12 / 20
第12話「偽造の印章、貸与の印章」
しおりを挟む
重厚な扉が開かれた瞬間、視界を埋め尽くしたのは暴力的なまでの光の洪水だった。 頭上の巨大なシャンデリアが無数のクリスタルを輝かせ、壁面の金細工がそれを乱反射させる。 『白薔薇の間』。 王宮で最も格式高いこのホールは、今夜、姉セシリアが仕組んだ断罪劇の舞台として、異様な熱気に包まれていた。
一歩、足を踏み入れる。 その瞬間、会場を満たしていた談笑や音楽が、波が引くように静まり返った。 数百人の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
「……来たわ」 「あれが、妹君か」 「よくもまあ、どの面下げて……」
さざめきのような囁き声。 そこに含まれているのは、純粋な好奇心ではない。 明確な敵意と、これから始まる「聖女による悪魔退治」への期待だ。 彼らにとって私は、美しい悲劇のヒロインを虐める悪役であり、倒されるべき怪物なのだ。
普通なら、この視線の圧力だけで足がすくむだろう。 三年前の私なら、きっとドレスの裾を掴んで俯き、逃げ出していたに違いない。 けれど。
「……顔を上げろ、リリア」
隣を歩くレオンハルト様が、私にしか聞こえない声で囁いた。 彼の手が、私の手を力強く支えている。 その温もりが、冷え切りそうになる私の心臓に熱を送ってくれる。
「わかっています。……私は、何も恥じることはしていませんから」
私は顎を引き、背筋を伸ばした。 濃紺のドレスは、華やかなパステルカラーが溢れる会場の中で、異質なほどに重く、そして鋭く映るだろう。 私は監査官としてここにいる。 遊びに来たのではない。戦いに来たのだ。
私たちはゆっくりと、会場の中央へと進んだ。 人々が、まるで汚いものを避けるように道を開ける。 その中には、先日のお茶会で私を嘲笑ったミランダ侯爵令嬢や、姉の取り巻きたちの顔もあった。 彼女たちは扇子で口元を隠しながら、勝ち誇ったような目で私を見ている。 『今夜こそ、あなたの終わりよ』と、その目が語っていた。
「……リリア・アルヴェイン様、ならびにレオンハルト・グランツ宰相補佐殿、ご入場!」
式部官の声が響く。 レオンハルト様の登場に、一部の貴族たちが動揺したようにざわめいた。 「なぜ宰相補佐が?」「まさか、あんな娘をエスコートするなんて」 彼らにとって、氷の宰相補佐が「悪役」の味方をすることは、計算外だったようだ。 レオンハルト様は周囲の雑音など意に介さず、氷のような無表情で周囲を睥睨した。 その威圧感だけで、近くにいた数人が息を呑んで後ずさる。
「……いい眺めだな」
彼は皮肉っぽく呟いた。
「これだけの人間が、たった一人の嘘に踊らされている。……集団催眠の実験場としては優秀だ」 「ええ。でも、目が覚める時は一瞬です」
私は胸元に手を当てた。 ドレスの下に隠した『真理のプリズム』。 クレイグから託されたこの小さな魔道具が、今夜、この巨大な虚構を打ち砕くハンマーとなる。
私たちは会場の端、壁際の一角に陣取った。 王妃陛下の手配により、ここは会場全体を見渡せる特等席であり、かつ照明の加減で影になりやすい「死角」でもある。 給仕が恭しくグラスを運んできたが、私は口をつけなかった。 毒が入っている可能性は低いが、油断はできない。
「……主役はまだか」
レオンハルト様が懐中時計を確認する。 開演から三十分。 姉セシリアはまだ姿を見せていない。 焦らしに焦らして、期待感が最高潮に達したところで登場するつもりだろう。 演出に関しては、彼女は天才的だ。
「……レオンハルト様」
不意に、人混みをかき分けて一人の騎士が近づいてきた。 近衛騎士団長カミュの副官だ。 彼は周囲を警戒しながら、私たちに一冊の薄いファイルを差し出した。
「報告します。……印章庫の『特別閲覧室』から、見つけました」 「ご苦労」
レオンハルト様がファイルを受け取り、素早く中身を確認する。 その眉間に、深い皺が刻まれた。
「……やはり、そうか」 「何ですか?」 「リリア。君に確認してもらいたいものがある」
彼はファイルを開き、私に見せた。 それは、古い羊皮紙のコピーだった。 『印章権限委譲承諾書』。 日付は三年前。私が追放された直後のものだ。
「これは……」
