竜の歌

nao

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38 記憶の欠片 8

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 ルスラン捜索はついに三日目に入っていた。
 長兄次兄ともにルスランの件を知らせてはいなかったが、捜索一日目にしてギルシュが町を走り回っていたタイニーを鬼の形相で「ルスランに何があった!」と捕まえたのだ。
 何故ルスランに何かあったとわかったのかと聞くと、「お前が慌てるならルスランの事しかねえだろ」の言葉にその場にいた他の使用人達も『そりゃそうだ』と心の中で同意した。
 そこからギルシュも加わり竜玉での探査人員が増えるも、見つける以前に存在を感じることすら出来ないでいた。
 性格上ギルシュは日に日に苛々と機嫌が悪くなり、それに怯える使用人達の不安も募っていく。
 昨日届いた通信用魔道具『黄金鳥おうごんちょう』の二体の内の一体をタイニーがアクロアに渡す。名前と同じ全身が金色の鳥形魔道具は二体以上で使用する相互通信道具だ。赤鳥せきちょうより本体が高級品であることも然る事乍ら、動力として使う魔石も高濃度な物を必要とする為、裕福で無ければ使う事ができない代物だ。
 捜索時に連絡を取り合う為には必須だと初日に発注したのだ。
「旦那様、出る前に一つお聞きしても宜しいでしょうか」
 以前から気になっていた事を口にする。
「エルノア様の能力は把握なさっておいでなのですか?」
「いや。何かあれば言うようには伝えてあったが、三人とも能力の話はしてこなかった。皆同じ能力でない事は感じていたがな」
 あまり口うるさい父親ではなかったアクロアだが、幼少時の兄弟達に、能力についてだけは「過信するな」と何度も言っていた。
「ある程度の予測はついていらっしゃいますか?」
「あれは一番読みにくかったな……雰囲気から闇か影あたりかと思っていたんだが……ルスランも『黒い靄が』と呟いていたからな。だがそれならこの私が存在すら分からない筈は無い」
「それだけエルノア様が能力を使いこなせている、という可能性は?」
「それは無いな。ルスランが戻って以降、感情の起伏に能力も連動していたからな」
 黒い靄はルスランにしか見えないが、アクロアは竜玉で何かを感じていた。
「まだまだ自分では制御出来ていないだろう。それだけに嫌な予感がする」
「しかしエルノア様がルスラン様を害するようなことはなさらないでしょう」
「あれはまだ子供だ、タイニー。体ばかり大きくなった考え無しのな」
「あまり興奮なされませんように。黄金鳥が溶けてしまいます」
 今にも体から湯気があがりそうな主人にそう言うと、ギロリと睨み返される。
 二人はそれぞれの鳥を肩に固定させ、アクロアはユランに、タイニーは馬に乗って邸を後にした。



