。
異動先は木沢部長率いる
〝ブランディング戦略部〟
なんでこんな時期に……
あまりの〝異例〟の辞令に
戸惑いを隠せない花梨。
しかも、担当するように言われた会社はなんと、元カレが社長を務める玩具会社だった!
花梨の前途多難な日々が、今始まる……
***
元気いっぱい、はりきりガール花梨と
ツンデレ部長木沢の年の差超パワフル・ラブ・ストーリーです。
私の婚活事情〜副社長の策に嵌まるまで〜
みかん桜
恋愛
身長172センチ。
高身長であること以外ごく普通のアラサーOL、佐伯花音。
婚活アプリに登録し、積極的に動いているのに中々上手く行かない。
「名前からしてもっと可愛らしい人かと……」ってどういうこと?
そんな男、こっちから願い下げ!
——でもだからって、イケメンで仕事もできる副社長……こんなハイスペ男子も求めてないっ!
って思ってたんだけどな。気が付いた時には既に副社長の手の内にいた。
腹黒上司が実は激甘だった件について。
あさの紅茶
恋愛
私の上司、坪内さん。
彼はヤバいです。
サラサラヘアに甘いマスクで笑った顔はまさに王子様。
まわりからキャーキャー言われてるけど、仕事中の彼は腹黒悪魔だよ。
本当に厳しいんだから。
ことごとく女子を振って泣かせてきたくせに、ここにきて何故か私のことを好きだと言う。
マジで?
意味不明なんだけど。
めっちゃ意地悪なのに、かいま見える優しさにいつしか胸がぎゅっとなってしまうようになった。
素直に甘えたいとさえ思った。
だけど、私はその想いに応えられないよ。
どうしたらいいかわからない…。
**********
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる