槇村香月

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9章

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「誰だ…」
突然現れた見ず知らずの男に対し、驚きと混乱で、少し反応が遅れてしまった。
なんだ、この男は…。
初対面のがたいのいい男に、俺は腕を捕まれていることも忘れ、男を凝視する。

いや、凝視ではなく、睨みつけるといった表現が正しいかもしれない。
警戒心を隠そうとせず睨みつける俺に、男は涼しい顔で佇んでいる。


俺より年は上だろうか。
どこかニヒルにも感じる口元に携えたえみは、まるで俺を馬鹿にしているようでもあった。


 他人の家に無断であがっているのに男に悪びれた様子はみじんもない。
そのあまりにも飄々とした態度は、家の主である俺の方が他人の家に無断で居座っている居心地の悪さがあった。


「どうやって入ってきた…?」

不快感を露わに口にしてみれば、男は一瞬、おっ?と目を見開いた。
その仕草もどこか芝居かかっていて、いらだちに拍車がかかる。


「どうやってって…、ドアからにきまってんだろ…?急にぱっと現れるなんて、無理にきまってんじゃねぇか」
「そんなこと聞いていない。
どうやってここにきた…って言っているんだ!」

ちゃかすように返した男に、冷静につとめようと思っていたのに、つい言葉が荒くなる。

「どうやって…ねぇ…?」

男はじろり…と値踏みするような視線を俺になげかける。
怪訝な表情で見つめれば、男は余裕めいた笑みでにやりと笑った。


「誰って…、わからないか…?ほんとうに」
「なに…」
「それとも、気づかないふり…か?色男。
そんな気づかないふりなんてバカな真似しても、くそおもしろくねぇからやめろ。
ただ不愉快になるだけだ…。
普通、わかるだろ…鈍感じゃなかったら…。
それとも、認めたくないのか?この期に及んで。
この状況で」
「だから、なにをいって…」

困惑しながらも返した俺に

「愛想尽かして逃げられた女が、別の男を作ってさよならにきた…なんて、逃げられたお前は認めたくねぇのか…?なぁ…?」

背を屈め、男は俺の顔をのぞき込んだ。


「…っ」
見ず知らずの男の瞳に、頼りのない男の姿が映る。
この頼りのない、なさけないのは、俺の姿だ。
粋がっているくせに頼りなげな俺の姿。



 離れていた間、頭に過ぎっていた杞憂。

もし、駿が俺に愛想を尽かしていたら。

そして、もし…
もし、駿が俺じゃない別の男を選んでいたら。
俺じゃない、もっと…もっと頼れる男が駿の側にいたら。

泣かせるだけじゃなく、駿を安心させてあげられるような男が現れたら…って。

駿がいなくなってから…いや、抱き合って駿が俺の中に住み着くようになってから。
ずっと胸の奥にくすぶっていた不安。
もし、俺じゃない誰かを駿が選んでいたら…。
そう、目の前の男のように。
もっと男らしい男が現れたら、って…。


「認めるって…、貴方はいったい」
「駿の…男だけど…?」

告げられた言葉に、ガン、と頭をハンマーかなにかで打たれたような衝撃が走った。

けして、予想しなかったわけじゃないのに、改めて言われればショックが大きいようで。
脳味噌が、男の言葉を拒絶しようとしているのか、すぐに言葉が出てこない。
現実は変わることはないのに、脳が勝手に現実逃避をしてしまったようだ。
男の言葉を理解し、反応を返すのに数分の時間がかかった。


「駿の…男…」
「そう…。
駿の新しい男だ…残念だったな。
元彼君」

男はにっと広角をあげて、意地の悪い笑みを浮かべると

「もうお古な男はおよびでねぇんだよ…。
これからは、俺が支えてやるんだからよ」

ぽん、と俺の肩を叩いていった。


さっきまで捕らえていた身体が、この男のもの…?
もう駿に俺は必要ない…?

駿は、この男のもの?
もう駿はほかの男のもので、俺の元にはいない?

刹那、ぐら…と一瞬、どす黒い嫉妬心が胸を焦がす。
泣き叫びたいような…激しい気持ちがぐるぐると胸の中を駆けめぐる。


『仁さん…!』
子犬のような無垢な瞳で俺をみる駿。

『もう、仁さんってば…!』
くすくすと、控えめに声をあげて笑う駿。
あの笑顔が、もう俺のものじゃない。


あの言葉も、約束も、もう戻ってはこない。

『おいていかないで…』

そう、言っていた言葉も。
もう、俺じゃない誰かに言っているのか?
目の前の男に言っているのだろうか。

もう、遅いのか。
俺は、うそつきな狼と一緒で。
気づくのが遅かったから。
大切だと気づくのが、遅かったから、永遠に失ってしまうのだろうか。


駿のなかではもう俺はいらないものなのか…。

さっきの、さよならの言葉も。

もう、二度とあうつもりも、俺と一緒に過ごすつもりもなくて…。
本気で決別したいから送ってきたのか。

これからは、俺を忘れ、目の前の男と過ごすために。


手足が冷たくなっていく。
駿を今すぐに追いかけなくては…と思っていた気持ちは、男の言葉に絶望に落とされた。



駿は、俺の元を離れ、目の前の男のもとにいる。
告げられた事実に、激しく動揺している自分がいた。
一瞬、目の前が真っ暗になるほどの絶望感を味わうほどに。


 最後に見た駿は、ドア越しで泣き、俺を拒絶していた。
ずっと我慢していた、といって。

俺から逃げようとしていた。
だから、俺から逃げるように新しい男の住居に移り住んだのだろうか。
俺から、決別するために。

もう二度と会うことがないよう、この家から出て行ったのか。俺から逃げるために。

駿は俺から逃げたがっている。
それでも、俺は…、駿に側にいてほしかった。
散々、まりんを忘れられなかった俺が今更と思うかもしれない。
ふざけるな、そう言われるかもしれない。


でも、誰になにをいわれようとどうしても、あのぬくもりをはなしたくなかった。
真実をしってしまったら、余計、あのぬくもりを俺以外の誰ものにもしたくはない。

まりんが別の男のもとへ去ったとき、追おうともしなかったし、ただ嘆くだけだったのに。
今は嘆くよりも、逃げ出さないように捕まえたかった。この手で。
今度こそ、あのとき優しく俺を慰めてくれた手を、離したくなかった。

 男と殴り合ったとしても、もう一度駿とあいたかった。

好きだよ。
そう、まだ俺の口からちゃんと気持ちを伝えていないから。


気づいたんだ。
お前が、誰よりも好きだって。
誰よりも側にいたいのは、お前だけだった…ってまだ、ちゃんと言えていなかったから。
言うまでは、なにがなんでも引き下がることはできない。
ここで有耶無耶にしてしまえば、きっと俺は一生後悔する。
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