内容を読んで、私は息を止めた。 そこには、アルヴェイン家の当主が持つ『家長印』の権限を、代理人であるセシリア・アルヴェインに無期限で貸与し、その使用に関する一切の責任を当主が負う、という契約が記されていた。
貴族社会において、家長の印章は命と同等の重みを持つ。 それを貸与するということは、家の全財産、全権限を相手に白紙委任するに等しい。 そして、その書類の末尾に記された署名。 震えるような、弱々しい筆跡。
『ジェラルド・アルヴェイン』。
私の父だ。 父が、姉に全ての権限を譲り渡していた。 だから姉は、商会との契約も、教会への寄付も、全て「アルヴェイン家の総意」として堂々と行えたのだ。 姉の印章偽造の裏には、父による「合法的な裏付け」があった。
「……お父様」
私は唇を噛んだ。 クレイグの言葉が蘇る。 『家名を守るためなら悪魔とでも手を組む男だ』。 父は、姉という悪魔に魂を売ったのか。 それとも、売らされたのか。
「……あそこにいるぞ」
レオンハルト様が視線で示した。 会場の反対側。 柱の陰に隠れるようにして、グラスを傾けている中年男の姿があった。 痩せこけ、目の周りは窪み、かつての威厳ある子爵の面影はない。 ただの、怯えた小動物のような男。
「……行ってきます」
私はファイルを借り受け、ドレスの裾を翻した。 「行くな」とは言わせない。 これは、私が越えなければならない壁だ。 姉と対峙する前に、この「家」という呪縛を断ち切らなければならない。
◇
人混みを縫って近づくと、父は私に気づき、ビクリと肩を震わせた。 逃げようとする素振りを見せたが、私は先回りして退路を塞いだ。
「……お久しぶりです、お父様」
私が声をかけると、父は引きつった笑みを浮かべた。 グラスを持つ手が震え、中のワインが波打っている。
「お、おお……リリアか。……元気そうで何よりだ」 「元気そうに見えますか? それとも、死んでいなくて残念だと思いますか?」 「そ、そんなことは……」
父は視線を泳がせた。 周囲の貴族たちが、面白そうにこちらを見ている。 「ほら、親子の対面よ」「感動的ね、泥棒娘と哀れな父親」
私は父の手を取り、強引にバルコニーへと連れ出した。 夜風が冷たい。 喧騒が遠ざかり、二人きりの空間になる。
「……単刀直入に伺います」
私はファイルを父の前に突きつけた。
「この署名は、お父様のものですね?」 「……!」 父の顔色が、蝋のように白くなる。
「貴方は、姉に家長印の権限を全て譲渡した。……姉がその印章を使って、架空の孤児院を作り、商会から不正な献金を受けていたことを知っていましたか?」
「し、知らん! 私は何も……!」 「知らないはずがありません! 責任者は貴方になっているのです! もし姉が倒れれば、その罪は全て貴方に降りかかるのですよ!?」
私が声を荒げると、父は崩れ落ちるようにバルコニーの手すりにしがみついた。
「……仕方なかったんだ」
絞り出すような声。
「セシリアは……あの子は、特別なんだ。生まれた時から、光り輝いていた。……それに比べて、我が家は没落寸前だった。借金、領地の不作、王宮での立場の低下……」
父は涙目で私を見上げた。
「あの子には才能があった。人を惹きつけ、金を動かし、家を再興させる才能が。……私は賭けたんだ。あの子に全てを託せば、アルヴェイン家は救われると」
「そのために……私を捨てたのですか?」
私の問いに、父は押し黙った。 沈黙が、肯定よりも残酷な答えだった。 三年前のあの日。 私が無実を訴えた時、父は私の目を見ようともせず、「出て行け」と言った。 あれは、姉を守るためだったのか。 「輝く長女」を生かすために、「地味な次女」を切り捨てた。 損切りの論理。
「……リリア。頼む」
父が突然、私の手首を掴んだ。 その手は冷たく、湿っていた。
「今夜は……余計なことをしないでくれ。セシリアの邪魔をしないでくれ。……あの子が今夜、身の潔白を証明できれば、我が家は侯爵家に昇格できるかもしれないんだ。王太子殿下との婚約も決まるかもしれない」
「……まだ、そんな夢を見ているのですか?」 「夢じゃない! 現実だ! あの子は『誓約』を行って、全てを真実にするんだ!」
