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お船探訪

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拠点としている小島の砂浜に、二隻の黒い船がその船首を乗り上げている。
全長100メートル弱、幅20メートルをやや超えるこの船は、俺達が遺跡で見つけてここまで引っ張ってきたものだ。
まだ全体の三分の一にあたる船尾部分は海面下にあり、それがこの船の大きさを物語っている。

ドック的な施設から運び出してすぐに気付いたが、この船は浮力がほぼ無く、そのせいで海上まで持っていくのに時間がかかってしまった。
もっとも、あの巨大ウツボよりはずっと手応えは軽いものだったので、やりやすさでは比較にならないものがある
とはいえ、結局二隻ともを運ぶだけで半日がかりとなり、明けた翌日の今日、改めて船の内部を調査することとなった。

波に流されないよう、新たに増やした係留用の杭が撃ち込まれた小島の周りに黒い巨大な物体がくっついている様子は、さながら打ち上げられたクジラのようであり、こうして見てみると中々に壮観だ。
表面には海底で付着したと思われるフジツボのような小さな貝が無数についているが、それ以外は傷などはほとんどなく、つるりとした美肌が眩しい。

「改めて見ると、黒光りしてて、すごくおっきぃ」

黒い巨体を見上げながら、俺の隣に立っているパーラがそんなことをつぶやく。
他意はないのだろうが、受け取り手によっては卑猥になりかねない言いようだ。
まぁ陽の光を浴びて黒光りしているのは事実なので別にいいのだが。

「長さだけなら俺達の飛空艇よりも大分あるか。横幅は思ったよりもないが、まぁ水をかき分けて走るなら細長くなってんのは当然だろう」

「この大きさってなんか風紋船に近いね。こっちの方が大分長さはあるけど」

「言われてみれば…。もしかしたら、風紋船のもとになった出土品の船ってのはこれと似たようなのだったのかもな」

パーラに指摘され、改めて見てみると確かに風紋船と似通った雰囲気がある。
風紋船も古代文明の遺物をもとにして生み出されたものなので、そのルーツが目の前の船と同型のものだったとしてもおかしくはない。
これは風紋船の技師辺りにでも見てもらったら面白いことになりそうだ。

「さて、それじゃあ外見を見るのはこれぐらいにして、そろそろ内部を見るとしようか」

「そだね。…これってどこから入るんだろ?風紋船みたいに後ろの方かな?」

いざ乗り込むとなると、どこから入るかが問題になってくる。
船尾部分はまだ水の下だが、透明度のおかげでその様子がよく見える。
そこには出入口になりそうなものは見当たらず、船尾側の出入口はもしかしたら風紋船だけのものの可能性もある。

「こっちからは入れないな。横にそれっぽいのは見えるか?」

「うーん、ちょっと見当たらないね」

風紋船も一応両舷側にタラップがかけられる出入り口はあったので、もしかしたらと思ってしまう。
少し離れて立っているパーラに船の横腹を見てもらうが、そこにも見当たらない。
となると、船の甲板から見てみる方が早いか。

「仕方ない。甲板に上がって調べるか」

「それがいいかもね。…甲板までは10メートルはあるか。足場になりそうなものはないけど、どうやって上がるの?」

一応船を係留しているワイヤー伝いに甲板には上がれそうではあるが、それは流石に面倒くさすぎるので、別の方法を提案する。

「これぐらいの高さなら、一人上に上がってロープを垂らせばいけるだろ」

「んじゃ噴射装置の出番だね。私が上がるよ。アンディはロープを用意しておいて」

「分かった」

そんなわけで、パーラが噴射装置でヒョイと甲板に上がり、適当な場所に括り付けたロープを垂らすと、それを使って俺も甲板に上がった。
別に俺も噴射装置で昇ってもよかったが、何度も上り下りする可能性を考えれば、今の内にロープを取りつけた方が効率的だ。

船体が砂浜に乗り上げている関係上、船首が上に向いて若干傾いてはいるが、平らな甲板上は意外と広く、中心に聳える艦橋がなければ飛空艇の着艦も意外といけそうなぐらいだ。

内部への進入口を求めて、艦橋へと向かう。
これだけのでかさの船なら出入口は複数ありそうなもので、その中でも甲板上で目立っている設備になら期待できるだろう。
案の定、すぐに開閉できそうな場所が見つかったが、早速オープンというわけにはいかなかった。

