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ゆく末への抗い

112.

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 文字どおり現代でいうお姫様だっこで、そのまま冬乃は抱き上げられ、
 寝室へ連れていかれて、
 
 気をうしなうほど溺れて。気づけば朝を迎えた。
 
 
 
 「おはよう」
 目を開けて真っ先に愛しい人が瞳に映り。たちのぼる幸福感が冬乃を包みこむ。
 
 「おはようございます・・っん…!」
 よほど幸せそうに微笑んでしまったのか、ひどく愛しげに腕枕の腕で引き寄せられ、一瞬息も止まるほど強い抱擁を受けた。
 「冬乃」
 「…はい」
 温かな腕のなか、硬い胸板へ冬乃は頬をすり寄せる。
 「昨日から立て続けでは・・と、」
 「え」
 「今また襲わぬよう抑えてるところだから」
 あまり刺激してくれるなと。言うように冬乃の体が次には優しく離され。
 
 冬乃は、沖田を見上げていた。
 (・・ふれて、いられないの・・?)
 
 こんなに心ごと今も、溺れたまま、なのに。

 「・・・」
 
 代わりに冬乃の顔前の両手を握ってくれる沖田の、
 その指先へと、冬乃は切なさすらおぼえておもわず唇を寄せた。
 
 目を見開く沖田が、彼の指先に唇でふれたまま上目に見上げた冬乃の瞳に映った。
 
 冬乃はそっと口づけを重ねてゆく。
 
 唯ふれていたい一心で、
 せめて今ふれることの許されているこの指へ。
 
 
 「・・冬、乃」
 
 冬乃の唇をやがて沖田の指が、なぞり始め。
 
 (総司さん…)
 冬乃は、さらに追うように夢中でその指に口づけを返す。
 
 つと、
 「冬乃のせい・・」
 
 (え?)

 甘く、
 かすれた低い声が、
 
 「こんなに俺を誘うから」
 冬乃の耳を掠めた刹那。
 
 
 引き抜かれた指の代わりに、冬乃の唇へ激しい口づけが降ってきた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 小雨の中、半ば沖田に蕩けきった躰を抱きかかえられるようにして帰屯するはめになった冬乃は、女使用人部屋の前で、彼となんとか暫しの別れを経て。
 
 門のところで外し忘れていた頭巾を取りながら部屋へ入るなり、膝から崩れ落ちた。
 (わ・・私、)
 
 彼を誘惑していた、ようだと。
 
 言われてから暫しのち、それをようやく認識した時にはすでに口づけの嵐の下、強い腕のなかに捕らえられて久しく。
 
 (も、もぅ)
 いったい冬乃はどこまで“好色” になっていってしまうのだろう。沖田に対しては仕方がないと、そろそろ完全に開き直るべきなのか。
 まるで底なし沼のように、終わりがないことを。
 
 
 冬乃は、眩暈すらしながら、そうだ支度をしなくてはとふと思い直し。ふらふらと押し入れへ向かった。
 
 行李を出して、身に残る気だるさに緩慢な動作になりながらも着ていた服を脱げば、寒さにおもわず震える。
 
 (・・この寒さじゃ)
 掃除がしやすいよう作業着は必須とはいえ、昨日だって外は肌寒かったのだ、
 今日の天気では作業着に一枚羽織る程度だと外を移動する間に風邪をひきかねないのでは。
 
 冬乃は早くも褞袍を引っ張り出すことにして、着膨れて余計にふらつきながらも、厠へ向かうべく立ち上がった。
 
 
 
 
 
 (あ・・来ちゃったんだ・・・)
 
 冬乃は、大きく嘆息した。
 
 月のものが来るたび。落胆の想いに苛まれる。
 
 
 (やっぱり授かることなんて、できないの・・?)
 
 
 此処の世に永住させてはもらえない、帰属させてはもらえない。そんな疎外感は変わらず。
 その氷のようにひやりと冬乃を凍えさせる境界を、もう感じなくなったわけではない。
 
 その冷たさを、沖田にふれていられる間だけは彼の強い温もりで溶かしきってしまえるようになって、
 
 更には近藤や藤堂たちに受け入れてもらえている、その温もりにも救われてきた。
 それでもふとした瞬間を突いて、その存在に気づかされるように。疎外感は、冬乃の隣に常に居るまま。
 
 
 だから、時を超えたふたりが授かる事など夢のまた夢。そう端から諦めているのに、
 
 どうしてもそんな更なる奇跡を心の奥では望んでしまっている自分がいる。
 授かることなんて無い。その直観に近い予感を持ちながら、なお愚かにも。
 
 
 “成るべくして成る”

