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09-彼の美しい人との出会い
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ジャックの吠え声に重なる大きな水音。
振り返って目にしたのは、立ちのぼる水飛沫だ。
ルークがいない。
冷や汗がドッと出た。
手すりの前には斜めに傾いたデッキチェア。
その足元にはメアリーが持ち込んだ大きなバッグが歪んだままで転がっている。
……ヤツめ、日に日に賢くなりやがって……。
待ってろ、いま助けてやる!
「ルークッ!!」
すぐさま縁に駆け寄って、手すりに足をかける。
海へ飛び込もうとしたそのとき、真下から「だあ」とご機嫌な声が聞こえてきた。
まさかと思いつつ視線をおろすと、船体から少し離れたその場所に、びしょ濡れになったルークの背中があった。
それと、その背中越しに、ルークを両手に抱えあげ、海面から顔を出している人を見つける。
その人も俺を見て驚き固まってるが、きっと俺の方がその何倍も驚いているに違いない。
なんて美しいんだろう。
海水に濡れて頬に貼りついた金髪は、ハチミツを流したように艶めいて、小さな頭を形よく包み込んでいた。
髪の長さはかなりある。海水に浸かったその先でゆるゆると四方へ広がって、海の一部を光溜まりに変えていた。
大きく見開かれた瞳は深い碧色だ。澄んだ海底に踊る光の影によく似ている。
俺の好きな色だった。
透き通るように白い肌には、船体に反射した海面の光が不思議な文様を描いていた。
珊瑚色がほんのりと差している唇は、俺を見あげているせいでわずかに開いて、なんとも無防備だ。
こんなに美しい人間を、生まれてこれまで見たことがない。
もはや人外の美しさだ。
もしいま『私は人魚です』と自己紹介されたら、躊躇わずに信じてしまうだろう。
「だああ」
ルークにしては珍しく不機嫌な声があがった。
目の前の人が自分を見ていないのが不服らしい。両手をその人に差し出して、抱っこをせがんでいる。
なんて贅沢なわがままだ。羨ましい。
でも、ルークのおかげで我に返ることができた。
いつまで見合ってるつもりだ。早くルークを助けてもらった礼を言わないと。
頭ではそう理解してるけど……ダメだった。
鼓動がいつになく速い。
胸の奥が妙に熱くて、腹の内側もソワソワと落ち着かない。
我に返ったところでこんなんじゃ、きっとヘマをしてしまう。
相手はルークの命の恩人なのに。
胸のざわめきにどうか静まってくれと願いながら、手すりにかけていた足をゆっくりおろす。
一度だけ深呼吸をして、よし、と心の中で気合を入れてから口を開いた。
「あの……ありがとう。甥を助けてくれて」
よかった。いつも通りの落ち着いた声だ。ヘマはない。
なのにその人は、固まったままいっこうに反応しなかった。
もしかして、聞こえなかったんだろうか?
俺がそう疑いはじめたころになって、いきなりくるりと背中を向けられてしまった。
え、なんで?
抱きしめられたルークが、こちらを向いて嬉しそうに笑ってる。
海に落ちたというのに暢気なもんだ。
「甥を受け取るよ。こっちの方へ回ってくれないか?」
しでかしたかもしれない失礼は、ひとまずさておいて、とりあえずその背中に向かって声をかけた。
すると、その人が、戸惑う様子を見せながらも振り返ってくれる。
よかった。よくわからないけど、ぎりぎりセーフだったみたいだ。
船尾にはダイビング用に海面に合わせて設置されている広めのステップがある。
そこからなら、結構な重さになってきたルークを受け取るにも危なげがない。
俺の指差す先を確認したその人が、ルークを抱きしめたまま移動する。
それを、船尾に移動しながら見守っていたんだが……変だ。
いや、見事だ。
両手で乳児を抱えているのに、その泳ぎはとても安定している。そして速い。
それが不思議だった。
進行方向に背を向けて、横目で船との距離を確認しながら、後ろ向きのままスーッと泳いでいる。
少し変わった泳ぎ方だが、それはいい。
足だけで、しかも乳児一人分の負荷があるのに、どうやってこんなに速く安定した泳ぎができるんだろう?
