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第四章 浩司と転機
軽い女
しおりを挟むしばらくバスを走らせて、関之尾滝に到着。
すでに出来上がってる南条という客が桑崎に絡んではいたけれど、アイツは口ほど悪い男ではない。
まぁ、大丈夫だろうと、俺も一番最後にバスを降りた。
すると、初日に座席のクレームをつけていた赤石という老女がカメラを持って俺を待っていた。
「運転士さん、あんた、暇だろう? ここで滝を背景に私の写真を撮ってくれない?」
「暇ではない……です」
なんだ、この婆さん。
花を撮影するのが生き甲斐なのに、自分の写真が欲しいのか?
ああ、そうか、年齢的に、
「遺影用に、候補の写真を揃え始めなきゃね」
俺が言う前に、赤石婆さんは、ヒヒッと笑ってい
た。
いや、全く笑えないけれども。
「いいですよ、つり橋に行きますか?」
俺も、もう少し歩きたかったから。
が、赤石婆さんは首を横に振った。
「私、一見、こんなに元気だけれど、心臓に爆弾持ってるから、つり橋は無理なのよ」
「……そう」
婆さんを撮りながら、何となく切なくなった。
「大淀川を本流とする庄内川上流に位置して、幅40m、高さ18mにも及び、″ 日本の滝100選 ″ にも選ばれてい ます」
しゃがれた蛯原の声がこちらまで聞こえてきた。
蛯原も、さっさと結婚しないと、あっという間にボッチの老後がくるのにな。
…… 余計なお世話か。
「運転士さん、あんたもいい年だろう? 嫁さんはいないみたいだけど。ほら、あの子なんてちょうどお似合いじゃないかい? 」
赤石婆さんが、南部観光バスのツアー団体の最後尾を指差した。
「あの子?」
桑崎か?
「一緒に仕事してたら情も湧くだろうし」
けっ。
「俺は、あんな雪山で遭難しかけたような、やつれた女はタイプじゃない」
俺が大袈裟にノーサンキューの手振りをすると、赤石婆さんは、ん? と顔をしかめた。
「蛯原さんは、もっと生命力強いたとえをしていいと思うがね、年上女房ってのはいいみたいだよ?」
「蛯…」
あっちかよ。
赤面する俺に、
「ほら、お礼。眠気覚ましにどうぞ」
赤石婆さんは赤唐辛子味のガムをくれた。
ブラックタイプのミンティアなら持っていたが、受け取った。
後に、 こんな強力なガムを食べる事になるとは思ってなかったが。
吊り橋を渡ることなく、一人バスに戻って県内の交通情報をネットで見ていたら、
「運転士さん!」
赤石婆さんが、血相を変えてバスに乗り込んできた。
「どうしました?」
何かトラブルなら桑原に言ってくれ。
そして、現地の事なら蛯原に聞いてくれ。
「吊り橋のところで韓国人と揉めて、添乗員さんがケガしたみたいだよ!」
「は?」
俺は、見ていたスマホをポケットに仕舞ってバスから降りた。
「ガイドさんはそばにいないんですか?」
「あっちはあっちで別の揉め事に対応してるよ」
他でも揉めてるのか。
「……ケガってどんな?」
「私は遠目でしか見えてないけど、殴られて顔、血だらけって聞いたよ」
マジか。
俺は、元看護師だという赤石婆さんに、そこの売店から氷を買って待機してくれるようにお願いした。
全く、世話が焼ける。
吊り橋を渡ろうとしたら、一人の男が逃げるように向かってきた。
アイツが桑崎を殴ったのか。
俺は、すぐ近くにいた韓国側の添乗員に、男の身元を教えてほしいと話した。
そのピンクスーツの若い女は、
「jangdong-geon dalm-ass neyo! 」
俺を、チャン・ドンゴンに似てると言っていたが、韓流俳優が全く分からず、取り敢えず名刺を貰っておいた。
吊り橋の真ん中に、倒れた桑崎と、それを心配そうに見る三宅と蛯原がいた。
血だらけと聞いていたから、ちょっとびびってたが………。
「鼻血、止まらないみたいだな。何やってるんだ、添乗員の癖に」
鼻からの出血だけのよう。
顔が変わり果てていたら気絶するところだった。
俺は、映画は好きだが、ゾンビ、お化けモノはけして見ない。
「こんなときに説教?!」
俺の言い草に、蛯原と三宅がキレ、桑崎本人はスン……と、反省した顔を見せた。
添乗員は、客にケガをさせてはいけないし、それ以上に自身がケガをしてはダメだ。
客を気遣う事は出来ても、トラブルを回避する能力に欠けている。
サバンナなら、とっくに食い殺されてるぞ。
動けば鼻血がダラダラ落ちる桑崎を、俺は、布団を上げるかの如く抱き上げた。
「う」
嘘みたいに軽かった。
見た目以上の軽さに、自分が抱き上げてるのが女だということを忘れそうだった。
これは。
空気の抜けたビニール人形か?
それとも、鹿児島に伝わる妖怪の一種、一反木綿か?
「いや、走らないで」
「予定が押すだろ」
急ぎ足で吊り橋を抜ける俺に、ぎゅっとしがみつく桑崎。
「そんなに力強くしがみつくなよ。落としたりしない」
「あ、ごめんなさい」
鼻血を出しながらも、恥ずかしそうにする。
「……」
やっぱり、背中が汚れても、おんぶにしとけばよかったな。
そうしたら、こんなおかしな気持ちにはならなかった。
こうやって、直に女に触れたのは何年ぶりだろう?
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