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恋華繚乱

123.

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 「それとも、」
 沖田が手を伸ばし、そんな冬乃の色づいたままの頬を撫でる。
 まったく土方の存在におかまいなしである。
 
 冬乃はもちろん、されるがままでいる。
 
 「冬乃をそれほど心配してくれるなら、俺が冬乃の買い物につきあうから、貴方は駕籠で行ってくださいよ」
 
 
 「嫌だね。歩くのが好きなんだよ俺は」
 土方が即答する。
 
 「知ってます」
 沖田が仕方なさそうに笑った。
 
 土方がむかし行商をしていた頃に歩いた総距離たるや、いったい日本列島の何周分だろうか。
 歩くことそのものが好きでなければ、とても出来た事ではあるまい。
 
 土方のその健脚ぶりは、
 徹底的に鍛えてきた足腰をもつ沖田の健脚ぶりにも、容易に匹敵するだろう。ある意味それ以上かもしれない。
 
 
 「冬乃、どうせなら北野で買い物すれば?」
 
 そして沖田が妥協案を出した。
 上七軒は、前に安藤と行った北野天満宮の界隈にある。
 
 「ああ?冗談だろ、こいつを連れて歩いたら着く頃には日が暮れるだろが」
 冬乃の亀歩きに付き合うのが嫌なのだろう、土方が即時の反対表明を出した。
 
 (う)
 冬乃は、買い物と嘘をついた以上、一瞬言葉に詰まる。
 
 「あ、あの・・私のことはだいじょうぶですから・・」
 土方からの無言の圧も来るので余計に冬乃は焦る。
 
 
 「・・俺が冬乃と歩きたいんだけど」
 
 
 
 強烈すぎる威力だった。
 
 冬乃は押し黙った。
 そんなふうに言われた冬乃が断れるはずも、無い。
 
 
 「帰りは・・さすがに歩いてたら夜中になりそうだから駕籠で帰ろう」
 (う)
 「おまえな・・」
 そうまでして一緒にいたいのかよ。と土方の諦めた声が落ちて。
 
 
 はたして三人は、並んで町へ出ることとなった。
 
 
 「頭巾は持ってるよね」
 「はい」
 外出の際には何があるかわからないので頭巾を携帯するよう、沖田に言いつけられている。冬乃は取り出すと、沖田達と門へ向かいながら着用した。
 
 もっとも、沖田達と共に歩かなければ、頭巾をいま着ける必要もないのだが。
 
 
 それでも沖田と町に出られるのなら、もちろん頭巾だろうが何だろうが被ってでも出たいのが本心で。
 
 (嬉しい・・)
 
 沖田と二度目の北野。
 
 ただ、千代の所へ行くのはまた後日になるだろう。
 
 
 (それにしても総司さんって、やっぱちょっと強引・・?)
 
 土方もそれを受け入れているのか、こういった仕事と関係ない事ならば沖田に譲るのだと。
 少し驚きながら冬乃は、土方と沖田を交互に見上げた。
 
 沖田が、つと振り返り。
 「そのうち歩くのが辛くなったら、おぶってあげる」
 にっこりと笑った。
 
 (お・・おぶ)
 
 本気で言ってそうな沖田に、冬乃は二度目の赤面を返しながら。
 沖田の隣で土方が「恥ずかしいからやめてくれ」ともはや呻くのを目にした。
 
 
 
 
 
 「で、おまえは何を買う気なんだ?」
 土方を先頭に、沖田と冬乃が横並ぶかたちで、三人は昼下がりの町中を歩む。
 
 冬乃がいつもの作業着でなく帷子に着替えているので、土方も沖田も、ただのちょっとした買い物だとは思っていまい。
 
 
 しかしそもそも嘘だったので、土方の今の問いに冬乃は再び返答に困った。
 
 「かんざし・・を?」
 
 結局にわかに浮かんだ物を述べてみた冬乃だが、しかし、
 「結ってねえのに、それ以上どこに差すんだよ」
 すぐに土方につっこまれる。
 尤もだ。
 
 「いつもその同じ簪だけでは飽きるからでしょ」
 沖田が何ともなしに聞いてきた。
 おもわぬ助け船に冬乃は、頷きかけて、
 
 だが沖田に買ってもらったこの簪に、決して飽きてなどいないので、はっとして、冬乃は頷くどころか結局ぶんぶんと首を振っていた。
 
 「何それ、どっち」
 冬乃の動きが面白かったのか笑い出す沖田に、
 振り返った土方が、怪訝そうに冬乃を見る。
 
 
 (だ、だって)
 
 今も冬乃の頭の横、少量の束にして捩じった髪に差しているこの簪には、買ってすぐに命すら助けてもらったのだから。
 沖田に買ってもらえた、それだけでも宝物なのだ。後生大事につけていたくて当たり前である。飽きるなど絶対にありえない。
 
 (でも、これもつけたままで、土方様の言うように、さらに二本目まで流し髪に差すのは・・ちょっと変)
 
 
 「おめえは大体、何故結わない」
 そこに更なる土方のつっこみが来て。冬乃はついに内心涙目になった。
 
 髪を流している姿を沖田に褒められたからなどとは、口が裂けても言えない。
 たぶん沖田も褒めたことなどとうに忘れているだろう。
 
 「・・・結うと頭が痛くなりそうだからです」
 
 咄嗟にまたしても変な返しをした冬乃に、沖田が噴き出すのを横目に、
 
 「・・・・」
 土方が。そして遂に、完全に呆れた顔で冬乃を見返した。
 
 
 沖田はこの時代の若者らしく、総髪に出来得る程度の長さの髪をまとめて後ろに結んでいるが、
 さすがに土方は、剃り落としてこそいないもののきちんと髷を結っている時が多い。
 
 髷のきつさに比べたら、女性の髪の結い方など緩いほうなのかもしれず。
 冬乃は、適当な返事をしたものの恥ずかしさに負けて俯いた。
 
 
 「結わなくていいよ、これからも」
 
 (え)
 しかしそこに落ちてきた沖田の優しい声に、冬乃は瞬間的に顔を上げていた。
 
 「このままで。」
 沖田の手が、頭巾の下の冬乃の髪を絡め、梳いた。
 
 (総司さん・・!)
 
 なんとなく道行く人々の視線を、今のでよけいに感じるが、冬乃はもちろん気にしない。
 
 「てめえら」
 土方が今一度振り返り、睨んできたが。最早それも気にしない冬乃である。
 
 (総司さんに、また認めてもらえた・・っ)
 冬乃を愛でるような眼差しで。
 
 冬乃の意識はもう今、それ以外に向きそうになく。
 
 
 「・・大体、てめえがいつも下ろし髪で挑発してっから、隊士の奴らが浮き立ってんだよ」
 
 
 (・・・ん?)
 
 いま何か変な単語が聞こえたような。
 
 
 沖田へ集中していた意識をむりやり土方の今の台詞に当てるべく、冬乃は鼓膜の残響を再生する。
 
 (挑発・・て言った?)
 
 
 「それに関しての誤解は、彼女自ら解いたはずだからもう大丈夫ですよ」
 
 冬乃がますます首を傾げるような返事が、横で沖田から飛ぶ。
 
 (何、何の話)
 
 
 「井上さんだ」
 
 だが冬乃が沖田を見上げた時、沖田が前方を見つつ呟いた。
 
 つられて前を見た冬乃の目に、道の先かなり遠くに、こちらへ歩んでくる井上が映る。
 先ほど何処かに出かけていたから、いま屯所への帰りだろう。
 
 
 「・・ったく源さんまで一人歩きかよ」
 土方が早くも溜息をついた。
 
 
 「様子がおかしいですね」
 だが沖田がさらに呟き。
 
 (え?)
 
 「井上さんの後ろを来る三人」
 
 
 冬乃がその言葉に、井上のさらに後ろを凝視した時、
 「あ」
 土方が小さく声をあげた。
 
 同時に冬乃も、井上の後方で、己の顔に布と頭巾を巻き始めた三人の侍を見とめて。
 確かに、明らかに怪しい。
 
 
 「総司、」
 どうする
 と土方が、前を睨んだまま沖田に声をかける。
 
 井上との距離はまだ大分ある。助けに行くには遠すぎる。
 
 「井上さんなら大丈夫ですよ、俺達はむしろ奴らに気付かれぬよう、このまま歩んだまま近づきましょう」
 
 
 
 
 
 
 
 井上の後ろを離れて歩む頭巾の三人を、冬乃は固唾を呑んで見つめる。
 
 井上の歩みはかなり速いのか、冬乃達が亀歩みにもかかわらず、井上との距離は思ったよりも早く縮まってゆく。
 後方の三人は、まるで絶好の機会を根気よく窺っているようだった。
 
 
 ついに井上のほうも、土方達に気が付いた様子だった。だが手を振ってくるでもなく、ただ視線を合わせてきただけで。
 
 つまり、後方の三人に気付いているのだ。
 
 
 互いの距離はさらに縮まる。
 
 冬乃は息を殺したまま、彼らを見据え。
 
 
 (あ)
 