父の目は狂気を孕んでいた。 姉の嘘を信じているのではない。 嘘であっても構わない、結果さえ出ればいいという、腐りきった欲望。 これが、私の父なのか。 私が幼い頃、膝に乗せて「正直に生きなさい」と教えてくれた人は、もうどこにもいない。
私は静かに、しかし強く、父の手を振りほどいた。
「……お断りします」
「な、何だと……?」 「私は、アルヴェイン家の再興になど興味はありません。私が守りたいのは、家名ではなく、法と正義です」
私は父を冷たく見下ろした。
「貴方が姉に貸したその印章権限……私が監査官として凍結させます。そして、貴方も共犯として告発します」 「ま、待て! 親を売るのか!? 育ててやった恩を忘れて!」 「恩? ……貴方は三年前に、私を他人として追放したはずです。今の私はリリア・アルヴェインではなく、ただの『監査官リリア』です」
私は背を向けた。 背後で父が何かを叫んでいたが、風の音にかき消されて聞こえなかった。 涙は出なかった。 ただ、胸の中にあった重い鎖が、一つ断ち切られたような軽さを感じた。
「……終わった」
バルコニーから会場に戻ると、レオンハルト様が待っていた。 私の顔を見て、彼は何も聞かずに頷いた。
「……顔色が良くなったな」 「ええ。憑き物が落ちました」
私はファイルレオンハルト様に返した。 もう、迷いはない。 クレイグが言った『嘘のない状態』。 今なら、プリズムを使える。
その時。 会場の照明が一斉に落とされた。 闇に包まれたホールに、悲鳴に近い歓声が上がる。 スポットライトが、大階段の頂上を照らし出した。
「皆様、お待たせいたしました!」
ファンファーレが鳴り響く。 光の中に現れたのは、純白のドレスに身を包んだセシリアだった。 今日の彼女は、いつにも増して神々しい。 ドレスには無数の宝石が散りばめられ、歩くたびに星屑のように煌めく。 そして、その胸元には。
青く、妖しく輝く大きなブローチがあった。 『青い硝子の欠片』を集めて作られた、偽りの誓約器。
「……出たな」 レオンハルト様が低く呟く。
セシリアは階段をゆっくりと降りてくる。 その顔には、慈愛に満ちた聖女の微笑み。 だが、私と目が合った瞬間、その口角が微かに吊り上がったのを、私は見逃さなかった。
『見ていなさい、リリア。これが私の世界よ』
無言の挑発。 彼女は階段の中腹で立ち止まり、両手を広げた。
「愛する皆様。……わたくしは今夜、神に誓います。この身の潔白と、わたくしを陥れようとする闇の勢力との決別を」
会場中から拍手が湧き起こる。 「聖女様!」「我々は信じています!」 熱狂。陶酔。 この空気を支配しているのは、間違いなく彼女だ。
「リリア。……行くぞ」 レオンハルト様が私の背中を押した。
「はい」
私は深呼吸をし、闇に沈む会場の端から、光の中へと歩き出した。 これは公開処刑ではない。 公開監査だ。 姉が用意した最高の舞台で、彼女の仮面を剥ぎ取る。
「……待った」
私は声を張り上げた。 マイクも拡声魔法もない。 だが、静まり返った会場に、私の声は驚くほどクリアに響き渡った。
「その誓い……監査官として、立会人を務めさせていただきます」
セシリアの笑顔が凍りつく。 スポットライトが動き、私を照らし出した。 光の中で、私は不敵に微笑んでみせた。
「逃げも隠れもしません。……さあ、始めましょう、お姉様」
私の胸元で、隠されたプリズムが熱く脈打ち始めた。 父との決別を経て、私の心は澄み渡っている。 今こそ、反撃の狼煙を上げる時だ。
一歩、足を踏み入れる。 その瞬間、会場を満たしていた談笑や音楽が、波が引くように静まり返った。 数百人の視線が、一斉に私たちに突き刺さる。
「……来たわ」 「あれが、妹君か」 「よくもまあ、どの面下げて……」
さざめきのような囁き声。 そこに含まれているのは、純粋な好奇心ではない。 明確な敵意と、これから始まる「聖女による悪魔退治」への期待だ。 彼らにとって私は、美しい悲劇のヒロインを虐める悪役であり、倒されるべき怪物なのだ。
普通なら、この視線の圧力だけで足がすくむだろう。 三年前の私なら、きっとドレスの裾を掴んで俯き、逃げ出していたに違いない。 けれど。
「……顔を上げろ、リリア」
隣を歩くレオンハルト様が、私にしか聞こえない声で囁いた。 彼の手が、私の手を力強く支えている。 その温もりが、冷え切りそうになる私の心臓に熱を送ってくれる。
