『姉に全部奪われた私、今度は自分の幸せを選びます ~姉の栄光を支える嘘を、私は一枚ずつ剥がす~』

六角

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第12話「偽造の印章、貸与の印章」

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重厚な扉が開かれた瞬間、視界を埋め尽くしたのは暴力的なまでの光の洪水だった。 頭上の巨大なシャンデリアが無数のクリスタルを輝かせ、壁面の金細工がそれを乱反射させる。 『白薔薇の間』。 王宮で最も格式高いこのホールは、今夜、姉セシリアが仕組んだ断罪劇の舞台として、異様な熱気に包まれていた。

一歩、足を踏み入れる。 その瞬間、会場を満たしていた談笑や音楽が、波が引くように静まり返った。 数百人の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。

「……来たわ」 「あれが、妹君か」 「よくもまあ、どの面下げて……」

さざめきのような囁き声。 そこに含まれているのは、純粋な好奇心ではない。 明確な敵意と、これから始まる「聖女による悪魔退治」への期待だ。 彼らにとって私は、美しい悲劇のヒロインを虐める悪役であり、倒されるべき怪物なのだ。

普通なら、この視線の圧力だけで足がすくむだろう。 三年前の私なら、きっとドレスの裾を掴んで俯き、逃げ出していたに違いない。 けれど。

「……顔を上げろ、リリア」

隣を歩くレオンハルト様が、私にしか聞こえない声で囁いた。 彼の手が、私の手を力強く支えている。 その温もりが、冷え切りそうになる私の心臓に熱を送ってくれる。

「わかっています。……私は、何も恥じることはしていませんから」

私は顎を引き、背筋を伸ばした。 濃紺のドレスは、華やかなパステルカラーが溢れる会場の中で、異質なほどに重く、そして鋭く映るだろう。 私は監査官としてここにいる。 遊びに来たのではない。戦いに来たのだ。

私たちはゆっくりと、会場の中央へと進んだ。 人々が、まるで汚いものを避けるように道を開ける。 その中には、先日のお茶会で私を嘲笑ったミランダ侯爵令嬢や、姉の取り巻きたちの顔もあった。 彼女たちは扇子で口元を隠しながら、勝ち誇ったような目で私を見ている。 『今夜こそ、あなたの終わりよ』と、その目が語っていた。

「……リリア・アルヴェイン様、ならびにレオンハルト・グランツ宰相補佐殿、ご入場!」

式部官の声が響く。 レオンハルト様の登場に、一部の貴族たちが動揺したようにざわめいた。 「なぜ宰相補佐が?」「まさか、あんな娘をエスコートするなんて」 彼らにとって、氷の宰相補佐が「悪役」の味方をすることは、計算外だったようだ。 レオンハルト様は周囲の雑音など意に介さず、氷のような無表情で周囲を睥睨した。 その威圧感だけで、近くにいた数人が息を呑んで後ずさる。

「……いい眺めだな」

彼は皮肉っぽく呟いた。

「これだけの人間が、たった一人の嘘に踊らされている。……集団催眠の実験場としては優秀だ」 「ええ。でも、目が覚める時は一瞬です」

私は胸元に手を当てた。 ドレスの下に隠した『真理のプリズム』。 クレイグから託されたこの小さな魔道具が、今夜、この巨大な虚構を打ち砕くハンマーとなる。

私たちは会場の端、壁際の一角に陣取った。 王妃陛下の手配により、ここは会場全体を見渡せる特等席であり、かつ照明の加減で影になりやすい「死角」でもある。 給仕が恭しくグラスを運んできたが、私は口をつけなかった。 毒が入っている可能性は低いが、油断はできない。

「……主役はまだか」

レオンハルト様が懐中時計を確認する。 開演から三十分。 姉セシリアはまだ姿を見せていない。 焦らしに焦らして、期待感が最高潮に達したところで登場するつもりだろう。 演出に関しては、彼女は天才的だ。