俺も、泳ぎには自信があった。
毎年行われる海底調査用に潜水士の資格ももってるし、テクニカルダイブの経験だって十代のころから積んできた。
それでも、このスピードでここまで安定した泳ぎはできないぞ。
どうやって泳いでるんだろう。
思わず身を乗り出して、海面を覗き込んだ。
振り返って目にしたのは、立ちのぼる水飛沫だ。
ルークがいない。
冷や汗がドッと出た。
手すりの前には斜めに傾いたデッキチェア。
その足元にはメアリーが持ち込んだ大きなバッグが歪んだままで転がっている。
……ヤツめ、日に日に賢くなりやがって……。
待ってろ、いま助けてやる!
「ルークッ!!」
すぐさま縁に駆け寄って、手すりに足をかける。
海へ飛び込もうとしたそのとき、真下から「だあ」とご機嫌な声が聞こえてきた。
まさかと思いつつ視線をおろすと、船体から少し離れたその場所に、びしょ濡れになったルークの背中があった。
それと、その背中越しに、ルークを両手に抱えあげ、海面から顔を出している人を見つける。
その人も俺を見て驚き固まってるが、きっと俺の方がその何倍も驚いているに違いない。
なんて美しいんだろう。
海水に濡れて頬に貼りついた金髪は、ハチミツを流したように艶めいて、小さな頭を形よく包み込んでいた。
髪の長さはかなりある。海水に浸かったその先でゆるゆると四方へ広がって、海の一部を光溜まりに変えていた。
大きく見開かれた瞳は深い碧色だ。澄んだ海底に踊る光の影によく似ている。
俺の好きな色だった。
透き通るように白い肌には、船体に反射した海面の光が不思議な文様を描いていた。
珊瑚色がほんのりと差している唇は、俺を見あげているせいでわずかに開いて、なんとも無防備だ。
こんなに美しい人間を、生まれてこれまで見たことがない。
もはや人外の美しさだ。
もしいま『私は人魚です』と自己紹介されたら、躊躇わずに信じてしまうだろう。
「だああ」
ルークにしては珍しく不機嫌な声があがった。
目の前の人が自分を見ていないのが不服らしい。両手をその人に差し出して、抱っこをせがんでいる。
なんて贅沢なわがままだ。羨ましい。
でも、ルークのおかげで我に返ることができた。
いつまで見合ってるつもりだ。早くルークを助けてもらった礼を言わないと。
頭ではそう理解してるけど……ダメだった。
鼓動がいつになく速い。
胸の奥が妙に熱くて、腹の内側もソワソワと落ち着かない。
我に返ったところでこんなんじゃ、きっとヘマをしてしまう。
相手はルークの命の恩人なのに。
胸のざわめきにどうか静まってくれと願いながら、手すりにかけていた足をゆっくりおろす。
一度だけ深呼吸をして、よし、と心の中で気合を入れてから口を開いた。
「あの……ありがとう。甥を助けてくれて」
よかった。いつも通りの落ち着いた声だ。ヘマはない。
なのにその人は、固まったままいっこうに反応しなかった。
もしかして、聞こえなかったんだろうか?
俺がそう疑いはじめたころになって、いきなりくるりと背中を向けられてしまった。
え、なんで?
抱きしめられたルークが、こちらを向いて嬉しそうに笑ってる。
海に落ちたというのに暢気なもんだ。
「甥を受け取るよ。こっちの方へ回ってくれないか?」
しでかしたかもしれない失礼は、ひとまずさておいて、とりあえずその背中に向かって声をかけた。
すると、その人が、戸惑う様子を見せながらも振り返ってくれる。
よかった。よくわからないけど、ぎりぎりセーフだったみたいだ。
船尾にはダイビング用に海面に合わせて設置されている広めのステップがある。
そこからなら、結構な重さになってきたルークを受け取るにも危なげがない。
俺の指差す先を確認したその人が、ルークを抱きしめたまま移動する。
それを、船尾に移動しながら見守っていたんだが……変だ。
いや、見事だ。
両手で乳児を抱えているのに、その泳ぎはとても安定している。そして速い。
それが不思議だった。
進行方向に背を向けて、横目で船との距離を確認しながら、後ろ向きのままスーッと泳いでいる。
少し変わった泳ぎ方だが、それはいい。
足だけで、しかも乳児一人分の負荷があるのに、どうやってこんなに速く安定した泳ぎができるんだろう?
俺も、泳ぎには自信があった。
毎年行われる海底調査用に潜水士の資格ももってるし、テクニカルダイブの経験だって十代のころから積んできた。
それでも、このスピードでここまで安定した泳ぎはできないぞ。
どうやって泳いでるんだろう。
思わず身を乗り出して、海面を覗き込んだ。
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