 また兄様の過去が始まる。
 学校へ通う様になった兄様はそこでも一人だった。
 友達といる映像は出てこない。
 この世界でも発表会があるらしい。七、八歳位の兄様は、合唱の発表会でぼんやりとした表情で一応は歌っている。客席では多くの父兄たちが観に来ている。
 会が終わると子供達はそれぞれ親の元へ駆け寄り纏わり付く。
「お父様、お母様、私の歌聴いてくれた?」
「もちろんよ、とっても上手だったわ」
「お前が一番だったよ」
「ほんとう?」
 長い髪を綺麗に巻いた女の子が頬を紅潮させて飛び跳ねる。
「僕、歌なんて歌いたくなかったのにー」
「でも凄く格好良かったぞ」
「そうよ、将来がとっても楽しみだわ。女の子にさぞかしモテるでしょうね」
 やんちゃそうな男の子もまんざらでもない表情で、えへへと照れていた。
 子供達の興奮した声が響く中、兄様は立ち止まることなく講堂を出て、学校の駐車場にすたすたと歩いて行く。あ、あの紋章、ウチの馬車だ。
 御者が慌てて降りて駆け寄ってくるが、兄様はそれを無視して、自ら扉を開けて馬車に乗り込んだ。
 走り抜けた馬車の窓から見えた兄様は、やはり虚ろな目をしていた。
 やがて馬車は自宅に戻り、また自分で馬車から降りた兄様は玄関ホールを通り、一段一段階段を上っていく。いつもよりも足取りが速い。
「……は……はっ……は」
 高く長い階段を何かに追い立てられるように急いで上る。上りきってもなお廊下を早足で歩き、躓いてしまう。
 そのまま床で体を丸めた体勢のまま蹲り動かない。
 兄様……震えてるの?
「…………」
 胸が、いや僕の竜玉がギシギシと痛む。
 兄様が泣いている。
 涙を流さず、声すら出さずに。
 ギシギシと胸の竜玉が軋む。
 今すぐ駆け寄って抱きしめ、兄様は一人じゃないと言ってあげたい。
 体を摩り、顔中に口付けて、愛してるよと伝えたい。
 でもこれは過去の映像で僕は干渉できない。
 邸は静かで、誰も兄様の様子を見には来ない。帰宅時の迎えもなかった。
 広い邸には沢山の使用人が居る筈なのに。
 誰一人こない。一人、一人、ひとり……。
 流れる映像がふと止まり、ぐっと僕の周りに広がっていく。今までは向こう側の映像と僕自身のこちら側が別のものという感覚だったのが、僕が映像の中に入り込んだような視点になる。
 でも僕自身の姿を視認することは出来ず、透明人間になったみたいだ。
 ここは……一階の僕の部屋の居間?
 ソファーセットの代わりに木製のベビーベッドが置いてある。もしかして……。
 キィっと小さな音がして振り返ると、入り口からエルノア兄様が覗き込んでいる。
 部屋の中を見回してからそろそろと近づいてきた。
 柵の合間から覗き込んだ布団の上にはピンク色のくるくる巻き毛の赤ちゃん。
 僕だ。
「……ちっちゃい……」
 思わず、といった風に漏らす。
「お前……小さいね……小さくて、キレイだ……」
 兄様が呆然と呟いた。
 兄様を見つけた僕が嬉しそうに笑って小さな手を伸ばす。
 おそるおそる兄様も格子の間から手を差し入れた。
「あうー」
 兄様の薬指を小さな手で握った僕はご機嫌で上下に振り回す。
「きゃっ、きゃっ!」
 我ながらブンブン振る強さが心配になって兄様を見ると、虚ろだった瞳に変化が起こった。
「楽しい、の?」
「きゃうー!」
 濃い紺色の夜空に星が一つ。
「嬉しいの?」
「きゃーっう!」
 星が二つ、三つ。
「分かるの?僕のこと」
「ばーぶーうー」
 おそるおそる兄様が人差し指で僕のほっぺたを突く。
「にゃきゃっ!にゃっ」
 僕は握った両手を上下に、両足を伸ばしたり縮めたりして、全身で喜びを表現している。
 星が鏤められた兄様の右目からポロリと涙が一粒こぼれ落ちた。
「あーうー、うーっ」
 むずがるような顔で僕が兄様に両手を伸ばす。
 兄様の両目からはもうぽろぽろとあめ玉みたいな涙が次々と落ちていた。
「だー、だー」
「僕を見てるの?おまえは僕の事を……」
 僕の両脇を持った兄様が、ゆっくりと壊れ物を持ち上げるように抱く。
「うー、ちゅ」
 ぷちゅっと涙に濡れる頬に赤ん坊の僕がキスをする。
 兄様は吃驚した表情で一瞬体が固まった。
 ギギギと音がしそうな程ぎこちない動きで、僕の顔を覗き込む。
「何、それ……そんな事、誰にもされたこと、無い」
「うー?」
 兄様の言葉に軽くショックを受ける。
 父様も兄様も僕にはあれだけスキンシップが激しいのに、エル兄様はほっぺちゅーすらされたこと無いなんて。そういえば過去の映像では、ちゅーどころかハグすらされているのを見た事が無かった。
「何これ……これって……こんな」
 兄様が笑った!初めてだ。今まではずっとぼんやりと無表情に近かったのに、瞳の中には今の兄様みたいに小さな星がキラキラと輝いて、頬がほんのり赤みを差している。
 きゅっと抱きしめられた僕がまた嬉しそうに声を上げた。
「僕が一緒にいるよ。側にいる、ずっと一緒に」
 兄様はそう何度も何度も赤ちゃんの僕に言い聞かせた。まるで誓いのように。