「……レオンハルト様」

不意に、人混みをかき分けて一人の騎士が近づいてきた。 近衛騎士団長カミュの副官だ。 彼は周囲を警戒しながら、私たちに一冊の薄いファイルを差し出した。

「報告します。……印章庫の『特別閲覧室』から、見つけました」 「ご苦労」

レオンハルト様がファイルを受け取り、素早く中身を確認する。 その眉間に、深い皺が刻まれた。

「……やはり、そうか」 「何ですか?」 「リリア。君に確認してもらいたいものがある」

彼はファイルを開き、私に見せた。 それは、古い羊皮紙のコピーだった。 『印章権限委譲承諾書』。 日付は三年前。私が追放された直後のものだ。

「これは……」

内容を読んで、私は息を止めた。 そこには、アルヴェイン家の当主が持つ『家長印』の権限を、代理人であるセシリア・アルヴェインに無期限で貸与し、その使用に関する一切の責任を当主が負う、という契約が記されていた。

貴族社会において、家長の印章は命と同等の重みを持つ。 それを貸与するということは、家の全財産、全権限を相手に白紙委任するに等しい。 そして、その書類の末尾に記された署名。 震えるような、弱々しい筆跡。

『ジェラルド・アルヴェイン』。

私の父だ。 父が、姉に全ての権限を譲り渡していた。 だから姉は、商会との契約も、教会への寄付も、全て「アルヴェイン家の総意」として堂々と行えたのだ。 姉の印章偽造の裏には、父による「合法的な裏付け」があった。

「……お父様」

私は唇を噛んだ。 クレイグの言葉が蘇る。 『家名を守るためなら悪魔とでも手を組む男だ』。 父は、姉という悪魔に魂を売ったのか。 それとも、売らされたのか。

「……あそこにいるぞ」

レオンハルト様が視線で示した。 会場の反対側。 柱の陰に隠れるようにして、グラスを傾けている中年男の姿があった。 痩せこけ、目の周りは窪み、かつての威厳ある子爵の面影はない。 ただの、怯えた小動物のような男。

「……行ってきます」

私はファイルを借り受け、ドレスの裾を翻した。 「行くな」とは言わせない。 これは、私が越えなければならない壁だ。 姉と対峙する前に、この「家」という呪縛を断ち切らなければならない。

          ◇

人混みを縫って近づくと、父は私に気づき、ビクリと肩を震わせた。 逃げようとする素振りを見せたが、私は先回りして退路を塞いだ。

「……お久しぶりです、お父様」

私が声をかけると、父は引きつった笑みを浮かべた。 グラスを持つ手が震え、中のワインが波打っている。

「お、おお……リリアか。……元気そうで何よりだ」 「元気そうに見えますか? それとも、死んでいなくて残念だと思いますか?」 「そ、そんなことは……」

父は視線を泳がせた。 周囲の貴族たちが、面白そうにこちらを見ている。 「ほら、親子の対面よ」「感動的ね、泥棒娘と哀れな父親」

私は父の手を取り、強引にバルコニーへと連れ出した。 夜風が冷たい。 喧騒が遠ざかり、二人きりの空間になる。

「……単刀直入に伺います」

私はファイルを父の前に突きつけた。

「この署名は、お父様のものですね?」 「……!」 父の顔色が、蝋のように白くなる。

「貴方は、姉に家長印の権限を全て譲渡した。……姉がその印章を使って、架空の孤児院を作り、商会から不正な献金を受けていたことを知っていましたか?」

「し、知らん! 私は何も……!」 「知らないはずがありません! 責任者は貴方になっているのです! もし姉が倒れれば、その罪は全て貴方に降りかかるのですよ!?」

私が声を荒げると、父は崩れ落ちるようにバルコニーの手すりにしがみついた。

「……仕方なかったんだ」

絞り出すような声。

「セシリアは……あの子は、特別なんだ。生まれた時から、光り輝いていた。……それに比べて、我が家は没落寸前だった。借金、領地の不作、王宮での立場の低下……」

父は涙目で私を見上げた。

「あの子には才能があった。人を惹きつけ、金を動かし、家を再興させる才能が。……私は賭けたんだ。あの子に全てを託せば、アルヴェイン家は救われると」

「そのために……私を捨てたのですか?」

私の問いに、父は押し黙った。 沈黙が、肯定よりも残酷な答えだった。 三年前のあの日。 私が無実を訴えた時、父は私の目を見ようともせず、「出て行け」と言った。 あれは、姉を守るためだったのか。 「輝く長女」を生かすために、「地味な次女」を切り捨てた。 損切りの論理。