「…うん、開かないな」

扉の形を描いているラインの一部に指をかけて、思いっきり押したり引いたりして見るが、やはり開くことはない。
気密がしっかりとしているのか、あるいはこの扉が歪んでいるのか。

「だろうね。飛空艇もそうだけど、こういうのって動力が生きてて初めて扉が開閉する仕組みなんじゃない?」

「ああ、俺もそう思う。ただ、動力がなくても緊急時には開けるようには作ってるもんだと思うんだが…どっか近くに怪しい凹みとかないか?」

「凹みったって…見た感じだと怪しいのはなさそうだけど」

飛空艇も古代遺跡も、俺の知る限りこの世界の古代文明は一応外からも開閉できるような安全措置は用意してくれている程度には親切だ。
パーラと一緒に緊急開閉用の機構を探してみると、扉の上の部分にそれに相当するものが見つかった。

ガチガチに硬く閉じていた蓋をナイフでこじ開けると、巨人が握るのを想定しているかのようなごついレバーが顔を見せた。

「うわ、でっかいレバーだね。これ引いて開けるのかな」

「ちょっと待て。取れた蓋の方になんか書いてある」

露出したレバーはこれまで使われたことが無いのか、傷一つない綺麗なもので、果たしてこれが俺達の期待するものなのかどうかは注意書きを見ておく必要がある。
取り外した蓋の裏側には、意外なことに共通語が書かれていた。

てっきり古代文明の遺跡のお約束としてはパルセア語がデフォルトだと思っていたのだが、どうやらこの船に関しては共通語が日常的に使われていたらしい。

必要なのは扉の開け方についてだ。
予想していた通りレバーは緊急時の開閉用であり、その使い方が図と一緒に書かれている。

「えー、まずレバーを両手で握る」

「こう?」

俺が口に出したことをパーラが実行していく。

「そして左へいっぱいに回す」

「いよっ…と。止まったよ」

反時計回りに90度回したところでレバーは止まり、それ以上はいかなくなったようだ。
この時点で目の前の扉からはゴンという音がして、俺達の操作に対するアクションがちゃんとあることに安心した。

「そうしたら次は奥に向かって押し込む」

「押し込むの?引くんじゃなく?」

「押し込む、と書いてあるな」

「ほほぅ、どれ…ふんぬっ!」

最後の工程となり、レバーを押し込む操作をパーラが行ったが一向に動く気配がなく、もしやここからは力がいる作業となるのだろうか。

「パーラ、手応えはどうだ?」

「こりゃあ大分硬いねっ。さっきから全っ然動かないしっ…はぁ、本当に押し込むで合ってんの?」

レバーから離した手をブラブラと振りながら、溜息と共にパーラがそう零す。
その気持ちはわからんでもないが、レバーとその周辺には錆や腐食などが見られないので、恐らく単純に力がいるだけのはずだ。
ただ、あまり負荷を掛けすぎると今度は壊れる可能性もあるので、ここは感触を確かめながらやっていくのがいいだろう。

「じゃあ交代だ。次は俺がやる」

「お、私でもやれないのを果たしてアンディに出来るかなぁ~?」

交代を告げられて内心で何か思う所はあるのだろう。
煽るような口調と、上から目線で見てくるパーラの顔がまたムカつく。

「ぱーか、余裕だわ。まぁ見てろって」

パーラと場所を代わり、レバーを握りこんで一気に押し込んでみる。

(岩っ!?)

ついそんなことを頭の中で呟いてしまうほど、このレバーの押し込む先に果てしない抵抗を感じてしまう。
こりゃパーラが無理だったのも頷ける。
強化魔術なしでは難しいだろう。

となれば、腕力を強化して一気にやってしまおう。
先程からレバーを握って固まっている俺を見るパーラのニヤニヤ顔がいい加減うざくなってきたしな。

腕と背中に多めに魔力を巡らせ、体全体でのしかかるようにしてレバーを押していく。
いきなり倍の力で押しては壊れかねないので、徐々に力を込めていくと、ほんのちょっぴりだけ動き始めた。

