社長の×××

恩田璃星

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バイバイ、りっちゃん 6

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 「どこ行くの?」

 「えっと…」

 「行くところないんでしょ?」

 「いえ…近くのビジネスホテルかネットカフェにでも泊まります」

 「それ、行くとこないのと同じ。それに、『りっちゃん』がその辺でまだ張ってるかもよ?」

 そうだ。
 そもそも律はこの後も仕事があると言った課長の言葉を信じるほどバカじゃない。
 家を出ようとずっと前から決めていたとも言ってしまったし。
 このまま重い荷物を引きずって、ノコノコとホテルに向かったら、絶対に途中で捕獲されてしまう。

 アッサリ帰ったのは、きっと諦めたと見せかけて待ち伏せするため。

 どうしよう。
 どうしたらいい?

 「じゃあ、俺の家来る?」





 「は?」

 「うん。そうしよう」

 課長はガチャンッとドアの鍵を掛けて、エンジンをスタートさせたかと思うと、会社の裏門に向かって車を走らせた。

 「えぇ!?ちょっと課長!?」

 私にお構いなしで、課長はどんどん車のスピードを上げていく。
 ドアのロックは手で解除できるけど、ここから飛び出す勇気はない。

 仕方なくシートベルトをしていると、課長が叫んだ。

 「あ!」

 「え!?」

 「ほらあそこ!」

 課長が指さした方向は、ビジネスホテルやネットカフェが立ち並ぶ駅方面へと続く道。
そこに目を凝らすと、停めた車にもたれかかる律の姿。

 「やっぱり…」

 「俺の車でこっちから通り過ぎるとは思ってないみたいだね」

 律が待ち構えていたのは、会社の正門から出た場合の通り道。
 私たちが今通っているのは、会社の裏門から出て律が待つ道の少し先と交差する道。

 って課長、何かめちゃくちゃ楽しそう。
 交差点を通り過ぎるとき

 「バイバーイ、りっちゃーん」

 なんてご機嫌で手を振っている。

 本当は今頃ビジネスホテルかネットカフェで、小さな期待と不安と達成感に浸っていたはずなのに。

 「真田さんも言えば?」

 課長に促され、小さくなっていく律に向かって、小さな声で「バイバイ」と言ったら、余計寂しくなった。



 下を向いて思いきり目を開き、滲んだ涙が蒸発するのを待つ。
 ゆらゆら、ゆらゆら。
 車の動きに合わせて眼球の表面で涙が揺れる。

 律への別れの言葉を促して以来、課長は何も言わない。
 さっきと同じ、暖かい沈黙。

 突拍子のないことを言ったり、こうやって黙ってみたり。
 不思議な人。

 涙を飛ばすついでに眼球だけ動かして運転中の横顔を見ていたら、課長が一棟のマンションの近くで車の速度を落とした。

 どうやらここが課長の家らしい。

 「着いたよ」

 ここまで来てしまったからには引き返せない。
 と言うより、疲れがピークで引き返す気力も体力も残っていなかった。

 課長は無駄のない動きで私のスーツケースを持ち上げ、私の歩調を気にしながら棟内に入っていった。

 エレベーターに乗り込んで、押したのは最上階のボタン。
 ここ、けっこういいお家賃しそうなマンションなのに、最上階なの?
と驚いて課長を見たけれど、ドヤ顔を見せるどころかあくびを噛み殺しているところだった。

 玄関のドアを前にして、ようやく自分がとんでもない所に来てしまったことに気付き、嫌な汗が背中に一筋流れた気がした。

 このドアを潜ったら、もう本当に引き返せないような気がして二の足を踏む。

 「真田さん?」

 先に入っていた課長が声をかけてきたのと同時に、電話の着信音が静かな廊下に響き渡り、慌てて扉の中に飛び込んでしまった。
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