「……リリア。頼む」

父が突然、私の手首を掴んだ。 その手は冷たく、湿っていた。

「今夜は……余計なことをしないでくれ。セシリアの邪魔をしないでくれ。……あの子が今夜、身の潔白を証明できれば、我が家は侯爵家に昇格できるかもしれないんだ。王太子殿下との婚約も決まるかもしれない」

「……まだ、そんな夢を見ているのですか?」 「夢じゃない! 現実だ! あの子は『誓約』を行って、全てを真実にするんだ!」

父の目は狂気を孕んでいた。 姉の嘘を信じているのではない。 嘘であっても構わない、結果さえ出ればいいという、腐りきった欲望。 これが、私の父なのか。 私が幼い頃、膝に乗せて「正直に生きなさい」と教えてくれた人は、もうどこにもいない。

私は静かに、しかし強く、父の手を振りほどいた。

「……お断りします」

「な、何だと……?」 「私は、アルヴェイン家の再興になど興味はありません。私が守りたいのは、家名ではなく、法と正義です」

私は父を冷たく見下ろした。

「貴方が姉に貸したその印章権限……私が監査官として凍結させます。そして、貴方も共犯として告発します」 「ま、待て! 親を売るのか!? 育ててやった恩を忘れて!」 「恩? ……貴方は三年前に、私を他人として追放したはずです。今の私はリリア・アルヴェインではなく、ただの『監査官リリア』です」

私は背を向けた。 背後で父が何かを叫んでいたが、風の音にかき消されて聞こえなかった。 涙は出なかった。 ただ、胸の中にあった重い鎖が、一つ断ち切られたような軽さを感じた。

「……終わった」

バルコニーから会場に戻ると、レオンハルト様が待っていた。 私の顔を見て、彼は何も聞かずに頷いた。

「……顔色が良くなったな」 「ええ。憑き物が落ちました」

私はファイルレオンハルト様に返した。 もう、迷いはない。 クレイグが言った『嘘のない状態』。 今なら、プリズムを使える。

その時。 会場の照明が一斉に落とされた。 闇に包まれたホールに、悲鳴に近い歓声が上がる。 スポットライトが、大階段の頂上を照らし出した。

「皆様、お待たせいたしました!」

ファンファーレが鳴り響く。 光の中に現れたのは、純白のドレスに身を包んだセシリアだった。 今日の彼女は、いつにも増して神々しい。 ドレスには無数の宝石が散りばめられ、歩くたびに星屑のように煌めく。 そして、その胸元には。

青く、妖しく輝く大きなブローチがあった。 『青い硝子の欠片』を集めて作られた、偽りの誓約器。

「……出たな」 レオンハルト様が低く呟く。

セシリアは階段をゆっくりと降りてくる。 その顔には、慈愛に満ちた聖女の微笑み。 だが、私と目が合った瞬間、その口角が微かに吊り上がったのを、私は見逃さなかった。

『見ていなさい、リリア。これが私の世界よ』

無言の挑発。 彼女は階段の中腹で立ち止まり、両手を広げた。

「愛する皆様。……わたくしは今夜、神に誓います。この身の潔白と、わたくしを陥れようとする闇の勢力との決別を」

会場中から拍手が湧き起こる。 「聖女様!」「我々は信じています!」 熱狂。陶酔。 この空気を支配しているのは、間違いなく彼女だ。

「リリア。……行くぞ」 レオンハルト様が私の背中を押した。

「はい」

私は深呼吸をし、闇に沈む会場の端から、光の中へと歩き出した。 これは公開処刑ではない。 公開監査だ。 姉が用意した最高の舞台で、彼女の仮面を剥ぎ取る。

「……待った」

私は声を張り上げた。 マイクも拡声魔法もない。 だが、静まり返った会場に、私の声は驚くほどクリアに響き渡った。

「その誓い……監査官として、立会人を務めさせていただきます」

セシリアの笑顔が凍りつく。 スポットライトが動き、私を照らし出した。 光の中で、私は不敵に微笑んでみせた。

「逃げも隠れもしません。……さあ、始めましょう、お姉様」

私の胸元で、隠されたプリズムが熱く脈打ち始めた。 父との決別を経て、私の心は澄み渡っている。 今こそ、反撃の狼煙を上げる時だ。
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