「わかっています。……私は、何も恥じることはしていませんから」
私は顎を引き、背筋を伸ばした。 濃紺のドレスは、華やかなパステルカラーが溢れる会場の中で、異質なほどに重く、そして鋭く映るだろう。 私は監査官としてここにいる。 遊びに来たのではない。戦いに来たのだ。
私たちはゆっくりと、会場の中央へと進んだ。 人々が、まるで汚いものを避けるように道を開ける。 その中には、先日のお茶会で私を嘲笑ったミランダ侯爵令嬢や、姉の取り巻きたちの顔もあった。 彼女たちは扇子で口元を隠しながら、勝ち誇ったような目で私を見ている。 『今夜こそ、あなたの終わりよ』と、その目が語っていた。
「……リリア・アルヴェイン様、ならびにレオンハルト・グランツ宰相補佐殿、ご入場!」
式部官の声が響く。 レオンハルト様の登場に、一部の貴族たちが動揺したようにざわめいた。 「なぜ宰相補佐が?」「まさか、あんな娘をエスコートするなんて」 彼らにとって、氷の宰相補佐が「悪役」の味方をすることは、計算外だったようだ。 レオンハルト様は周囲の雑音など意に介さず、氷のような無表情で周囲を睥睨した。 その威圧感だけで、近くにいた数人が息を呑んで後ずさる。
「……いい眺めだな」
彼は皮肉っぽく呟いた。
「これだけの人間が、たった一人の嘘に踊らされている。……集団催眠の実験場としては優秀だ」 「ええ。でも、目が覚める時は一瞬です」
私は胸元に手を当てた。 ドレスの下に隠した『真理のプリズム』。 クレイグから託されたこの小さな魔道具が、今夜、この巨大な虚構を打ち砕くハンマーとなる。
私たちは会場の端、壁際の一角に陣取った。 王妃陛下の手配により、ここは会場全体を見渡せる特等席であり、かつ照明の加減で影になりやすい「死角」でもある。 給仕が恭しくグラスを運んできたが、私は口をつけなかった。 毒が入っている可能性は低いが、油断はできない。
「……主役はまだか」
レオンハルト様が懐中時計を確認する。 開演から三十分。 姉セシリアはまだ姿を見せていない。 焦らしに焦らして、期待感が最高潮に達したところで登場するつもりだろう。 演出に関しては、彼女は天才的だ。
「……レオンハルト様」
不意に、人混みをかき分けて一人の騎士が近づいてきた。 近衛騎士団長カミュの副官だ。 彼は周囲を警戒しながら、私たちに一冊の薄いファイルを差し出した。
「報告します。……印章庫の『特別閲覧室』から、見つけました」 「ご苦労」
レオンハルト様がファイルを受け取り、素早く中身を確認する。 その眉間に、深い皺が刻まれた。
「……やはり、そうか」 「何ですか?」 「リリア。君に確認してもらいたいものがある」
彼はファイルを開き、私に見せた。 それは、古い羊皮紙のコピーだった。 『印章権限委譲承諾書』。 日付は三年前。私が追放された直後のものだ。
「これは……」
内容を読んで、私は息を止めた。 そこには、アルヴェイン家の当主が持つ『家長印』の権限を、代理人であるセシリア・アルヴェインに無期限で貸与し、その使用に関する一切の責任を当主が負う、という契約が記されていた。
貴族社会において、家長の印章は命と同等の重みを持つ。 それを貸与するということは、家の全財産、全権限を相手に白紙委任するに等しい。 そして、その書類の末尾に記された署名。 震えるような、弱々しい筆跡。
『ジェラルド・アルヴェイン』。
私の父だ。 父が、姉に全ての権限を譲り渡していた。 だから姉は、商会との契約も、教会への寄付も、全て「アルヴェイン家の総意」として堂々と行えたのだ。 姉の印章偽造の裏には、父による「合法的な裏付け」があった。
「……お父様」
私は唇を噛んだ。 クレイグの言葉が蘇る。 『家名を守るためなら悪魔とでも手を組む男だ』。 父は、姉という悪魔に魂を売ったのか。 それとも、売らされたのか。
「……あそこにいるぞ」
レオンハルト様が視線で示した。 会場の反対側。 柱の陰に隠れるようにして、グラスを傾けている中年男の姿があった。 痩せこけ、目の周りは窪み、かつての威厳ある子爵の面影はない。 ただの、怯えた小動物のような男。
「……行ってきます」
