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禁忌への覚悟

52.

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 曇り空で澱む薄光の朝、
 広間で朝餉を前に、冬乃は首を傾げていた。
 
 昨夜も感じていたが、どうも以前より、隊士の数が減っているように思う。
 
 (きのうはたまたま大勢が巡察に出ているか何かだと思ってたけど・・)
 朝餉でも、これだけ人がいないのはどういうことだろう。
 
 
 (・・・そうか)

 冬乃は記憶を辿らせ、まもなく思い出した。
 
 たしか、隊からの脱走が相次いだ時期ではなかったかと。池田屋事変の当日でさえ、さらに脱走があり、
 最終的にその少ない隊士の数を、屯所の護りと、巡察の近藤隊と土方隊とに分けることとなったはずだ。
 
 
 (近藤様は表向き、屯所で病気が蔓延して出勤できる隊士が少なかったと、会津には伝えていたんだっけ・・)
 
 池田屋事変当日は、その少ない総数の分割にあたって、近藤隊は少数精鋭とし、近藤、沖田、永倉、藤堂、そして安藤らの、僅か十名ほどで編成、残りの二十数名が土方隊についた。
 
 
 (なんか・・こんなに広間って広かったんだ)
 
 「沖田、斎藤、冬乃ちゃん、おはよ」
 藤堂の声に冬乃が、横にきた彼を見上げる中、藤堂は大刀を腰から抜き、袴をさばいて座る。
 
 普段は早い藤堂が遅く来たのは、早朝から巡察だったのだろう。
 沖田とその向こうの斎藤がそれぞれ挨拶を返す中、冬乃も会釈する。
 「おはようございます。朝からお勤めお疲れ様でした」
 
 「うん」
 にこにこと藤堂が微笑む。
 「やっぱり冬乃ちゃんが居るって、いいな」
 そんなふうに言ってくれる藤堂に、冬乃も嬉しくなって微笑み返す。
 
 「もういきなり居なくならないでね?」
 
 (それは・・私も願いたいです)
 
 「お嫁に行った、てのは信じてなかったけどさ。・・また未来に帰ってたんでしょ?」
 
 本当に、藤堂は冬乃が未来から来ていると信じてくれている、ということなのか。冬乃はびっくりして藤堂の目を見た。冬乃が驚いた顔を向けたことに、藤堂のほうがきょとんとした。
 「え、違うの?」
 「いえ、そうなんですけど・・信じていただけてるのですか」
 
 冬乃のおそるおそる聞いてきたその問いに、藤堂が微笑って。
 「もちろん。冬乃ちゃんが嘘つくようには思えないし」
 
 (藤堂様・・・)
 
 やばい。泣きそう。
 
 冬乃はおもわず目を瞬かせて、「有難うございます」と頭を垂れた。

 (そうだ・・)
 
 「藤堂様、」
 藤堂になら。
 未来から来たからこそ、知っていることを。そのまま伝えても受け止めてもらえるかもしれない。
 
 「お願いがあります」
 
 「え、何」
 突然お願いと言われた藤堂が、ますます微笑って聞き返す。
 
 「あの、もしこの先、鉢金をお使いになることがあるような大捕り物の時には、汗などでも絶対に緩まないように、しっかりと固定していてください」
 
 「ええ?」
 
 鳩が豆鉄砲をくらったような表情になった藤堂に、
 さすがに唐突すぎたかと、冬乃は一瞬反省するものの、もう腹を決めたのだと敢行する。
 「未来から来たことを信じてくださるなら、・・どうか、今のお願いをお聞き入れください」
 
 「それって、俺、鉢巻きが緩んだら何かある、って事?」
 冬乃は、それでもやはり、その返しには頬が強張って。一呼吸を要した。
  
 「・・・はい。額を斬られます・・結果的にお命に別状はありませんので残るのは栄誉の向こう傷です、ですがそんな痛いおもいを藤堂様にしてほしくありません」
 
 「・・・」
 
 沖田達の側からも、強い視線を感じながら、冬乃は言い切った。
 
 
 目を丸くしたまま冬乃を見つめていた藤堂が。
 やがて、みるみるその満面に笑みを溢れさせて。冬乃は止まりそうになっていた息を、ほっとついた。
 
 「うん、わかった。気をつける」
 藤堂の素直な声が返る。
 冬乃は押し寄せる安堵で、瞳を潤ませながら微笑んだ。
 
 「ありがとね、冬乃ちゃん」
 「いいえ」
 首を振る冬乃に、
 
 「あと、また藤堂様って言った」
 藤堂がつと、その目をわざと怒らせて。
 「あ・・」
 
 「もう次、様を付けたら、おしおきだからね?」
 (おしおき!?)
 今度は冬乃が豆鉄砲をくらって目を見開くのを、藤堂が微笑いながら膳に向き直り。
 
 (藤堂さん、藤堂さん、藤堂さん・・)
 なにをされるのかよくわからないが、とりあえずおしおきされぬよう、冬乃は言い慣れるために椀を手に頭の中で唱え始めた。
 
 
 
 
 
 
 
 それから数日は雨が続いた。
 
 
 (なんで雨降ってるのに、こんな暑いの)
 
 むしろ湿気が余計に増えただけだ。
 (きもちわるい・・・)
 
 止んではまたすぐ降って、じめじめしたうだるような暑さの中、
 強化された巡察に少ない人数で励む、働き通しの隊士達は皆、最早みるからに疲れている。
 
 
 (ほんとに病気になっても当然だ)
 実際、山南などはついに寝込んでしまった。
 この頃、会津本陣の黒谷では、中将容保も、病の床に臥せているはずだ。
 
 近藤のはからいで、局長部屋のほうで布団を敷いて寝ている山南に、冬乃は食事や冷水を運んでは、額の手ぬぐいを替える。
 すまないね、と何度も言う山南に、冬乃は首を振って。
 女使用人部屋で寝泊まりしていることで、夜も寝る直前まで山南の世話ができることに感謝した。
 
 
 
 
 そうこうするうちに迎えた、五日の早朝。
 
 襖の向こうで沖田達の声がして、冬乃は目を覚ました。
 なにか支度をしている様子だった。
 
 
 「武田さん達数名が留まって包囲してある。中にいた桝屋の主は既に召し取り、こちらへ連行させている、」
  近藤の声がした。
  
 「付近には不審な者が居たらしい。黒谷にも連絡を遣り、探索の協力を願い出てある。それから、なにぶん家が広い、じっくり家の中の捜索もせねばならん。総司、あとは頼んだぞ」
 「承知」
 はっきりと聞こえたその会話に、冬乃は起き上がる。
 
 
 (ついに・・始まる)

 桝屋の主、と近藤は言った。桝屋への長州系人物の時折の出入りを見とめていた、山崎や島田たち監察方からの情報により、この日捕らえた、表向き“商人”であり、
 池田屋事変の発端となった志士。
 
 これから沖田は隊士を率いて、付近の不審人物の探索と、桝屋の内部の徹底捜索を行うのだろう。
 それによって次々と見つかることになる書状や隠されていた大量の武器弾薬が、新選組に並ならぬ異常な事態を知らしめることとなる。
 
 
 冬乃は障子を見た。
 まだ暗い。
 風に時折カタカタと障子が揺れ、雨の音が幽かにした。
 明けてもないこの朝から、長い一日が始まる。
 
 
 冬乃は再び、襖を見やった。
 沖田は出て行ったようだ。
 
 「勇さん、」
 土方の声がした。
 
 「あんたはもう少し寝たほうがいい。また今日もやる事が多そうだからな」
 「ああ。そうだな」
 
 近藤達はこの時点では未だ、まさか今朝方に捕らえたばかりの桝屋の主が、志士達の活動の中心的存在であるとは、知る由もない。
 
 
 冬乃も身を横たえた。
 (眠れそうにない・・)
 
 とくとくと鳴っている心臓の音を聞きながら、冬乃は、今日のどこかで沖田に渡そうと思っている、枕元の水筒を見やる。
 昨夜茂吉に断り、厨房から借りてきてある竹でできた水筒だ。すでに塩と砂糖は入れてある。
 
 沖田達は夕刻の徹底巡察の前に、祇園の会所へ集合するはずだ。
 会所についたら、水筒に水を入れて混ぜ、その後持ち歩いて時々飲んでほしいと伝えるつもりでいる。
 
 塩と砂糖と水で、体内に吸収されやすい経口補水液になると、冬乃は聞いたことがあった。
 
 
 蒸し暑い中を、記録では、沖田達は会所を出て池田屋で志士達に遭遇するまで、優に三時間近く歩くことになる。
 もちろん、彼らとて水筒など無くても、廻ってゆく店から、途中で水くらい貰うようにはするだろう。
 (・・でも、)
 
 何か出来る事はしておきたい。
 
 
 この夜、近藤隊に加わる永倉が書き遺した記録によれば、沖田は池田屋において、病で退くとある。
 
 病、つまり沖田の命をのちに奪うこととなる肺結核を、医学的見地から、沖田がこの時点で発病するはずがないため、
 後世では、これは屋内の高温多湿によって引き起こされた熱中症か何かの間違えではないか、と考察されている。
 
 
 (それだって、いろいろ変なんだけど・・)
 
 ただ、熱中症になる可能性が無いわけではないのなら、やはり冬乃にいま出来ることは一つだけ。塩と砂糖を入れた水筒を渡すということ。
 
 
 (この後、どこかのタイミングで沖田様に出逢えますように)
 
 冬乃はむりやり目を閉じてみる。やはり眠れそうには、なかった。

 
 
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