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第九部 魔獣と夜空の召喚士編

第九部 第22話 君の恋心に届く引き金を

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 時は夕刻、海路を照らす灯台には絶望の影が忍び寄っている。
 今現在【彼】が見下ろす切り立った崖は、本来整備されていた場所。だが、召喚実験の名残で異空間との亀裂が生じ、立ち入り禁止となっていた。

 この立地は、彼が最後の実験を行うには絶好の場所なのだろう。地面に突っ伏した状態でオレが見上げると、彼……すなわち行柄(ゆきえ)リゲル氏は「ミチアをヨロシクね……」と、告げてとどめの混沌呪文をオレに撃ち放った。

「ぐ、はぁっ……リゲルさん、一体……何を?」

 質問虚しく、詳しい事情は省略されて、心情すらリゲルさんは答えられない様子。オレに対して与えられたのは、ミチアを守り地球の帰還まで寄り添う……【兄の代わり】という重大な役割だった。

「会えて嬉しかったよ、ミチア、イクト君。僕は、全てを思い出した……だから責任を取らなくてはならない」

 そう言って、妹とお揃いのミントカラーの髪を靡かせていたが、それもセトウチ地域特有の夕凪に止まる。微笑むリゲルさんは、穏やかな口調。

 この時のオレは、リゲルさんの混沌魔法にヤラレてしまい無傷ではあるが意識を失う寸前だった。
 そのため、この記憶は断片的なものである。しかし、その断片を引っ張り出しても、自らの手でアバター体の活動停止を図るようには見えなかった。

 崖の上に立つリゲルさんの右手には、データ召喚能力の高い魔力粒子を放つ魔法銃が握られており、その引き金は彼自身のこめかみにしっかりとあてられているのだ。

「ごめんなさい、私が変なことを言ったから。もう、現実世界に戻りたいなんて言わないから……だから、死なないでお兄ちゃん!」

 異世界の聖女ミンティアこと行柄(ゆきえ)ミチアが、兄リゲルの最後の実験開始を留めようと泣きながら必死に懇願する。

 召喚魔法を使い、異世界転生への道しるべ……パンドラの箱を開けてしまった行柄リゲル氏。
 異世界スマホRPG『蒼穹のエターナルブレイクシリーズ』の製作責任者にして、ゲーム会社社長。
 彼の使命は、巻き添えとも言える形で異世界へと封じ込められたオレたちプレイヤーへの責任を果たすこと。


「何を慌てているんだい、ミチア。所詮この身体はただのアバター体だ。厄介なことに、魂とアバターがピッタリとフィットしているせいで、なかなか脱ぐことが出来ないけど」
「違うよっ! もう、この身体は私達の新しい肉体で……」

 リゲルさんの実験を止めるため、スマホRPG異世界におけるアバター体の正当性を訴えるミチア。

「それは、完全に地球での肉体が死を迎えた場合に限るよ。まだ、僕たちの肉体は眠っているだけで生きている」

 リゲルさんの考え方は、おそらく正論だ。現実世界では生きた状態で肉体が眠っている以上、アバターを自分自身と断言するのはおかしなことなのだろう。

 まさか。核心に触れることで、こんな展開になるなんて想像しなかったのだ。

 この物語のシナリオは、ちょっとした緩急はあるものの、比較的軽いものだと言えるだろう。現実世界の嫌なことをすべて忘れ、夢に見たファンタジー異世界の住人となり、四季折々を体感する。

 異世界人はもちろん、時を同じくして転生した地球出身の冒険者など……多くのギルドメンバーたちとの交流。
 休む暇なく開催されるクエストや季節限定イベント。スマホ片手に楽しめる……気軽な異世界への小旅行。それが本来のスマホRPG『蒼穹のエターナルブレイクシリーズ』のあるべき姿だ。

「でも、わざわざ強制的にアバター体を離れなくても……」
「ううん……この方法以外では、現実に魂が戻ったら、次第に異世界転生は夢の記憶だと誤認してしまう。それじゃあ、異世界と現実を完全に繋ぎ合わせることは出来ない。ミチア、お前は記憶を維持して現実に戻りたいんだろう。なら、誰かが突破口を見出さなくてはいけない。このアバター体の記憶を維持したまま、確実にログアウトする画期的な方法を……ね」

 兄を説得しても無駄だと判断したのか、ミチアは召喚魔法で精霊を喚び出し兄から銃を奪おうとする。けれど、高等召喚士という上位レベルのジョブに敵うはずもなく……。

「サヨナラ……可愛い妹。ミチアの恋心は、きっと守ってあげるから……。この引き金を引くことで、ミチアの恋は守られる。次は、現実世界で会おう」

 ドンッ!

