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19 ……私のどこが優しいというのです

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 ……どうしてそんな、泣きそうな顔をするの。

「話を聞いていたならお分かりでしょう? 嫌いではないと。けれど、私はあなたに相応しくないと」

 顔を俯け、言う。……何を俯く必要がある? 同情でも誘っているつもり?

「なぜそうなる。君は私に離婚の話をしながらも、バウムガルテンの女主人として仕事をしてくれていたじゃないか」
「仮にも妻であったからです。私にも責任感くらいはあります。それを遂行していただけです」

 嫌だ、言いたくない。もう、これ以上言わせないで。

「私には君以外、妻を娶るなど考えられない。君以外が私の横にいるべきだと言ったあの言葉を聞いた時、私は自分に怒りを覚えた。大切にすべき妻に、唯一愛しい君に、そんなことを言わせた自分に腹が立った」
「けれど、事実です。私はあなたを大切にしていなかった。自分のことばかり考えていた。そんな私のどこに愛すべき要素があるというのですか」

 ……もう、これ以上、自分の罪を語らせないで……。

「……リリア」
「っ……」

 気付けば、下を向いた私の視界に、夫のブーツが目に入る。話に気を取られて、こんなにも近くに来られていたことに気付かなかった。

「……君は言っていたね。私に呪いなどなければ、もうとっくに私は愛する人を見つけ、その人と愛を育んでいたんだろう、と。けど、それはありえない。私は呪わていなくとも、必ず君を見つけ、そしてやはり心奪われるのだと、確信できる」

 頭の上から、柔らかい声が降ってくる。ああ、もう、こんなに近く。

「……そこまでおっしゃられる理由を掴めません。どうしてそんな……私に都合のいいことばかりおっしゃるのです」

 心のモヤの意味が分かった。私は被害者でありたかったんだ。愛を実感する度、この人の良いところを見つける度、私にそれは関係ないと、それでも酷いことをされたことには変わりがないと、思い込みたかったんだ。……ああ、なんて見苦しい。醜い。

「リリア」
「──っ!」

 背に腕を回され、抱きしめられた。けれどそれは、抜け出そうと思えばすぐにでもその腕を振りほどけそうなほど、緩い。

「……」

 緩い、けれど、振りほどけない。
 ……振りほどきたくない。

「君が君のために離婚をしたいというのなら、私はそれを受け入れる。だけど、君が私のために離婚したいなどというのなら、私はそれを、一生認めない。受け入れない。私のための離婚など、これっぽっちも私のためにならない」

 やめて。そんなこと言わないで。私に逃げ道を作らないで。

「……なら、どうしてあんな重要なことを、私に教えてくれなかったんです」
「重要?」
「王妃殿下が話してくださった、あの三ヶ月の、あなたのことを。……あんな、本当に命に関わる、あんな……なのに、私はそれを知らず、命を懸けたあなたに、何も、返さず……冷たく、接して……!」

 声が、意思に反して震える。駄目だ、泣くな。私に泣く資格などない。……泣くな!

「……リリア。君はとても優しいから」

 こんな私の、どこが優しいというのだろう。

「そんな君に、あの話をするのは、卑怯だろう? 君のために苦痛を受けた、君のために記憶を失いかけた、君のために魂が崩れかけた。そしたら優しい君は、私に同情してくれる。心を傾けてくれる。私を受け入れてくれるかもしれない」

 それの何がいけないというの。卑怯だというの。

「私は君を傷つけた。三ヶ月、捨て置くのと変わりないほどのことをした。だから、あの日。呪いが解け、その話をしたあの日。本当なら君は、私に愛想を尽かして家を出て行ってしまっても、不思議ではなかった。呪いが何だというんだと。自分だって傷ついたのだと。けれど、君は残ってくれた」
「……だって、呪われているなんて知らなかったから……」
「ほら、君は優しい」
「だから、どこが、──っ」

 上を向いてしまって、見えた夫の顔。優しく微笑んで、私を何よりも大切なもののように見つめて。

「やっと、顔が見れた」

 夫は右手で私の前髪をかき上げ、額にキスを落とす。唇はすぐに離れ、私はそれを、寂しく思ってしまった。……厚かましい。

「私は君を愛している。けれど、君は私を愛していない。それどころか私は嫌われている。なのに、君は私に触れる許可を出し、食事をともにしてくれ、解呪の話をしたら気遣ってくれて、……ちょっと、接触禁止は心にきたけど……でも、それも私のためで。私が心の内を吐露してしまった時も、……その……」

 や、ちょ、頬を染めるな。それは今思い出させるな。てか今私の額にキスしたくせに!

「その、えっと、……そんな君に、あの話をすれば、君は私を許してしまうかもしれない。けど、そんな方法、卑怯だと思わないか? 君の善意につけ込むそれを、私はしたくなかった。だから、君から猶予をもらった三ヶ月、君を振り向かせるために、最大限の努力をしようと誓ったんだ。……それで、君が去ってしまったら、それは私の努力が足りなかった結果なのだから、受け入れるしかない」