だがこれをチャンスと見て、一気に押し込むなどということをしてはいけない。
レバーが曲がったりしないよう、ゆっくりと均一に力を掛けていく必要がある。
進展があったことでパーラが隣までやってきて俺の手元を覗き込んでおり、真剣な目で作業を見守っている。

「お、入ったかも?」

「え、ほんと?」

何かがガチンとはまったような手応えがレバー越しに感じられ、一旦レバーから手を離して一歩下がって様子を見る。
これで緊急時の手順による扉の開放となるはずだが、果たしてどのように扉が開くかだ。
まさか爆圧で扉を吹っ飛ばすとかじゃないだろうな。

そう想像してつい半歩だけ下がってしまう。

しかし扉が吹っ飛んでくるということはなく、金属がこすれるような音が断続的に聞こえて目の前の扉にスリットが走る。
どうやら左右にスライドするタイプの扉となっているらしい。
若干空いた隙間はそれ以上広がることはなく、どうやらここからは手でこじ開けるようだ。

「おお!開いた…けど、ちょっとだけかぁ。アンディ、これってここまでしか開かないの?」

「多分な。レバーはもう十分奥まで入ってるし、元々緊急時の仕組みだからこんなもんだろ。こっからは手でいく。パーラ、お前はそっちから引け。俺はこっちをやる。この扉、大分重いから強化魔術を使えよ?」

「了解。これ、昔の人はどうしてたんだろう?」

「こういう時に使える魔道具があったかもな」

隙間に手をかけ、二人で思いっきり引くと、ギッギッという音を立てながら扉が徐々に開いていく。
人一人分が通れるぐらいの大きさが出来たところで手を離してみるが、扉は閉まる気配はない。
ちゃんと開いたところで止まる仕組みとなってていてありがたい。

開いた扉の向こうは、当然のことながら真っ暗だ。
動力が無いということは明かりがないということだし、この船は窓らしい物も見当たらないため、明かりとなるのは俺達が持ち込むランプだけとなる。

早速明かりの用意をしていると、不意に鼻を突く異臭に気付く。

「ん?なんだこの臭い…パーラ、お前屁を」

「してないから!私じゃないよ、扉の方からでしょ」

ちょっとした冗談に恐ろしい剣幕で返されたが、パーラの言う通り、匂いの元はたった今開放された扉の向こうから漂っているらしかった。
饐えた臭いとも違う、何かが腐ったというのも生温いような酷い臭いだ。

「酷い臭いだな。人体に悪影響がないとも言えないし…パーラ、風魔術で中の空気を入れ替えてくれるか」

「分かった。じゃあちょっと離れて」

百年単位で封印されてた空間だ。
何があるか分かったもんじゃない。
パーラに言われた通り少し離れ、空気の循環が終わるのを待つことにした。

それにしても、微かに嗅いだ臭いの感じだと、あの扉の先は浸水していたという感じではなかった。
海水で満たされていた空間であれば、あそこまで酷い臭いはないはずだし、僅かに陽の光が届いた範囲で見た室内は乾いていた。
ということは、船が海中にあった時からあの空間は乾いたものだったということになるわけだが、これは船内に残る痕跡にも期待できるかもしれない。

海水による融解の危惧がなかった場所ともなれば、痕跡によってはこの船に限らず、あの遺跡に関する情報に繋がるものも残されている可能性は高い。
これから行う船内の探索にはより注意深く臨んだほうがよさそうだ。

「アンディ、空気の入れ替え終わったよ」

「おう、ご苦労さん。んじゃ内部の調査に入ろうか」

船内での呼吸が確保され、問題なく探索に入れるようになったところで、俺達はランプ片手に扉を潜っていく。
陽の光が届かない闇の中をランプの明かりが照らすと、俺達が今いる空間はサロンかラウンジといったような場所だと分かる。

壁に沿っておかれたテーブルとソファは寛ぐためのものと分かるし、バーカウンターのようなものも奥の方に見えた。
だがそれ以外には辺りに散乱するゴミのせいで酷い惨状となっており、とても今は寛げる環境ではない。

「すげぇ散らかってるけど、もしかしてパーラの風魔術のせいか?」

「失礼な。私はそんな雑な魔術は使ってないよ。ちゃんと澱んだ空気だけを入れ替えたんだから。このゴミは多分元からだと思う」

俺もパーラの魔術師としての腕を疑ってはいないので、本人がそういうのならそうなんだろう。
まぁ発見した物の状態を保全する重要さは話していたので、ちゃんとそれを覚えていてくれたのならこの惨状は俺達に非はない。