私はファイルを借り受け、ドレスの裾を翻した。 「行くな」とは言わせない。 これは、私が越えなければならない壁だ。 姉と対峙する前に、この「家」という呪縛を断ち切らなければならない。
◇
人混みを縫って近づくと、父は私に気づき、ビクリと肩を震わせた。 逃げようとする素振りを見せたが、私は先回りして退路を塞いだ。
「……お久しぶりです、お父様」
私が声をかけると、父は引きつった笑みを浮かべた。 グラスを持つ手が震え、中のワインが波打っている。
「お、おお……リリアか。……元気そうで何よりだ」 「元気そうに見えますか? それとも、死んでいなくて残念だと思いますか?」 「そ、そんなことは……」
父は視線を泳がせた。 周囲の貴族たちが、面白そうにこちらを見ている。 「ほら、親子の対面よ」「感動的ね、泥棒娘と哀れな父親」
私は父の手を取り、強引にバルコニーへと連れ出した。 夜風が冷たい。 喧騒が遠ざかり、二人きりの空間になる。
「……単刀直入に伺います」
私はファイルを父の前に突きつけた。
「この署名は、お父様のものですね?」 「……!」 父の顔色が、蝋のように白くなる。
「貴方は、姉に家長印の権限を全て譲渡した。……姉がその印章を使って、架空の孤児院を作り、商会から不正な献金を受けていたことを知っていましたか?」
「し、知らん! 私は何も……!」 「知らないはずがありません! 責任者は貴方になっているのです! もし姉が倒れれば、その罪は全て貴方に降りかかるのですよ!?」
私が声を荒げると、父は崩れ落ちるようにバルコニーの手すりにしがみついた。
「……仕方なかったんだ」
絞り出すような声。
「セシリアは……あの子は、特別なんだ。生まれた時から、光り輝いていた。……それに比べて、我が家は没落寸前だった。借金、領地の不作、王宮での立場の低下……」
父は涙目で私を見上げた。
「あの子には才能があった。人を惹きつけ、金を動かし、家を再興させる才能が。……私は賭けたんだ。あの子に全てを託せば、アルヴェイン家は救われると」
「そのために……私を捨てたのですか?」
私の問いに、父は押し黙った。 沈黙が、肯定よりも残酷な答えだった。 三年前のあの日。 私が無実を訴えた時、父は私の目を見ようともせず、「出て行け」と言った。 あれは、姉を守るためだったのか。 「輝く長女」を生かすために、「地味な次女」を切り捨てた。 損切りの論理。
「……リリア。頼む」
父が突然、私の手首を掴んだ。 その手は冷たく、湿っていた。
「今夜は……余計なことをしないでくれ。セシリアの邪魔をしないでくれ。……あの子が今夜、身の潔白を証明できれば、我が家は侯爵家に昇格できるかもしれないんだ。王太子殿下との婚約も決まるかもしれない」
「……まだ、そんな夢を見ているのですか?」 「夢じゃない! 現実だ! あの子は『誓約』を行って、全てを真実にするんだ!」
父の目は狂気を孕んでいた。 姉の嘘を信じているのではない。 嘘であっても構わない、結果さえ出ればいいという、腐りきった欲望。 これが、私の父なのか。 私が幼い頃、膝に乗せて「正直に生きなさい」と教えてくれた人は、もうどこにもいない。
私は静かに、しかし強く、父の手を振りほどいた。
「……お断りします」
「な、何だと……?」 「私は、アルヴェイン家の再興になど興味はありません。私が守りたいのは、家名ではなく、法と正義です」
私は父を冷たく見下ろした。
「貴方が姉に貸したその印章権限……私が監査官として凍結させます。そして、貴方も共犯として告発します」 「ま、待て! 親を売るのか!? 育ててやった恩を忘れて!」 「恩? ……貴方は三年前に、私を他人として追放したはずです。今の私はリリア・アルヴェインではなく、ただの『監査官リリア』です」
私は背を向けた。 背後で父が何かを叫んでいたが、風の音にかき消されて聞こえなかった。 涙は出なかった。 ただ、胸の中にあった重い鎖が、一つ断ち切られたような軽さを感じた。
「……終わった」
バルコニーから会場に戻ると、レオンハルト様が待っていた。 私の顔を見て、彼は何も聞かずに頷いた。
「……顔色が良くなったな」 「ええ。憑き物が落ちました」
私はファイルレオンハルト様に返した。 もう、迷いはない。 クレイグが言った『嘘のない状態』。 今なら、プリズムを使える。
