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第18章 「君だけが優しかった」
特製モンブラン
しおりを挟む「confection Kamiya」は、図書館に行く通り道にある。
外から見ただけでも休憩スペースが満席なのが分かったので、いったん図書館に行って、少し経ってからもう一度来ることにした。
◇◇◇
「いらっしゃいませ――あ、天野さん」
お店に行くと、ショーケースの向こうで神谷君が接客していた。
「よかった。また来てくれたんだね」
「こんにちは。この間のチーズケーキ、とてもおいしかったわ」
主人も気に入って――という言葉を飲み込んだ。
「それはよかった。今日は何になさいますか?」
「モンブランをイートインでお願いします」
「かしこまり――あ、そうだ。モンブランといえば…」
◇◇◇
私はなぜか、お店のバックヤードに来るように促された。
そして目の前には、栗色が濃いマロンクリームと、大粒のマロングラッセが載ったモンブランが置かれている。
「飲み物はコーヒーか紅茶になるけど…」
「じゃ、紅茶をお願いします」
「りょーかい」
会議室みたいな机の上のケーキと紅茶、そしてパイプ椅子。
なのに、ティールームの誰よりもおいしいものを食べているはずだ。
「これ――おいしい。濃厚だけどしつこくないし、甘味が強いというか、深い感じ?この下のメレンゲも、面白い食感だね」
私は思いつくまま、率直に言った。
急に「このモニターやってくれないかな?もちろんお代は要らないから」と言われ、目の前に出されたのがコレだった。
「よかった、気に入ってくれて」
「これはこれからお店で売るの?」
「そう。叔父さんの新作の渋皮入りモンブラン。通常のより少し高い値段設定にしたいんだけど、イケるかな?」
「絶対イケるよ。私も商品化されたら買っちゃう」
お店で既に出ている黄色っぽいモンブランは280円だけれど、こちらはそれより100円程度高く出す予定らしい。田舎にしても良心的過ぎるお値段だ。500円でも買う人は多そう。
◇◇◇
「そういえば、今日は赤ちゃんは?」
「あ、えと…実家に預けてきたの」
一瞬ためらったが、「主人が見ている」と言うことで、「いい旦那さんだね」なんて言われるのが嫌だなと思ったのだ。「彼の」実家に預けているのは間違いではないし。
「そうか。会えなくて残念だな」
「神谷君ってひょっとして子供が好きなの?」
「嫌いではないけど、それよりやっぱり天野さんの子供だから」
「え…?」
「天野さんそっくりでかわいくて。あんな子を見ていたら、子供欲しくなっちゃうよ」
「あの――ご結婚は?」
「残念ながら恋人もいなくてね。今は一応、仕事が恋人ってことで取り繕ってるけど」
高校時代の神谷君は、内気で気弱な人だった。
勉強はできたけれど、いわゆる陰キャとして侮辱的なことを言われることも多かったように記憶している。
私は勉強を分かりやすく教えようとしてくれる彼に、悪い感じは持っていなかった(声ちっちゃ、とは思っていたが)。
でもそこまで強い関心があったわけでもなく、彼が盗難疑惑で不登校になったときも、「あらら」程度にしか思っていなかった。
今目の前にいる彼は、おっとりした雰囲気は相変わらずだけれど、もっと伸び伸びしているというか、自由に話してくれて、私にもためらいなくあれこれと質問してくる。
結局、通信制に転校というか転向して単位を補い、普通に大学進学も考えたものの、「勉強はキライではないが、学校には執着はない」と気づき、大学も通信制を選んだらしい。
「すごい。通信って卒業するの大変なんだよね?」
「それって、その分入るのはチョー楽って前提で聞いてるね?」
神谷君ってこんな顔するんだ?と思ってしまうほど、茶目っ気はありつつも、ちょっと意地の悪い表情で言われ、たじろいでしまった。
「あ、その…」
「いいんだ、本当のことだし。でも俺には向いていたみたい。一応学士サマだよ、オレ」
「うん、すごい。本当にすごいと思う」
これでいいのか、文学部出身の語彙力よ。
国立大卒の「彼」は、私を四流大卒だのFラン卒だのとバカにする。通信制の大学ともなると、それ以上に侮辱的なことを言うかもしれない。でも、目の前の神谷君の学歴自慢は本当にまぶしい。
◇◇◇
「さてと、俺は仕事戻らなきゃ。天野さんはゆっくりしていって」
「あ…の…」
「ん?」
仕事に戻ろうという人に言うべきではない話だけど、言わずにいられなかった。
「その…高校…ああいう形になっちゃって――辛かったでしょ?」
「…どうして急にそんなこと?」
「神谷君、今すごく幸せそうで…その…」
自分でも何が言いたいのか、収拾がつかなくなってしまったが、頭のいい彼は、私の覚束ない言葉から、いろいろと拾い集めて答えてくれた。
ただし、私には背中を向けたままだ。
「何もしていないのに疑われたのは辛かった」
「そりゃ、そうだよね…」
「でも学校に行けなくなって何より辛かったのは、天野さんに会えなくなったことなんだ」
「え?」
「だって、君だけが俺に優しかったから」
「そんな。私は何も…」
「俺、財布の件でつるし上げられたとき、君の表情を何度もチラ見してた」
「チラ見…?」
「ほかの連中がみんなニヤニヤしていたとき、君だけが困ったような、おろおろした様子だったのが、変な話、地味にうれしかったんだ」
私は罪悪感にさいなまれた。
今は結果的に幸せそうなこの人だけど、財布盗難疑惑は――ほかならぬ「彼」の工作であった可能性が高い。証拠は何一つないけれど、「彼」という人を配偶者に持ち、近くで見ていることで、疑いは強まるばかりだ。
そんな人間の庇護下にありながら、そいつが不幸にした人が働く店で、のんきにモンブランつついている場合だろうか、と。
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