「なるほど。ということはこれも昔の状態のままか。海に沈んだ時になにがあったのやら」

普通に考えたら、あの遺跡が沈没する際に船がもみくちゃにされたせいだと思うのが自然だろう。
その辺りももう少し調べて突き止めていくとしよう。
足下に散らばるものにも遺物としての価値があるかもしれないので、注意深く辺りを見回していく。

「アンディ、ちょっと来て」

俺よりも先行していたパーラが何かを発見したらしく、常よりも固い声で俺を呼んだ。
ランプの明かりを目指して歩いていき、すぐに追いついたパーラの見つめる先に自然と俺の視線も吸い寄せられる。

「…白骨か。二人分だな」

そこにあったのは、ソファの上に身を横たえた白骨遺体だった。
寄り添うようにしている姿は、生前の近しい間柄がうかがえる。
衣服は着ているが、ほとんど真っ黒に変色しているし、大分劣化して服としての機能は維持できていないと見た。

俺もパーラも腰元のナイフに手を添えているのは、この白骨遺体がアンデッド化している可能性を考えてのことだ。
警戒しつつ、しばらく様子を窺ってみるが起き上がってくる気配も無く、どうやらアンデッド化はしていないようではある。

「うん。一つは成人でもう一つは子供に見えるけど」

「ああ、俺も同じ見立てだ。それに、どっちも女性だろう」

遺体には申し訳ないが、服を少しめくって性別だけは判断させてもらう。

「骨だけで分かるの?」

「骨盤の形と大きさで大体はな」

一般的に骨盤で性別を分ける際には、男性は縦に、女性が横に広いと言われており、女性は産道がある分だけ骨盤の中心の空間が広いというのも判断材料となる。
その情報からして、目の前の白骨遺体はどちらも女性という可能性が高い。

もちろん医者でもない俺の意見なので、実は違っていたということもあり得るが、少なくとも骨から得られる性別の情報などこんなものだ。

他に分かる情報として、大人の胸の上に子供の頭が乗っている形のその白骨遺体は、ほぼ全身が完全な形で残されており、骨折などの痕も見られず、少なくとも骨折するほどの衝撃で死んだというのは考えにくい。

「骨は綺麗なもんだし、死因はなんだろうね」

「そうだなぁ、色々と考えられるが窒息死か衰弱死、骨に傷が残らない程度の外傷での死亡ってのもあるな」

船が見つかった時の状態からして、航行不能だった船の内部は空気も碌に確保できないだろうし、食料だって潤沢にあるとは限らない。
この親子と見る遺体の死因としては、窒息か飢えによる衰弱というのが今の所の見立てだ。

「…ん?アンディ、これ見て」

これ以上得られる情報はないと見切りを付けようとした俺に、パーラが右手を差し出してきた。
ランプの明かりでパーラの手を照らしてみると、掌には薄い灰色の四角い物体が乗っていた。
名刺サイズその物体は、かつてカーリピオ団地遺跡で発見した、古代文明の情報端末とよく似た雰囲気を醸し出していた。

「こりゃあ…情報端末か?」

「あ、やっぱり?なんとなくタブレットと似てる気がしたんだよね」

俺達の飛空艇にも一つだけあるタブレットとは大きさも色も異なるが、パーラがタブレットと似ていると判断できるだけの特徴を有している。
というか、俺としてはやや小さめのスマホと見ているぐらいだ。
携帯型の情報端末といったところか。

これがタブレットと同様のものだとして、白骨遺体の側に落ちていたということは、これはこの親子(仮)の持ち物ということになる。
そうなると、もしかしたらこの端末から船の沈没時の情報を吸いだせるかもしれない。

今はバッテリー切れでただの板に過ぎない状態だが、魔力を補充すれば動くはず。
もっとも、この端末が壊れていないという前提での話になるが。

早速端末を握って魔力を掌から放出させると、端末の中に魔力が移動するのが感覚として分かる。
古代文明の技術体系がほぼ同じだとすれば、既に一度経験済みの作業なので不安はない。