「ルスランは良く眠るね」
「……る、にいさま」
 目覚めると兄様の膝の上に横向きで抱かれていた。
「せっかく二人きりなんだから、もっと話ししたい」
「ち、違うよ兄様……おかしいんだ。こんなの……普通じゃ、無い」
 明らかに普通の睡眠ではない。頻繁すぎるし、何度も見たアレは夢じゃない。
「大丈夫だよ、俺がついてる」
「違うんだ、僕は眠ってる訳じゃ無くて……意識が飛ぶっていう方が近い……そ、それに、言葉が……時々言葉が出なくて……思い出せない。おかしいよ!」
「言葉が?」
「兄様お願い、元に戻して!このままじゃ僕が僕でなくなっちゃう!怖いよ!」
「ルスラン……」
「暗闇は怖い!お願い、お願い!」
 エルノア兄様が一緒だから何とか我慢できたけれど、そもそも僕は暗い場所が苦手だ。あの地下室を思い出すから。あの辛い日々を思い出すから。
 その上何故か簡単な単語や何を言おうとしていたのかも抜け落ちる現象に気付いて、半ばパニックになる。
 僕の必死の訴えにようやく兄様がただ事では無いと気付いてくれた。
「わかった、ちょっと待って」
 僕を抱きしめたまま目を瞑った兄様がしばらくじっとしていると、黒い空間が渦巻きながら兄様の体に吸い込まれていく。
 靄がなくなるごとに周りの景色がはっきりしてきて、僕達は建物の中に居た。
「ここ、どこ?」
 前世でいうとログハウスのような造りだ。壁が丸太を積み上げたように見えるし、床も天井も木製で、敷かれているラグやカーテン、家具なんかも牧歌的な感じ。
「多分誰かの別荘」
「誰かの……」
 てことは勝手に他人様の別荘にお邪魔している状態?
「ルスランは暗いのが怖いんでしょう?だから虚無を薄くして建物の周りを囲ったんだ。これなら暗くないでしょう?」
「薄く囲う?」
 何だか原理はよくわからないけど、どうやらガチャポンのカプセルのような形状にした虚無の中に建物が入っている状態、なのかな?
「外からは建物も見えないから誰にも気付かれないし、入ってこれない」
「それは……」
 大丈夫とは言い難い。
「ちょっと僕、そのソファーで横になりたい……」
 体がだるくて動くのも億劫だ。
「わかった」
 兄様に運んでもらって寝そべると、思っている以上に体が疲れているのか、重石を乗せられたかのように動けなくなる。
「ルスラン、何か欲しいものある?」
「…………」
 兄様の問いかけにも答えられない。
 そんなぼくの頭を兄様が撫でてくれる。
「俺がいるから。ルスランの側にずっと」
 しばらく撫でられていると、今度は本当の睡魔がやってくる。
 眠りに落ちる寸前、ピシリ、と音がした。
 大きな音じゃないけど、確かに聞こえた。
「まさか……」
 何がまさかなんだろう、とぼんやり考えていると、建物全体がガタガタと揺れ出した。
 地震?
「そんな、なんで?」
 兄様が焦り始める。いったい何が起こってるの?
 ピタッと揺れが止まった次の瞬間、キーンと高い音が響いて周りがグニャリと歪んだ。
「な、に……」
 何が起きているの?と兄様に言いたいけれど声が出ず、どんどん目の前の景色が変わっていく。
 歪む部屋と甲高い音に気分が悪くなってきつく目を瞑った。
 数分経っただろうか、音が止んだ。
 ゆっくり目を開けるとそこには木立を背にした大きな赤い竜が。
「と……さ……」
「父さん」
 ぎりりとエル兄様の歯ぎしりが聞こえた。
 竜の体からはとてつもない水蒸気が上っている。
『ルスランを渡せ、エルノア』
 ズシンと父様が一歩近づく。
「嫌だ」
 兄様は父様から僕を隠すように抱き込んだ。
『お前の意思など聞いていない。渡せ』
 ズシン。
「嫌だ嫌だ嫌だ」
 父様の喉元の逆鱗が黒く光り始めた。これはちょっと、かなりまずいかも。
『エルノア。お前の能力は何だ?』
「……」
『能力は何か、答えろ』
 逆鱗の光が強くなり、エルノア兄様の全身からどっと汗が噴き出る。
「……虚無」
 プレッシャーに震える体で僕をなお抱きしめながら答えた瞬間、父様が踏み出した勢いのまま跳ぶ。
 跳んでいる途中で人型に変化した父様が僕達の元に辿りついたのは、瞬きする間もない一瞬。
 エルノア兄様の体が後ろへ吹っ飛んだ。
 木にぶつかった体が地面に落ちる。
 僕を抱き留めた父様はそのまま地面にそっと下ろしてくれる。
 木の根元に座り込んだままの兄様が顔を上げる。左頬が赤く腫れ上がり、口の端から血が流れていた。
「に、さ……」
 鉛のように重い体を必死で動かす。
 ゆっくりと近づいた父様は、ぐったり伏せている兄様の髪の毛を片手で掴んで持ち上げた。
 左腕一本で持ち上げられたエル兄様は爪先が地面から離れている宙吊り状態。
「う……」
「虚無、だと?!」
 瞬間、左腕を一振りすると、また兄様の体が飛ばされて別の木にぶち当たる。ミシリ、と木に亀裂が入った。
「ぐっ!」
「と……う、さま……や、め」
 人型になってもなお立ち込める蒸気に、父様の尋常で無い怒りを感じる。
「貴様、虚無の中にルスランを閉じ込めたのか?」
 人型になった父様の瞳が竜のそれに変わり、腕の皮膚はざわざわと鱗状に変わっていく。
「ぐぅ……」
「私はお前達に、何と言い聞かせてきた?」
 隠せない程伸びた犬歯が、今にも兄様の喉を引き裂きそうだ。
「俺は……ちゃんと、力を……扱って」
『痴れ者が!!』
 父様が異常な程筋肉が盛り上がった右腕を振り上げる。
「やめ、てぇ」
 重い体を這いずるように二人に近づいて行く。父様の怒気が急激に高まった瞬間、四つ足の動物のようにして駆け寄った。がくがくと無様な格好だけれど構っていられない。
 二人の間に入り込んで、兄様の頭を抱き込み、できるだけ体を覆うように被さる。
 殴られる覚悟で飛び込んだが予想した衝撃は感じず、隣の木がゆっくりと倒れていく。
 どうやら止めることが出来ない拳の軌道を少しずらして木を殴ったらしい。
「ルスラン!!なんて危ない事を!」
「とうさま……おねが……に、さま、なぐる……いや」
「ルスラン!」
 グルグルと低い喉なりになお残る強い怒りを感じて言い募る。
「おね、がい……おねがい……します」
 何度もおねがいと繰り返しながら僕は意識を失った。
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