 そして、躍動は。一瞬にして起こった。
 
 頭巾の三人が抜刀するのと、
 その殺気を読んだ井上が抜刀するのとは同時だった。
 
 キィン・・ッと鋭い金属音が響き、
 井上が振り返って受け止めた、その攻撃は、
 
 だが二の太刀を繰り出すことは無く。
 受け止められたと知るや否や、男達は慌てるように、井上に背を向けて走り出した。
 

 不意に風が、冬乃の横を吹き抜けて。
 
 違う、
 風と感じたほどに。
 
 次の刹那に沖田と土方が、彼らを追うべく駆け出したのだと、冬乃は気づいて。
 茫然と。まさに風の流れ去るように遠ざかる二人の背を見つめた。
 
 
 「冬乃さん、」
 あっというまに二人とすれ違いながら井上が、冬乃のほうへ駆けてくる。
 
 「井上様」
 「驚かせてごめんよ」
 納刀しながら井上がそう言うと、土方達へ再び視線を投げた。
 
 「いやあ、あの二人が居合わせて良かった」
 「え」
 「いくら逃げ足が速かろうと、あの二人には適うまい」
 
 井上の台詞に今一度、土方達を見やれば、成程もう今にも追いつきそうで。
 
 「このところ、隊士を襲っては、斬り結ばれるとすぐ逃げていく輩がいてね・・間違いなく奴らだろう。これでやっと収まる」
 
 まさに先程、沖田が言っていた件だろうと。冬乃は想い出す。
 
 
 まもなく悲鳴と共に、土方と沖田に峰打ちされた頭巾の三人が、路上に倒れこんだ。
 
 「おお、良し良し」
 ほっとした様子で井上が声をあげる。
 
 沖田達が三人を縛り上げるのを目に、井上と冬乃は、人々の喧噪の中をぬって進んだ。
 町の者達は、目撃した今の一連の活劇に湧き立っている様子だ。
 
 
 縛り終えた三人を道の端へと寄せ、沖田が立ち上がり、冬乃達のほうへ向かってきた。
 土方は、気絶したままの彼らの脇に立つ。
 
 向かってくる沖田も向こうに立つ土方も、あれほど速く走った後なのに既に息も乱していないさまに、冬乃は驚いた。

 「さてと、儂はちょっくら番所に寄るか」
 沖田が来るのを受け、井上が呟いて。
 
 
 去ってゆく井上と入れ違うように沖田が、冬乃の傍へ立った。
 
 (あ・・)
 
 特に会話も無く。ただ傍に立たれるだけで、
 どきどきと早まり始めた心臓に。冬乃はもう、自嘲してしまうしかなかった。
 
 たとえば今の捕りものだってそうで、只々、逢うたびにどうしようもなく何度でも、彼に惚れ直すように。
 幾たび繰り返しても、冬乃の胸の高鳴りが無くなることなんて、きっと永遠に来ないのではないかと。
 
 
 冬乃はそっと横に見上げた。
 
 沖田がすぐに見返してきて、穏やかに微笑んでくれるのを。冬乃はそしてまた、慣れることなくどきどきと目を逸らした。
 
 
 
 
 やがて、井上が番所から役人を連れて戻ってきて。土方と沖田は後を井上達に任せ、再び、冬乃を連れて、北野へと向かい出した。
 
 
 
 
 
 道すがら、どんな家がいいかと改めて沖田に聞かれ。沖田と一緒ならどんな家だって嬉しいばかりで、何も思いつかずに困り出す冬乃に、
 こちらも困り出した沖田が、
 「そしたら俺のほうで幾つか候補を見つけておくから、それらを二人で見に行って決めよう」と、新婚さんですか、と冬乃がまたも倒れそうになるような台詞で締めくくって。
 
 やがて、やっとのことで着いた北野で、土方と別れ、
 予備として持っておくことに落ちついて冬乃は、沖田と二人で簪を見てまわるという、これまた幸せすぎるひとときを過ごした後、
 さらには当たり前のように買ってもらえた簪を手に、駕籠に乗り込んだ頃には。
 もうすっかり日は傾き、空には勝色が広がりゆく時分で。
 
 
 
 駕籠に揺られながら、冬乃は大きく幸福感に溜息をついた。
 幸せでも溜息が出るなどと、
 沖田に出逢うまでは知りもしなかった。
 
 
 (こんな幸せが永遠に)
 
 続くことなど、
 無いとわかっていても。
 
 わがままに、更なる奇跡を祈ってしまう。
 
 
 何度でも。この時だけを、繰り返せたならと。
 
 
 
 
 (だけどそれは当然叶わないこと・・)
 
 
 冬乃は手の内の簪を握り締めた。
 だから、今を。
 今の、この二度と戻ってこない、一瞬の積み重ねを。
 大切に記憶に刻んで、生きていこうと。
 
 冬乃は己に、懸命に言い聞かせる。
 
 
 幸せでもいいと言ってくれた沖田の言葉が、想い出されて、冬乃を包み込む。
 
 自分の存在で、沖田と千代の運命を変えてしまった罪悪感は、消えることは無いかもしれなくても。
 
 (消えなくてもいい・・)
 むしろ消えてはならないのかもしれず。
 
 
 この罪悪感と。
 
 向かいゆく不安と恐怖と。
 
 
 今、目の前の幸せを感じる想いと。
 
 深い止めどない感謝の想いと。
 
 
 共に。全てまとめて、持ち続けていく。
 
 
 
 それが、
 この先の道しるべとして今の冬乃に、唯一出せた答えだった。
 
           
 
  


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