しばらくすると十分に魔力が充填されて、それまで灰色一色だった端末が淡く光り始める。
画面が切り替わり、操作待ちの状態になったところで色々と触っていく。
やはりタブレットとは大分違っているし、俺の知るパソコンや携帯、スマホなんかとも違うトップ画面の様子には新鮮さを覚える。

表示されている言語はちゃんと共通語で、操作に迷うことはないのは有難い。
ただし、トップ画面に並ぶアプリケーションソフトと思われるアイコンのどれもがオフライン状態では使うことが出来ないようだが、それはタブレットもそうなのでおかしなことではない。

そんな中、俺が求めていた情報にようやくたどり着く。
元々メモ帳として使われていたアプリなのだろう。
オフラインでも文章を残せるということで持ち主は最後の瞬間まで書き続けていたようで、さながら遺書のようでもあった。

「あった。最終更新日は…ルバンティス暦339年?なんだ、ルバンティスって。パーラ、知ってるか?」

「さあ、聞いたことないね」

表示されている暦は恐らく古代文明で使われていたものなのだろうが、聞いたこともないものであることから、特定の国だけで使われていたものだというのもあり得る。
まぁ今はそれはおいておくとして、メモの中身を読み解いていくとしよう。






この端末の持ち主はどうやら子供の方のようで、あの二つの白骨遺体の小さい方がそうだと思われる。
メモにはこの子供が普通の日常の中で使った文章が残されており、その生々しさが余計に遺体となった姿の物悲しさを際立たせていた。

日常の用事、買い物や友達との予定など、メモにはこの少女の生きていた証がしっかりと残されているものの、生憎それらの情報を今の俺達は欲してはいない。
決して彼女達の死を軽く見るつもりはないが、今欲しいのはこの船がこうなった原因についてだ。
必ず何か残っているというわけではないかもしれないが、それでも最初に見つけた手掛かりともいえるので、ある程度は期待してしまう。

そうしてメモを読み進めていくと、ようやくそれらしき記述が見つかる。
端末に残されていたメモの最終更新日の51日前、持ち主の少女は家族で『共和国の海上基地へと避難してきた』と書かれてあった。

やはりあの遺跡は古代にはメガフロート施設だったようで、共和国という陣営が管理していたようだ。
そして少女の一家は多くの民間人と共に、戦火を逃れて逃げてきたらしい。
だが疎開のような形でやってきた基地にもすぐに戦いは訪れ、民間人である彼女達は船に乗って基地を離れることになった。

多くの民間人が脱出していく中、少女一家が乗った船は脱出寸前に基地の崩壊に巻き込まれ、海底深くへと落ちていった。
沈む船内には海水が入り込み始め、それを食い止めようと次々に隔壁が降りていった結果、多くの人間が隔壁の向こうで溺死したようだ。

船内の多くが浸水し、唯一無事な空間となったのは俺達が今いるこのラウンジだったらしく、たまたまここにいた少女とその母親だけが取り残された形となったわけだ。
機械的な文字からは読み取れないが、突然の事態に彼女達の混乱ぶりはそうとうなものだったはずで、ここに書かれていないだけでどれだけの思いを抱いていたのか、想像するだけで胸にくるものがある。

その後、救助を待つ間のしばらくの暇潰し的に、この文章を日記として残すことにしたそうで、この時点では遺書としての気配は微塵も感じられない。
更新日からみて、ラウンジに閉じ込められてから三日ほどはすぐに助けが来ると楽観的な記述も多かったが、次第にそれがネガティブなものに置き換わり始め、遂にはラウンジにあった食料と水が尽きたことで強い焦りが文章にのぞき始める。
ただ、空気の問題に関して書かれていないことから、船がこの状況でも循環系の一部は生きていたのかもしれない。

日に日に募る不安と恐怖、それらに追われるようにしながらも親子で支え合って生きていたのだろう。
だが事故発生から11日目、母親が突然死亡する。
元々病気を患っていたようで、少し前の日記には薬が切れて辛そうにしているというのがあったので、病死ではないかと考える。

それから二日ほどは日記の更新がなく、唯一の心の支えだった母親を失い、想像を絶する悲しみに包まれていたに違いない。
更新が再開されてから、残される文章にはほとんど感情が乗っていないような印象で、機械的に書いていると言った感じだ。