その時。 会場の照明が一斉に落とされた。 闇に包まれたホールに、悲鳴に近い歓声が上がる。 スポットライトが、大階段の頂上を照らし出した。
「皆様、お待たせいたしました!」
ファンファーレが鳴り響く。 光の中に現れたのは、純白のドレスに身を包んだセシリアだった。 今日の彼女は、いつにも増して神々しい。 ドレスには無数の宝石が散りばめられ、歩くたびに星屑のように煌めく。 そして、その胸元には。
青く、妖しく輝く大きなブローチがあった。 『青い硝子の欠片』を集めて作られた、偽りの誓約器。
「……出たな」 レオンハルト様が低く呟く。
セシリアは階段をゆっくりと降りてくる。 その顔には、慈愛に満ちた聖女の微笑み。 だが、私と目が合った瞬間、その口角が微かに吊り上がったのを、私は見逃さなかった。
『見ていなさい、リリア。これが私の世界よ』
無言の挑発。 彼女は階段の中腹で立ち止まり、両手を広げた。
「愛する皆様。……わたくしは今夜、神に誓います。この身の潔白と、わたくしを陥れようとする闇の勢力との決別を」
会場中から拍手が湧き起こる。 「聖女様!」「我々は信じています!」 熱狂。陶酔。 この空気を支配しているのは、間違いなく彼女だ。
「リリア。……行くぞ」 レオンハルト様が私の背中を押した。
「はい」
私は深呼吸をし、闇に沈む会場の端から、光の中へと歩き出した。 これは公開処刑ではない。 公開監査だ。 姉が用意した最高の舞台で、彼女の仮面を剥ぎ取る。
「……待った」
私は声を張り上げた。 マイクも拡声魔法もない。 だが、静まり返った会場に、私の声は驚くほどクリアに響き渡った。
「その誓い……監査官として、立会人を務めさせていただきます」
セシリアの笑顔が凍りつく。 スポットライトが動き、私を照らし出した。 光の中で、私は不敵に微笑んでみせた。
「逃げも隠れもしません。……さあ、始めましょう、お姉様」
私の胸元で、隠されたプリズムが熱く脈打ち始めた。 父との決別を経て、私の心は澄み渡っている。 今こそ、反撃の狼煙を上げる時だ。
16
あなたにおすすめの小説
悪役令嬢ですが、断罪した側が先に壊れました
あめとおと
恋愛
三日後、私は断罪される。
そう理解したうえで、悪役令嬢アリアンナは今日も王国のために働いていた。
平民出身のヒロインの「善意」、
王太子の「優しさ」、
そしてそれらが生み出す無数の歪み。
感情論で壊されていく現実を、誰にも知られず修正してきたのは――“悪役”と呼ばれる彼女だった。
やがて訪れる断罪。婚約破棄。国外追放。
それでも彼女は泣かず、縋らず、弁明もしない。
なぜなら、間違っていたつもりは一度もないから。
これは、
「断罪される側」が最後まで正しかった物語。
そして、悪役令嬢が舞台を降りた“その後”に始まる、静かで確かな人生の物語。
皇太子夫妻の歪んだ結婚
夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。
その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。
本編完結してます。
番外編を更新中です。
次期国王様の寵愛を受けるいじめられっこの私と没落していくいじめっこの貴族令嬢
さら
恋愛
名門公爵家の娘・レティシアは、幼い頃から“地味で鈍くさい”と同級生たちに嘲られ、社交界では笑い者にされてきた。中でも、侯爵令嬢セリーヌによる陰湿ないじめは日常茶飯事。誰も彼女を助けず、婚約の話も破談となり、レティシアは「無能な令嬢」として居場所を失っていく。
しかし、そんな彼女に運命の転機が訪れた。
王立学園での舞踏会の夜、次期国王アレクシス殿下が突然、レティシアの手を取り――「君が、私の隣にふさわしい」と告げたのだ。
戸惑う彼女をよそに、殿下は一途な想いを示し続け、やがてレティシアは“王妃教育”を受けながら、自らの力で未来を切り開いていく。いじめられっこだった少女は、人々の声に耳を傾け、改革を導く“知恵ある王妃”へと成長していくのだった。
一方、他人を見下し続けてきたセリーヌは、過去の行いが明るみに出て家の地位を失い、婚約者にも見放されて没落していく――。
私を幽閉した王子がこちらを気にしているのはなぜですか?
