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25.嵐の前の静けさ〜ルイトエリン視点〜
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母は違えど、どちらも最低な女から生まれたのは同じ。それなのに、俺と異母弟の人生は雲泥の差がある。
片方は父に守られ、片方は憎まれているからだ。
……なんで俺だけっ…………。
俺は父の子ではないのだからその差は当然なのだが、自分の心の中に醜い思いがじわじわと湧き出てくる。
決して異母弟に向けたものではないが、このままでは彼を傷つけてしまいそうだ。
何を考えているんだ、俺は……。
醜悪な思いを必死に振り払おうとするが、そんな俺を嘲笑うかのようにそれは居座り続ける。自分の心なのにままならない。
……こんなふうに父は壊れたのだろうか。
なんと言い訳してこの場から立ち去ろうかと考えていると、『兄上っ!』と異母弟の明るい声が心に届く。
――一瞬で黒いものは消えた。
そうだ、俺がこの子を傷つけるなんて有り得ない。
「兄上、ずっとお会いしたかったです! いつも贈り物ありがとございます、全部大切に使っています。それから、それからっ――」
ケイルートは俺にしがみついたまま勢いよく喋り続ける。まるでそうしないと、俺が消えてしまうと思っているかのようだ。
いや、六年前突然屋敷からいなくなり、その後一度だって俺は会いに来なかったのだから、実際にそう思っていてもおかしくない。
家令を通して誕生日や節目に贈り物と短い手紙は送っていたが、……それだけだった。
『おにいさま、あそんでください』
『これから宿題をするから、少しだけ待ってられるか?』
『はい、いい子にまってます。だからたくさん、あそんでください』
四歳なのに聞き分けのいい子だった。
『ああ、約束するよ。ケイルート』
『おにいさま、やくそくです♪』
俺が頭を撫でると、異母弟はにこっと笑っていた。
歳は離れていたが仲の良い兄弟だったのに、その絆を俺は一方的に断ち切った。
――異母弟の気持ちを考える余裕なんてなかった。
ずっと帰ってこない兄の顔なんて忘れていると思っていたので予想外の反応だった。
俺が昔のように頭を撫でると、ケイルートは昔と寸分違わぬ笑顔を見せてくれる。
「ケイルート、よく俺が分かったな」
「だって兄上は全然変わっていません。綺麗で格好良くて、僕の自慢の兄上です!」
ケイルートが指差す先には家族の肖像画が飾られてあった。新しいものではなく六年前に描かれたもので、家族四人が幸せそうに微笑んでいる絵。
……まだ外してないんだな。
家令によると、父は異母弟には兄は騎士の仕事で忙しくて帰って来れないと話しているらしい。それに、離縁の理由も性格の不一致だと伝え、年に数度母親と面会させていると言っていた。
――すべてはなにも知らない異母弟への配慮。
あんな女でも異母弟にとっては良き母で、憎い俺もあの子にとっては唯一の兄。
在りし日の優しい世界をこの子から奪わないようにしているのだ。
きっと父はあの女に余計なことは話すなと釘を刺して面会を許しているのだろう。
あの女だって口が裂けても我が子に真実を話すことはないだろう。義理の息子に欲情したなど言えるわけがない。
俺だって異母弟を巻き込みたくはない。何も知らずこのまま真っ直ぐ育って欲しいと願っている。
……なにより、汚れたことを知られたくない自分がいた。
俺に会えて無邪気に喜ぶ異母弟の姿は、父の愛情を信じていた子供の頃の俺と重なる。
こんなふうに笑っていた時もあったが、俺は二度とこんなふうには笑えない。
ケイルートは俺の体にしがみつくのをやめると、目一杯背伸びして宣言する。
「僕もいつか兄上みたいに立派な騎士になります!」
「頑張れよ、ケイルート」
「はい、兄上! 僕、一生懸命頑張ります」
俺はケイルートを四歳の時と同じように抱き上げ頬ずりした。
『もう赤ちゃんではありません!』と照れながら言うけれど、彼は俺に抱きついたままだった。
その日からケイルートは時間さえあれば仲間の騎士達と一緒に鍛錬している俺のもとに顔を出すようになる。
誰かに止められている様子もないから、父も家令も三日間だけならと黙認しているのだろう。
六年ぶりに会えた兄に会うなと言うほうが無理がある。
……三日間だけ。
それでも、また兄として接することが出来るのは俺にとって喜びでしかなかった。
たぶん、ケイルートがあの女に少しでも似ていたら、違っていたかもしれない。父にすべてが似ていて良かったと心から思う。
――羨ましいと思っていた俺はもういなかった。
体が鈍らないように仲間の騎士達と剣を交えていると、ケイルートが『兄上ー!』と手を振りながら走って来た。
危ないので近づきすぎないようにと最初に教えておいたから、少し離れたところで足を止める。
聞き分けが良いところは変わっていないなと思いながら手を振り返す。
俺がまだ手が離せないと分かったのだろう。ケイルートは近くいたオリヴィアに自分から話し掛けている。
初日にオリヴィアのことを俺の婚約者だと紹介したら、目を丸くして驚いていた。
まあ、あの怪しい見た目だから当然だろう。
だが『えっと、あの……、いえ、なんでもないです。兄上が選んだ人ですから、僕、仲良くします!』と頑張っている。
本当に良い子に育った。
そして、オリヴィアも天涯孤独の身で兄弟はいないと言っていたが、子供の扱いがとても上手だった。きっと孤児院での経験からだろうが、それにしても二人とも楽しそうだ。
時折『兄上が……』とか『ルイト様は……』なんて言葉が聞こえてくるから、共通の話題である俺のことで話が弾んでいるのもしれない。
異母弟は俺のために、オリヴィアは幼いケイルートのために、少しずつ距離を縮めている。そんな微笑ましい彼らに頬が自然と緩む。
ほのぼのとした幸せがそこにはある。
――たった三日間の偽り。だが、その温かさは嘘ではなく紛れもなく本物で、俺は宿に留まらずにここに来て良かったと思っていた。
片方は父に守られ、片方は憎まれているからだ。
……なんで俺だけっ…………。
俺は父の子ではないのだからその差は当然なのだが、自分の心の中に醜い思いがじわじわと湧き出てくる。
決して異母弟に向けたものではないが、このままでは彼を傷つけてしまいそうだ。
何を考えているんだ、俺は……。
醜悪な思いを必死に振り払おうとするが、そんな俺を嘲笑うかのようにそれは居座り続ける。自分の心なのにままならない。
……こんなふうに父は壊れたのだろうか。
なんと言い訳してこの場から立ち去ろうかと考えていると、『兄上っ!』と異母弟の明るい声が心に届く。
――一瞬で黒いものは消えた。
そうだ、俺がこの子を傷つけるなんて有り得ない。
「兄上、ずっとお会いしたかったです! いつも贈り物ありがとございます、全部大切に使っています。それから、それからっ――」
ケイルートは俺にしがみついたまま勢いよく喋り続ける。まるでそうしないと、俺が消えてしまうと思っているかのようだ。
いや、六年前突然屋敷からいなくなり、その後一度だって俺は会いに来なかったのだから、実際にそう思っていてもおかしくない。
家令を通して誕生日や節目に贈り物と短い手紙は送っていたが、……それだけだった。
『おにいさま、あそんでください』
『これから宿題をするから、少しだけ待ってられるか?』
『はい、いい子にまってます。だからたくさん、あそんでください』
四歳なのに聞き分けのいい子だった。
『ああ、約束するよ。ケイルート』
『おにいさま、やくそくです♪』
俺が頭を撫でると、異母弟はにこっと笑っていた。
歳は離れていたが仲の良い兄弟だったのに、その絆を俺は一方的に断ち切った。
――異母弟の気持ちを考える余裕なんてなかった。
ずっと帰ってこない兄の顔なんて忘れていると思っていたので予想外の反応だった。
俺が昔のように頭を撫でると、ケイルートは昔と寸分違わぬ笑顔を見せてくれる。
「ケイルート、よく俺が分かったな」
「だって兄上は全然変わっていません。綺麗で格好良くて、僕の自慢の兄上です!」
ケイルートが指差す先には家族の肖像画が飾られてあった。新しいものではなく六年前に描かれたもので、家族四人が幸せそうに微笑んでいる絵。
……まだ外してないんだな。
家令によると、父は異母弟には兄は騎士の仕事で忙しくて帰って来れないと話しているらしい。それに、離縁の理由も性格の不一致だと伝え、年に数度母親と面会させていると言っていた。
――すべてはなにも知らない異母弟への配慮。
あんな女でも異母弟にとっては良き母で、憎い俺もあの子にとっては唯一の兄。
在りし日の優しい世界をこの子から奪わないようにしているのだ。
きっと父はあの女に余計なことは話すなと釘を刺して面会を許しているのだろう。
あの女だって口が裂けても我が子に真実を話すことはないだろう。義理の息子に欲情したなど言えるわけがない。
俺だって異母弟を巻き込みたくはない。何も知らずこのまま真っ直ぐ育って欲しいと願っている。
……なにより、汚れたことを知られたくない自分がいた。
俺に会えて無邪気に喜ぶ異母弟の姿は、父の愛情を信じていた子供の頃の俺と重なる。
こんなふうに笑っていた時もあったが、俺は二度とこんなふうには笑えない。
ケイルートは俺の体にしがみつくのをやめると、目一杯背伸びして宣言する。
「僕もいつか兄上みたいに立派な騎士になります!」
「頑張れよ、ケイルート」
「はい、兄上! 僕、一生懸命頑張ります」
俺はケイルートを四歳の時と同じように抱き上げ頬ずりした。
『もう赤ちゃんではありません!』と照れながら言うけれど、彼は俺に抱きついたままだった。
その日からケイルートは時間さえあれば仲間の騎士達と一緒に鍛錬している俺のもとに顔を出すようになる。
誰かに止められている様子もないから、父も家令も三日間だけならと黙認しているのだろう。
六年ぶりに会えた兄に会うなと言うほうが無理がある。
……三日間だけ。
それでも、また兄として接することが出来るのは俺にとって喜びでしかなかった。
たぶん、ケイルートがあの女に少しでも似ていたら、違っていたかもしれない。父にすべてが似ていて良かったと心から思う。
――羨ましいと思っていた俺はもういなかった。
体が鈍らないように仲間の騎士達と剣を交えていると、ケイルートが『兄上ー!』と手を振りながら走って来た。
危ないので近づきすぎないようにと最初に教えておいたから、少し離れたところで足を止める。
聞き分けが良いところは変わっていないなと思いながら手を振り返す。
俺がまだ手が離せないと分かったのだろう。ケイルートは近くいたオリヴィアに自分から話し掛けている。
初日にオリヴィアのことを俺の婚約者だと紹介したら、目を丸くして驚いていた。
まあ、あの怪しい見た目だから当然だろう。
だが『えっと、あの……、いえ、なんでもないです。兄上が選んだ人ですから、僕、仲良くします!』と頑張っている。
本当に良い子に育った。
そして、オリヴィアも天涯孤独の身で兄弟はいないと言っていたが、子供の扱いがとても上手だった。きっと孤児院での経験からだろうが、それにしても二人とも楽しそうだ。
時折『兄上が……』とか『ルイト様は……』なんて言葉が聞こえてくるから、共通の話題である俺のことで話が弾んでいるのもしれない。
異母弟は俺のために、オリヴィアは幼いケイルートのために、少しずつ距離を縮めている。そんな微笑ましい彼らに頬が自然と緩む。
ほのぼのとした幸せがそこにはある。
――たった三日間の偽り。だが、その温かさは嘘ではなく紛れもなく本物で、俺は宿に留まらずにここに来て良かったと思っていた。
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