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■□■

 ララールに華のことを告げた後、ナトルシュカは自室へ戻らずにあの不気味な華が置かれた地下の部屋へ松明を片手に赴いていた。
部屋の前には、見張り役の男が1人。注意深く周りを見回しても、他に見張りはいない。


(見張りは1人か。
あんな恐ろしい華を守るのに、たった1人はおかしいと思うべきか、否か)

見張り役の男を素早く気絶させ、ナトルシュカは華がある部屋へとはいった。
先日ゾルフに連れられ入ったときと同じように、そこには一輪の華が部屋の真ん中に鎮座されており、他にはこれといって特になにもなかった。
見張りは外の1人のみだったようで、部屋には誰もいなかった。


(華は人の心を操ると言っていたな…。はたして、華自身が、俺を傷つけることなどできるのだろうか…。
もう少し牢屋であの男の話を聞くんだったな…)

後悔したところで、尋ねたい男はもういない。
考えていても答えなどでない。そうこうしている間に、時間は過ぎてしまう。

 思案するのをやめて、目的の華に近づく。
先日、見たときよりも、蕾の数が多くなっており、蔓も長く伸び切っている。
既に咲いている華も、花びらは鮮やかな光沢のある黒色をしていた。
植物ではなく、まるで未知との生き物と対峙しているようだ。

(たった数日で、こんなに成長している)
 ナトルシュカは、慎重に華に手をのばした。
しかし、手折ろうと華に手が触れた瞬間、言葉にできないほどのおぞましさに襲われ、ナトルシュカは慌てて手を引っ込めた。

(…なんだ。この感じは…)
おぞましいこの感覚は、恐怖にも似ている。
この感覚は、数日前自分を瀕死の状態にまで陥らせた子供と対峙したときに感じたソレと、とてもよく似ていた。

(あの子供には到底敵うことはなかったが、目の前にあるのはただの華なんだ
相手は化物ではないんだ…。何を怖がっているんだ…。ただの華だぞ)

華に対し恐怖を抱く自分に叱咤する。
触れることができぬのならばそのまま叩き斬ってしまえばいいだろうと、ナトルシュカは携えていた剣を抜き、華へと振り下ろした。
だが、振り下ろした剣も、蠢く蔓に阻まれてしまった。
蔓は意志でもあるかのような動きで、ナトルシュカから剣を奪い、ナトルシュカの足元へ触手を伸ばした。
足元へ絡みつく触手は斬っても斬っても、ナトルシュカに触手を伸ばす。

「くそ…」
最後の手段にと、ナトルシュカは持っていた松明を華の方へ放った。
火の手は、またたく間に床に広がっていく。
しかし、どれだけ待っていても、華は燃えなかった。
燃えゆく炎の中、華は焼け落ちることなく、まるでナトルシュカを嘲笑うかのように不気味に、蔦を動かしていた。
地獄の業火に焼かれ、ゆらゆらと揺らめく華は、まるで焼け付く焔すらも喜んでいるようだった。





「残念ですよ。ナトルシュカ様」
気配もなく、背後からかかった声。
ナトルシュカの背後にいたゾルフの顔はまるでこうなることを予想していたようなかおで、ナトルシュカに微笑んだ。


「華の力を拒否するのですね…」
「……」
「せっかく、力を授けるというのに…。何が嫌なんです」
「力を得たところで、それは俺の力ではないだろう。
お前の傀儡にされるのだけ。それに一体、なんの意味がある…」

少しでも話しを長引かせようと、ナトルシュカはゾルフと会話を続けた。
しかし大事な華の周りには火の手が回っているのに、ゾルフに焦った様子はない。
華も、一向に朽ち落ちる気配はなかった。
激しい炎の中、汗一つことなく平然と笑っているゾルフのその姿は、まるで地獄の死者のようでもあった


「貴方が華を受け取らなかった場合のことは…言いましたよね。
あの王子様の身に何が起こってもいいのか、と」
「そんなことはさせない。
お前の好きにはさせない。
あの人の害となるものがあるとするならば、全て排除するのみ。
あの方を傷つけるものはなんであろうと許さない」
「あくまで、拒絶するのですね。
馬鹿な人だ。
大人しくしていれば、まだ生きることができたのに…」

言葉とともに、蔓がナトルシュカの身体を拘束する。
何本もの蔦がナトルシュカの身体にまとわりついた。
ぎゅうっとキツく締め付けられた拘束に、やがて呼吸が困難になっていき、意識が遠くなる。
このまま絞め殺す気だろうか。

薄れ行く意識の中で、突然華はギャ!と一声鳴くと、ナトルシュカの拘束を外した。
華は狂ったように、ギャギャ!と、まるで鳥のような鳴き声をあげる。
すると、華の声に共鳴するかのように、部屋の床に黒い渦が現れた。
人一人入れるくらいの、渦である。


(渦…なんで、こんなものが…)
「地獄への入り口ですよ、ナトルシュカ様」
驚きに固まるナトルシュカに、ゾルフが告げる。

「華が拒絶しているようですね…。
貴方は華に嫌われている様子。
どうやら、英雄に華は力を与えたくないらしい。
やはり、華は貴方を排除したいようだ」


火の手が回るのが早い。
華もゾルフも平然としているのに、ナトルシュカは煙で呼吸がままならない。
意識が少しずつ、薄れていく。

「ナトルシュカ様。一つ言い忘れておりました。
この華は誰かに寄生し操ることができる。
しかし、稀に寄生もできず、神経毒もきかない人間がいるのです。そんな相手は厄介でね。
華がやれることといえばただ、1つ。この場から消すこと。
この渦は、華が作り出したものです。この渦の中に入ってしまえば、もう二度と、貴方は愛しい王子には会えない。」
「……っ」

「立つのもふらついておいでなのに、よく華をどうこうしようと思いましたねぇ…」

絶対絶命のピンチに、ナトルシュカはここまでかと瞳を閉じた。
そんな最悪なタイミングで

「ナトルシュカ…、無事か!」

サティウィンが、部屋に現れた。


「くるな、サティウィン…!きちゃいけない。
逃げろ。逃げてくれ…一刻もはやく…ここから…!」

サティウィンの姿をみ止めた瞬間、ナトルシュカは最後の力を振り絞ってサティウィンに叫んだ。
しかし、ナトルシュカの叫びも虚しく、ナトルシュカは突然現れた黒い渦に吸い込まれるように、消えてしまった。


「さようなら、ナトルシュカ様…」

渦の中に忽然と消えたナトルシュカ。
華の周りを覆っていた激しい炎も、ナトルシュカと一緒に吸い込まれるように黒い渦に消えてしまった。
渦はナトルシュカと炎を取り込んだ後、すぅっと地面に消えた。
ナトルシュカの愛用していた剣だけが、床に放り出されている。
一瞬のうちに変わってしまった現状に、サティウィンは呆然と立ち尽くした。


「ナトルシュカ…ナトルシュカ…。なんで…」

どれだけ呼んでも、帰ってくる返事はない。
地面に放り出されたナトルシュカの剣を手に取ると、ぬくもりはまだ残っているのに本人はどれだけ呼びかけたところで現れることはなかった。


「これで、英雄は消えました」
その場から立ったまま動けないサティウィンに、ゾルフは近づくと肩に手をかけ耳元で囁いた。

「ナトルシュカを、どこへ…。どこへやったんだ、答えろ…!」
ゾルフの首根っこを掴みあげて、サティウィンは激情のまま怒鳴りつける。
サティウィンの混乱に、ゾルフは何を答えることなく不敵な微笑みを浮かべた。

 ゾルフにばかり目が行って他のことに気が回らなかったのだろう。
ナトルシュカに伸びていた蔓は標的を変えて、今度はサティウィンの足に巻き付いた。
1本、また1本と払っても払っても蔓はサティウィンに纏わり付く。

「なんだ、これは…」
足に巻きつかれた蔓に困惑するサティウィンにゾルフは
「ナトルシュカならば、死にました」と静かに告げた。

「死んだ…?」
告げられた言葉に、サティウィンの顔に動揺が走った。
サティウィンは蔓に足を巻きつかれたまま、できるだけゾルフから距離を取り、ナトルシュカの剣を構える。


「ええ。もうこの場をどんなに探したところで彼は存在しない。
英雄は死んだのです」
「そんな…ナトルシュカがこんなところで死ぬわけがない。だって、ナトルシュカは誰より強くて…」
「それは貴方の幻想だったということです。
現に、あの男は数日前、瀕死の状態でしたでしょう…。あの男は弱いのです。
弱くて、臆病で、卑怯者なのです。だから、貴方の愛も答えてくれることはなかった…。
あの男は貴方が思うよりも、ずるくて酷い男なのです。」
「……」

否定したいのに、混乱して、言葉にならない。
サティウィンは悔しげに唇を噛む。

「ちょうど、良かったではありませんか。
ララール様のものにならず、死んで」
「…なんだと」
「貴方は、ずっと彼を愛していたけど、彼の方はそうではなかった。だから、ずっと不安だったんでしょう。
本当に愛されているのかどうか」


ゾルフの言葉を聞きたくなくて、逃げようとするも、既に足は何本もの蔓に拘束されて、逃げることは叶わなかった。
蔓は足だけではなく、腕にも1本また1本と巻きついて、サティウィンを拘束していく。


「そんな…わけ…」
「違わないですよ。貴方はずっと彼を愛すると同時に憎み、彼に絶望していた。
そう、絶望していたのですよ。
あの男に。
貴方は、ただ愛されたかった。
王位など捨てて、ただ1人の人間として、あの男に愛されたかったのです。
だけど、あの方はその貴方の願いを受け入れてはくれなかった。
ほら、貴方の身体は受け入れている。
そして、華も。見てください」

 ゾルフはサティウィンの顎を取ると、華の方へ向かせる。
華は、ゆらゆらと楽しげに全身を揺らしていた。
まるで、ゾルフの言葉に賛同するように、ユラユラ、とサティウィンを手招く。
それと同時に、頭ではまたあの声が、サティウィンに優しく語りかけている。


「この華は貴方を気に入ったようだ。
貴方の絶望をもっと見たいと所望しているようですよ」
「そんな…」
「いつまで貴方のその心が壊れないか見ものですね。王子様」
「…壊れ…」
「蒼い目はこの国に3人いる。この国の現王に、ララール様。そして、貴方だ。
貴方が一番美しい。そして、貴方の絶望は、何よりも輝いている」

ゾルフは、手足を拘束され動けないサティウィンの口に口付ける。
愛してもいない人間との口づけに、サティウィンは嫌悪に身の毛がよだった。

「なにを…する…」
サティウィンはゾルフの舌に思い切り噛み付くと、せめてもの抵抗に睨みつける。
悔しそうなサティウィンの視線に、ゾルフは満足げに微笑む。

「貴方を私のものに…。
私が欲しいものは、美しい貴方。
美しい貴方の、絶望に落ちる姿なのです…」

ゾルフの口端から、血が滴り落ちた。
ゾルフは血を拭うことなくサティウィンに近づくと、そっと頬を撫でて、囁く。
「愛していますよ…美しい…私のおうさま」
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