事故発生から22日目、この日少女はとてつもない文章を残している。



『母親を食べた』と。



食料はとうに尽きており、襲い来る飢餓感に耐え切れず、そして禁忌と知りながら母親の肉を口にした、そう文章としては簡潔に書かれていた。
愛する母親を食うという行動に置かれた少女の絶望は、いったいどれほどのものだったか。

「食べたって…母親を?え、死んだからって食べたの…?」

信じられないものを見たと、目を見開いて口を戦慄かせているパーラの様子は、想像を絶する事実に激しい衝撃を覚えているからだろう。
人肉を食べるというのですらおぞましいというのに、肉親をそうしたというのが殊更ショッキングだ。
しかもまだ大人ですらない少女が行ったというのが、その時の状況の異常性を感じさせる。

「それだけ極限状態だったんだ。閉じ込められ、飢えにも襲われて、やむを得ないを超えた先にあった生きるための本能に従ったんだろう。…まだ続きがある。パーラ、読むのが辛いなら別にいいんだぞ?」

「…ううん、見るよ。私達はこれからここを調べるんだから、何が起きたかをちゃんと知らなきゃ」

辛さは隠せないが、それでも既に起きた事実からは目を逸らさないというパーラの意志の強さは感じた。
一度大きく深呼吸をし、まだ少し澱みのある空気でも肺を満たされるのが有難く思い、再び日記へと目を通していく。

迫りくる死への恐怖、母親を失った悲しみとその肉を食うという狂気性、そしてそれによって生きながらえる安堵感。
全てが極限の状態だからこそ起きえた悲劇だとしか言うほかはない。

そして、この日から少女の日記には必ず母親への謝罪と感謝が加わるようになった。

『お母さんごめんなさい』

『お母さんありがとう』

この二つで一日を締めくくっていた日記も、いよいよ終わりへと近付いてきた。

母親の肉を食い、血液を水分としながら生きながらえた少女も遂に最後の時を迎える。
口にできるものがなくなり、衰弱した少女は自分の死期を悟って最後に母親への感謝と謝罪を何行も文字に残して、遺体に寄り添って眠ったそうだ。

これ以降、日記は更新されていない。

「…日記はここまでだな。これを見る限り、あの遺体は本当に母子だったわけか」

「うぅっ…うあぁ…ふっうぅ……」

日記を読み終えると、一緒に見ていたパーラは顔を手で覆い、泣いてしまっていた。
文字だけだというのに、その時の様子の恐ろしさと残酷さ、狂気を孕んだ悲しさといったものがわかってしまうのは、それだけ日記から真に迫るものを感じだからだ。

まだ成人を迎えていないであろう少女が、母親の死を受け入れ、そしてその死を文字通り糧にして生きようとした決意も報われることなく、一生を終えてしまった。

日に日に人間性が失われていく日記からも、思わず胸をかきむしりたくなるほどの悲しさが滲みだしている。
そんなものを見て、泣かない人間などいるものか。
俺だって冷静を装っているが、今にも内臓ごと吐きそうなくらいの慟哭を必死に抑え込んでいるぐらいだ。

全ては遠い昔に起きたことだが、こうして当時の様子を、当事者の目線で残された日記として読み解いてしまうとやるせなさを覚えてしまう。
声をあげて泣いているパーラはまだ当分泣きやみそうになく、俺もまた気持ちが落ち着くのを待つ必要がある。

手元の端末から日記を閉じ、ふと視線を下に向ける。
足下には横たわる白骨遺体が二つ。
今では表情などわかりようはないが、日記を読み終えた今では、不思議と彼女達が安らぎを覚えているような気がしている。

病を患いながら、孤独の中に娘を残して先に逝く恐怖を味わった母親。
死に追われ、狂気に駆られて生きようとしながら、最後には命を落とした少女。
二人のどちらもその死は決して安らかさとは程遠いものだったに違いない。
しかし、それでもこうして最後には二人寄り添って眠ったのは、そこには確かな安らぎを求めてのものだろう。

ほんのちょびっとだけ、砂粒ほどの安らぎであったかもしれないが、極限の恐怖に置かれていた彼女達にとっては大きな安寧となったはず。
白骨となっても握られたままの二人の手が、その証だと俺は思いたい。
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