 人智を超えた奇跡の事でどうこう心配しなくていいと、そう示唆してくれた沖田の言葉は、
 想い起すたび冬乃を優しく包んでくれるけども、
 
 それでもあの時の彼の言葉は、冬乃の永住を前提にかけてくれたもの。
 
 (だから、わかってる)
 そこに救いを求めてはいけないことくらい。
 
 時を経るごとに強まるこの願いは、だから声になどできないことも。
 
 授かりたい、と、
 
 それだけは、本当に永住できてはじめて、口にしていい願い。
 
 
 昨日に沖田へ告げた、もう此処の世に永住できると
 その嘘で塗り固めた誓いは、
 嘘でも彼を安心させたいが為だったけど、
 所詮は、
 嘘でしかないのだから。
 
 
 
 そうしてこれまでもこの先も、
 只々、奇跡の訪れに任せるだけの日々を。
 
 
 
 (けど・・・きっと私がはっきり言わなきゃ・・)
 
 ただでさえ"夢のまた夢” が、
 よけいに遠のいているのではないか。
 
 彼は。
 いつも、冬乃ができれば妊娠しないよう気遣っているのだろう、
 最後の瞬間必ず、冬乃から身を離して。
 
 
 (でも)
 
 通常、その外へ出すという事だけでは、
 
 統計の上でなら一年に20%もの割合で、妊娠に至ると、
 
 よほど正確な対応であれば、4%の割合にまでは下がるものの、
 そんな場合は稀なのだと。

 以前に保健の授業で、先生が口調強く言っていたはず。
 
 
 元々、子を授かるための行為だからこそ。避妊薬でさえ、完全ではなく。
 
 だから、妊娠してもいい相手と、親になってもいい準備ができてからにしなさい、と。
 
 
 (あの頃は、そんなの一生自分に関係ないとおもって聞いてたけど・・・)
 
 
 けれど沖田と、こうして叶って。
 あの時の先生の話からすれば、本来、いつ妊娠してもおかしくない状況なはずで。
 
 
 だからこそ、沖田も『親になる覚悟』を告げてくれたのだろう。
 もっともこの江戸時代には、数値の統計があるわけではないだろうから、そのあたりは経験則で語られてきた範囲の認識なのだろうけども。
 
 
 
 カアー
 
 厠の外、随分近くで烏が鳴いたのへ驚きながら、冬乃は湯文字を多めに織り込んで応急処置をすると厠を出た。
 
 井戸場で手を洗い、小雨を直に浴びながらとぼとぼ道を戻る。 
 先程の烏なのか、ばさばさと木の上から飛び去るのが見えた。
 
 (・・もし、)
 
 冬乃はつと思考を戻す。
 
 (そうやって皆なんとなく分かってるとしても)
 
 この時代、
 一部の上層の武家や公家、または豪商などの女性でもないかぎり、世の男女、こと庶民層の男女の交遊は自由奔放だったと聞くなかで、
 
 そんな遊び相手とも『親になる覚悟』つまり『責任をとる覚悟』を皆が皆、沖田のように持っていたかどうかは果たして疑問になるものの。
 
 遊び相手との間に、もし意図せず授かった時の勝手などは、もしかしたら現代とは大分違って、
 必ずしも自分たちが育ての親になる責任のとり方では無しに、
 世継ぎが欲しい夫婦の元へ託したりと、別の方法でなんとか果たしたのかもしれないが。
 
 
 (・・けれど)
 
 夫婦である冬乃と沖田の場合は。
 子を授かれば、冬乃は勿論、沖田も、ふたりが育ての親になるを望んでくれていることだろう。
 
 (・・総司さん)
 思い起こせば涙が溢れてきて冬乃は立ち止まった。
 
 たとえ今すぐ授かってさえ。
 もう、その子と沖田が過ごせる時間など、とうに残ってはいない。
 
 (そして、私の時間も・・・)
 
 此処での出来事が、平成での冬乃の体へ直には影響しない以上、まさか妊娠したまま平成へ戻るなんてことはありえないだろう。
 だとすれば、もし授かっても此処の世で産む以外にその子と出逢えるすべはない。
 
 もうそんな時間が、許されるのかさえ。
 
 そして仮に許されたとしても尚、
 時の壁に阻まれ、連れて還ることが叶わずどうしてもその子を育むことができなくなっても、必ず安心して託せる先を探さなくては―――――
 
 
 (・・・嫌・・此処に、居たい・・)
 
 
 冬乃は思考を、そのまま振り切るように。強く目を瞑った。
 
 (此処で)
 此の世に留まれて。ふたりの子を育んで、
 
 沖田が望んでくれたように、沖田との孫に囲まれる最期を迎えられるなら、
 
 そんな未来が望めるのなら。
 彼をうしなってもきっと生きていける。やはりそう思えるのに。まるで宙に揺れる一本の細い糸のような儚い希望であっても。
 
 
 だけど冬乃に起こった奇跡の理由、
 沖田へ到底打ち明けられないその“使命” を前に、
 
 冬乃の、いや、冬乃と沖田、ふたりの望みなど、
 一切さしはさむことは叶わないのではないか。
 
 
 冬乃・・千代の、罪悪感という、この魂の苦しみを自ずから手放す事
 
 まだそんな本当の理由に気づいていなかった頃は、
 
 只、千代の祈りを叶え沖田を病から遠ざけたことで、もう冬乃の使命は果たせたものとばかり思っていた。
 
 未だ未来へ還されてしまわないのはきっと、まるでご褒美のような猶予期間なのだろうと、思っていた。
 
 
 (でも・・違った)
 
 自らつくりだす罪の辛苦からの解放と浄化が、
 “究竟の存在" から真に課された使命であるならば、
 
 沖田の最期まで・・千代の愛した彼の、本来の望んだ散り方を見届けるまで果たしてこそ、漸く完遂するのではないか。
 
 
 自分と添うことで沖田を病に苦しめてしまわないように。
 そんな千代の祈りこそ叶ったけども、
 
 それでは未だ千代の、この魂は、その罪の呵責を完全に手放せてはいないのだろう。
 
 千代の代わりに冬乃と夫婦になったことで、病こそ避けても、沖田のこの先の運命に与える“悪影響” が何か他に無いともかぎらない。
 
 これまでで既に、冬乃が与えてしまった苦しみだって数多にあるのだから。
 
 すべて、千代が千代の信念の選択をあの時しなければ。
 そもそも起こらなかった事。
 
 どんなにあの選択が、己の内の正しい義に従って選んだ道だったとしても。
 
 (・・・そう、)
 
 病から遠ざけることが叶ったからといって、
 最愛の人を己の選択によって苦しめる結末になった過去への、呵責を、消し去れるわけではない。
 
 
 なにより、沖田の運命を捻じ曲げた今の状況で、
 この先が彼の本来望んでいた命の散り方へとつながる保証も、未だどこにもない。
 
 そこへ導くことは、究竟の存在そのものか、
 この先の歴史を知る冬乃にしか、できない事であることに。尚変わりはなく。
 
 (そしてきっと)
 それを誰でもない、千代の魂を継承した冬乃が、叶えることで、
 
 彼が千代に出逢わなければ望んでいた命の散り方――生き方を。見届けることで。
 
 漸く、その苦しみから真に解放される時を迎えられるのではないか。
 
 
 (だから・・・まだ私が永久に未来へ還されてしまうことは無いはず・・・)
 
 それでも、その時迄の事。
 彼の最期を見届けて千代の魂が枷から完全に解放されて、
 
 そうすれば冬乃の使命は終わる。その時、冬乃が此処の世にそれ以上留まれる『理由』など無くなる。
 
 
 そこに、ふたりの授かる子が新たに存在しうるはずも無いのだろう。
 
 
 それでも冬乃は、一縷の可能性に、縋っている。
 
 
 
 未来は分からないからこそやはり救われるのかもしれないと。
 みえないからこそ、こうして希望も持てるのだから。
 
 冬乃は、そんないつかの己の問いへまた戻ってきてしまっていることに、小さく息を吐いた。
 
 この命の尽きる瞬間までも、結局、答えは出ないのかもしれないと。

 
 
 
 
 
 戻った部屋でぼんやりしていた冬乃を、呼ぶ沖田の声がした。
 
 冬乃は、ふらりと立ち上がり障子を開ける。
 
 「体・・大丈夫か」
 御免、とひどく申し訳なさそうに沖田が見上げてくるのへ、
 冬乃はふるふると首を振った。
 今回誘惑したのは、冬乃である。
 
 「冬乃を前にすると抑えられない己に呆れてる」
 傘も差さず小雨の中で沖田が溜息をついた。
 
 「抑えないで・・」
 冬乃は咄嗟に呟いた。
 
 「・・・」
 またそういう事を言う、と沖田が困ったような顔になるのを見ながら、冬乃は縁側へ出てそんな沖田へと手を伸ばした。
 沖田が少し驚いたように見返してくる。
 
 
 (総司さん、私は)
 
 あと半年のふたりの時間を
 一瞬たりとも逃したくない
 
 だから
 
 (私が。抑えるなんてどうせできないんです)
 
 
 ・・それに
 
 「私にも呆れたり、しないで・・いてください」
 
 
 あらゆる思考から逃れ、時の呪縛から解放され
 いま目の前の貴方だけがすべてになる
 そんなひとときが
 欲しくて欲しくてたまらなくて
 
 「“好色” でも・・」
 
 貴方にふれていられない時間は
 少しも耐えられなくなる
 
 そうなるのもきっともう、すぐ・・・
 
 
 こみ上げそうになった慟哭を隠し、冬乃は伸ばした手の先、沖田の少し雨に濡れた肩へと震える腕を回して顔をうずめた。
 
 「冬乃」
 あやすように大きな手がそんな冬乃の頭をそっと撫で。
 「だから大歓迎だと、言ってるだろ」
 どこか吹っ切れたような声音が、そして冬乃の鼓膜を擽った。






 
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