 魔法銃の引き金は、銃弾の代わりに魔力の粒子を放ち、データ抽出作業の役割を果たす。やがて穏やかな痛みとともに、その肉体の鼓動をすべて停止させた。
 魂の抜けたアバター体は傷ひとつなく、まるで人形のようで……彼の魂はもうそこには宿っていないことを示している。

「うぅ……そんなぁ……嫌だ。嫌だよぉ……お願い、返事してっ! お兄ちゃん……いやぁああああっ」

 一体、何故このような残酷な展開になってしまったのか、皆目見当がつかない。
 敢えて言うなら、このスマホRPGの製作者である行柄リゲル氏の封じ込められた記憶を呼び起こし、異世界とのリンクを絶ち切らずに現実へと戻る解決策を何気なく質問したことにある。

 だが、その解決策を探すためには【召喚能力のある者】が異世界転生時の記憶を完全に維持した状態で、地球の肉体へと魂を戻す必要がある。その足がかりを作る方法は、大きな犠牲を伴うものだった。
 つまり、自らの手でリンクシステムを切断し生きたデータを抽出すること……強制的なアバター体のログアウト。これが、すべての記憶を維持して異世界を抜け出す残酷な裏技だ。

 オレたちは、このスマホRPG異世界にどっぷりと浸かりすぎた。アバターとなり、衣食住を異世界で楽しみ、アバターの肉体で人生を横臥する。
 その仮想現実ともいえる異世界で心踊る娯楽を放棄することは、もう許されないのだ。

(だけど、リゲルさんは本当は気づいていたはずだ。誰かが犠牲にならなくても【このゲームの主人公がゲームクリアを達成……つまりすべてのヒロインを花嫁に】すればログアウト出来るというカラクリに……。けど、それはミチアの失恋を意味する。きっと、ミチアの恋心を守るために自分が犠牲になったんだ)

 本来ならば主人公であるオレ自身に出来ること……それは、このゲームの完全コンプリート。
 伝説のハーレム、世界平和のためのハーレムというオブラートに包んだ多種族との魂の契約……。オレ自身の生命の火種を、攻略対象であるヒロイン全員に捧げ尽くすことだ。

 だが、その展開はミチアの儚い恋心を粉々に砕くことになるだろう。例え、パラレルワールドが存在していて、いくつもの攻略パターンを構築出来るシステムが隠されていたとしても。

(あるいは、異世界転生者の監視役とも言える守護天使エステルがかつて語っていたように、すでに各ヒロインとの結婚式というシナリオをいくつか通過し……。何者かの手によって聖なるチカラを失う前に、やり直しを強制されたか)

 目が覚めた後のオレ……どうか、今までみたいに忘れないでほしい。スタート地点である山奥の村から旅立ち、リセットマラソンが出来る回数はあと一回のみ。

 それに失敗すれば、おそらくサ終……すなわち、ゲームアプリ提供サービス終了だ。

 生きとし魂をデータとして預けているオレたちにとってサービス終了とは、肉体のみならず魂の死を意味することなのだから。


 冬の寒空の風に頬を叩かれながら、オレはゲーム画面が停止したように一旦眠りについた。

『蒼穹のエターナルブレイク-side イクトス-、最新データをダウンロードします。Wi-Fi環境の良いところでダウンロードして下さい。最新バージョンアップデート作業……ダウンロード率、10、20、30……』

 スマホには、いつものタイトル画面とダウンロード中の文字。

 淡々としたメッセージが愉快なサウンドとともに、延々と画面に表示され続けた。


 * * *


 次に目が覚めたのは、召還研究所の医務室のベッドの上。その時点では願い虚しく、肝心な部分の記憶はスルリと抜け落ちていた。

「う、ううん。あれっここは……? オレ、一体どうしたんだろう。確かリゲルさんに会って、一緒にお茶の時間を楽しんで……それから?」
「気がつかれましたかな? 勇者様。リゲルさんの召喚実験の影響で、気を失われていたんですよ。目が覚めて本当に良かった」

 事務員の老齢した男性が、落ち着かせるようにゆっくりとオレに語る。何か、隠しているのだろうか。

「えっ……実験? あれ、リゲルさんは」
 眠っている間に、すでに夜になってしまったようだ。窓の向こうの灯台から一筋の光が差して、海路を示している。まるで、遠い国へと旅立つ人を導くように。

「彼の実験は無事に成功し……すべての異世界転生者を救い出すために旅立たれました。しばらくはお戻りになられないでしょう」
「そう……ですか」
「今夜は、この施設に泊まって下さい。リゲルさんからもそう頼まれています」

 今ひとつ腑に落ちなかったが、それ以上追求する気にもならなかった。彼の妹である行柄ミチア……すなわち聖女ミンティアは、旅立った兄を想って窓の向こうをずっと見つめていた。

「イクト君……あのね、目が覚めたらお兄ちゃんが居なくなっていたの。召喚実験を成功させるために、遠い国へ旅に出たんだって……。世界を助けるための旅のはずなのに……」
「ミンティア……」

「けどね、何故だろう……ずっと涙が止まらないの。お兄ちゃんには、もう二度会えない気がして……。うっ……ひっく……お兄ちゃん……」

 かける言葉が見つからず、泣きじゃくるミンティアの頭を優しく撫でる。いなくなった兄の代わりとして。


 その日の晩、オレは不思議な夢を見た。

 青い鳥を探すために旅立つ仲の良い兄妹の姿。だが、兄は事情が変わりオレに妹を預けて何処かへと旅立ってしまう。
 果たして、残された妹は幸せになることが出来るのだろうか……オレは、彼女のために何をすれば良いのか。

『妹を頼むよイクト君。僕の代わりに、妹を連れて青い鳥に会いに行って……』
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