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第16話 出奔
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「あの、もし。今原稿書いてる?」
「ああ、ビアトリス。どうしたの?」
ビアトリスはエリオットの部屋を訪ねた。今日も彼は机に向かって何やら原稿を書いている。次に投稿する小説を執筆しているのだろうか? そう言えば、こないだ出た「紅の梟」の新刊に彼の小説はなかったな、出せば載るはずだから出さなかったのかなと、頭の別の部分で考えながら口を開いた。
「あのね、こないだの話だけど」
ビアトリスにしては歯切れが悪いので、エリオットはおやと言うような反応をした。彼女が言い淀むなんて珍しい。
「やっぱり私王都へ行きたい。あなたと一緒に二人だけで暮らしたい」
本音を言えば、彼の負担にならないように、もっとゆっくり様子を見ながらステップアップしたかった。しかし、今では一刻も早くユージンとの距離を離したい。今のままだとずっとエリオットはユージンに洗脳されたままだが、物理的に離れれば冷静に振り返る余裕ができるだろう。そう考えたのだ。先日同じ話をしたばかりなので、意見を翻すのはためらわれたが、居ても立ってもいられなかった。
案の定、エリオットは困った顔で微かに笑った。
「やっぱりビアトリスは王都に行きたいんだね。そうだね、君の気持ちもよく分かるよ。考えておく」
エリオットはエリオットで、自分のせいでビアトリスが王都に行けなくなったと考えている。「紅の梟」の編集長である自分が彼女の投稿小説を掲載していれば。一定以上のクオリティがあれば載るか載らないかなんてわずかな差なのだ。運の要素が大きいと言ってもいい。ビアトリスが父との賭けに勝って王都に出られるチャンスを間接的に潰したのは自分だという負い目があった。
「でもまずは兄様に許可をいただかないと。兄様は家長だし」
やはりそこは兄の了解を取らないと駄目なのかと、ビアトリスはがっくり肩を落とした。あのユージンがすんなり許可を出すとは思えない。エリオットはそれに対抗するだけの力を持っているだろうか?
数日後にユージンは帰って来た。エリオットは、ビアトリスとの約束を忘れておらず、その日の夕食後の時間に、夫婦で王都に引っ越したいということを相談した。
「は? こないだ地下室から出て来たばかりなのに? ちょっと急ぎ過ぎじゃないか?」
「うん、そうかもしれないけどビアトリスが一緒だから大丈夫なような気がするんだ。その方がほら……文学の方も便利だし」
ユージンは、エリオットが同人誌を作っていることは知っていたが、ビアトリスがいる手前、そこはぼかして表現した。
「んー、私は時期尚早だと思うな。王都でお前の身に何かあってもすぐに駆け付けることはできないし、何かあったらと思うと心配だ」
「あの、お義兄様。そこは私がエリオットを支えます。そうじゃなくても、彼は随分たくましくなったと思います。子供ではないのだから、何かあっても一人で乗り越える経験が必要です」
二人の会話を聞いていたビアトリスが口を開いた。ここは自分が援護射撃をして後押しをしなければ。
「でもね、前みたいに嫌なことがあっても、王都のアパートには地下室なんてないぞ? 誰かから悪口を言われても隠れることなんてできない。都会なんて薄汚れた人間の巣窟だ。ここにいた方が安全だと思うが?」
それを聞いたエリオットは、次第に顔が青ざめてきた。まずい、このままではユージンに押し切られてしまう。ビアトリスは、エリオットに声をかけた。
「大丈夫だって。私が守るって言ったでしょう? 何も怖いことなんてないわ」
「そう言えば……ある屋敷のお茶会に出たら自分の席だけなかったとか、令嬢に話しかけたら露骨に避けられたなんてこともあったな……また同じような目に遭ってもいいのか?」
自信を失いかけるエリオットに、ユージンは追い打ちをかけるように昔の出来事を蒸し返した。まずい。これはユージンの罠だ。嫌な思い出を呼び起こすことでエリオットの気をくじくつもりなのだ。
「ここにいれば、いつまでも私が守ってあげるよ。何も怖くなんかない。さあ、どうする?」
「駄目よ、エリオット! 約束したじゃない!」
ビアトリスはたまらなくなって声を上げた。ここでひるんではいけない。ユージンはエリオットの心を巧みに操って支配するのが目的だ。自分の言いなりになるおもちゃを手元に置いておきたいのだ。そんな呪いからエリオットを解放しなくてはならない。
「過去は過去、今は今よ。あなたは辛い出来事を克服したから今ここにいるんじゃない? もっと自信をもって。私を信じて」
「前の時は文芸活動をすることで克服したんだろう? また躓いたら今度はどうするつもりだ? 同人誌が作れなくなってもいいのか? それはそれで困るだろ?」
は? 今ユージンは「同人誌を作る」と言った? 投稿するの間違いでは? ビアトリスは思わずエリオットに目を移すと、愕然として顔を上げた彼と目が合った。エリオットはエリオットで、彼女に嘘をついていたことがばれてしまうと慌てたのだ。
「ここに残れば、同人誌のお金を引き続き出してやる。でも家を出て行ったら送金を止めるぞ。お前に小遣いをやっているのは家長である私だ。どうにでもできる」
「エリオット……これはどういう……」
ビアトリスは口を開きかけたが、今はそれどころではないと頭を切り替えた。
「とにかく、王都とこの屋敷、私とお義兄様どちらを選ぶの? あなた自身が決めて!」
「そうだ、お前が決めるんだ。妻を取って物書きをやめるか、物書きを取って妻だけ王都に行かせるか、どっちにする?」
エリオットは、すっかり青ざめしばらく逡巡しており、いつまで経っても答えは出てこない。脂汗を流し、縋るような目でビアトリスとユージンを交互に見るだけだ。もう限界だ。これ以上彼を苦しめたくない。ビアトリスは椅子から立ち上がった。
「もういいわ! 私がこの家を出て行きます。決心がついたらあなたは追いかけて来て。王都で待ってるから!」
いたたまれなくなったビアトリスは、そう捨て台詞を吐くと食堂室から出て行った。後には、わなわなと震えるエリオットと、ほくそ笑むユージンが残された。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
恋愛小説大賞エントリー中です。
エリオットはさっさと目を覚ませよ!と思ったら清き一票をお願いします!
「忘れられた王女は獣人皇帝に溺愛される」も同時連載中です。こちらはシリアス度高めです。
「ああ、ビアトリス。どうしたの?」
ビアトリスはエリオットの部屋を訪ねた。今日も彼は机に向かって何やら原稿を書いている。次に投稿する小説を執筆しているのだろうか? そう言えば、こないだ出た「紅の梟」の新刊に彼の小説はなかったな、出せば載るはずだから出さなかったのかなと、頭の別の部分で考えながら口を開いた。
「あのね、こないだの話だけど」
ビアトリスにしては歯切れが悪いので、エリオットはおやと言うような反応をした。彼女が言い淀むなんて珍しい。
「やっぱり私王都へ行きたい。あなたと一緒に二人だけで暮らしたい」
本音を言えば、彼の負担にならないように、もっとゆっくり様子を見ながらステップアップしたかった。しかし、今では一刻も早くユージンとの距離を離したい。今のままだとずっとエリオットはユージンに洗脳されたままだが、物理的に離れれば冷静に振り返る余裕ができるだろう。そう考えたのだ。先日同じ話をしたばかりなので、意見を翻すのはためらわれたが、居ても立ってもいられなかった。
案の定、エリオットは困った顔で微かに笑った。
「やっぱりビアトリスは王都に行きたいんだね。そうだね、君の気持ちもよく分かるよ。考えておく」
エリオットはエリオットで、自分のせいでビアトリスが王都に行けなくなったと考えている。「紅の梟」の編集長である自分が彼女の投稿小説を掲載していれば。一定以上のクオリティがあれば載るか載らないかなんてわずかな差なのだ。運の要素が大きいと言ってもいい。ビアトリスが父との賭けに勝って王都に出られるチャンスを間接的に潰したのは自分だという負い目があった。
「でもまずは兄様に許可をいただかないと。兄様は家長だし」
やはりそこは兄の了解を取らないと駄目なのかと、ビアトリスはがっくり肩を落とした。あのユージンがすんなり許可を出すとは思えない。エリオットはそれに対抗するだけの力を持っているだろうか?
数日後にユージンは帰って来た。エリオットは、ビアトリスとの約束を忘れておらず、その日の夕食後の時間に、夫婦で王都に引っ越したいということを相談した。
「は? こないだ地下室から出て来たばかりなのに? ちょっと急ぎ過ぎじゃないか?」
「うん、そうかもしれないけどビアトリスが一緒だから大丈夫なような気がするんだ。その方がほら……文学の方も便利だし」
ユージンは、エリオットが同人誌を作っていることは知っていたが、ビアトリスがいる手前、そこはぼかして表現した。
「んー、私は時期尚早だと思うな。王都でお前の身に何かあってもすぐに駆け付けることはできないし、何かあったらと思うと心配だ」
「あの、お義兄様。そこは私がエリオットを支えます。そうじゃなくても、彼は随分たくましくなったと思います。子供ではないのだから、何かあっても一人で乗り越える経験が必要です」
二人の会話を聞いていたビアトリスが口を開いた。ここは自分が援護射撃をして後押しをしなければ。
「でもね、前みたいに嫌なことがあっても、王都のアパートには地下室なんてないぞ? 誰かから悪口を言われても隠れることなんてできない。都会なんて薄汚れた人間の巣窟だ。ここにいた方が安全だと思うが?」
それを聞いたエリオットは、次第に顔が青ざめてきた。まずい、このままではユージンに押し切られてしまう。ビアトリスは、エリオットに声をかけた。
「大丈夫だって。私が守るって言ったでしょう? 何も怖いことなんてないわ」
「そう言えば……ある屋敷のお茶会に出たら自分の席だけなかったとか、令嬢に話しかけたら露骨に避けられたなんてこともあったな……また同じような目に遭ってもいいのか?」
自信を失いかけるエリオットに、ユージンは追い打ちをかけるように昔の出来事を蒸し返した。まずい。これはユージンの罠だ。嫌な思い出を呼び起こすことでエリオットの気をくじくつもりなのだ。
「ここにいれば、いつまでも私が守ってあげるよ。何も怖くなんかない。さあ、どうする?」
「駄目よ、エリオット! 約束したじゃない!」
ビアトリスはたまらなくなって声を上げた。ここでひるんではいけない。ユージンはエリオットの心を巧みに操って支配するのが目的だ。自分の言いなりになるおもちゃを手元に置いておきたいのだ。そんな呪いからエリオットを解放しなくてはならない。
「過去は過去、今は今よ。あなたは辛い出来事を克服したから今ここにいるんじゃない? もっと自信をもって。私を信じて」
「前の時は文芸活動をすることで克服したんだろう? また躓いたら今度はどうするつもりだ? 同人誌が作れなくなってもいいのか? それはそれで困るだろ?」
は? 今ユージンは「同人誌を作る」と言った? 投稿するの間違いでは? ビアトリスは思わずエリオットに目を移すと、愕然として顔を上げた彼と目が合った。エリオットはエリオットで、彼女に嘘をついていたことがばれてしまうと慌てたのだ。
「ここに残れば、同人誌のお金を引き続き出してやる。でも家を出て行ったら送金を止めるぞ。お前に小遣いをやっているのは家長である私だ。どうにでもできる」
「エリオット……これはどういう……」
ビアトリスは口を開きかけたが、今はそれどころではないと頭を切り替えた。
「とにかく、王都とこの屋敷、私とお義兄様どちらを選ぶの? あなた自身が決めて!」
「そうだ、お前が決めるんだ。妻を取って物書きをやめるか、物書きを取って妻だけ王都に行かせるか、どっちにする?」
エリオットは、すっかり青ざめしばらく逡巡しており、いつまで経っても答えは出てこない。脂汗を流し、縋るような目でビアトリスとユージンを交互に見るだけだ。もう限界だ。これ以上彼を苦しめたくない。ビアトリスは椅子から立ち上がった。
「もういいわ! 私がこの家を出て行きます。決心がついたらあなたは追いかけて来て。王都で待ってるから!」
いたたまれなくなったビアトリスは、そう捨て台詞を吐くと食堂室から出て行った。後には、わなわなと震えるエリオットと、ほくそ笑むユージンが残された。
★★★
最後までお読みいただきありがとうございます。
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エリオットはさっさと目を覚ませよ!と思ったら清き一票をお願いします!
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