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解けゆく時
168.
しおりを挟む耳まで熱く。
部屋に戻っても火照ったままの顔を、冬乃はどうしようもなく手で扇いだ。
沖田に借りて羽織っていた服を畳み置く。平成での服を脱ぎすて、此処で買った着物を纏い、此処の世と冬乃が繋がる感覚をまたひとつ取り戻して。
それでもその程度では当然に癒えることのなかった疎外感を。今は翳ませそうなほどに、心奥で強い歓喜に、支えられ。
その歓喜が、嘘と禁忌で固めたさらなる罪悪感と、紙一重でも。もう、冬乃はかまわない。
沖田は、
もし冬乃がいずれ未来に永久に帰ることを知ってしまえば、冬乃を抱くことはないだろう。
(総司さんなら、)
同時にこう言うだろうからだ。
あくまで今の話は仮定でしかない。
人智を超えた此の世のしくみなど、所詮、人の想像でしかないと。
(でも)
だからこそ、人の迷いの救いにもなるというもの。
(たとえば私の不安を解き去ったように)
ゆえに沖田は冬乃に話して聞かせてくれた。冬乃が産まれた世を離れて此処で、これからずっと生きてゆくと思うからこそ、そんな不安ならば和らげようとして。
だがそれもすべて、冬乃が未来にいつか永久に帰る前提では、無いからで。
未来へ帰るならば、明らかにその現実的な問題が立ちはだかるならば。沖田がそれへ目を瞑り、所詮は人にとって想像にすぎない仮定を、優先するはずがなく。
(ごめんなさい・・)
この先もずっと、沖田へ嘘をつき続けることになる、
元より沖田と想いが通じ合えた、あの時から。
それでも、
(もう私は。貴方の一番近くにいられるほうを選びたい)
冬乃のための優しい想像の『おとぎ話』を、
冬乃は勝手に裏返しの解釈をして、その可能性に賭けて。冬乃の内に蔓延ってきた、現実への不安から己を解放してしまった。
ふたりが子を生すことがもしも、この奇跡に許されていないのならば。そもそも授かることは無いと、
その可能性に。
この奇跡のなかで、
その解釈が正しいかどうかなど、人である冬乃にも誰にも、知りようがない。もし違えていたなら冬乃の選択は、
やはり時の流れの、もうひとつの禁忌を破ることになるだろう。
(だけどもう、かまわない・・・)
いっそ、授かりたい。それこそが元々、冬乃の本心の願いですらあり。
沖田の言ったように、授かる可能性のある行為を前にして親になる覚悟、それさえあれば。
それは冬乃においては殊更、己の手で育てることができなくなってもその子が生きていけるように、
授かる奇跡がもし本当に起きたなら、現実的に動かなくてはならない責任をも含んでいる、
もし、やはり此処の世へ冬乃が留まること許されず、未来へも連れて帰ることが叶わずに、離れる日が来てしまうとしても。此の世で安心して託せる先を必ず探すという。
(大丈夫・・)
“成るべくして成る”
冬乃と沖田に一心に愛されて産まれてくる子を。
この奇跡が祝福しないはずがない、
時を超えた二人が、子を授かるならば。
それ自体が、まぎれもない奇跡であるなかで。
(だけどどうか、叶うなら)
此の世に留まることが許され、
本当に、沖田との孫に囲まれる最期を迎えられたなら。
限りない疎外感は、一方で今この瞬間もふと冬乃を苛む。
だからこそ、沖田の話も、導き出した可能性も、冬乃には強く真実味を帯びていた。
この強烈な排他感と、同じほど直観的に。
(そう、・・きっと授かることは無い・・・)
沖田の着物を手に、冬乃は部屋を出る。
(唯一いま分かる事は、この先のことは分からないという事だけ)
だから、もう迷わない
初夏の緩やかな風を受ける。心は澄みわたって。沖田の待つ幹部棟へと、冬乃は歩を向けた。
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