 夫が、寂しげに微笑む。

「……バカ」
「え」

 私は夫の胸に額をつけ、背中に腕を回した。

「え、あの、リリア……?」
「あなたはバカです。大馬鹿です。この、バカ……!」

 力の限り夫を抱きしめる。私の細腕なんかじゃ、力は全然伝わらないのだろうけど。

「あ、あの、リリア」

 そうしていたら、上から狼狽えた声がした。

「……なんですか」
「その、どうして、こう、してくれているんだろうか……?」
「言いたくありません」
「えぇ……」

 途方に暮れたような声を聞きながら、抱きしめ続ける。……けど、ちょっと疲れてきてしまった。ここまで走ったりなんだりしていたし。

「……突然失礼しました」

 私は回していた手を離し、夫の顔を見上げる。
 と、

「……旦那様?」

 夫は額に手を当て、空へ顔を向けていた。
 えっと、何をしているんだろう。

「……ご不快でしたか? でしたら申しわ──」
「ぜんぜんふかいじゃない……」

 夫はそのまま数回深呼吸すると、やっと私に顔を向けてくれた。そして、私に回していたままの腕を外し、

「……では、……あそこに戻るか……良いか……?」

 溜め息を吐くように問うてくる。
 ……ああ、そうだった。

「そうですね。王妃殿下に失礼な態度を取ってしまいましたし、何がどうしてこうなったか殿下とベルンハルトからも話を聞きたいですし……、っ!」

 一歩踏み出そうとして、足首の後ろに痛みが走った。しかも、両足に。
 ……これは、やってしまった。

「リリア?」
「いえ……」

 高いヒールで走ったりなんかしたから、傷をつけてしまったんだろう。けど、早く戻らなくちゃ。王族をこれ以上待たせるなど、不敬罪に当たる。いや、その前にも、走り去った不敬があるけど。

「……リリア。すまないが、今だけ許してくれ」
「? 何を、わっ!」

 急に抱き上げられた。な、なんで。

「あの、下ろしていただけませんか」
「駄目だ。擦ったかひねったかまでは分からないが、足を痛めたんだろう?」

 夫が心配そうな顔を向けてくる。

「……どうして、お気付きに」
「君の顔が一瞬、痛みをこらえるものになった。そして、足を出すのを躊躇った。これだけ判断材料があれば、それなりの見当がつく」

 夫が、歩き出しながら言う。

「すまない。私が走らせてしまったせいだ」
「いえ、走ったのは私の意思──というか、なんと言いますか……どちらにしろ旦那様のせいではございません」

 夫はしっかりと私を支えて抱いてくれているが、私はもしものためにと夫の胸元の服を掴む。……首に手を回すのは憚られた。私なんかが触れていいのかと、思ってしまったから。
 そして、四阿に戻れば。
 そこにはすでに医師がいて、私はそれに驚いた。もしや、クラウディア様になにかあったのか。そう思ったのに、医師は私達の方を見てから、ベルンハルトへ顔を向けて、

「あの方が、患者様ですかな?」
「はい」

 と、ベルンハルトは事もなげに答えた。

「……ベルンハルト。私は時々お前が怖くなるんだが」
「奥様が全速力で走っていくものですから。ああこれは確実に足を痛めるな、と。アルトゥール様は奥様を追いかけることに必死でしたから、あーこれはたぶん、ことが収まるまで気付かないだろうなーと」
「……」

 ベルンハルトの言葉は本当にその通りらしく、夫は無言になった。

「……ベルンハルト。あなた本当に頭が良いのね」

 ここまで的確に推測し、判断し、実行に移す。誰にでもできることじゃない。

「あー、奥様。お褒めいただきありがたいのですが……今は少し、アルトゥール様の方へ心を向けていただけませんか?」

 ベルンハルトが苦笑しながら言う。

「?」

 どういうことだろうか。今の発言になにか問題が?
 と、夫の私を抱きしめる力が、少しだけ強くなった。なんだ?
 夫へと顔を向ければ、その夫は。

「……」

 なんだか、拗ねたように見える表情をしていた。

「えぇと、……もしかして、ベルンハルトを褒めたことに対して拗ねてます?」
「拗ねてない」

 いや、これもう拗ねてるで確定だろ。

「ほら、話してないで早く」

 クラウディア様に言われ、夫は四阿に設置された椅子に私を下ろした。

「ありがとうございます、ここまでずっと私を運んでくださって。お疲れになったでしょう? 重ね重ね申し訳ありません」
「君は軽いから、あの程度の距離など軽い運動にも当たらない。君が謝る必要は全くない」

 夫はそう言って、医師と場所を代わる。

「はい、男どもはあっち行って、反対を向く。こっち見たら怒るわよ?」

 男どもて。クラウディア様、それが素ですか?
 夫は溜め息を吐きながら、そしてベルンハルトは苦笑しながらそれに従う。

「ああ、これは痛かったでしょう」
「……はい、まあ、少し」

 やっぱり靴の踵と擦れて、両足の後ろ足首からは血が滲んでいた。それも、結構広い範囲で。
 医師はテキパキと傷の処置をし、包帯を巻くと、

「今履いてらっしゃる靴では、また靴擦れを起こしてしまうでしょう。傷が良くなるまでは、靴と足の間に布を挟むか、柔らかい素材の靴を履くことをお勧めしますよ」
「分かりました。ありがとうございます」

 そして医師は礼をして戻っていった。

「さ、二人とも。終わったわよ。こっちに戻ってきなさい」

 クラウディア様の言葉に、夫もベルンハルトも素直に従う。いや、王妃の言葉なんだから、従う他ないんだけども。

「アルトゥールはそこに座って」

 クラウディア様は私の隣を指し示し、

「ベルンハルトは……」
「お気遣いいただき光栄の極みです。けれど自分は、立場がありますので」

 夫の横に立つベルンハルトの言葉に、「そうね、しょうがないけど立っててくれる?」とクラウディア様は言って。

「じゃあ、二人とも戻ってきたことだし? 事の次第を話しましょうか」

 にっこりと笑った。


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