水谷繭
恋愛
婚約者である王太子リュシアンから日々疎まれながら過ごしてきたジスレーヌ。ある日のお茶会で、リュシアンが何者かに毒を盛られ倒れてしまう。
日ごろからジスレーヌをよく思っていなかった令嬢たちは、揃ってジスレーヌが毒を入れるところを見たと証言。令嬢たちの嘘を信じたリュシアンは、ジスレーヌを「裁きの家」というお屋敷に幽閉するよう指示する。
そこは二十年前に魔女と呼ばれた女が幽閉されて死んだ、いわくつきの屋敷だった。何とか幽閉期間を耐えようと怯えながら過ごすジスレーヌ。
一方、ジスレーヌを閉じ込めた張本人の王子はジスレーヌを気にしているようで……。
◇小説家になろう、ベリーズカフェにも掲載中です!
◆表紙はGilry Drop様からお借りした画像を加工して使用しています
家が没落した時私を見放した幼馴染が今更すり寄ってきた
今川幸乃
恋愛
名門貴族ターナー公爵家のベティには、アレクという幼馴染がいた。
二人は互いに「将来結婚したい」と言うほどの仲良しだったが、ある時ターナー家は陰謀により潰されてしまう。
ベティはアレクに助けを求めたが「罪人とは仲良く出来ない」とあしらわれてしまった。
その後大貴族スコット家の養女になったベティはようやく幸せな暮らしを手に入れた。
が、彼女の前に再びアレクが現れる。
どうやらアレクには困りごとがあるらしかったが…
お前など家族ではない!と叩き出されましたが、家族になってくれという奇特な騎士に拾われました
蒼衣翼
恋愛
アイメリアは今年十五歳になる少女だ。
家族に虐げられて召使いのように働かされて育ったアイメリアは、ある日突然、父親であった存在に「お前など家族ではない!」と追い出されてしまう。
アイメリアは養子であり、家族とは血の繋がりはなかったのだ。
閉じ込められたまま外を知らずに育ったアイメリアは窮地に陥るが、救ってくれた騎士の身の回りの世話をする仕事を得る。
養父母と義姉が自らの企みによって窮地に陥り、落ちぶれていく一方で、アイメリアはその秘められた才能を開花させ、救い主の騎士と心を通わせ、自らの居場所を作っていくのだった。
※小説家になろうさま・カクヨムさまにも掲載しています。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
婚約破棄された令嬢は、もう誰の答えも借りません
鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。――君は、もう必要ない」
王太子から一方的に突きつけられた婚約破棄。
その理由は、新たに寵愛する令嬢の存在と、「君は優秀すぎて扱いづらい」という身勝手な評価だった。
だが、公爵令嬢である彼女は泣かない。
怒りに任せて復讐もしない。
ただ静かに、こう告げる。
「承知しました。――もう、誰の答えも借りませんわ」
王国のために尽くし、判断を肩代わりし、失敗すら引き受けてきた日々。
だが婚約破棄を機に、彼女は“助けること”をやめる。
答えを与えない。
手を差し伸べない。
代わりに、考える機会と責任だけを返す。
戸惑い、転び、失敗しながらも、王国は少しずつ変わっていく。
依存をやめ、比較をやめ、他人の成功を羨まなくなったとき――
そこに生まれたのは、静かで確かな自立だった。
派手な断罪も、劇的な復讐もない。
けれどこれは、
「奪われたものを取り戻す物語」ではなく、
「もう取り戻す必要がなくなった物語」。
婚約破棄ざまぁの、その先へ。
知性と覚悟で未来を選び取る、静かな逆転譚。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる