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終、恋のあと
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翌日リリベットが目覚めたのは、昼をとうに過ぎてからのことだった。
空は雲ひとつない快晴で、カーテンからはまばゆいばかりの陽光が差し込んでいる。
「エリオス……?」
リリベットは無意識のうちにエリオスの姿を探していた。シーツをごそごそとまさぐり、彼の温もりを見つけ出そうとする。
だが、広いベッドに寝ているのは自分ひとりだけだった。
乱れたリネンは整えられ、リリベット自身も綺麗に身体を清められ新しい夜着を着せられた状態で寝かされていた。
昨夜の情事を思い起こさせるものはひとつもない。
なにせリリベットの肌には、あれだけしつこくされていたはずのキスの痕ひとつ残されていないのだから。
「エリオス?」
もう一度名前を呼ぶ。エリオスは睡眠を必要としないので、普段はリリベットの部屋の扉の向こうに控えていた。
そして彼女がひと言呼べば、いつも慇懃無礼な笑顔でやって来るのだ。「おはようございます、お嬢様」と。
だが、今日は彼は現れない。
リリベットは不思議に思って起き上がる。布団を捲って床に揃えられているスリッパを履くと――――ぐらり。
突然脚が震え、身体が傾いだ。
リリベットはぺたんとその場に尻もちをついた状態で、しばし放心する。
そしてようやく思い出した。
昨夜ひと晩中エリオスと繋がりつづけ、ほとんど腰も立たなくなっていたことを。
不意に、じゅん、と身体の奥で熱い湿りが生み出されたのがわかった。
エリオスとの一夜はリリベットの身体になんの痕も残しはしなかったが――間違いなく、彼女の最奥に息づく消えない傷となっていた。
「エリオス……」
リリベットは立ち上がり、よたよたと老人か赤子のような足どりでピンクのクロスが掛けられた丸テーブルの元へ歩いた。
いつもならエリオスが目覚めの一杯のための茶器を並べるその場所に、代わりにガラスの水差しが置かれていた。
仕方なく自分でグラスに水を注いで喉を潤していると、水差しが載せられた銀盆の下に白い紙が挟まっているのが目に入る。
何気なくその紙を取り出して開いたリリベットは――――次の瞬間、自分が夜着のままであることも、脚の筋肉がままならないことも忘れて部屋を飛び出していた。
「エリオス、エリオス!」
リリベットが握りしめた白い紙には、タイプライターのように正確無比な筆跡でメッセージが綴られていた。
“リリベットお嬢様。
本日より暇をいただくことになりました。
今日この日をもって私はスローン邸を去り、魔法工房へ戻ります。
恐らくそのまま分解されて、中古のパーツはジャンクにもならない骨董品として二束三文で売られるでしょう。
いえ、お気になさらず。
これはスローン邸にやって来た時から決まっていたことなのです。
私は元々、お嬢様の嫁入りまでの御守りを申し付けられておりました。
私の魔法回路は少々年季の入ったものでしたから、いずれにしてもそのぐらいの間しか稼働することはできませんでしたので。
それが今回の夜伽指導で、少々早まっただけのことです。
夜伽指導自体が魔法回路に負荷がかかることに加え、お嬢様が私に情を移してしまうことを旦那様が危惧されておいででした。
ですから、今回の夜伽指導にはふたつの条件がありました。
ひとつは、決してお嬢様の身体に痕を残さないこと。
そしてもうひとつは、夜伽指導が済めば私はこの屋敷を去ること。
それを承知の上で、私はこの役を引き受けました。”
「エリオス! 行かないでエリオス!」
“お嬢様は覚えておいででしょうか。
私の左眼に傷が付き、お嬢様が泣いて縋ったあの日のことを。
貴女はこの傷を厭われたが、この傷は私を唯一無二にした。
貴女のために付いたこの傷が、私を他の誰でもない、世界でただひとりのエリオスにしたのです。
だから私は――。
いえ、この話はやめておきましょう。
私の目覚めは、貴女のために
私の夢の終わりは、貴女とともに
貴女の執事 エリオス”
屋敷中を探した。
書斎、キッチン、食堂、応接間、女中部屋から庭の隅の物置小屋まで。
だがかの美貌の魔導人形が、ふたたびリリベットの前に姿を現すことは、これきりなかった。
◇
先進的な魔導人形の技術を有し、人形と人が手を取り合って生きる国、クライノーツ王国。
その豊かなクライノーツの王立博物館に、王家由来の美しい首飾りが所蔵されている。
第十三代王妃リリベットが嫁入り道具として身に付けていたというその首飾りは、通称「黄昏の瞳」と呼ばれている。
豪奢な銀細工の中心に、まるで昼と夜の間の空を閉じ込めたような一粒の大きな紫黄水晶が嵌め込まれているからだ。
その美しい宝石の中心を横切るひとすじの大きな傷が、何かの事故によるものなのか、あるいははじめから在ったものなのか――――
その真実を知るものは、今はない。
〈了〉
空は雲ひとつない快晴で、カーテンからはまばゆいばかりの陽光が差し込んでいる。
「エリオス……?」
リリベットは無意識のうちにエリオスの姿を探していた。シーツをごそごそとまさぐり、彼の温もりを見つけ出そうとする。
だが、広いベッドに寝ているのは自分ひとりだけだった。
乱れたリネンは整えられ、リリベット自身も綺麗に身体を清められ新しい夜着を着せられた状態で寝かされていた。
昨夜の情事を思い起こさせるものはひとつもない。
なにせリリベットの肌には、あれだけしつこくされていたはずのキスの痕ひとつ残されていないのだから。
「エリオス?」
もう一度名前を呼ぶ。エリオスは睡眠を必要としないので、普段はリリベットの部屋の扉の向こうに控えていた。
そして彼女がひと言呼べば、いつも慇懃無礼な笑顔でやって来るのだ。「おはようございます、お嬢様」と。
だが、今日は彼は現れない。
リリベットは不思議に思って起き上がる。布団を捲って床に揃えられているスリッパを履くと――――ぐらり。
突然脚が震え、身体が傾いだ。
リリベットはぺたんとその場に尻もちをついた状態で、しばし放心する。
そしてようやく思い出した。
昨夜ひと晩中エリオスと繋がりつづけ、ほとんど腰も立たなくなっていたことを。
不意に、じゅん、と身体の奥で熱い湿りが生み出されたのがわかった。
エリオスとの一夜はリリベットの身体になんの痕も残しはしなかったが――間違いなく、彼女の最奥に息づく消えない傷となっていた。
「エリオス……」
リリベットは立ち上がり、よたよたと老人か赤子のような足どりでピンクのクロスが掛けられた丸テーブルの元へ歩いた。
いつもならエリオスが目覚めの一杯のための茶器を並べるその場所に、代わりにガラスの水差しが置かれていた。
仕方なく自分でグラスに水を注いで喉を潤していると、水差しが載せられた銀盆の下に白い紙が挟まっているのが目に入る。
何気なくその紙を取り出して開いたリリベットは――――次の瞬間、自分が夜着のままであることも、脚の筋肉がままならないことも忘れて部屋を飛び出していた。
「エリオス、エリオス!」
リリベットが握りしめた白い紙には、タイプライターのように正確無比な筆跡でメッセージが綴られていた。
“リリベットお嬢様。
本日より暇をいただくことになりました。
今日この日をもって私はスローン邸を去り、魔法工房へ戻ります。
恐らくそのまま分解されて、中古のパーツはジャンクにもならない骨董品として二束三文で売られるでしょう。
いえ、お気になさらず。
これはスローン邸にやって来た時から決まっていたことなのです。
私は元々、お嬢様の嫁入りまでの御守りを申し付けられておりました。
私の魔法回路は少々年季の入ったものでしたから、いずれにしてもそのぐらいの間しか稼働することはできませんでしたので。
それが今回の夜伽指導で、少々早まっただけのことです。
夜伽指導自体が魔法回路に負荷がかかることに加え、お嬢様が私に情を移してしまうことを旦那様が危惧されておいででした。
ですから、今回の夜伽指導にはふたつの条件がありました。
ひとつは、決してお嬢様の身体に痕を残さないこと。
そしてもうひとつは、夜伽指導が済めば私はこの屋敷を去ること。
それを承知の上で、私はこの役を引き受けました。”
「エリオス! 行かないでエリオス!」
“お嬢様は覚えておいででしょうか。
私の左眼に傷が付き、お嬢様が泣いて縋ったあの日のことを。
貴女はこの傷を厭われたが、この傷は私を唯一無二にした。
貴女のために付いたこの傷が、私を他の誰でもない、世界でただひとりのエリオスにしたのです。
だから私は――。
いえ、この話はやめておきましょう。
私の目覚めは、貴女のために
私の夢の終わりは、貴女とともに
貴女の執事 エリオス”
屋敷中を探した。
書斎、キッチン、食堂、応接間、女中部屋から庭の隅の物置小屋まで。
だがかの美貌の魔導人形が、ふたたびリリベットの前に姿を現すことは、これきりなかった。
◇
先進的な魔導人形の技術を有し、人形と人が手を取り合って生きる国、クライノーツ王国。
その豊かなクライノーツの王立博物館に、王家由来の美しい首飾りが所蔵されている。
第十三代王妃リリベットが嫁入り道具として身に付けていたというその首飾りは、通称「黄昏の瞳」と呼ばれている。
豪奢な銀細工の中心に、まるで昼と夜の間の空を閉じ込めたような一粒の大きな紫黄水晶が嵌め込まれているからだ。
その美しい宝石の中心を横切るひとすじの大きな傷が、何かの事故によるものなのか、あるいははじめから在ったものなのか――――
その真実を知るものは、今はない。
〈了〉
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